明治中期頃に英国人のウィルソン・ウォーカーにより現在の南山手町2-11番地(旧南山手町12番地)に建設された住宅で、初期には外国人用のホテルとして使用されていたともいわれます。 建物の設計・施工は分かっていませんが日本人大工の手に成るものと思われ、長崎居留地における同時期の洋風住宅が小型・簡素化していく中では珍しい非常に質の高い住宅だそうです。 大正11(1922)年頃からは医院や住宅として使用されていましたが昭和63(1988)年に解体される事になり、長崎市が寄贈を受けて現在地に移築復元して現在は町並み保存センターとして活用されています。 長崎県長崎市南山手町4-33 09年12月下旬他
※参考 『総覧 日本の建築9 九州・沖縄』 1988
『南山手の洋館』 1977
当初は大浦天主堂へと向かう坂道の途中に建っていました。
吹き放ちの玄関ポーチ。
中央部が突出したこのベランダ面が当初は海側を向いていました。 三角のペディメントが立体感を訴えかけてきます。
掃き出し窓。
玄関から入ります。
先程見たベランダに面した側の部屋。 間仕切りは引き込み戸になっていました。
暖炉にはマントルピース。
扇形の装飾があります。
照明の台座にも漆喰による植物模様の装飾。
ベランダの無い壁面にはベイウインドウが設けられています。
中廊下を通って階段へ。
親柱は随分と大振りなデザイン。
2階は研修室や会議室・ギャラリーとして使用されています。
2階にも暖炉+マントルピースがありました。
1階とは異なる細かいデザインです。
移築される遥か昔、ホテルとして使われていた頃は海を望める抜群の眺望だったでしょう。
畳敷きの部屋もありました。
和とも洋ともいえない部屋です。
無料公開なのでお勧めの場所。
横浜、そして神戸に主役を奪われる前の最も輝いていた時代の長崎居留地の栄華を今に伝えています。
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