Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

県南へ修理に行った

2016年04月29日 | 日記

先日の見舞いの時とは打って変わり、休日でもあり、安倍さんの視察も有った様なので熊本市内はかなりの込みようだった。
道路の左側の震源に近い所の家はバラつきは有るが屋根は瓦が落ちたのだろうかブルーシートが軒並みに掛けて有る、その途中ではビルの一階が完全に潰れて二階が一階になっているところもあった。
日本全国の色んな県警の方が角々に立ち通行車両を見て居た。
災害支援で兵庫県の伊丹駐屯地の自衛隊の車両が頻繁に通っている、ご苦労様です。

途中依頼主の担当者と昼食を取り目的地へ行く、到着したのは良いが肝心の工場に誰も居ない担当者はちゃんと約束し了解を取って来たのにいないとは何事かと・・・
度々社長に電話をするが留守電、別の場所の工場へも行ったが誰も居ない。
そうこう二時間半程して先方から電話が来てすぐ行くとの事。
症状は点火ON後点火の火花が飛ばないということだった。

社長の到着後メインブレーカーをONするとブレーカーが即座OFFする。
何処かショートしている。
社長の話によると、制御盤から来ているケーブルをゆすったら火花が出て電源が入らなくなったそうだ。
そして線材が1本NOのものがBOXの中で火花が飛んだと言われた。
しかしターミナルは全て入出力とも接続されていて断線の気配は無し。
其々の線間の抵抗値を測るとSとT相間で殆ど0Ωどこかでショートしている。
踏み台を借りてファンモーターの裏側を除いてびっくり・・・
三相の線三本とも5cm程焼け焦げて線がむき出しに成り、絡み合ってショートしている。
信じられない光景だった。
焼けている所を切断し切り詰めて圧着で繋ぐとRST間のショートは無く成り、試運転をした所OKと成った。
動作原理は灯油ボイラーとほぼ同じの様です、この様な状態に成るまで放って置くということ自体、信じられない今まで何度かメーカーに頼んで昇圧トランスを交換しているとの事、内容を知っていたのか知らなかったのか、素人でもこれを見たら、これは危ないと思うのに、よう訳けの分からん修理でした。

もしかしたら生産が間に合わないので熊本地震にかこつけて、何度も依頼してもメーカーが来てくれないとかの理由づけにしようとしたのかもしれない。

疑えばきりが無い。
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チップ部品で目が点になった

2016年04月28日 | 日記

今日は病院へいつもの検診で行った、ちょっと、この9ヶ月ほど次第に値が上がってきていますね~、もっと運動をして痩せて下さいとの医師からのご託宣あり。
夕方からはピアノのレッスン。
いずれも同じ方向の国道を行くが、緩やかな坂を登り切るとそこは渋滞で遅々として前へ進まない、ついイライラと来るがここまで来ると裏道は無い。
そんな気分をはねのけて正月の福袋の中に入っていた別のラジオキットを引っ張り出す。
これは、憎ったらしいことに肝心のメイン ICとディスプレイの液晶が抜いて有る。
こんなやり方は「セコイ」な~
いざ組み立てようとしてチップの抵抗にコンデンサーの余りの細かさに目が点に成ってしまった。
サイズは3×1.5mm、リャンメンテープで張り付ける。
アレっ一個が消えたどこどこ・・・
やっとカーペットの溝所に、あ~良かった。
さて、今から半田付けするが上手く行くのか心配。
昼間の留守中に瓦の塗装屋が来たそうだ
先日散々色々聞いたり値段交渉でいじめた末に塗装することにしたので、工事日の連絡で明日は瓦の表面を洗いに来ますと言う事でした。
地震が有ったので大夫遅れるだろうとの予測はしていたが、意外と早く来たな~

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ラジオキットを作った

2016年04月26日 | 日記

今日は朝からブルーシートを探しに行きました、人のうわさでは#1000番、#1200番とか薄っぺらのものは有るけど厚手の物は無い様だ、とか言っていたが、最初にナフコへ行ったら、自動扉を入った右側に山と積まれていた。
普段頻繁に買ってはいないので、値段が分からないので高いのか安いのか全く見当が付かない。
一昨日からピアノの先生が自宅の裏が段々土手が下へズレて行っているので心配と言う事で雨対策としてブルーシートが欲しとの依頼だった。
買って来て下さいとは言われず、有る所を教えて欲しいとの事で連絡だけすることにした。
aitedo akit-9620が今年の福袋に入っていたのだが、中々時間的なものと作る意欲が出ずやっと昨日から作り始めて今日出来上がった。
音の良いラジオという触れ込みで作ったのだが、音が出ない・・・?
調べた所低周波アンプのICの電源ラインの2番ピンにvccが来てない、パターンも無い。
当然導通も無し。
仕方がないのでリード線でvccと繋ぐとFM放送が聞こえる様に成った。
aitedoのキットは偶に色々なミスが有るので別に驚きもせず、購入先に文句も言わなかった。
安いのでこんなもんなんだ~。
確かに他のDPSラジオ特有の固い音とは変わり、随分と和らげられて良い音とまでは言い難いが長時間聞いていても疲れない音に成っていました。
後はケースを作ってからUPします。


