坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ちゃらいヤツ

2011年03月08日 | 坊主の家計簿
 銭湯帰りに御近所スーパーへ。なんとなく「今晩はワイン♪」気分だったので、ワインを物色。っちゅうか、一番安いワインを買おうと思ったら、無添加ワインの1.5リッターのヤツが980円で売ってたのでゲット。やっぱりワインは無添加ワインである。

 無添加ワインとの出会いは古く、私が酒を飲み始めた直後から。自然食系の店に行くと『井筒ワイン』っちゅうのがあって、これが無添加だった。とってもフルーティーだし、ジャンクな生活を送っている割に自然食大好きっ子(今は中年)だった私は井筒ワインにハマり、っちゅうか、確か当時1本1000円だったので、店でも一杯500円だったので余り飲めなかったのだが、「え~い、今は大手メーカーから出て安くなったし、収入も多少(ホンマに多少)アップしたので飲んじゃえ!」気分である。

 ちなみにワイン等の醸造酒は苦手であり、よって今はいつも以上にベロンベロンである。。。

 さて、前原である。
 ツイッターでは呟いていた(ボヤいていた)のだが、あれはアカンやろ。あれは金になる。
 だって、ネットを通じてでも政治献金を出来る時代に、まあ、ネットを通じての政治献金、クレジットカードを使っての政治献金が『通名』で出来るのかどうか、通名でカードを作れるのかどうかは知らんが、今回みたいな事、通名で政治献金をして、その事で大臣辞任までの騒動になるのであれば、まあ、脅しのプロであれば、日本国籍を持っていない人の『通名』で政治献金をさせといて、その裏で「お前、日本国籍を持ってない人から政治献金を貰っとるやんけ」で、仮に今回の話を借りるならば20万の何倍稼げるねん。
 また、対立相手にその情報を売る事も出来るだろうし、マスコミにとってはヨダレが出る様な話でもある。トップニュースになるし。仕組んだ記者の評価が上がるし、会社ぐるみでも出来る。まあ、逃げ道は作るだろうが。。。

 と、妄想、妄想。

 今回の前原辞任にあたっても様々なコメンテーターの意見。
 当然、週刊誌ネタにもなっていたように「仙谷は次期総理に前原を考えていない。損だから」みたいな視点で話されておられる方々も。
 
 妄想でんなぁ。。。

 そんな妄想とは違って、私は真相を知っている。
 真相は源平の合戦である。

 ご承知のように日本は源平である。『源氏』と『平氏』の争いである。
 元々『平氏』とは『ヘブライ』から来た言葉である。失われたユダヤ10支族の直系が平氏である。すなわち、日本はずっと『ユダヤ』VS『反ユダヤ』の構造での対立であったのだ。
 これまたご承知の通り、アメリカは平家の落人が作った国である。西洋人が行く前に、平家の落人が武力でもってネイティブ・アメリカンを支配していたのは歴史の表面には出ないが、歴史的事実である。
 しかしながら、日本には源氏勢力も強い。アメリカに対して『イエスマンでない』勢力が源氏である。アメリカに対して『イエスマン』の勢力が平氏である。。。

 ああ、妄想は楽しい。。。

 ちなみに私は結婚して姓が変わった。少しだけ民俗学なんぞに興味があったので、結婚前からその姓に関心があったのだが、いざ、結婚して諸々調べる。っちゅうか、結構調べる。「そんなヒマがあるねんやったら、真宗の教えをもっと勉強せんかい!」でもあるのだが、まあ(笑)そんなに、上手い事出来てまへん、私。
 ある意味、差別される姓。私もちょいかじりの時はその姓に対して特定のイメージを持っていたのだが、諸々調べると、まあ、新興金持ちに対するやっかみがメインではないかと。
 日本にはいわゆる『伝統仏教』なんぞの宗教もあれば、各地にそれぞれの民族宗教もあったりする。それは今でも『いわゆる新興宗教』を考えると解り易い。それぞれの地域限定の信仰があったりする。当然、それはいわゆる『伝統仏教』にとっては邪教である。邪教だし、その邪教を奉じている人達が『貧乏』ならともかく、自分達より生活水準が上だったりすると、そこに妙なやっかみが生まれる。今なら共産党の中国が日本よりも金持ち国家になった事を考えると解り易い。
 また、その姓を受けている人が全てその宗教を奉じていたわけではない。んなもんは、服部さんが今だに服装を作って生業にしているわけではないのと同じである。

 ユダヤ教はキリスト教ではない。
 また、ユダヤ民族の方々全てが金持ちであろうわけもない。
 でも、ユダヤ人に対する差別があったり、「世界はユダヤ人が裏で操っている」なんぞの妄想がある。
 
 え~。。。多分、もっと、現実はややこしいのだと思ったりするのだが。。。

 妄想は妄想として楽しむものである。
 今回の前原辞任にあたっても、様々な人が、様々な立場から妄想を語っておられる。っちゅうか、そんなに知らないのだが。。。
 でも、んなもんは、妄想やろ。幾ら政治事情に詳しくとも。

 その事に対する事情通だから、その妄想が『真』としてささやかれる。

 私が僧侶になったのも、まあ、「生きる事が、生きているという事だけでも辛かった」というのもあるが、その場その場であったりする。今にして思えば、である。「真宗の坊さん達の仲間に入りたかった」というのもあれば、「何か世間的な価値を得たかった」というのもある。それが生身の人間であり、感情の生きものである。なので、一番適確な言葉は「たまたま」だったのかも知れない。たまたま、様々な縁が積み重なって、私は真宗仏道の道を歩もうとしたのであって、その縁の中に、出会って頂いた様々な先輩達や、うちが大谷派の門徒であった、という事実も大きいが、決断した理由の真実は解らない。まあ、私の心の底の一番深い所にある『なにか』が叫んでいたのだろうが。その事を自覚しているわけでもない。
 「みんな仏になりたいんや」という『仏性』の働きなんだろうが、それは後から勉強した事である。

 前原が辞任した理由も、きっと本人でも解っていないのでは?と、これまた勝手に妄想したりする。

 妄想の反対語は『事実』だったりするのだろうが、個人的には『決めつけ』であったりする。
 相手を、誰かを、自分を、決めつけて生きている。それが妄想。

 今日は、無添加ワインでベロンベロン。「じゃあ、シラフは?」である。
 シラフの状態で、「私は妄想なんぞしてません」という状態があるのだろうか?

