Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

寒さ緩みて

2013年02月01日 | 日記
如月の二月
節分、立春、南国では梅が咲いたとか
我が庭の梅は、蕾固く咲く時期が待たれる

如月の夢を破りてあけの月

カーテンを閉めずに休んだら、明け方四時頃煌々と輝く月に、良き夢を見ていたのに
覚まされてしまった。
それも七時頃に成ると、ポツポツと雨が降って来た。
今日は一日雨に成った、未だやむ気配は無い

嫁さん巻きずしの美味しいお店へ、恵方巻きの予約を入れていた、多分日曜にわたしが買いに行く事に成るだろう。

学校、柔道関係に体罰のニュースが多く成って来た
わたしたちの年代では、叩く、ひっぱたくは当たり前ととして受け取っていた
なぜか、社会正義に反する様な事をした為に戒めとして叩かれた物と受け取っていた

勿論必ずしもその様に納得できる事ばかりでも無かった。
今でも理不尽と思われる事が有った事を覚えている
小学校四年の時、代用教員出身の女教師がいた、時々虫の居所が悪くなると
ヒステリーを起こし
「何でこんな事が分からないのと」生徒の首根っこを掴み、何度も何度も、黒板に生徒の頭を叩きつけていた。
子供心に非常に辛いものを見た思いを覚えている。

今だからバラしてしまうが、×△□州男と言う先生、朝から酒のにおいをプンプンさせて
我々生徒を並ばせビンタをして行った。
今でも、なんでビンタを受けなければ成らなかったか良く分からない。

体罰を肯定する気はサラサラ無い
叩かれても、叩かれ無くても、指導される側にとっては、
指導者の思いを理解する事に付いては、それ程違いは無いように思う。

叩かれたから良く分かるとか、叩かれ無かったから分から無いとか
そう考えるのは、指導者のエゴイズムに過ぎないだろう。

体罰とは、指導される側に取って、分かる様に、体に身に付くように教える事が
如何に難しい事で有るかの裏返しなのかも知れない。




コメント (6)
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