旧下関郵便局電話課分室

2009-10-02 07:12:36 | 岡山・広島・山口


 逓信省営繕課の設計により建設された分離派風の建物(大正12年築 1923)。 設計者は不明ながら山田守や森泰治、上浪朗といった同省技師の関与が推察されるそうです。 昭和41(1966)年まで電話局舎として使用され、その後は下関市の管理の下、市庁舎第一別館等になっていましたが、近年は空き家状態が長く続いていました。 今現在は「田中絹代記念館」としての活用・オープンに向けて急ピッチで修復工事が進められています。  山口県下関市田中町5-7  09年09月下旬


 夕陽を浴びると色合いも暖かな物に。 


 縦溝の入った柱が立ちあがり、スパッと切れた所から放物線のアーチ。


 半円窓の下には波紋のような同心円状の装飾。


 柱が庇で止まらず、上まで突き抜ける。


 窓と柱が整然と。


 奥にある旧宮崎商館(ロダン美容室といったほうが馴染みある?)も化粧直しされ医療関係の建物に生まれ変わっていました。


 05年12月下旬に訪問した時の写真。 この薄汚れた姿も嫌いではありません。。。


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10 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-10-02 09:33:55
[B]1938年 - 台湾台北県平溪鄉 皇宮喫茶店[/B]








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開館が待ち遠しいです! (加島昭三)
2009-10-02 20:23:53
田中絹代記念館の情報、有り難う御座居ました.私達S.一桁の夫婦にとって、オープンが待ち遠しいかぎりです!・・・記念館・博物館と言えば、東京駅から神田寄りの煉瓦のアーチの中に戦前(S.12年?万世橋の旧鉄道博物館が出来る前)「鉄道博物館」が有りました.父に連れられて・・・一番の記憶は、自動連結器のコーナでした.短い貨物型の台車を父と、「力一杯」押して行きます.固定された片方の連結器に・・・「ガシャンー・・!」狭いアーチ型の場内に心地よい連結音が響き渡りました.(今でしたら危険な、装置ですね)この頃から、博物館・資料館の虜に成り現在に至っています.(笑)
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早く見たいですぅ。 (asakura)
2009-10-03 05:34:05
昨年末に下関を訪ね、近代建築物を見て回りました。中でも特に見たかったのが、この旧下関郵便局電話課分室。しかし工事中で建物が見えない状態で「ああ遅かった…取り壊されてる」と思い込んでました。今回、リニューアルされた写真を見て安心しました。まるでメルヘンの建物ですね。またそのうち必ず訪ねます下関。
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田中絹代 (es)
2009-10-04 21:35:14
昭三さん、田中絹代という名前は私のような30代にはピンとはきませんが、
昭和を代表する往年の大女優さんだったんですね。
彼女が下関出身なのと、ちょうど生誕100周年に合わせて今回の運びとなったようですよ。

