坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

泥棒の耳四郎

2011年05月05日 | 坊主の家計簿
 私の鼻血と同じ色の赤ワインを飲む。。。って、大嘘や、っちゅうねん。こんな色の鼻血もあるのかも知れんが、きっとかなりヤバイのと違うか?

 今日は、御仕事終わって「本山に行きまっせ!」っちゅう事で、『子ども御遠忌』というのに出かける。きっと娘が50年後の『宗祖親鸞聖人800回御遠忌』の時に「ああ、そういえばパパとママと一緒にブットンくんを見に来た」と思い出して呉れればイイというか、なんというか。単にパパの買い出し&パパの「ブットンくんが見たい!」というワガママでもって、「まあ、せっかくのゴールデンウィークですし」という事でお出かけ。
 
 なんだが、決めたのが今朝(笑)御参りの合間に、報恩講で必要なものを仏具屋さんに電話したら「ありますよ~♪」という事だったので、「ほな、買いに行こ。せっかくやし、今日行こ」という事で、突然決定。
 この時期、連休中の京都で車を停める所が「まあ、ないわな」だし、かつ、御遠忌期間中なので、もっと危ない。なので電車で行く。娘には車内で寝てもらう予定だったのだが、電車に乗ってテンション上がっている娘は結局寝ずに京都入り。なので、基本は「抱っこ」状態だったのだが、それでも楽しそうだったので、パパ嬉しい。

 ブットンくんを最初に発見したのは、娘がママと一緒に授乳室に行っている時。「あ、ブットンくんや!」と初めて動いているブットンくんを見る。動き、ハンパねぇ。。。動きにキレがある。間も上手い。
 間の上手さや、パントマイムとでもいうのだろうか?喋らずに動きだけで感情表現出来るのはスンゲーぞ。娘と一緒に「あ!ブットンくん居った!」と行った時にブットンくんは休憩間近だった。休憩する所にスタッフと一緒に行こうとする所をなんとか捕まえて、娘に「ほら、ブットンくんだよ」というと、娘、微妙に怖がる。ブットンくんは手を広げて歓迎の姿勢だったのだが、その瞬間に固まった(笑)いや~、上手い。ホンマに上手い。
 ちなみにその直後に別の子どもがやって来て、恐らく疲れてヘロヘロ状態のブットンくんはしっかりと歓迎してはった。
 動きも良し、人気商売としての姿勢もエエ。そら人気出るわな。

 帰りに本山でお買い物。え~。。。井上某の親鸞画のポスターとか、中村久子さんの書などを大量にお買い物。
 本堂(御影堂)から何やら声がするので入る。某雑誌に『美人すぎる尼僧』と書かれてた人が喋ってはった。いや、全然気付かなかったのだが、「あの人って確か仙台教区の所に居った人やなぁ。。。」と。で、スタッフTシャツの裏に書かれていた名前で「あ!『美人すぎる尼僧』やんけ!」と解ったのだが、え~。。。『美人すぎる尼僧』ではなく、やっぱし、『しっかりした坊さん』だと思うのだが。彼女よりも『美人』な僧侶は結構知っているし。ただ、まあ、『結構美人で、しっかりした坊さん』である事は確かであり、確か、大谷大学で教学をしっかりやって来られたのだろうし、今回スタッフで来られていたという事は仲間達にも恵まれているのだろうし、かつ、被災地で多くの方々と出会っておられ、これからも出会い続けて行かなければならない事を考えると、え~。。。要するに『バケモン』になる可能性大である。高倉会館なんぞで彼女の法話が聞ける事になるのだろう、きっと。で、彼女が、まだ若く(と思う。。。)ピチピチした感受性(今日も少し泣いておられた気が)で『被災者』と呼ばれる方々と出会われた御念仏の教えを聞いてみたい。

 本堂(っちゅうか、御影堂)を出たらブットンくんは居ない。他のゆるキャラも居ない。本日最大のヒット・ゆるキャラだった『おりんちゃん』(http://usami-shokakudo.co.jp/2010/)も居ない。あ、『おりんちゃん』はエエぞ。ブットンくん危うしやぞ。なんせ、手に持った棒で頭(りん)を叩くと「ちーんー」と音がするねんぞ(笑)あれにはやられた。他のゆるキャラも多く居てたけど、最大のヒット。
 あ、で、ブットンくんも『おりんちゃん』も不在、っちゅうか、出番の時間が終わったらしい。パパは「きっと今頃、近くの居酒屋でタバコ吸いながら『暑かったなぁ』なんぞと言いながら絶対に生ビールを飲んでいる。」なんぞと子どもの夢を破壊する発言。パパは睡眠不足で少し機嫌が悪いのだ。

