坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

浄土宗の人は愚者になりて往生す

2011年05月11日 | 坊主の家計簿
 地味に働く。地味に働いたので、じみ~に、仕事が進む。団体参拝の準備も、後は坊守(ママ)に説明して「ほな、あとは頼みます~♪」状態まで。私は「報恩講直前でっせ!」やし、他の仕事があって当日は行けないので、準備は完璧に。
 報恩講準備もちゃくちゃくと。結構、揃っていないもんもあって、それの買い出し&用意も着々と。当日来て頂いた方とかへの『お返し』っちゅうたら変か?『粗供養品』の準備も。これも結構楽しい。だいたいの予算があって、その予算内で「何にしようか?」と、諸々物色する。なかなか楽しい。予約しなければならないものを本日注文。後は明日にでも買い出し。少し予算が余るので、本山で何か物色して来よ。

 地味に働くといえば、釜ヶ崎に福島原発の仕事。それだけだったらニュースにならないのだが、「行ったら話、違ってましてん」という事で、テレビニュースにまでなってた。んなもん、まあ、「ようある話やないかい」と思ったりもするのだが、なんせ『福島原発』である。なので大きな話題に。

 http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2798949/7194498?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

 しかし、『あいりん地区』か。え~。。。確か、行政用語やったかな?昨日、ニュースソースを探そうと『釜ヶ崎 福島原発』で検索したら見つからず、あ、今日は記事紹介ブログなんぞで見つかったが、まあ、『あいりん 福島原発』で検索すると、ニュースソースが見つかる。新聞報道なんぞでは『あいりん地区』らしい。余り呼ばない名前なので、新鮮な驚き。

【あいりん地区という名称は1966年5月に国や自治体などの行政機関と報道機関の統一名称となった。】(http://ja.wikipedia.org/wiki/あいりん地区より)

 みたいなので、そうなんだろう。平井さんの本とかに詳しく書いてある気もするのだが、なんせ私は今日も地味に働いたので「え~。。。面倒」という事で。

 『あいりん地区』を漢字で書くと『愛隣地区』である。『愛』で『隣』である。何となく「汝の隣人を愛しなさい」という言葉を思い出してしまうのだが、詳しくは

 http://www.amazon.co.jp/無縁声声―日本資本主義残酷史-平井-正治/dp/4894340658

 をどうぞ。

 しっかし、『あいりん地区』は1966年の行政用語やったのか。1966年いうたら、高度成長期バリバリでんがな。「大阪万博は俺らが作ったんんや」の時期でんがな。それで『愛隣』、はあ?でんな。まあ、当時も、今も、日本が目指している事は変わらんかも知れんのぉ。サンカはどうなってんや?フーテンの寅さんはどないなってんや?なんじゃい、われ、労働者は全員『定職』につかなアカンのかい?定職につかなければならなくなればなるほど、落ちこぼれがが出て来る事を考えんのかい、われは。
 学校なんぞ『行きたい人が行く所』でなく、日本では『近代化』っちゅうか、兵役の為の義務教育やったんと違うんけ。そのクセ、「学校に行かれへん人は落ちこぼれ」って、おい。気でも狂ったか。
 『定職につきたいけど、つけない』というのと、『定職につきたくないけど、金がなくなったら仕事はしたい』というのとを分けて考えられんか?なんか、発想が国家になっとらんか?
 ほれ、昔は「この領主は気にいらんのぉ。。。」やったら、その土地から逃げて、別の土地に行ったりしてましたやん。言葉を忘れたが。
 あるいは『サンカ』という生き方もあったやんけ。
 芸能の民、河原乞食なんぞもおったやんけ。そういう生き方の何が悪い。
 