 「お前は、妄想ばっかりしとる」っちゅう指摘が、私にとっては事実である。
 自分を決めつけ、誰かを、何かを決めつけている。

 事情を知れば「あ!」というのが多々ある。
 「なんや、実はそういう事やったんかいな」である。
 そして、『知らない事』が圧倒的である。知らぬままに決めつけている。
 言葉で考え、言葉で現実を切り分ける。
 稲は植物、食べ物、なんぞと決めつける。
 家畜は殺していいもの、と決めつける。
 「解らん」とは言えない。何かしら決めつけて生きている。

 アホである。アホはアホである。アホの中に優劣があるのは娑婆である。
 そんな娑婆にどっぷりハマって生きているから、煩悩まみれだから、優劣が生まれる。
 優劣を作っているのは、アホだからである。

 え~。。。BAHOのアミーゴでも張付けようと思ったのだが、辞め。

 シオン、っちゅうか、最近マイブームの福山のSORRY BABYに変更。

 ずっと「ちゃらいヤツ」と決めつけていた、福山。

 ♪軽いことばにあいそつきても
  それにかわる顔がない


 


 

杓子定規

2011年03月07日 | 坊主の家計簿
 首が。。。
 いや、新しい座椅子に変えて、この新しい座椅子の座面が高くてでんな、で、その座面を枕に仮眠するのが最近のマイブーム、っちゅうか、まあ、寝てしまうわけなのですが、起きると首が痛い、痛い。数日前から、痛い、痛い。
 
 なので、今日は銭湯に行って『打たせ湯』っちゅうのをしようと思ったら雨。「雨降ってるのに銭湯行くのは面倒やよなぁ~」と、え~。。。今日も22時ぐらいから24時ぐらいまで座椅子枕で寝てやんの。

 なので24時ぐらいに復活して、録画しているもんでも見ようと諸々。
 昨日の深夜放送だった、え~。。。名前は解らん映画。とりあえず「面白そうか、どうか」だけをチェック。チラッと見たら、なんとなく面白そうだった。

 「君は、今言った言葉を数年後に必ず後悔する」なんぞと、死が近づいた老人が語ってた。なんか、面白そうですやん。
 なので、消さずに『いつか見るリスト』として、保存しとこ。

 で、「君は、今言った言葉を数年後に必ず後悔する」である。

 多分、私はこういう後悔の上に存在している。『多分』というのは、まあ、今までの過去の経験からもあるのだが、んなもんは過去だし。でも、過去の経験上、「あの時に、なんで俺はああいう事を言ってしまってんやろ」なんぞと。
 それは、その言葉を言った相手が死んだり、あるいは、離れてしまった時に。まあ、別れてしまった時に。
 
 「なんであの時」なんぞと。

 でも、それも個人の思いの中でしかない。個人の思いの中でかないのだけれども、それが生身の人間。

 これも半分しか観てないのだけれど、歌人&僧侶の福島泰樹のNHKこころの時代。頭脳警察のメンバーなんぞと一緒にやっている福島泰樹。
 福島泰樹は若かりし頃に入った寺があったそうな。今でも歌人として活躍している能力がある福島泰樹なので、寺に入って本堂改修という事業を成し遂げたらしい。ん?『本堂改修』は変か?まあ、古い本堂から新しい本堂を建て替えたらしい。そこで気力が切れたらしい。気力が切れて「俺は何をしたいのか?」と悶々。心の傷を癒してくれた、居場所を作って呉れた檀家さん達を『捨てて』東京に帰ったらしい。
 その時に福島泰樹は、挨拶&餞別を持って来てくれる檀家さん達にボロボロ涙をこぼしたらしい。「ごめんなさい、ごめんなさい」。
 で、東京に帰って、絶叫歌人としての福島泰樹。非常にローカルな人気なのかも知れないが、でも、一部では人気の福島泰樹。
 寺を離れる時に、ある檀家さんから「ここは出世寺なんです。ここから離れて出世して下さい」やったけな?そんな言葉を贈られたらしい。今も憶えて居られるという事、番組で話して居られたという事は、その言葉が力になったのだろう。

 「君は、今言った言葉を数年後に必ず後悔する」。
 
 そういう言葉を私は沢山抱えている。後悔する言葉を沢山抱えているにも関わらず、変わらずの日々。

 今日出来なかった事で、学習会のブログ投稿、っちゅうのがある。とりあえず日程変更だけはしたのだが、先月の私の発表原稿アップ&感想はまだ。え~。。。明日しよ。

 「自分を通して話す」というのが真宗共同学習ではよく語られる。
 答えでいうと『自分を通す』等、不可能である。
 私の生活等、全く問題になっていない、というのが正解なんだろう。あくまでも『答え』でいうのならば。

 つげ義春の漫画で、道を歩いていたら穴があって、穴があったから入ろうとして、その穴が段々小さくなって来るにも関わらず、「大丈夫だ」と、どんどん穴を進んで行って、身動き出来なくなった時に初めて「ああ」という漫画があったが、死の間際まで自分の人生も他人事。どこかから眺めている。それが煩悩。
 
 だから「自分を通して話す」「自分を問題にする」事など出来やしない。
 出来やしないのだが、はなから断念しているのと、求めないのでは話は違う。煩悩が問題、課題にならない。人を殺しても当り前になる。『当り前』が問題にならない。問題にしようとしない。「それは問題ですよ」と言われた時に、「はっ!」とならない。
 まあ、ならない事はないのだろうが、「そんな事言ってたら生きて行けまへんで」なんぞになる。食の問題しかり。

 なので、「自分を通して話す」「自分を問題にする」とは学習会としての基本理念である事は当然である。当然なのだが、「お前、それは自分の事を喋ってないやんけ!」は、何の事でも同じである。
 自分の人生での辛かった事を話していようが、世間の話題だろうが、みな同じではないのか?

 『世間の話題』と言っても、その話題を選択したのは『その人』である。ツイッターでは『リツイート』といって、「お、この意見面白いやんけ」とか、「この情報面白いやんけ」というのを『リツイート』して広げて行ける機能がついている。
 世間話、井戸端会議でも同じ。
 「テレビでこんな事言ってたで」を感じたのは、その喋っている人。
 その『喋っている人』に対して、「その話もっと聞きたいわ」「あんたの意見も聞きたいわ」なら、『聞きたい』というのは質問者側。
 「あんた、さっきから自分の意見、全然言うてないやん」は、意見をいう人の話を聞いていない&自己責任の放棄、主体の放棄。主語の欠落。
 相手は意見を述べているのだ。それが「テレビでは」であっても。その意見を聞き取れなかった、あるいは、もっと聞きたいというのは、『聞く側の問題』であって、話す側の問題ではない。あくまでも『会話』の中でも行き違いを相手のせいにするのは『聞く力』の欠乏と自己責任の放棄。
 信頼されてどんな話、どんな話題、どんな話し方であっても、『信頼されている』のなら話せる事も多々ある。その可能性を「それは自分を通していない」なら、まあ、「誰もが自分を通した話は出来ない」ならともかく、「誰もが自分を問題にする事など出来ない」ならともかく、あくまでも『学んだ』『体験した』等から得られる経験値でもって、「おまえの話は」は、変である。
 「世間でこう言っているから当り前やん」には自己責任はない。
 同じく、「仏教でこう言っているから」にも自己責任はない。
 大した違いはない。『話題』の違いだけ。

