杉さんと出会ったのは「坊主バー」でした。
私と出身県が同じ。そして、釜ヶ崎で日雇労働者をやっているということで、不思議に親近感を覚えた私は、一目で彼にひきつけられました。
牛乳瓶の底みたいな度のつよいメガネと仙人というのか、怪しげなアゴ髭が印象的な自称、チベット人。
ある日、杉さんがあの独特の甲高いかすれたくぐもった声で
「俺、キャッツ・アンド・ドッグスやりたいねん」といいました。私が、
「なに?その、キャッツ・アンド・ドッグスって」
と聞くと、杉さんは
「犬や猫の散歩を、飼い主に代わってやる仕事やねん」
と。
杉さんには社会で働くより、動物たちの世話をするほうがよっぽどお似合いやと思わず膝を打ちつつも、戦略が足らんなあと思いました。
「ぼく、思うところあって店辞めようと考えてるねん。三代目マスターはしばらく杉さんがやったらどう?」と誘いました。
バーのお客さんを通じて、将来、動物の飼い主も紹介してもらえる、とふんだのです。
オーナーの清さんからは、
「お前、店つぶす気か」と言われましたが、私は本気でした。
この飲み屋に集まってくる、一風変わったお客さんに、杉さんはぜったい受け入れられる。そして、晴れてめでたくお勤めを果たしたあとは犬や猫の世話をして余生を過ごしてもらおう、、、
東京でしばらく勉強と仕事に勤しんだ私は6年ぶりに大阪に戻ってきました。しかしマスターを辞めた杉さんの変貌ぶりに驚きました。
すっかりアルコール依存になってしまっていたのです。オヤジさんを、肝臓の病気で亡くしたこともあって、40歳を過ぎて飲みだしたものの、そんなに酒に強くなかった杉さんは、バーでいちばん嫌がられるタイプのお客となってました。そして、あの動物散歩代行業の話もどこへやらか飛んでしまって。
「俺、釜で寺やりたいねん」
初代マスター吉田くんらの前で杉さんはそういいました。そこで初代「坊主バー」のマスターは、彼の再出発のはなむけにと袈裟のセットをプレゼントしました。
それから幾年かが経ち、釜でじぶんと同じ労働者のためのお寺をつくりたいという夢を語っていた杉さんは、亡くなりました。
彼の書き遺したノートには「自分はオヤジが死んだ年を一つ越えた。もう充分生きたから」という意味のことが記されてありました。
私は、釜の労働者の葬式は、杉さんがやる仕事だと思っていました。彼の葬式が、まさかいちばん先になるとは。
けれど、死ぬちょうど一年前、杉さんと夜の阿倍野墓地へ涼みに行ったことがあります。 それは、そろそろあっちの世界への旅支度をしようと漠然と心に決めていたのでしょう。墓地にはすでに何人かホームレスのおっちゃんたちがすやすやと寝入っていました。
杉さんの遺した宿題を、じぶんが引き継いでやらないといけないことになり、そのたいへんさに戸惑うばかりの現在ですが、杉さんがくれたありがたいご縁だと思って受け止めています。杉さんほんまにありがとう。
私と出身県が同じ。そして、釜ヶ崎で日雇労働者をやっているということで、不思議に親近感を覚えた私は、一目で彼にひきつけられました。
牛乳瓶の底みたいな度のつよいメガネと仙人というのか、怪しげなアゴ髭が印象的な自称、チベット人。
ある日、杉さんがあの独特の甲高いかすれたくぐもった声で
「俺、キャッツ・アンド・ドッグスやりたいねん」といいました。私が、
「なに?その、キャッツ・アンド・ドッグスって」
と聞くと、杉さんは
「犬や猫の散歩を、飼い主に代わってやる仕事やねん」
と。
杉さんには社会で働くより、動物たちの世話をするほうがよっぽどお似合いやと思わず膝を打ちつつも、戦略が足らんなあと思いました。
「ぼく、思うところあって店辞めようと考えてるねん。三代目マスターはしばらく杉さんがやったらどう?」と誘いました。
バーのお客さんを通じて、将来、動物の飼い主も紹介してもらえる、とふんだのです。
オーナーの清さんからは、
「お前、店つぶす気か」と言われましたが、私は本気でした。
この飲み屋に集まってくる、一風変わったお客さんに、杉さんはぜったい受け入れられる。そして、晴れてめでたくお勤めを果たしたあとは犬や猫の世話をして余生を過ごしてもらおう、、、
東京でしばらく勉強と仕事に勤しんだ私は6年ぶりに大阪に戻ってきました。しかしマスターを辞めた杉さんの変貌ぶりに驚きました。
すっかりアルコール依存になってしまっていたのです。オヤジさんを、肝臓の病気で亡くしたこともあって、40歳を過ぎて飲みだしたものの、そんなに酒に強くなかった杉さんは、バーでいちばん嫌がられるタイプのお客となってました。そして、あの動物散歩代行業の話もどこへやらか飛んでしまって。
「俺、釜で寺やりたいねん」
初代マスター吉田くんらの前で杉さんはそういいました。そこで初代「坊主バー」のマスターは、彼の再出発のはなむけにと袈裟のセットをプレゼントしました。
それから幾年かが経ち、釜でじぶんと同じ労働者のためのお寺をつくりたいという夢を語っていた杉さんは、亡くなりました。
彼の書き遺したノートには「自分はオヤジが死んだ年を一つ越えた。もう充分生きたから」という意味のことが記されてありました。
私は、釜の労働者の葬式は、杉さんがやる仕事だと思っていました。彼の葬式が、まさかいちばん先になるとは。
けれど、死ぬちょうど一年前、杉さんと夜の阿倍野墓地へ涼みに行ったことがあります。 それは、そろそろあっちの世界への旅支度をしようと漠然と心に決めていたのでしょう。墓地にはすでに何人かホームレスのおっちゃんたちがすやすやと寝入っていました。
杉さんの遺した宿題を、じぶんが引き継いでやらないといけないことになり、そのたいへんさに戸惑うばかりの現在ですが、杉さんがくれたありがたいご縁だと思って受け止めています。杉さんほんまにありがとう。