東京大学医学部の前身校である東京医学校の本館として明治9(1876)年に建設。 当初は現在の東大医学部附属病院の南端辺りに建っていましたが、明治44(1911)年に赤門の脇に建物の規模を縮小して移築されました。 昭和3(1928)年以降は大学の営繕課や施設部の事務棟として使われ、昭和40(1965)年に解体された後、昭和44(1969)年に現在地に再建。 平成13(2001)年に東京大学総合研究博物館小石川分館となって広く一般にも公開されるようになりました。 東京都文京区白山3-7-1 10年01月下旬
※参考『総覧 日本の建築 第3巻/東京』 1987
『出会いたい東京の名建築 歴史ある建物編』 2007
『続 首都圏 名建築に逢う』 2009
『東京建築物語』 2008
小石川植物園の北西側、日本庭園の池越えに紅白の建物が見えてくる。
換気塔。 当初は四面に時計を配した大きな時計塔がありましたが明治44年の移築時に改変されました。
古写真を見るとこの扉の上には楕円状のファンライトが設置されていた事が分かります。
手すりに擬宝珠が付け加えられたのも移築時の事。
当初は白一色の外壁でしたが赤門脇に移築された時に景観を揃える為に(?)2階部分が赤く塗られたという。
中に入るには植物園を一回出なければなりません。 再入場不可なので要注意。
ジョサイア・コンドルがお雇い外国人として英国から来日し、工部大学校造家科(のちの東大工学部建築学科)で教鞭を執るようになるのは明治10(1877)年。 来日1年前に竣工したこの建物は東京医学校営繕係の設計による擬洋風建築と呼ばれるものです。
欄間の透かし彫りは和テイスト。
内部はすっかり改装されています。
1階の展示室。
この柱は古材を利用しているのでしょうね。
見上げると小屋組みも露わになっています。
グロ注意。。
展示品には解説が殆んどありません。 学術的な解説を読む事に満腹感を覚えるよりも、自分の目でつぶさに観察し何かを考える事に重きを置いた展示になってるようでした。
太平洋戦争以前にベルギーから寄贈されたという地球儀。
赤門脇に半分ほどに縮小移築された際、残り半分の建物は学士会館(千代田区)へと移築されたそう。 しかしそれも後年に焼失してしまったようです。
解説を読むより目で確かめる方が納得ね。
言われてみれば博物館でも美術館でも、作品そのものを見るよりも
解説文の方ばかりに目が行ってしまう事は多いですね(←反省)。
ただ東大には600万点以上ともいわれる学術標本があるそうなので
単に全てを説明解説するのが大変なだけなのでは…と変に勘繰ってしまうイケナイ私がおります。。
自分はこれみたさ(もちろん建物も)に、2年前くらいに行きました。
見方として間違ってますが標本や、機器がそれはそれは格好よくて、単純に凄いと感じます。そしてフォトジェニック。
いいなぁ。また自分も見に行きたいです。
ここは理科室の準備室に入り込んでしまったような異空間が広がっていますね。
展示物を趣くままに見ているだけで色んな妄想や記憶が頭の中に浮かんでは消え、消えてはまた浮かぶという事の繰り返し。
私は文系ですが鉱物や化石、天文などには興味があったので、こういう場所では心が和みます。。