銭湯帰りに御近所スーパーへ。なんとなく「今晩はワイン♪」気分だったので、ワインを物色。っちゅうか、一番安いワインを買おうと思ったら、無添加ワインの1.5リッターのヤツが980円で売ってたのでゲット。やっぱりワインは無添加ワインである。
無添加ワインとの出会いは古く、私が酒を飲み始めた直後から。自然食系の店に行くと『井筒ワイン』っちゅうのがあって、これが無添加だった。とってもフルーティーだし、ジャンクな生活を送っている割に自然食大好きっ子(今は中年)だった私は井筒ワインにハマり、っちゅうか、確か当時1本1000円だったので、店でも一杯500円だったので余り飲めなかったのだが、「え~い、今は大手メーカーから出て安くなったし、収入も多少(ホンマに多少)アップしたので飲んじゃえ!」気分である。
ちなみにワイン等の醸造酒は苦手であり、よって今はいつも以上にベロンベロンである。。。
さて、前原である。
ツイッターでは呟いていた(ボヤいていた)のだが、あれはアカンやろ。あれは金になる。
だって、ネットを通じてでも政治献金を出来る時代に、まあ、ネットを通じての政治献金、クレジットカードを使っての政治献金が『通名』で出来るのかどうか、通名でカードを作れるのかどうかは知らんが、今回みたいな事、通名で政治献金をして、その事で大臣辞任までの騒動になるのであれば、まあ、脅しのプロであれば、日本国籍を持っていない人の『通名』で政治献金をさせといて、その裏で「お前、日本国籍を持ってない人から政治献金を貰っとるやんけ」で、仮に今回の話を借りるならば20万の何倍稼げるねん。
また、対立相手にその情報を売る事も出来るだろうし、マスコミにとってはヨダレが出る様な話でもある。トップニュースになるし。仕組んだ記者の評価が上がるし、会社ぐるみでも出来る。まあ、逃げ道は作るだろうが。。。
と、妄想、妄想。
今回の前原辞任にあたっても様々なコメンテーターの意見。
当然、週刊誌ネタにもなっていたように「仙谷は次期総理に前原を考えていない。損だから」みたいな視点で話されておられる方々も。
妄想でんなぁ。。。
そんな妄想とは違って、私は真相を知っている。
真相は源平の合戦である。
ご承知のように日本は源平である。『源氏』と『平氏』の争いである。
元々『平氏』とは『ヘブライ』から来た言葉である。失われたユダヤ10支族の直系が平氏である。すなわち、日本はずっと『ユダヤ』VS『反ユダヤ』の構造での対立であったのだ。
これまたご承知の通り、アメリカは平家の落人が作った国である。西洋人が行く前に、平家の落人が武力でもってネイティブ・アメリカンを支配していたのは歴史の表面には出ないが、歴史的事実である。
しかしながら、日本には源氏勢力も強い。アメリカに対して『イエスマンでない』勢力が源氏である。アメリカに対して『イエスマン』の勢力が平氏である。。。
ああ、妄想は楽しい。。。
ちなみに私は結婚して姓が変わった。少しだけ民俗学なんぞに興味があったので、結婚前からその姓に関心があったのだが、いざ、結婚して諸々調べる。っちゅうか、結構調べる。「そんなヒマがあるねんやったら、真宗の教えをもっと勉強せんかい!」でもあるのだが、まあ(笑)そんなに、上手い事出来てまへん、私。
ある意味、差別される姓。私もちょいかじりの時はその姓に対して特定のイメージを持っていたのだが、諸々調べると、まあ、新興金持ちに対するやっかみがメインではないかと。
日本にはいわゆる『伝統仏教』なんぞの宗教もあれば、各地にそれぞれの民族宗教もあったりする。それは今でも『いわゆる新興宗教』を考えると解り易い。それぞれの地域限定の信仰があったりする。当然、それはいわゆる『伝統仏教』にとっては邪教である。邪教だし、その邪教を奉じている人達が『貧乏』ならともかく、自分達より生活水準が上だったりすると、そこに妙なやっかみが生まれる。今なら共産党の中国が日本よりも金持ち国家になった事を考えると解り易い。
また、その姓を受けている人が全てその宗教を奉じていたわけではない。んなもんは、服部さんが今だに服装を作って生業にしているわけではないのと同じである。
ユダヤ教はキリスト教ではない。
また、ユダヤ民族の方々全てが金持ちであろうわけもない。
でも、ユダヤ人に対する差別があったり、「世界はユダヤ人が裏で操っている」なんぞの妄想がある。
え~。。。多分、もっと、現実はややこしいのだと思ったりするのだが。。。
妄想は妄想として楽しむものである。
今回の前原辞任にあたっても、様々な人が、様々な立場から妄想を語っておられる。っちゅうか、そんなに知らないのだが。。。
でも、んなもんは、妄想やろ。幾ら政治事情に詳しくとも。
