坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

釜ヶ崎で生きて浄土に還られた僧侶の話

2011年05月08日 | 坊主の家計簿
 先月、結構忙しかったので鼻血ぶー状態の日々が続く。
 5日に飲みに出かける用事があったので、飲む。飲む。飲む。朝まで下ネタを中心とする話題で大いに飲む。
 朝、iPhoneがない。。。シクシク。。。探したけど、ない。携帯がないと仕事に支障をきたすので残り1920円の11回分が有料になるらしいのだが、しゃーないので新しいiPhoneに切り替える。機種変更、っちゅうやつでんな。新型iPhoneは分割無料なので、以前の残り分だけが毎月加算。うぅぅぅぅ。。。

 鼻血は止まる。まあ、二日酔いで鬼程寝たし。

 元所属寺の住職より、同じ所属寺だった『釋顕明』の七回会法要の話。法要を引き受ける事にした。っちゅうか、5月は報恩講&団体参拝で忙しいので、速攻、なんとか形にしようと、飲みつつ、考える、今。
 とりあえず、さっき釋顕明が最晩年に釜ヶ崎でホームレス状態の人達の支援をしようとしていた時のパートナーにメールする。今回の最重要人物。忙しい人だし、今は大阪に居ないので法要中に読む一文だけでも書いてくれれば、法話の前に緊張感が出る。

 今の所、考えているのは、釋顕明の所属寺住職が導師で表白も書いて貰って、読経内容は、カダ、表白、阿弥陀経、短念仏、三重念仏、十方みじん世界&添え。正信偈同朋奉讃の和讃は「南無阿弥陀仏をとのうれば」。拝読文『高木顕明 世が社会主義』。法話の前に、最重要人物の一文。法話。
 後、一品&酒持ち寄りの宴。松田優作の灰色の街が入っているアルバムと、『オキナワンボーイ』が入っているアルバム。知念良吉っちゅう人なのか?まあ、詳しい人に聞いて見よ。通夜の時に持って来たやつに持って来て貰えばエエか。を流しつつの宴。

 釋顕明は無名の大谷派僧侶。
 もう、かなりのロクデナシで、無茶苦茶迷惑をかけられたのだが、まあ、「お互い様やんけ」だったり、まあ、死んだ事でチャラ。生きてたら「金、変えさんかい」なんだろうが、死んだのでチャラ。
 お互いが僧侶になる前からの親しい関係だったし、坊主バーの3代目のマスターだったりもする。親しい関係だった分だけ、「死んだらみんなエエ人」にはならず、通夜だろうが、その後だろうが、「お前、そんな事いうけど、あのオッサンはこんな事も、こんな事も、こんな事もあってんぞ」なんぞと個人的迷惑をツラツラ並べたりしつつ、「ロクデナシのオッサンやったのぉ~」と。
 まあ、んな感じだったし、釋顕明が作った『詩』で遺稿集を作ったらしいのだが、私は「あのオッサンの詩はおもろないから要らん」と貰ってない。生前に読んだけど、イマイチなぁ。。。

 でも、かれこれ6年になるらしい。6年も経つと懐かしさも込み上げて来る。ロクデナシ話の想い出話も変わらずなんだが、なんか、あのオッサンの『釋顕明』としての評価も面白いのでは?と。同じ大谷派の僧侶としての『釋顕明』としての評価をやってなかったなぁ~と。

 なんせ前科3犯である。前科3犯で裁判中に逃げたので実刑3年やったかな?政治犯なので独房3年。独房に3年間居てた僧侶って、結構珍しいと思うのだが。
 反戦自衛官でもあった。自衛隊だった時に沖縄に転属(?)する事が決まった時に「沖縄は日本ではない」という事で転属拒否で自衛隊を退官。
 その後、中核派なんぞに入りつつ(自衛隊時代からだったからなのかも知れん)、政治運動へ。で、前科3犯実刑3年。
 後に、タマタマやって来た坊主バーに居着いて、そのままマスター。何故か大谷派僧侶になる。
 
 大谷派僧侶になったといっても、いわゆる『僧侶』の仕事をしていたわけではない。坊主バーを辞めてからは、幸いな事に(?)結核になったり、あるいは「宝くじでも当たったんけ!」という事で生活保護。自衛隊時代にやってたボクシングの後遺症なんぞで「脳味噌に空白が出来てます」だったり、杖をついていたり。結構、ボロボロ。
 死に際も、まあ、「事故やった」とか色々いう人もいてるけど、まあ、自死でんな。駐車場の鎖に紐を吊るして死んでた。「俺が死んだら」「俺が死んだら」なんぞと言ってたが、ホンマに死んでもうたわけでんな。
 そういう無名の人。

 悪口を書きまくるとそれだけで終わってしまうので、悪口は辞めて、釋顕明が最後にやりたかった『僧侶』としての仕事は釜ヶ崎でのホームレス支援だった。
 元々、確か8年間ぐらいだったはずだが、ホームレス状態で生活してはった。金がある時はドヤに泊まって、金がない時は路上で寝る。そんなホームレス状態の生活。
 で、僧侶になっても貧乏なのはずっと変わらんが、多分、釋顕明の唯一の自尊心、『仕事』、生活保護だったりしたから尚更だったのだろうが、死んだ今となって最後にやりたかった仕事は『ホームレス支援』。
 『釜庵』という名前で、ホームレス支援の願いを持っていた。これまた愚痴なんだが、法事をする為の法衣等一式(7~8万)を寄附した。「にも関わらず、テメーわ」だったりするのだが、まあ、しゃーない。
 その願いは、今は釋顕明ではなく、当時のパートナーを中心に形になっている。これから増々大きくなるであろう。『頑張れ仏教!』の人なんぞも居るし。
 でも、そういう、え~。。。なんちゅうんですか?しっかりとした大学なんぞも出て、「現代に於ける宗教者の役割とは」なんぞを論文に書いたり、行動したり、しようとしている人達に「釋顕明って知ってる?」となんぞと。

 娑婆を生きている。限りある現実の生活を生きている。でも、その中で、どういう願いをもって生きようとしたのか?と。何が出来たか?どういう功績を残せたか?でなく、釋顕明は最後に何を、どういう願いでもって生きようとしていたのか?という一点を中心に、ちょっと考えている。こうやって書きながら、考え、まとめている。