 「こうこう、こうだから、これは当り前やねん」は、自己責任の放棄。
 主語としての『私』が抜け落ちている。
 んが、悲しいかな、主語が抜け落ちた生き方をしていたりする。さも、「これが私の意見です」なんぞと良いつつ、

【人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。】(ルカ福音書22章54-62)

Newest Model - 杓子定規

反革命分子

2011年03月06日 | 坊主の家計簿
 『元所属寺の仏青みたいなもん』は今日だったはずなので、2ヶ月行けなかったので今日は行こうと決意する。幸いにそれ程寒くない。自転車30分、余裕である。
 ママにも「今日は出かけるかも知れへんから晩御飯早く食べる」と告知して、昼寝。
 起きる。出かけようとしたら、娘、寄って来る。
 
 そういえば、一昨日も比較的早く帰って来たとはいえ夜の外出だったし、昨日はむっちゃ早く帰って来たとはいえ、これまた夜の外出。
 「今日は、娘」という事で、とっとと断念。

 え~。。。多分、これからもっと増えて来るねんやろなぁ。。。こういう事。言葉をちゃんと喋れるようになって「パパ、お出かけ辞めて。一緒に遊ぼ」等と言われた日にゃ(笑)
 う~ん、釈尊が子どもに『ラーフラ(邪魔)』なんぞと名前を付けた気持ちがほんの少しだけ解った気になったりするのだが、まあ、私は純粋に「娘、かわゆい」なので、比べようもないか(笑)まあ、「どうしても行かんとアカン」っちゅうわけでもないし♪

 テレビでやってた『SP 革命前夜』を観る。

 真木ようこ。むっちゃキレイのぉ。。。むっちゃキレイなんだが、イマイチ人気が出ないのはやはり『芝居が下手』という女優にとっては致命傷だからではないか?今のうちにソムリエの資格をとって『ワイン女優』とか、料理を習って『マゾ系料理女優』等の、『むっちゃキレイやったけど女優としてはイマイチだった女優』の路線も考えた方がエエのでは?

 そうだ、こういう時には有吉先生に相談して見よう。
 『有吉先生』といっても、有吉佐和子ではない。元、ほれ、名前が出てけえへん、全く見た事がない「海外貧乏旅行しまっせ」の番組に出てて、歌も流行った有吉先生である。お笑い芸人の方の有吉先生である。
 有吉先生なら真木ようこに対してどういうかなぁ。。。ロンドンハーツ出てくれへんかなぁ。。。

 あ、『SP 革命前夜』。
 なんせ、『SP』というテレビドラマがあった事も昨日初めて知ったわけであって、当然、3月12日から公開するらしい映画についても予告を見ただけである。
 予告を見た限りや、昨日と今日のテレビ放送を見た限り、また、監督が本広である事からして、まあ、革命は失敗に終わるのだろう。主人公は岡田准一やし。岡田准一は革命、クーデター計画には賛同しなかったみたいだし。
 でも、ここは勝手な希望として「革命が成功する」っちゅう妄想を抱きたい。
 まず、オープニング早々に反革命分子は次々を殺されて行く。だって仕方ないじゃん、反革命分子なんだから。そして、革命は成功する。
 う~ん。。。今の日本ではあり得ない結末なんだが、あり得ない結末だから、「映画の中だけならエエやん♪」っちゅう気もする。
 テレビゲームや、小説なんぞで欲望肯定バンザイ!みたいなの、ありますやん。信長の野望で本願寺で天下統一するとか(笑)だから、まあ、そういうのも「あり」ではないかな、と。
 まあ、『UDON』の大衆迎合主義バリバリの庶民派の本広監督はやらないだろうが。。。

 前原が危ない。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110306/stt11030601010001-n1.htm

 次かどうかは知らないが、まあ、民主党政権が「選挙で勝ったし♪」で続くのならば、まあ、そのうちに確実に総理大臣に、2大政党が続いてもそのうちに総理大臣になるであろう前原が危ない。
 別に支持はしていない。タカ派の印象が拭えないし。ただ、非常に能力のある政治家なんだろう。民主党の代表にもなったわけだんだし、「そのうち総理」の筆頭格である。

 え~。。。在日コリアンから寄附されるのが「そんなにアカン事なんか!」でもあるのだが、ずっと貰ってた政治献金が今のタイミング、『ポスト管』の時期にこういう事件が発覚する事の方に興味は行く。
 まあ、自民党が仕掛けたとは思えん。単に「前原に総理になってもらっては困る人達」の動きなんだろう。で、まあ、成功したのだろう。多分。これで『前原総理』の道は殆ど消えたのだろうし。少なくとも『次期総理』は。
 ネタは以前から掴んでいたのだろうし、そのネタを爆弾として持っていたのだろう。で、今回爆発、と。

 現実は、映画やテレビドラマよりもドロドロしている。
 「アルカイダ(ビンラディン)を育てたのはアメリカだ!」なんぞと公然として噂されるのなら、今回のジャスミン革命だって怪しい。
 そういうドロドロしているのが現実ならば、ここはスカっと、『SP』の映画では革命を成功させて貰いたい。
 
 なんぞと思ってしまうのは、まあ、私の中にきっとファシズムを望む心があるからなんだろう。
 スカっとしたエゴ満足。

オモロー山下

2011年03月05日 | 坊主の家計簿
 数日前にテレビ録画する為に番組表をウロチョロと。『革命前夜』っちゅうタイトルに惹かれて『SP』っちゅう番組を録画。何やら2夜連続放送らしく、今日がその初回。っちゅうか、さっき調べたら先週の土曜日もやってたのね。今日の放送が面白かったので激しく後悔。っちゅうか、まあ、昨年やった映画らしく、レンタル屋に行けばエエだけなのだが。