(訂正、㊣AKIT-9620)でした。
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訃報のメール

2016年04月23日 | 日記

大学時代アマチュア無線同好会で同じ時を過ごした友人が、今回の地震で間接的では有るがこの世を去りお悔やみに行って来ました。

地震が発生した時、彼は風呂に入っていたそうで直ぐに上がってから気分が悪く成り
翌日病院へ行く支度中に重篤に成り息を引き取ったそうである。

彼は高校卒業後一旦社会人と成ったが大学に入りなおし、卒業後は国家資格を取り自分で仕事をしていた。
私も県外へ出て彼とは疎遠に成り、一年程前に再開するまでは会うことも無かった。
同好会での彼は社会人を経験しているせいか私よりずーっと大人びた感じがして、仲間の面倒見も良かったので人望が有った。
彼の事では随分と楽しかった思い出ばかりしかない、彼は親元を離れアパート住まいをしていたので、仲間が彼のアパートにしょっちゅう遊びに来ていた。
彼は私たち仲間では一番にアマチュア無線の二級の資格を取り100Wの出力で海外のHamと数多く交信し当時はかなりDXサーとしてかなり有名だった。
ただただご冥福を祈るばかりである。
JA6〇〇Y DE JA6○○Z 73 Good by kaz.
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阿蘇路は大変でした、行政、自衛隊の方々の災害派遣に感謝

2016年04月18日 | 日記

昨日今日と夜は比較的静かな夜でどうやら熟睡出来たようだ。
珍しく早く目が覚めた午前3時頃だった、とりあえず家族もいるので静かにして置こうとpcの前に座り日記を書く。

昨日は実家の阿蘇へ行った、誰も居ない実家なのですが。
実家に行く着く迄は勿論、今回は自分の家へ帰るのにも大変な思いをした。
家を出るとGスタンドは長蛇の列、横目で見乍ら参勤交代の道へ入り山道を行くと全面通行止め、左折すると所々道路の舗装面に亀裂が走り凸凹に成っているしかし朝早くから行政関係の方だろうか一生懸命に応急処置として亀裂に周りから土砂を集めて塞いでおられる(感謝)。
程なく行くと、通行止めのコーンポストの脇を通り抜け二重の峠に着く。
関係者や災害派遣の自衛隊の方が方面ごとにドライバーに説明されていた。
二重の峠を降りると、様相は一変し黒川に架かる橋は架かってはいるが、橋のたもとは段差が1m以上に成って通れないので別の道へ迂回する。
道路は波打ち舗装は亀裂がどこかしこに入っている。暫く外輪山の麓を巻くように走っている道を行くとブロック塀はどこかしこと倒れ、古いと思われる家が倒壊しているのを数軒目の当たりにする。
温泉旅館(親和苑)をしている叔母さんの家へ行こうとするが車が大変な込みようでしかも旅館の前は一方通行と成り、いつ着くか分からないので別の従兄の家へ行くがその途中の道路はズタズタで橋は落ち、グルーっと遠回りをしてやっと着く。
従兄は開口一番、エー良く来れたね?
で、被害状況を講釈をする。
従兄の家一帯のライフラインは電気も水道も完全にストップしているが、幸自噴の湧水が有り、それに発電機を使いとりあえずは大丈夫の様だ。
自分は昼飯はコンビニで買って食べるつもりでいたが、家を出てここに着くまでコンビニは全て締まっていて途中の一軒は営業していませんと追い出されてしまった。
実家の家は棚が倒れ、乗せていた食器類が二~三個割れていた程度でした。
その後知り合いの(風)さんの家と他一軒に見舞いの声を掛けに行った。
風さんとは地震の話もさること柄、アンティークの真空管ラジオが手に入ったと言うので見せてもらったりそちらの話で盛り上がり、「クルタ計算機」という超レアなハンディ型の機械式計算機を見せてもらった
私は実物を見せてもらうのは初めてである、これはナチの強制収容所にいた人が考えて、のちに自由に成ってからた製品として作ったものらしい、説明を受けて、ただただ感心するのみ。
風さんとこを失礼して、親和苑の叔母さんの家に行く、叔母さんはもう96歳に成ったと言う、話も歩きも以前と相変わらずしっかりしている、帰りに従姉は高菜漬けと苺を両手で抱え切れないほど沢山お土産に呉れた。
当然ライフラインはストップしているので旅館の営業はしていないが、従業員の為に作って有ったお汁粉を3杯ごちそうに成った。
と言うのもコンビニ弁当が買えずにお腹がペコペコだったのです。
そして早め帰路に付いたのですが、途中の橋が又落ちて居て迂回し二重の峠の登り口まで来ると道路補修の為全面通行止めで温泉街へ引き返す。
大観峰へ登り二重の峠へ向かって走る、着いたら又行き先全て全面通行止め・・・
一体どうすりゃいいの?
又大観峰方面へ引き返し四季の里方面へ行く道の悪路を行くと中間地点辺りで全面通行止め・・・・
仕方なく今度はオートレースのコースのある所から行く道へ行くと、ここは直ぐに道にガードが置いて有り行くなの指示。
では、最後の手段の南小国経由、これが駄目ならもうグルーっと大分県側から3号線を帰るしかないなと思いつつ南小国向かった。
これも山道で渓谷沿いの道だが、意外と崖から落ちた石は大きいのが有ったが全て脇へ寄せられ通行には問題なかった。
帰りついたのは夜の7時10分頃だった。
ああ~疲れた~
鉄腕ダッシュ最初から見たかったな~

ミルクロードより五岳を望む


菊池渓谷線の落石と倒木




阿蘇一宮の楼門・拝殿倒壊
コメント (2)
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