美濃の大地主で銀行業を営むなど岐阜きっての名家・渡辺家の長男に生まれたのが渡辺甚吉。 大学卒業と同時に欧米に遊学し、その際に帰国後の住宅建設の為にと同郷出身の青年建築家・遠藤健三(後に大日本土木を創業)を誘って同行させ、およそ一年の歳月をかけた建物見聞の旅から戻ってきて建てたのがこの洋館(昭和9年築 1934)。 2人が出した結論はチューダー様式の建物を、という事になり、建物本体の設計は遠藤が担当。 照明器具などの細部装飾は遠藤の早稲田大学時代の恩師・今和次郎に依頼し、全体的な計画はあめりか屋技師長となった山本拙郎が行ったものだと云われます。
今和次郎は「考現学」の提唱者としても知られる建築造形家ですが、実際に残した作品が少ない(無い?)事から幻の建築デザイナーとされ、その点からもこの洋館は貴重なものだそうです。 ちょっと前まではスリランカ大使館邸となっていましたが、
※11年11月追記 渡辺甚吉氏の御子孫の方から『建物は現在も渡辺家の所有です』というお話を頂きました。 ここにお詫びして訂正致します。
※参考 『総覧 日本の建築3 東京』 1987
『日本タイル博物誌』 1991 内部写真が掲載されています
山形県新庄市に残る 雪の里情報館(旧農林省積雪地方農村経済調査所 昭和8年築)。 今和次郎の設計作品(現存唯一? もう一つあるとも→福島・田村市の旧大越娯楽場)。
今和次郎といえば、函館のニチロビル3号館(HBCホール)内に今デザインの緞帳や壁画があったそうです。以前ビル内の食堂に行くついでにビル内を確認しましたが、それらしき物は残念ながら見つけることができませんでした。築70年経っているから仕方ないですか・・・・。
あと余談ですが、今さんのお墓はうちの近所の都営霊園にあります。考現学とかのイメージがあるので、アバンギャルドなデザインかと思いましたが、ごく普通のお墓でしたよ(笑)。
要約すると市井の人々の暮らしや社会現象を組織的に調査研究して、都市風俗の現状を解き明かす・・・といった感じでしょうか。
上手く言葉にするのは難しいですが生活学の先駆的な考え方で、
現代における路上観察や町歩きに通ずるものがあるようですね。
ヨウタロウさんが「師匠」と書いた意味が何となく分かるような気がしました。
近くの霊園というのはK平霊園ですかね?
以前、外回りの仕事をしていた時には、霊園内に営業車を停めて時々仮眠してました。。。
歴史のありそうな建物でしたので、帰ってからちょっと調べてみたらこちらのHPにたどり着きました。
今年の5月からハウスウエディングの会場として営業を開始したようです。また、10月からは平日のランチのみですが営業も開始したようです。
建物内はとても重厚な造りになっており素敵でしたよ♪
こちらがハウスウエディングの会場になった事は風の便りでぼんやりと知っていましたが、
平日ランチが始まって一般にも利用しやすくなったというのは初耳でした。
HPも見ましたが安いコースなら庶民にも手が届く値段設定なので良心的に思えますね。
都内には歴史的建造物をレストラン等として活用しているケースは結構ありますが、
内部を見たいと思いつつ、なかなか敷居が高くて遠慮してしまう事がほとんどです(汗)。
私は、洋館の大家で渡辺甚吉の孫にあたります。戦後アメリカに接収された事もありましたが返還され、おじいさんの代から今もこの洋館は渡辺家所有なんですよ。
ところで洋館の室内装飾に携わっていただいた一人、今和次郎さんの展覧会がパナソニック電工さんの汐留ミュージアムにおいて来年の1月14日から開かれるそうです。今さんの作品やスケッチ、今回CGにおこした建築などまとめて展示されるそうですよ。
今もこの邸宅を渡辺家でお持ちなんですね。
てっきり人手に渡ったものかと思っていましたが勘違いしておりました。
今度、記事内容も修正しておきますね。
今和次郎さんの展覧会が行われるというのも初めて知りました。
調べてみたら今さんの生のスケッチ等が展示されるようでこちらも面白そうですね。
是非見に行きたいと思います。
色々と教えて頂き本当に有難うございます!
今までなぜかあまり知られる事のなかった今さんの作品等の展示なので私もとても楽しみにしています。
記事修正していただけるとの事ですが、
日々、修繕と管理に頑張っているので、そうしていただけるととても嬉しいです。ありがとうございます。
古い建物の修繕管理の大変さは所有者でなければ分からない事ですが、
このように活用されながら丹念に手入れもしてもらっている建物は幸せなんだと思いますよ。
これからも大事にしてあげて下さいね。
本当にありがとうございました。