 『SP』っちゅうのは、決して『真木ようこにスーツを着せたかった』だけの番組ではない。まあ、連続ドラマだった頃には全く興味がなく、今日の放送でしか知らないのだが。

 そういえば、今日の放送で主演の岡田准一が格闘技を習っているシーンがあった。「エエ蹴りしとるやんけ。。。」である。基本、真面目な兄ちゃんらしく、熱心に練習しているらしい。っちゅう事は、結構、強いかも知れん。っちゅうても、まあ、本業でやってはる人達には負けるだろうが、ふと坂口征二の息子、坂口憲二との試合が見たくなった。まあ、体型差もあるし、坂口有利か。
 出来れば試合途中に『オモロー山下』(http://yamashita-shigenori.laff.jp/)がワキ汗びっしょりで乱入して来てっちゅうのはどうだろうか?で、「芸能界一を決めるのなら、俺を入れずして決める事は許さん!」と。ジャリズム山下改め、オモロー山下としての名前を売り込む為にもエエのではなかろうか。オモロー山下も寝技が得意である。人生の寝技はどうか知らんが、格闘技としての寝技は得意である。かなり強い。なので、『岡田准一VSオモロー山下』の一戦とかワクワクするやん。。。っちゅうか、『坂口憲二VS岡田准一』の方がエエわな。まあ、ほな、無難に噛ませイヌとして(笑)そっちの方が芸人『オモロー山下』は光るやろうし。

 まあ、芸能界である。なんせ、某女優さんなんぞ、某エステ会社の広告塔でんがな。まあ、CM契約の中に「ワイドショーでの会見はうちの会社の事業と共に」なんぞという契約があるのかどうか知らんが、もう(笑)まあ、御仕事、御仕事。
 
 で、『SP』である。今日の放送を見て、あと、若干のネット検索をしただけなのだが、う~ん。。。エエ感じである。青年将校である。やはり、ああいう設定にはワクワクする。
 青年将校。素晴らしい響きである。素晴らしい響きなので、もう一度、青年将校。ああ。。。素晴らしい。。。
 純粋をあくまでも追求して、国家の為に、世界人類の為に決起する。死を覚悟の上で決起する。素晴らしい。。。

 今度やるらしい『SP』の映画は『革命篇』というらしい。

 http://sp-movie.com/index.html

 オモロー山下は出るのだろうか?あ、出るとしても最近まで『ジャリズム山下』だったので、タイトルクレジットには『ジャリズム山下』になるのだろうが。
 出て貰いたいなぁ。。。青年将校の仲間として。
 青年将校の一員なんだが、仲間に入ったのも「親友が入って一緒に遊びたかったから」という理由がエエ。でも、その親友が青年将校(?)、まあ、革命同士のリーダー的存在であり、親友の影響の元、革命同士として中心メンバーになって行くのだが、「命がけ」という事が出来ない。
 恋人が出来て、子どもも出来てしまうが、その事は親友にも隠したまま。だが、公安にはその事が知れ、公安に脅かされ、仲間を売ってしまう。
 その事によって革命は阻止出来たのだからある意味『国家の英雄』なんだが、警察内部からも「仲間を売ったヤツ」として軽蔑され、左遷され、地方署に配属される。それでも、家族の為に、警察内部から軽蔑され、その事が知れた同じ署内の若手からも軽蔑されながらでも、警察の仕事を続ける。
 そんな彼の理解者は同じ署内の平警官であるトミーズ健である。ドジでミスばっかりして、オモロー山下と同じく後輩達から軽蔑されている。そんなトミーズ健だけがオモロー山下の唯一の理解者であるのだが、過去が過去だけにオモロー山下と署内で話そうとはしない。上から眼を付けられる事を恐れているのだ。

 そんな2人が親しくなったのは、トミーズ健が私服で変装してあるホームレスと一緒に酒を飲んで居たのを発見したからだ。変装していても元エリート警察官だったオモロー山下は変装を見破る訓練を受けていたので、簡単に変装を見破った。「あれは、トミーズ健。。。」と、トミーズ健の行動を監視する。監視した後、ホームレスの元を離れたトミーズ健に声をかける。ビビるトミーズ健。年は下だが階級は上のオモロー山下に怒られると思ったのだ。
 「何をして居られたのですか?」
 「いや~。。。」と言葉を濁すトミーズ健に、ひつこく問いただすオモロー山下。
 「他の人に言わんといて下さいよ。謝ってたんですよ。彼に」
 警官の仕事として地域住民から連絡があればホームレスの人をどかさなければならない。「こんな所で寝てたらアカン、って」と。せっかく見つけた大切な寝場所であっても。それがトミーズ健の大切な仕事でもある。でも、トミーズ健には仕事としてやっている事であるのだが、どうしても納得出来なかった。納得出来ないからといって、上に抗議する事も出来なければ、地域住民の理解を得る働きかけも出来ない。だから謝るしかない。謝る、といっても、警官姿や、私服であってもバレると不味いので、変装して、相手にも解らない形で謝りに行く。心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、ワンカップの酒を「競艇で買って今日は嬉しいねん。だから一緒に飲んでくれるか?」と。そういう形でしか謝る事も出来ない。

 仲間を売ってしまい、また、警視庁のエリートコースから地方署に左遷されたオモロー山下は腐っていた。「俺は一体なんやねん。」と。
 そんなオモロー山下はトミーズ健に対して堰を切るように一気に話した。自分が仲間を売ってしまった事、その仲間に大した志もなく入った事、その仲間達が死刑になり、あるいは処罰されているにも関わらず、自分は「俺は国家の為に忠義を尽くしたのだ」と言い訳してみたり、「家族の為」だと言い訳してみたりする俺ってなんだのだ?と。「俺って、最低ですよね。情けないですよね。どうしようもないですよね」と。
 トミーズ健は言う「んなもん、俺の方が情けないわ!」と。「お前は元々エリートやろ。俺なんか、『生活が安定している』というだけで警官になって、お前みたいに手柄もあげた事がないし、年下のお前は今でも俺の上官やないか!お前にそんな事いわれたら、俺はどうしたらエエねん!」と。

 ん?
 あ、当然、実際の『トミーズ健』と『オモロー山下』とは一切関係ありません(笑)フィクションです。

 ツイッター。最近、加藤夏希のツイッターが面白くてフォローした。んが、まあ、何時までフォローしてるかどうか解らん。多過ぎる情報は疲れるし。なので、過去にも色々な人達の呟きに興味があって、色んな人達のフォローをしてたのだが、残っているのは、最近フォローした加藤夏希と、有吉と、オモロー山下。

 オモロー山下は屋島やったかな?まあ、香川県出身であり、うどんツイッター。香川県は最近行ってないが、『モツ焼き』という夜の御伴も見つけたし、エエBARもある。あ、私にとっての『エエBAR』って、ロックバーね。子どもも出来たので、増々足が遠のいているのだが、娘もうどんが好物だし、娘が長距離移動が出来るようになったら「そら、行きたいわな」である。なので、うどんツイッターはチェックである。
 