 仕事なんぞ、生きてりゃエエだけの話ではないのか?「みんな仕事をしなければダメ!」だから、余計にストレスがかかる。
 筋金入りで「学校なんぞに意味はない」みたいな確信犯的不登校ではなく、「学校には行きたいけど、行かれへん」みたいな人にはムッチャ、ストレスやろ。あ、確信犯は確信犯として苦労したらエエねん。確信犯やねんから。学校なんぞは行った方が楽だ。その後の人生を考えると楽だ。なんせ、求人の量が違う。学歴はあった方がエエ。もしくは手に職をつけた方がエエ。けど、んなもんなくても生きれるのは確かだ。事実、確信犯で高校を辞めた私だって生きとるぞ。今の所は仕事もあるぞ。真面目に学校行ってた人達とは別の苦労をしなアカンけど、でも、生きとるぞ。

 釜ヶ崎。あ、『愛隣地区』ね。
 『愛されなければならない人達』が住んでいる地区なのか?

 。同胞融和。
 「同じ天皇の赤子にこんな状態の人が居てるなんて。。。」

 で、愛隣け。

 行政用語の『あいりん地区』。え~。。。多分、『釜ヶ崎』だと思うのだが。
 行政用語の『地区』も、「うちの」「うちのムラ」だと思ったりするのだが。あるいは『被差別』とか。

 『健常者』『障害者』という言葉がうっとうしいように、うっとうしい言葉やのぉ。。。

 いきなり、原発の話。

 え~。。。何年前になるねんやろ。名古屋の大谷派拠点でやってた企画展に行った事がある。坊さんになる前やったかな?『知的障害者』関連のやつやったので。
 で、確か、そこで買ったパンフレットの中に『知恵おくれ』に対して『知恵いそぎ』という言葉があった。言葉は概念・思想なので、その思想ビックリした。感動した。
 いや、殆どの人が『知恵いそぎ』になろうとしているわけでんがな。だからカルチャーセンターや、各講義、各講座が大人気。え~。。。ネットをやってない人は『情報過疎』なんぞと言ったりするのか?
 そんな延長が原発だと思ったりするのだが。。。いや、原発って、『知恵いそぎ』にしか出来まへんやん。もんじゅの設計に大前研一が関わったように。『知恵いそぎ』の『知恵チャレンジ』でんな。だから『想定』なんぞの言葉を使ったりするのだろうし。

 「これこれ、こういう理想の人生を送ったら『二度と生まれ変わらんでエエような充実した人生』を送れまっせ」という、己の能力を信じて生きるのか、
 それとも「あんさん、何をいうてまんねん。わてら、誰にも代えられへんたった一度の尊い人生を送ってまんがな。それが事実とちゃいまんのん?何を夢見てまんねん」なのか。

 最近流行の『再生可能な自然エネルギー』
 え~。。。太陽光発電で一番効率がエエのは宇宙から引っ張って来る事なんだが。

 http://www.jaxa.jp/article/interview/vol53/index_j.html

 え~。。。これと原発とどっちが危ないねんやろ(笑)

 関西では最近まで『時効警察』という脱力系のドラマの再放送をやってた。なんとなく録画して観てたのだが、観てる途中で「これって三木聡?」と。検索してみると、三木聡も最初と最後辺りの数本やってるのね。あの大好きな映画『亀は意外と速く泳ぐ』の監督の三木聡。
 脱力系には原発管理は無理やぞ。

 え~。。。最近もあったらしい脱力系の反原発&脱原発のデモ。音楽を演奏したりの脱力系だったらしい。気合いの入った組合系のデモでなく。
 ありゃ、『脱力系』だから素晴らしい。
 脱力系だから、力になる。
 脱力系なので、当然、デモに参加しなくてもエエ。私も参加してないし。

 脱力系の人間に原発管理は絶対に無理。
 
 生身の人間はコンピューターではなく、生身の人間が作ったコンピューターも完璧ではない。完璧なんぞあり得ない。あり得ないにも関わらず、完璧でないと今回の事故の様な大災害を起こした原発って、どうよ。


【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)


 『あいりん地区』とか『地区』って、どっからもの言うとるねん。