Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

今日の出来事

2013年02月28日 | 日記
母親が亡くなってから、最近なぜか心が毎夜騒ぎたてて、なかなか寝付かれぬ日々が続いている
それが、今日とても嫌な思いと成って現れた、そして、それは心の内から消せぬまま今の時に至っている
それは、兄弟の醜い心の内と行動
それを知って、それを怨む己の心の情け無さ
許す心と、それを許さぬ心との葛藤
社会的には許すまじき行い
だが、兄弟と言うしがらみの中で私は迷い続ける
1人の自分は答えを出してるのに、もう一人の自分は情けない事をせき立てる
嫌だ、もう考えたくない・・・
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PM2.5の影響か?

2013年02月25日 | 日記
昨日に比べたらそんなにひどくは無いが、朝の犬の散歩の時は隣町の「八方ヶ岳」の山と
それに連なる山々は少し暗めの霞みがかかっている。
昨日はもっとすごかった
砂塵の巻き上がった如く、全く山が見えない。
お隣の国からの招かざる客だ

こんな環境が続くのなら、きっと今を生きている人間は、そう長生きは無理だろう
昔のSFの映画で、大気汚染の影響で薄暗い世界となっているシーンが有った
まさにその様な未来を、地で行くような昨今の出来事だ

昔、イギリスの産業革命時における大気汚染は、霧のロンドンとして
有名に成った。
「反省する」とかの言葉が中国語には無いと言う話聞いた事が有る
と言う事は、反省する事自体を考えないし、やる事も無いと言う事か
それからすると、思考回路におけるフィードバック機能が無い
と言う事では、それを悪い事と捉えて、もうしてはいけないと言う行動に出ない・・・
パクリとかやっても悪いと思う気持ちが起こらない・・・

なんだか・・・変だ・・・




コメント (7)
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求肥と言う名の和菓子

2013年02月24日 | 日記
昨日姪の家へ遊びに行った。
と言うのも、兄嫁(originally)には子供のころから成人するまで、大変お世話になり
その後、この年に成るまで正式にお礼を言いに行った事が無かった。
先ずは手土産にと、熊本で知らない人はいない程有名な「お菓子の香梅」と言うお店で
陣太鼓、武者返しと、和紙に包まれた和菓子の詰め合わせを買う。
支払いの時、カウンターの手前に草餅似たものが有り「求肥」と書いてある
代金を受け取った店員さんに「このきゅうひは、何なのですか?」と聞きました。
店員さんはこれは「ぎゅうひ」と呼びます
普通の餅はもち米を蒸して突き、弾力性を出しますが
時間とともに固く成って来ます。
しかし、求肥はもち米の粉に砂糖や水あめなどを入れた結果、砂糖の保湿性等で
永く弾力性を保ちますとのことであった。
製造の詳細はお店ごとのノウハウが有るそうです。
「求肥」は元々は中国から伝わり、牛の皮の様に柔らかい例えから「牛皮」と
呼ばれていたが、殺生を嫌う事から「求肥」当てて「牛肥」呼ぶように成ったとか。

今回は見ただけで、買い求めはしなかったので
どの様な味わいか分かりません。
多分、イチゴ大福の皮のような感触だろうと思います。

姪の家でもお茶菓子に、和菓子が出ました。
イチゴ大福にみたらし団子、串団子に海苔を巻いたもの、梅の花を象ったもの

はい、甘いものが好きな私には、こたえられませんでした。
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分限相応と借金をする人

2013年02月20日 | 日記
言葉に分限相応(ぶんげんそうおう)と言うのが有る。
今を生きる人には馴染みが少ないかも知れない。

分かりやすく言えば、自分の身の程をわきまえるとでも言いますかね。
当然この様な事を言うと、そうスカンを食う様な気がします。
いつの頃から言われているのかは分からないが
いずれにしろ、身分制度の有ったころでは無いでしょうか。

一見、抑圧的な差別した言葉のようだが、私はその様には受け取っていません
なぜなら、事家計に関する事で「入るを図って、出を制す」と言うのが有る
これは、毎月の収入を考えて計画的に使いなさいとと言う事で
そうすると、計画性の無い行き当たりばったりでお金を使っていると
お金が足りなくなりますよと言う事だ。

当たり前の話だが、収入に見合った生活をしていれば、余程の出費が無い限りは
食べていけると思う。
ここで言いたいのは「分限相応」の生活は的を得た言い分だ。
立ち振る舞いもそうだ、幾ら虚勢を張った所で化けの皮ははがれてしまう。

今の世はカードが打ち出の小槌のような時代で、確かに便利である
だからゆえに、使い過ぎても借りれば良いと言う感覚に陥ってしまう
借りたものは、返さなければ成らない
ごく当たり前の事、返す目処を付けて借りる、これが鉄則
人の褌で相撲を取ろうなんてとんでもない。

借金を申し込む人の共通項は
借りたら返すという事に責任感が無いし、お金にだらしが無い
借りてしまえば自分のものとして、始めから人を騙そうとする者もいる
返金を求めると、逆切れをする
ひどい者は、返す気持ちが無い、貸してくれはお金をくれに通じる
人から人へ借金をして回る

いずれにしろ、お金を貸す時は、貸した金は上げる気持ちで。
友達関係を解消する積りで貸す。
有る時払いで、請求はしない。
身の危険を感じたら離れた方が良い、貸した金に未練を残さない。
お金を貸してくれと頼まれた時は、きっぱりと断りその人と離れた方が良い。
この様な心がけに成ればおかねを貸しても後悔はしないでしょうね。

草枕の中の一説に
「知に働けば角が立ち、情に棹をさせば流される、とかくこの世は住みにくい」



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部屋の片づけを考える

2013年02月19日 | 日記
片づけは片づけようと思ふにその気に成らぬは世の常ならむ。
狭くても整然と片付き、効率的な部屋で有ったらいいな~と思うのは、誰しもそうだと思う。
部屋の片づけと言ったら、やる事はいつも同じ
要するに簡単に言えば、物を見えない所へ移動して、見える範囲内で物が少ないと言う事かな。
いつもこんな事ばかりやっているから、直ぐに元の雑然とした部屋に戻ってしまうのだろうな

片づけと言う行為を良く考えてみると
機能的に配置されていない品々が、棚、収納ケース、引き出し等に機能的に収まり
必要に応じて、大よその場所が直ぐに確認出来る事
目に見えない所へただ隠しただけでは、片づけには入らんのと違うだろうか。
又探すのに大変な労力を費やす事になり兼ねない。

やはり折角片づけるなら、少しは整然さが長持ちするようにしたいな。
いつもこんな能書きばかり考えているから、そのうち片づける気力が失せてしまう。
と言う事で、おやすみなさい。



コメント (2)
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