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福島県郡山市は北に仙台・南に宇都宮、東にいわき・西に会津といった都市と結ばれた交通の要所であり県内一の商都として賑わいを見せています。 しかし近代以前の郡山は宿場町とはいえ一寒村に過ぎず、現在の発展を築いたのは明治初期以降に始められた安積疏水の開削事業による所が大きかったものといわれています。 安積疏水とは日本海へと流れていた猪苗代湖の水を荒涼としていた安積原野に引いて土地を開拓する為のもので、その疏水の管理を引き継いだのが現在の安積疏水土地改良区事務所にあたります。 この建物は事務所の新館(貴賓館)として昭和12(1937)年に建てられたもので木造2階建て、1階部分に茶色いスクラッチタイルを張り2階部分は白壁としながらも付け柱に合わせて縦方向にスクラッチタイルを張って垂直線を強調しています。 福島県郡山市開成2-22-2 07年11月上旬ほか
※参考 『ふくしまの西洋造』 1977
『近代建築ガイドブック 北海道・東北編』 1985
『光の街 影の街 モダン建築の旅』 1987
『福島県の近代化遺産』 2010
※現存せず(東日本大震災による)。
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建物の設計者は渡辺恒雄。 勿論あのナベツネではなく、郡山の東南に位置する田村郡の出身で東京で建築家になった人物であるという。
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安積原野の開拓に尽力したのは旧米沢藩士で当時は福島県の典事(課長職)であった中條政恒。 前回の山形・吉池医院で紹介した中條精一郎の実父です。
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中條は当時の郡山の資産家ら25人から成る開成社を結成させ県と共同して安積開拓をスタート、これが後に国営の安積開拓と疏水開削へと繋がっていく事になりました。
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裏へ回ります。
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この貴賓館の隣りにあった旧の事務所は中條精一郎の設計で昭和6(1931)年に建ったものでした。 どうやら80年代初め頃に建て替えられたようです。
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中條精一郎の娘・百合子(後の宮本百合子 1899~1951)は祖母の家のあったこの辺りで毎夏を過ごしており、17歳の時に『貧しき人々の群』で当時のこの開成の情景を描いている。 農村のあまりの貧しさを見、祖父の率いた疏水事業が本当にこの地の人々に幸せをもたらしたのかを疑問に感じていたようです。
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水平線よりは垂直線、『福島県の近代化遺産』では「ライト風ではない」とわざわざ書いてありました。。
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震災から3か月が過ぎた2011年6月18日に訪問した時の姿。
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無残にも壁の一部が崩れ落ち、人が近づかないように建物の周囲にはロープが張られていました。
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タイル張りで重量のある建物だったから揺れの被害が大きかったのでしょうか。 もうこの建物を見る事も出来なくなってしまいました。
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