私の場合は父が車好きなので、子供の頃は新車が出るたびにディーラーさんに連れて行かれました。
父が話している隙にあっちこっちを弄って、造りが雑だとか、
スイッチが使いづらい等と偉そうに批評する嫌なガキでした(爆)。
この性格は多分今も変わっていないと思います・・・。
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お気に入り。 (es)
2009-10-04 21:47:58
asakuraさん、コメント有難うございます。
この建物が改修工事中なのは分かっていましたが、検索しても最近の写真が出てこないので少し不安もありました。
でもこの姿を見たら不安は見事に吹き飛びましたね。
まだ工事中でしたが、嬉しくてつい全部大きい写真で紹介してしまいました(笑)。
正式なオープンは未定のようですが、今年度中には開館されるようなので本当に楽しみですね!
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願いは必ず・・・. (加島昭三)
2009-10-05 01:37:52
コメント有り難う御座います.博物館好きは、父の影響でも、商売(呉服屋)は、祖母に任して・・.今、好奇心を植え付けてくれた亡き父に感謝しています.鉄道博物館の続きです.たしか館の敷地内の外に、明治時代.碓氷峠で活躍した.独逸製のELが有りました.また.「山陰本線・餘部鉄橋」のジオラマが子供心に・・.現役時代の83年・福井県・高浜原発3,4号機建設工事に一年間長期出張中.日帰りの旅で、念願の橋梁を訪ね、撮影する事が出来、子供の頃の夢が叶えられました・・.
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共通点。 (es)
2009-10-05 20:28:31
昭三さん、こんばんは。
ずいぶん遅い(早い?)時間にコメント有難うございます。
私の父も好奇心の塊のような人で何にでも頭を突っ込んで騒ぎを大きくする人なので、
私の方は対照的に少々控えめな性格に育ってしまいました(半分嘘)。
冗談はさておき、興味というか気になってしまうと自分の目で確かめないと気が済まない性格なので、
今はアチコチと建物探訪の旅にハマっている所ですね。
昭三さんのように何時までも健康で好奇心を失わない点を見習いたいと思います。
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ジオラマの思いで. (加島昭三)
2009-10-05 21:35:02
またお邪魔します.各地の博物館資料館等訪問時の親切な解説、何時も感謝しています.また思い出です.昭和十代、有楽町の日本劇場と、朝日新聞社の間を行くと.「電気館」が有りました.東芝の経営だったと思います?電気製品等の展示物が.しかし、当時庶民の電化製品は、ラジオ・アイロンぐらいで、我が家の扇風機は商売柄、お客様専用.冷蔵庫は、夏場氷屋さんが(お判りでしょうか)*さて館内の展示物の中に.来るべき未来の「TV時代のジオラマ」が・・.それは、両国、国技館での大相撲の中継と、各家庭での受信情況でした.私は、当時、夢物語を見るようにその場から離れられませんでした・・・1935ベルリンでTVの試験放送が行なわれたと、新聞が報じて居ました!
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三種の神器? (es)
2009-10-06 21:35:59
昭三さん、いつも懐かしくて暖かいお話、本当に有難うございます。
テレビに対する想いというのは小さい頃に母から良く聞かされました。
母の実家は大昔、甲府(山梨)で製糸工場を営んでおり、当時は会社の業績も好調、
母曰く、町で一番最初にテレビが家にやってきたそうです。
そのテレビ見たさに御近所さん達が何十人も家に押しかけ大賑わいになった、
というのが幼き母の自慢だったらしく、何度も嬉しそうにその話をしていました。
今ではとても想像できませんが、その頃の庶民の熱気や上昇志向というのは、もうこの国には無いのかもしれませんね。
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Unknown (Unknown)
2009-10-30 10:57:25
[B]1929年 - 台湾花蓮県鳳林鎮 校長夢工廠

校長夢工廠」に入ると、入口近くの壁に当番表がかけてあり、大晦日以外はどの日もびっしりとボランティアの名前が書き込まれている。

「地域の文化館である『校長夢工廠』成立の歴史や意義を、鳳林に来る人々に知ってもらおうと、できるだけ年中無休でやっています」と、73歳になる元校長の廖高仁さんは目を細めて笑った。校長夢工廠は「校長の里」としての鳳林の歴史を紹介することで「教育の夢」を生産する。これもまた鳳林にしかない「特産」なのだ。


なぜ「校長の里」となり得たのか。戴国健さん、頼東明さん、廖高仁さんはいずれも元校長だ。年齢69歳のこの3人が並んで座り、説明してくれた。



[IMG]http://i495.photobucket.com/albums/rr318/benken720803/20070620085912898on1.jpg[/IMG]

[IMG]http://i495.photobucket.com/albums/rr318/benken720803/54449735bbb943067bohy0.jpg[/IMG]

[IMG]http://i495.photobucket.com/albums/rr318/benken720803/f2320080306033729574wm2.jpg[/IMG]
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