 京都から大阪駅までJR。乗り換えて地下鉄。
 なにやら今日から大阪駅が新しくなったそうな。
 数年前まで大阪駅構内には一カ所だけ駅ソバがあった。生麺で茹でたてを出してくれるので、結構お気に入りだったのだが、今はない。今回、駅が新しくなったらしいが、改札内には変わらずなさそうだ。少なくとも駅のホームにはない。新しく駅が出来たのと同じく『駅そば』も作ってくれればエエのだが、何やらハイカラな喫茶店は改札内にあったが、やはり無理なのか。大阪は何を目指そうとしているのか。痰壷の町・大阪の玄関口の駅は何を目指そうとしているのか。

 名古屋駅構内には有名なきしめんの店がある。16才やったかな?初めて名古屋に友人達と青春18切符を利用して行った時に、まあ、貧乏旅行だし、主食はパンと駅そばである。で、美味かった。。。
 姫路駅には中華そばを使った『天ぷらそば』とかがある。『きつねそば(関西ではたぬき)』だとか『たまごそば』を頼んでも和そばでなく中華そばで出て来る。これも結構美味い。お気に入り。
 その他、結構、駅そばは喰っている。乗り換えの合間に食事するには便利である。特に観光客にとっては。また、貧乏旅行客や、忙しい人なんぞにも。
 だったら、大阪駅も駅構内に『きつねうどん』を280円ぐらいで食べれる店を作ったらどうだい。駅が新しくなって確認はしていないが、この数年はなかったぞ。新大阪駅にはあるから、大阪駅から新大阪まで行って、で、新大阪で駅の立ち食いそばを喰ってるって、どうなのよ。

 帰宅してテレビ。録画していた『ありえへん∞世界』を見る。
 ありえへん食べ物で『竹岡式ラーメン』と呼ばれるラーメン屋の紹介をしてはった。プチ・ラーメンマニアなので早速iPhone検索。お店発見。え~。。。結構、評判悪いのね、一部には。きっと、よくある『美味しいラーメン』と混同してはるのだろう。っちゅうか、多分、グルメ的な『ラーメン』としての意味合いなら美味しくなさそうである。麺は乾麺(ようするにインスタントラーメン)だし、スープは白湯(笑)チャーシューの煮汁をお湯で割っただけ。衛生的にもよくないらしく、また、乾麺にした理由が「近所のパートのオバちゃんでも茹で加減にムラがないように」との事らしい。え~。。。都市部では100%淘汰されるであろう。けど、まあ、『食べ物』って、んなものではないのかな?っと。
 何やら漁師町らしい。漁師町で作って出していたラーメンが、まあ、ネット時代っちゅうか、雑誌なんぞも含めてなのだろうが、都市部の人達にも評判を呼び、わざわざ食べに来る人が出来た。いわゆる『ラーメンマニア』の人達が食べに来たりする様になった。それ以前は地元の漁師さんとか、近くに海水浴場があるらしく、海水浴帰りの人とか、あるいは国道を走る人を相手にして来た商売なんだろう。で、地元で愛される店としてやって来られたのだろう。ネット情報によると。

 実家の近所には後に大阪で有名なグルメ雑誌より『日本一美味しい』やったけな?まあ、最大級の評価をされた焼きそばの店がある。子どもの頃から美味しかったのだが、やはり、その店の焼きそばは子ども時代の小遣いではキツかった。なので、主に『ゴリラ屋』と呼ばれてた、店のオバはんがゴリラに似てるからやったけな?今、思い出してみるとゴリラ顔では無かったのだが、まあ、代々御近所ガキ連中には『ゴリラ屋』と呼ばれてた店があった。ここの『肉スープ』が絶品だった。鶏のモツが入っていて、確か、カラカラに乾いたたこ焼きが2~3個入って20円ぐらいだった。今食べると「なんじゃ、この化学調味料の塊の味わ!」になるのかも知れないが、子どもの時にはムッチャ美味かった。
 今は食べれない。そこの次男が、あ、長男は知的障害児で店の奥、オバはんの居住スペースでニコニコしてて、「たまに暴れる」という噂があったのだが、暴れた記憶はない。ただ、私より何才か年上の次男が成長すると共に、厳密には中学生になって、校内暴力激しかった時代に、うちの市内で最強&最狂の中学に行きだして、同級生なのかなんなのか知らないが、当時の私にとっては『怖いお兄ちゃん達』が一杯で出入りするようになってから足が遠のいた。っちゅうか、まあ、以前から怖いお兄ちゃん達も出入りしていたのだが、次男もその仲間に入ったのか、単に絡まれていたのかは確かではないが、元々治安の悪かった店が「え~。。。健全な小学生にはちょっとキツいです」の店になったので。で、噂によると、そこの次男が店で大暴れして閉店したらしい。まあ、次男が店で暴れている姿は何度も目撃していたのだが、閉店騒ぎになるという事は、結構な大事だったのだろう。