 ジャリズム解散の時に、渡辺が「山下君は天才的に愛されているし」みたいな事を言ってた。あれは、ある意味、嫉妬だな。
 放送作家としても、あくまで噂では「年収1億」とも噂される渡辺である。芸人として再ブレークした時に「年収が減った」という渡辺である。才能あふれる渡辺。なので、三枝の弟子になって新作落語を書いて、エエ落語家になるのだろう。
 そういう渡辺にとって山下は、「なんでコイツが」なのかも知れん。だから「山下君は天才的に愛されているし」みたいなコメントになったのかも知れない。

 渡辺はある種、青年将校的である。才能に溢れている。
 でも、山下も、そして、トミーズ健も、「お笑い芸人としてどうやんねん」等と指摘されつつ、愛されている。

 サーカスにはピエロが必要。
 ピエロが『ピエロになるべく努力している』のに比べて、努力出来ていない私だが、オモロー山下や、トミーズ健みたいに努力も才能もないが、でも、そんなピエロみたいな生き方をしたい。

 当然、私は私であり、私以外の生き方は出来ない。
 でも、何かに憧れるのであれば、青年将校でなく、ピエロに憧れる様になりたい。
 
 『なりたい』という事は、「成ろうと思っていない」事。
 山下でなく、渡辺になりたい、渡辺でありたい、と思ってしまう。
 でも、「情けなさ」が滲み出る様な山下に対して、失礼ながら、親近感をもってしまう。それが山下の『芸風』であるとするななら、その『芸風』に暖かみを感じる。生きる勇気を頂く。

 何を書いてるねんや?え~。。。酒が。。。

 真宗の坊さん達。今となっては先輩達。
 なんか、そんな『情けなさ』が私にとっては『光』だった。温かかった。だから、仲間に入りたかった。

 今でも全く変わっていないのだろうが、「カッコ付けてしか生きて行けない」のが私。だから、『情けない』のもカッコ付けたりする。それで自尊心を保つ。そこから差別するのが私。
 「情けない」と思いつつ、「へっへっへっへ」である。「情けないと思っている方が、情けないのに憧れている方がカッチョエエやん」である。下げた頭の顔は笑っている。

【仏から信ぜられている『絶対に』何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)

 不感症の心に、言葉が「生きよ」と応援してくれる。

ひな祭り革命論

2011年03月03日 | 坊主の家計簿
 昨日のブログ、まあ、「いつもの事やんけ!」と言ってしまえばそのままなのだが、え~。。。文章になっとらんやんけ。。。やっぱし、朝酒は利くのぉ。。。

 なので、今日は寝酒。昨日と対して変わらん時間に飲んでいるのだが、気分が違う。今日はこれから寝るのだ。寝る前の「お疲れさま~」なのだ。これでいいのだ。

 ん?そういえば、ボケーっとツイッターを眺めてたら、昨日の『クローズアップ現代 岐路に立つお寺~問われる宗教の役割~』に対する呟きで、「滝に打たれるのなら沢ガニ同じ、門前を掃除するだけならレレレのおじさんと同じ」やったかな?んな呟きがあった。え~。。。なら、自殺防止は飲み屋と同じやんけ。人生相談も飲み屋と同じやんけ。間違いなく、世の中で一番自殺を防いでいるのはカウンセラーでも坊さんでもなければ、飲み屋の人やぞ。で、沢ガニがアカンのかい。レレレのおじさんがアカンのかい。んな意見があるから反発を喰らうわけであってでんな。。。
 ちなみに『頑張れ仏教!』じゃないが、「坊さんはもっと頑張らんとアカン!」っちゅう人に、引き蘢りとか自殺相談が出来るのか?大真面目に思うのだが。「坊さんは寺や教団の中に閉じこもっていないで、もっと表に出るべきだ!」という意見の持ち主が引き蘢りの相談、って、おい(笑)
 まあ、七不思議(笑)

 七不思議といえば、今日、ようやく謎が解けた、っちゅうか、映像で見て納得したリビア情勢。
 今までなんとなく、武器も持たずに投石なんぞで反政府運動をしている人達に対して、リビア政府、まあ、『政府』と呼んでいいのか解らんが、まあ、カダフィ革命政府が、軍隊を投入して弾圧しているイメージがあったのだが、反政府運動側も武器を持っているのね。しかもヤクザの抗争なんぞで使われる様な拳銃ではなく、戦争で使うようなヤツ。え~。。。ようするに武装勢力やん。内乱やん。内戦状態やん。
 また、反政府側の殺された人達の数は日本で報道されているが、政府側の殺された数は発表されていない。まあ、日本での報道ではカダフィー曰く「動乱なんか起こってない」という事らしいが。

 なんか、国連も含めて、当然日本のマスコミも含めて、カダフィを追出そうとしているだけやん。その後押しをしているだけやん。と、一向一揆の流れの真宗坊主は思ったりする。
 まあ、将棋でいうと、もうつんでいるのかも知れんが。。。
 
 平和ボケ日本の平和ボケの私の発想からすると、カダフィは「ほな、選挙で決着つけたらエエのんと違うんけ」と、金をばらまく、迎合バリバリの政策なんぞで対抗して選挙すればエエだけだと思ったりするのだが、まあ、そうわいかん事情があったりするのだろう。

 ブログで書くのは初めてなんだが、ツイッターではボヤキまくりのこの一件。

 ついでなんだが、「中東に比べて、日本人はなぜ立たない」って、おい。大きな御世話じゃ。ほっとけ、ボケ。まるで『立たない』のがアカンみたいな言い方しやがって。テメーらはそれを売りにしてメシ喰ってるからエエようなもんの、単純にうっとうしいぞ。「○○ちゃん。隣の子はもう○○が出来るようになったのに、あんたはなんで出来ひんの」やろ。ほっとけ、ボケ。っちゅうか、それより酷いやんけ。まあ、商売やからしゃーないねんやろうけどやなぁ。