その事に対する事情通だから、その妄想が『真』としてささやかれる。
私が僧侶になったのも、まあ、「生きる事が、生きているという事だけでも辛かった」というのもあるが、その場その場であったりする。今にして思えば、である。「真宗の坊さん達の仲間に入りたかった」というのもあれば、「何か世間的な価値を得たかった」というのもある。それが生身の人間であり、感情の生きものである。なので、一番適確な言葉は「たまたま」だったのかも知れない。たまたま、様々な縁が積み重なって、私は真宗仏道の道を歩もうとしたのであって、その縁の中に、出会って頂いた様々な先輩達や、うちが大谷派の門徒であった、という事実も大きいが、決断した理由の真実は解らない。まあ、私の心の底の一番深い所にある『なにか』が叫んでいたのだろうが。その事を自覚しているわけでもない。
「みんな仏になりたいんや」という『仏性』の働きなんだろうが、それは後から勉強した事である。
前原が辞任した理由も、きっと本人でも解っていないのでは?と、これまた勝手に妄想したりする。
妄想の反対語は『事実』だったりするのだろうが、個人的には『決めつけ』であったりする。
相手を、誰かを、自分を、決めつけて生きている。それが妄想。
今日は、無添加ワインでベロンベロン。「じゃあ、シラフは?」である。
シラフの状態で、「私は妄想なんぞしてません」という状態があるのだろうか?
「お前は、妄想ばっかりしとる」っちゅう指摘が、私にとっては事実である。
自分を決めつけ、誰かを、何かを決めつけている。
事情を知れば「あ!」というのが多々ある。
「なんや、実はそういう事やったんかいな」である。
そして、『知らない事』が圧倒的である。知らぬままに決めつけている。
言葉で考え、言葉で現実を切り分ける。
稲は植物、食べ物、なんぞと決めつける。
家畜は殺していいもの、と決めつける。
「解らん」とは言えない。何かしら決めつけて生きている。
アホである。アホはアホである。アホの中に優劣があるのは娑婆である。
そんな娑婆にどっぷりハマって生きているから、煩悩まみれだから、優劣が生まれる。
優劣を作っているのは、アホだからである。
え~。。。BAHOのアミーゴでも張付けようと思ったのだが、辞め。
シオン、っちゅうか、最近マイブームの福山のSORRY BABYに変更。
ずっと「ちゃらいヤツ」と決めつけていた、福山。
♪軽いことばにあいそつきても
それにかわる顔がない
無添加ワインとの出会いは古く、私が酒を飲み始めた直後から。自然食系の店に行くと『井筒ワイン』っちゅうのがあって、これが無添加だった。とってもフルーティーだし、ジャンクな生活を送っている割に自然食大好きっ子(今は中年)だった私は井筒ワインにハマり、っちゅうか、確か当時1本1000円だったので、店でも一杯500円だったので余り飲めなかったのだが、「え~い、今は大手メーカーから出て安くなったし、収入も多少(ホンマに多少)アップしたので飲んじゃえ!」気分である。
ちなみにワイン等の醸造酒は苦手であり、よって今はいつも以上にベロンベロンである。。。
さて、前原である。
ツイッターでは呟いていた(ボヤいていた)のだが、あれはアカンやろ。あれは金になる。
だって、ネットを通じてでも政治献金を出来る時代に、まあ、ネットを通じての政治献金、クレジットカードを使っての政治献金が『通名』で出来るのかどうか、通名でカードを作れるのかどうかは知らんが、今回みたいな事、通名で政治献金をして、その事で大臣辞任までの騒動になるのであれば、まあ、脅しのプロであれば、日本国籍を持っていない人の『通名』で政治献金をさせといて、その裏で「お前、日本国籍を持ってない人から政治献金を貰っとるやんけ」で、仮に今回の話を借りるならば20万の何倍稼げるねん。
また、対立相手にその情報を売る事も出来るだろうし、マスコミにとってはヨダレが出る様な話でもある。トップニュースになるし。仕組んだ記者の評価が上がるし、会社ぐるみでも出来る。まあ、逃げ道は作るだろうが。。。
と、妄想、妄想。
今回の前原辞任にあたっても様々なコメンテーターの意見。
当然、週刊誌ネタにもなっていたように「仙谷は次期総理に前原を考えていない。損だから」みたいな視点で話されておられる方々も。
妄想でんなぁ。。。
そんな妄想とは違って、私は真相を知っている。
真相は源平の合戦である。
ご承知のように日本は源平である。『源氏』と『平氏』の争いである。
元々『平氏』とは『ヘブライ』から来た言葉である。失われたユダヤ10支族の直系が平氏である。すなわち、日本はずっと『ユダヤ』VS『反ユダヤ』の構造での対立であったのだ。