 新しくなった大阪駅。とっても近代的な大阪駅。「立って食事をするのはハンバーガーにして貰えませんかね?」なんぞと標準語で言われそうな大阪駅。何やら『コンシェルジュ』というのか?そういうのが居てるらしい。アホか、ボケ。ヒョウ柄模様のオバはんに案内させ。「兄ちゃん、ワレ、どっから来てん?」なんぞというオバはんでも立たせておけ。「グズグズしっとたら、殺すぞ、ボケ!」というオバはんでも立たせておけ。それが大阪の玄関口としての歓迎ではないのか?

 ひょっとして、大阪は『ホームレスが住めない街』を目指しているのか?『日雇い労働者が住めない街』を目指しているのか?大阪からそういう人達を排除しようとしているのか?
 最近、釜ヶ崎に行っても、釜ヶ崎名物だった、地元の人間はみんな知っている「あそこに立っている人達はシャブの売人でっせ」も見かけなくなった。韓国経由の安いタバコの店も見かけなくなった。裏DVDの店も。まあ、あまり行かなくなっただけなのかも知れないが。
 人間臭くない、人工的な街を作ろうとしているのか?
 衛生的な、健全な、健康な、同時に不健康さを排除した街を作ろうとしているのか?

 原発ジプシー。
 原発内の被曝使い捨て労働者を『使う側』は問題である。被爆量を考えて『労働者』として使うべきである。
 だが、原発ジプシーとしての生き方だって、アリだろう。
 ホームレスとしての生き方もアリだろう。
 誰しもが定職を持って生きなければならない筋合いはない。
 フラフラしながら、生きる人生の何が悪い。
 
 あるいは、昼間から酒を飲む。朝から酒を飲む。酒を飲んで喧嘩して血だるまになって道で倒れる。そういう人生の何が悪い。
 
 「しっかりと勉強せんと(しなかったら)、あんたも大きくなったら『ああいう人』になんねんで」の、『ああいう人』の何が悪い。
 『ああいう人』に対してボロカスに言いながらでも、それでも一緒に行きて来た『人間の街』が大阪だったのではないのか?

 橋下知事は一時期被差別に住んでいた事がある。でも、その『被差別に住んでいた』が故に、そういう猥雑な『人間の街』から逃げ出そうとしているのではないのか?

 あ、そろそろ寝な。

 原発ジプシーの映画。大好きな『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』では、原発ジプシーを取り上げると同時に、場末のホステスさんが出て来る。ん?ストリッパーか。
 で、そのストリッパー達が海岸で人の名前を呼びながら『正』の字で数を数えて行く。今までやった(SEX)人の数なのか、それとも出会った人の数なのかは憶えていない。でも、とっても美しいシーン。そんな孤独の映画。

 『パルチザン前史』を撮った小川紳介は、東北の村に入って、村に住む込み、村の人達の『日常』の『退屈』な映画を撮った。最大の盛り上がりは村祭。どこにでもありそうな村祭。
 そんな生活者の映画。

 生活者の生活臭。

 『人権』の『人』。その人って、どんな人やねん? 

 浄土には、『ああいう人』、「仕事もせんと昼間から酒飲んで寝ている汚いオッサン」「アル中」「シャブ中」「売春婦」なんぞが、更生してからでないと往けないのか?そんなものを『浄土』と呼ぶのか?呼んでいいのか?

 誰か特定の『損』な人にだけ更生させて、世の中の仲間入りが更生ならば、