 独裁国家は大キライ。平和ボケ出来る状態が一番だと私は思う。
 けど、リビア情勢って、ようするに「カダフィを殺せ!」やろ。

 フランス革命。ああ、もう、『革命』という言葉だけで私は基本、メロメロになってしまったりするのだが。結局市民運動しかやっていないが、某過激派セクトに高校時代真剣に入ろうと思ってたし。今でも「革命」という言葉には非常に弱い。まあ、改革でもエエのだが。血湧き肉踊る、っちゅうヤツやね。元々暴力的だし。暴力の血が騒ぐ。
 でも、老いて来たのだろう。最近は「んなもん、自分の視点からでしか物事判断できひんやん」だったりする。
 フランス革命でも、リビア争乱でも、まあ、真っ先に銃を取っていただろう。そこに居てたら。「で、穏健派に対して、カダフィの首を取るまで革命が成功したとは言わん」なんぞと。喧嘩早いのは相変わらずだし。自分の私生活を考えると、それ以外にないし。でも、まあ、ワガママだ。
 当然、選挙もワガママだ。私は立候補したことはないが、ワガママで投票している。「この人」と選んで投票している。ワガママの集大成が政府なんだろうし。だから、野党も居てるわけなんだし。与党と野党が意見違って当り前。それぞれのワガママなんだし。それぞれがそれぞれの立場で政治を考えているわけなんだし。
 独裁はだからキライ。独裁は「カダフィを殺せ!」だ。独裁に対しては独裁的手法しかないのかも知れないが、現実問題としてその方法、リビアでなら銃を取る方法しかないのだろうが、それは決して『正義』ではない。『民主化』だろうが、絶対正義ではない。単に『生き方』であり、まあ、ワガママ。その『ワガママの自覚』っちゅうか、ワガママであると思い知らされる、っちゅうのが独裁から逃れる道だと思う。
 リビアだって、革命政府である。『革命』っちゅう美名である。独裁を肯定する大義名分である。
 
 なんじゃかんじゃ怪しい部分は多々あるが、民主国家の日本。
 私は天皇制に対して反対である。反対に対する理論もある。んでもって、同じく反天皇の同士達と皇居を襲撃しても、余り意味がない。若かりし日に考えた事もあるのだが、今となっては余り意味がない。天皇なき革命政府を樹立しても、暴力で押さえつけなければ「天皇陛下バンザイ!」というか、まあ、曖昧であっても天皇制を容認している人達も含めて、その人達を納得させる事が出来なければ、選挙で負けるし、支持を得られない。得られないから、暴力で押さえつけたりするかも知れん。「天皇制があるから真の平等を得られないのだ」と大義名分でもって、「だから、天皇制に洗脳されている人達の眼が覚めるまでは選挙をしない」とかなら、なんのこっちゃ?である。

 まあ、『ジャスミン革命』とかいうのか?今回の一連を。
 「あなたはジャスミン革命を支持しますか、しませんか」なんぞの質問が来たら「支持します」なんだろうが、っちゅうか、そういうアンケートには答えないだろうが。
 支持はするが、私のワガママでしかない、んなもんは。私が「世界はこうあって貰いたい」というワガママでしかない。
 だから、ワガママ肯定政権の独裁はキライ。ワガママが言えない、ワガママを表明出来ない社会は大キライ。ワガママを正義という美名で隠して、他のワガママを弾圧するのは大キライ。
 まあ、その大キライな事を日々やっていたりするのだが。。。

 『敵』ではない。『鬼』でもない。
 独裁者だって、同じ人間だ。独裁出来る能力があれば、独裁者になりたいのが本心ではないのか?エゴとしての、ワガママとしての本心ではないのか?「世界中が私の思い通りになりますように」が本心ではないのか?七夕しかり、節分しかり。

 明日はひな祭りである。反天皇制記念日である。
 『お内裏様』って天皇やろ。天皇と皇后をなぜ飾らないといけない。
 ひな人形があるのが当り前ではないのだ。どこかで買って来たわけなんだし、大阪での風習では「嫁の実家から贈る」っちゅう風習もあるらしい。んが、その風習を選択するのも、今を生きている私たちである。ひな人形を選択するのも私たちである。
 革命には血は必須である。血を流さない革命などあり得ない。まあ、その血は「パパの血の涙」なんだが。。。ママが近所で割り箸とか紙とかで作ったひな人形を持ち込みやがってでんなぁ。。。
 「貴様はそれでも真宗門徒か!真宗門徒の家庭、しかも寺に住まわして頂いているにも関わらずひな人形を持ち込む事は、真宗革命の日和見主義の反革命的である。自己批判せよ!」なんぞと言いたいのだが。。。いや~(ポリポリ)
 少し前に料理に関してボロクソに言って、その後の料理は「文句なく食べれる」し、先日は仕事関係でボロクソに言ったので、ちょっと抑えとかんとなぁ~、っと。

 あ、ついでなんだが、家事が仕事ならば、仕事は「失敗せんと当り前」やぞ。「家事をしてても何の感謝もされず」なんぞという声もあるが、多くの仕事はそういうものではないのか?
 まあ、家事が仕事として認めて貰いない状況だから「家事をしてても何の感謝もされず」なのだろうが。。。

 人間を人間として認めないのが独裁ならば、人権無視が独裁ならば、独裁者にも人権はある。殺人犯にも人権はある。それが『民主化』ではないのか?
 いかなる立場のいかなる人にも人権はある、と。

 「○○を殺せ!」は、真に民主化された国家なのか?


 

がんばれ煩悩!

2011年03月02日 | 坊主の家計簿
 おはようございます。
 いや~、やっぱし早起きすると気持ちええわ。朝まで飲んでるヤツの気が知れん。やっぱし、早寝早起きが人類の基本であって、日々是健康。

 っちゅう事で、今日は報道ステーションの途中で寝て、2時過ぎに起きる。26時過ぎ、っちゅう深夜の呼び方ではない。午前2時である。早寝早起きをして、で、只今、朝酒中であったりする(笑)出来ればこのまま朝風呂に行って、もう一度寝る、っちゅうのが、黄金の休日パターンかも知れんのぉ。。。っちゅうか、朝まで寝とけよなぁ。。。テレビ付けっぱなしやったけど。

 今日は車検。当日入庫の当日受け渡し。
 代車が1日1000円の、1キロ10円のガソリン代。電車代が往復500円程度かかるし、念のために代車。まだ新しいダイハツ・ムーブ。早いぞ。加速も良ければ、ブレーキもすんげえ。「うちの車と全然ちゃうやんけ。。。」なのだが、まあ、「これが若さというやつか」(byシャー)だ。まあ、それ以前に、うちのトッポちゃん、デカイし。空気抵抗、最高に悪いし♪

 昨日は通信作りでほぼ寝てなくて、そのまま仕事だったので、車検に車を放り込んで、昼飯喰って、たっぷし寝る。車を取りに行って、帰宅して晩御飯食べて、また寝てやがるし。「あぁ~」っちゅうやつでんな。