これまたご承知の通り、アメリカは平家の落人が作った国である。西洋人が行く前に、平家の落人が武力でもってネイティブ・アメリカンを支配していたのは歴史の表面には出ないが、歴史的事実である。
しかしながら、日本には源氏勢力も強い。アメリカに対して『イエスマンでない』勢力が源氏である。アメリカに対して『イエスマン』の勢力が平氏である。。。
ああ、妄想は楽しい。。。
ちなみに私は結婚して姓が変わった。少しだけ民俗学なんぞに興味があったので、結婚前からその姓に関心があったのだが、いざ、結婚して諸々調べる。っちゅうか、結構調べる。「そんなヒマがあるねんやったら、真宗の教えをもっと勉強せんかい!」でもあるのだが、まあ(笑)そんなに、上手い事出来てまへん、私。
ある意味、差別される姓。私もちょいかじりの時はその姓に対して特定のイメージを持っていたのだが、諸々調べると、まあ、新興金持ちに対するやっかみがメインではないかと。
日本にはいわゆる『伝統仏教』なんぞの宗教もあれば、各地にそれぞれの民族宗教もあったりする。それは今でも『いわゆる新興宗教』を考えると解り易い。それぞれの地域限定の信仰があったりする。当然、それはいわゆる『伝統仏教』にとっては邪教である。邪教だし、その邪教を奉じている人達が『貧乏』ならともかく、自分達より生活水準が上だったりすると、そこに妙なやっかみが生まれる。今なら共産党の中国が日本よりも金持ち国家になった事を考えると解り易い。
また、その姓を受けている人が全てその宗教を奉じていたわけではない。んなもんは、服部さんが今だに服装を作って生業にしているわけではないのと同じである。
ユダヤ教はキリスト教ではない。
また、ユダヤ民族の方々全てが金持ちであろうわけもない。
でも、ユダヤ人に対する差別があったり、「世界はユダヤ人が裏で操っている」なんぞの妄想がある。
え~。。。多分、もっと、現実はややこしいのだと思ったりするのだが。。。
妄想は妄想として楽しむものである。
今回の前原辞任にあたっても、様々な人が、様々な立場から妄想を語っておられる。っちゅうか、そんなに知らないのだが。。。
でも、んなもんは、妄想やろ。幾ら政治事情に詳しくとも。
その事に対する事情通だから、その妄想が『真』としてささやかれる。
私が僧侶になったのも、まあ、「生きる事が、生きているという事だけでも辛かった」というのもあるが、その場その場であったりする。今にして思えば、である。「真宗の坊さん達の仲間に入りたかった」というのもあれば、「何か世間的な価値を得たかった」というのもある。それが生身の人間であり、感情の生きものである。なので、一番適確な言葉は「たまたま」だったのかも知れない。たまたま、様々な縁が積み重なって、私は真宗仏道の道を歩もうとしたのであって、その縁の中に、出会って頂いた様々な先輩達や、うちが大谷派の門徒であった、という事実も大きいが、決断した理由の真実は解らない。まあ、私の心の底の一番深い所にある『なにか』が叫んでいたのだろうが。その事を自覚しているわけでもない。
「みんな仏になりたいんや」という『仏性』の働きなんだろうが、それは後から勉強した事である。
前原が辞任した理由も、きっと本人でも解っていないのでは?と、これまた勝手に妄想したりする。
妄想の反対語は『事実』だったりするのだろうが、個人的には『決めつけ』であったりする。
相手を、誰かを、自分を、決めつけて生きている。それが妄想。
今日は、無添加ワインでベロンベロン。「じゃあ、シラフは?」である。
シラフの状態で、「私は妄想なんぞしてません」という状態があるのだろうか?
「お前は、妄想ばっかりしとる」っちゅう指摘が、私にとっては事実である。
自分を決めつけ、誰かを、何かを決めつけている。
事情を知れば「あ!」というのが多々ある。
「なんや、実はそういう事やったんかいな」である。
そして、『知らない事』が圧倒的である。知らぬままに決めつけている。
言葉で考え、言葉で現実を切り分ける。
稲は植物、食べ物、なんぞと決めつける。
家畜は殺していいもの、と決めつける。
「解らん」とは言えない。何かしら決めつけて生きている。
アホである。アホはアホである。アホの中に優劣があるのは娑婆である。
そんな娑婆にどっぷりハマって生きているから、煩悩まみれだから、優劣が生まれる。
優劣を作っているのは、アホだからである。
え~。。。BAHOのアミーゴでも張付けようと思ったのだが、辞め。
シオン、っちゅうか、最近マイブームの福山のSORRY BABYに変更。
ずっと「ちゃらいヤツ」と決めつけていた、福山。
♪軽いことばにあいそつきても
それにかわる顔がない