 ツイッターで知って録画しておいたNHKクローズアップ現代の『岐路に立つお寺~問われる宗教の役割~』を観る。

 http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3010

 前半は経済的価値。
 後半は社会的価値。
 どちらも何かの価値。

 等と言っては元も子もないのだが。。。

 ちなみにうちは、経済的価値でいうと、え~。。。税金払えません(笑)っちゅうか、所得税は税務署の方から「要りません」であったりする。あ、これは決して「坊主丸儲け」ではなく、単に収入が扶養家族2人なので課税対象以下だったりする。何やら「ゼロ申告」とか言ったりするらしい。つまり、御国から認められた貧乏人であ~る♪
 もっというと、寺からだけの収入ならば、生活保護以下やな。他でお手伝い等をさせて頂いて、で、それを宗教法人の収入にして、そこからなんとか給料を頂いている貧乏人であったりする。
 っちゅうか、寺からの収入だけでは本山への支払いが出来ずに、公務員とかで得た収入から払っている方も多く居られると思ったりもするのだが。。。
 直接知っている実例でいうと、過疎地にあるバカでかい寺の住職さん。確か、門徒が2~3件だった様な。過疎になったので。でも、寺はデカイので修繕費や維持費でお金がかかる。だから、出稼ぎに来ておられた。日当1万円やったかな?出稼ぎの生活費もかかる。日当1万円で月に26日稼働出来たとして26万。まあ、仕送りは半額ぐらいか。半額を寺の維持費にまわして居られたりする。そういう人を直接住職になる前に知っているので、「なんとかしなければならない」っちゅう覚悟ぐらいはあったりする。漁師やってはる人も居ったか。

 後半は社会的価値。

 その前に、「社会に役立つ仏教」ってなんや???いや、大真面目に。仏教は社会に役立つ事なのか?社会に役立とうとするから、「社会に役立たなければ」なんぞとある種の強迫観念が戦争協力に結びついたのではないのか?

 で、番組内容。

 先日『先義後利』という商売用語を教えて頂いた。御商売をやる時は、まず先に利益を求めない事らしい。利益を先に求めるのではなく、何かの社会的メリットであったり、そういう事を第一義にする事で利益は後からついて来る。番組でも数人の社会的活動をなさっている僧侶の方の活動に対して支援をして呉れる人が出て来ているらしい。んが、んなもんは今の時代、先に知っている。NPOなんぞもそうでんな。あの、ほれ、「鯨を殺すな!」の活動もそうでんな。また、人間の煩悩は生易しいものでなく、まあ、「必ず」と言っていいのだろうが、自覚するしない、言葉にするしない、は別にして、「こういう事をやったらウケるで」なんぞと。ある種の社会的活動、まあ、ボランティアにしても、純粋を求めてしまうからアカン。純粋なんぞ人間に成り立つわけがない。自尊心、欲の塊が生身の人間だろう。生身の人間がやる活動に純粋もクソもない。『純粋』を売り物にするのは、それも商売だ。商売のひとつのあり方なだけ。必ず不純が付きまとう。そういう中での社会活動でんな。で、今の宗教界は、っちゅうか、伝統教団の中で、檀家制度が崩壊、っちゅうか、元々『過去の遺物』『江戸時代の制度』でしかなかったりするのだが、檀家制度が崩壊しつつある中で、そういう方向に『(あえて)商売』の道を切り開くのもアリだと思う。その事によっての社会的な価値。
 ただ、それだけの様な気がするのだが。。。で、それが人間の生業。『商売』。『商売』という言葉が気に入らないのなら、っちゅうか、『商売』っちゅう言葉が気に入らない真宗僧侶はどうかと思ったりもするのだが、言葉を変えるのなら『生き方』だろう。
 生き方の中で仕事、商売をせなアカンわけであって、その『商売』の職種が違うだけ。
 『純粋』が好きなのならば、煩悩を隠している事が純粋だとは決して思わない。綺麗ごとだけしか言わない事が決して純粋だとは思わない。っちゅうか、まあ、『綺麗ごと』をいうのが商売のあり方であり、その『綺麗ごと』の幻想に対して金を払って居られる方々、まあ、旧来の『檀家』と『僧侶』、『聖』と『俗』のあり方幻想でお金を払っておられる方々が居てるわけなんだし、それも『生き方』としてはアリかな、と。

 『ホンマもんは世に出ない』っちゅう事もその幻想の一つ。っちゅうか、何が『ホンマもん』か個人的なものだし。
 番組には親しい先輩が出てたけど、まあ、最近になってようやく活動が『(あえて)派手』になって、新聞やマスコミ、今日のテレビなんぞに取り上げられるようになったが、その前からエエ仕事してはったのだが。目立つ様になったのか、目立たなかったのかの違いだけで。もっと言うならば、マスコミが取り上げる『社会的価値』の価値を得ただけであって、それ以前から、もう、ずっと前から『価値』があったわけであってでんな。。。それだけの話なんだが。。。

 まあ、後は能力。
 その先輩は元々スンゲー能力があった人なので、その能力を認められ、っちゅうか、最近発揮して来たから『社会的価値』が生じたのだろうが、能力を発揮して居なかった頃から、まあ、こんな言葉が妥当なのかどうか知らないが、『ダメ』だった時代から一部の人達から評価されていたわけであって、非常に信頼されていたわけであって。だから、まあ、ホームレス支援だったりするのだろうが。

 まあ、その先輩の影響を多大に受けているのが私であったりもする。いや~、ホンマ最初あった時から感動したもんなぁ。本人はどう思っていたのかどうか知らんが(笑)だから、飲み屋でダメ人間から絶大なる信頼を得ていたし、同じくダメ人間だった私も感動したわけであって。「こんな坊さん、おるのか?」と。それはその先輩が今日取り上げられた様な『社会的価値』としての評価でなく。言葉は悪いが、ダメ人間だったから(笑)まあ、多分、今も変わっていないはずである。だからホームレス状態の人から、今日の番組の中でも、ホームレス状態の人かどうか知らんが、多分『釜のおっちゃん』と呼ばれる人から抱きしめられていたし。ありゃ、ダメ人間やからだと思ったりする。あくまでも私個人の見方でしかないのだが。確かな信頼を得ている事はテレビ以外にも実際に見たし、「ああ、変わらんな」と思ったりする。

 今日の番組の作り方を一言でいうのならば「お前等、このままやったらホームレスになるぞ」やろ。寺社会が『社会』から見捨てられてホームレスになる。
 なったらエエやんけ(笑)
 ホームレス状態にある方々が『社会的価値』から見捨てられようとも、仏教からの価値観からは、阿弥陀如来の価値観からは見捨てられる事はない。
 社会から寺が見捨てられても、全く問題はない。そういう覚悟が寺には必要ではないのか?
 困るのは経済的問題なんだが、それは現場の住職がなんとかするしかない。その他の部分では、「社会から見捨てられても構わない」という覚悟ぐらいは必要ではないのか?まあ、これまた『先義後利』の話なのだが(笑)煩悩は消えまへん。

 で、社会から見捨てられようとも、「ある」っちゅう事が大事だと思ったりする。
 
 番組の後半で「俺は絶対に認めんぞ」の上田紀行が、全国の寺の価値を言っていたが、そういう部分でいう、まあ、全国の寺がある、っちゅうか、他宗派は知らん。その宗派それぞれの考え方があると思ったりするので。で、全国にある真宗寺院の『価値』っちゅうものがあるとするならば、売りする、コピーにするならば、『ダメな寺』である。ダメな住職のダメな寺。
 「ああ、ここにはダメな人が居てるのだ」と。だから『帰れる場所』なのだと。

 これは真宗限定なのだろうが、今日みたいな番組を見ると「ああ、立派な方々が居られるのだ。私も立派にならなければならない」なんぞと思ったりしてしまったりするのだが、方向は逆だと思ったりする。「ダメじゃん、私って」っちゅう所で、そこから、見えて来る『となりの人』の存在が大事だと思う。
 葬儀でも。日頃の御参りも。
 日頃の御参りも最近では『グリーフケア』なんぞという社会的価値観を与えて頂いたが、ずっと前からやっていた事なんだろうが、うちらは『僧侶』『門徒』という関係でなく共に『門徒』。

 人が死んだら悲しいし、イヤだし、死ぬ覚悟なんぞ全く出来てないし、明日の生活も心配だし、子どもの将来も心配だし、寺の将来も心配だし、という全く『覚悟』が出来て居ない生身モロだしの凡夫。「寺が社会から見捨てられたらイヤだし、何か評価されたいし、ホームレス状態になるのもイヤだ」という煩悩バリバリ。「だから、これからの寺は社会貢献に熱心に取り組まないとイケナイのかも知れないなぁ。。。」という剥き出しの煩悩。

 だから、同じ『生活者』、さっき使った言葉では『商売』だったり『仕事』だったりするが、そういう生活者として。
 『聖職者』じゃなく、『聖職者』として『慰撫する側』『慰撫される側』でなく、「お互い様じゃん」なんぞと。
 
 『聖職者』としてあろうとするのも煩悩なんだし。
 隣で友達として関わる、『同じ人間』として関わる事しかあってはならないのだろうが、『聖職者ズラ』したくなる煩悩。

 まあ、要するに、なんでもエエのではないかと思ったりする。だって生き方はそれぞれなんだし。
 第一義として、それぞれの生き方を認めざるを得ないし。煩悩が認めなくさしているが。

 人生色々ならば、寺も色々、僧侶も色々。

 真宗僧侶の社会活動。まあ、何が『社会活動』なのかは知らんが、ボランティアだろうが、反戦デモだろうが。んなもん、あり方、生き方の違いだけ。
 解り易い形での社会活動をするのが『真宗門徒の生活』だとは思わないし、解り易い社会活動をするのが『真宗門徒の生活ではない』とも思えない。あり方の違いだけではないのか?
 『(専門用語すんまへん)聖道の慈悲』から逃げようとするならば、月参りも葬儀も出来ない。だって、月参りや葬儀も今日では『グリーフケア』の価値もあるし。っちゅうか、「ああ、今日はエエ葬儀やった」なんぞという煩悩も出てくる。

 今日の番組で気になったのは月参りだけでは価値を見出せず、その他の社会活動では価値を見出した方が居られたが、え~。。。それは『魔』でっせ。
 「価値を見出せない」なら、素晴らしい。だって、そこに『誇り』は無かったのだろうし。誇りがないまま、どんだけの役に立ってまんねん。それこそ『無私』でんがな。真剣に取り組んではるのだろう、本人の自覚は別にして。まあ、「月参りに価値を見出せない」と呼ばれた側は知らんが。

 煩悩は切り離せない。すぐに有頂天になる私は、っちゅうか、今だって「ほらほら、俺ってスンゲーやろ」であったりする。んなもんや。

 なので、今日の番組で取り上げられた人に対する批判もあるだろう。生身の人間だし。達観してないから批判出来るわけであって、それが頼もしい。頑張れ煩悩!でんな。

 批判されたらイヤだし、うっとうしい。それも煩悩を抱えた生身の人間。愚痴愚痴と。あ、誰かの昔のハンドルネームみたい(笑)

 どうでもエエねんけど、そろそろ朝の7時である。朝酒(?)してるので、早朝から仕事の依頼があったらどうしよ。。。仕事は欲しいが、「今日だけは。。。」なんぞと全く身勝手やのぉ。。。だから、まあ、貧乏なのか(笑)

2月はなぜ短い

2011年03月01日 | 坊主の家計簿
 寺の通信、ようやく完成。え~。。。毎度の一晩制作でございます。。。

 今日は昼寝もたっぷりして、通信制作の準備完了。ただ、首&肩がコリコリなので銭湯へ。だいぶ楽になった。
 で、帰宅してそのままやればエエものを、え~。。。深夜テレビの誘惑に負けて、でんなぁ。。。「アカン、アカン、作らな」で、完成したのが、ついさっき。4時過ぎ。

 明日は車検なので、車に乗らないといけない。
 なので、「こんな時間まで飲んでるわけにはイカンわ」と、酒を抜いている時間なのだが、え~。。。テンションが。。。通信作りで盛り上がったテンションが。。。
 なので、白湯を飲みつつ、若干ホッコリと。

 っちゅうか、歯磨きして寝よ。

 あ、来月、3月の目標。

 フェーイスブックに加入するぞ!!!

 である。
 加入方法、その他、全く知らないのだが、まあ、なんとかなるやろ。情報なんぞ幾らでも落ちとるやろうし。

 そういえば、今日、調べたくて調べられなかった事。

 「なんで、2月は28日、もしくは29日までやねん。。。」

 いや~。。。別に2月にだけ迷惑(?)かけんでも、基本28日、閏年だけ29日にしたかったら、要するに4年に一度1日増やしたいねんやったら、31日の所から引っ張って来たらエエのんと違うん?基本2日足らん部分をでんな、他の31日ある月と平均したらアカンのか?どういう理由でアカンのや?やっぱし、「2月って一番寒いやん。だから早めに終わって欲しい」っちゅう理由からなのか?それとも『暦』、え~。。。今となっては彼岸ぐらいなのかも知らんが、暦の問題なのか?なんでや?42年間生きとって、どっかで知ったのかも知れんが、全く憶えてないぞ。

 と、まあ、いつもより2~3日早く通信を作らんとアカンかったので、愚痴愚痴。

 え~。。。気になって少しだけ調べたのだが、よう解らんみたいやんけ(笑)

 http://okwave.jp/qa/q219897.html