坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

オモロー山下

2011年03月05日 | 坊主の家計簿
 数日前にテレビ録画する為に番組表をウロチョロと。『革命前夜』っちゅうタイトルに惹かれて『SP』っちゅう番組を録画。何やら2夜連続放送らしく、今日がその初回。っちゅうか、さっき調べたら先週の土曜日もやってたのね。今日の放送が面白かったので激しく後悔。っちゅうか、まあ、昨年やった映画らしく、レンタル屋に行けばエエだけなのだが。

 『SP』っちゅうのは、決して『真木ようこにスーツを着せたかった』だけの番組ではない。まあ、連続ドラマだった頃には全く興味がなく、今日の放送でしか知らないのだが。

 そういえば、今日の放送で主演の岡田准一が格闘技を習っているシーンがあった。「エエ蹴りしとるやんけ。。。」である。基本、真面目な兄ちゃんらしく、熱心に練習しているらしい。っちゅう事は、結構、強いかも知れん。っちゅうても、まあ、本業でやってはる人達には負けるだろうが、ふと坂口征二の息子、坂口憲二との試合が見たくなった。まあ、体型差もあるし、坂口有利か。
 出来れば試合途中に『オモロー山下』(http://yamashita-shigenori.laff.jp/)がワキ汗びっしょりで乱入して来てっちゅうのはどうだろうか?で、「芸能界一を決めるのなら、俺を入れずして決める事は許さん!」と。ジャリズム山下改め、オモロー山下としての名前を売り込む為にもエエのではなかろうか。オモロー山下も寝技が得意である。人生の寝技はどうか知らんが、格闘技としての寝技は得意である。かなり強い。なので、『岡田准一VSオモロー山下』の一戦とかワクワクするやん。。。っちゅうか、『坂口憲二VS岡田准一』の方がエエわな。まあ、ほな、無難に噛ませイヌとして(笑)そっちの方が芸人『オモロー山下』は光るやろうし。

 まあ、芸能界である。なんせ、某女優さんなんぞ、某エステ会社の広告塔でんがな。まあ、CM契約の中に「ワイドショーでの会見はうちの会社の事業と共に」なんぞという契約があるのかどうか知らんが、もう(笑)まあ、御仕事、御仕事。
 
 で、『SP』である。今日の放送を見て、あと、若干のネット検索をしただけなのだが、う~ん。。。エエ感じである。青年将校である。やはり、ああいう設定にはワクワクする。
 青年将校。素晴らしい響きである。素晴らしい響きなので、もう一度、青年将校。ああ。。。素晴らしい。。。
 純粋をあくまでも追求して、国家の為に、世界人類の為に決起する。死を覚悟の上で決起する。素晴らしい。。。

 今度やるらしい『SP』の映画は『革命篇』というらしい。

 http://sp-movie.com/index.html

 オモロー山下は出るのだろうか?あ、出るとしても最近まで『ジャリズム山下』だったので、タイトルクレジットには『ジャリズム山下』になるのだろうが。
 出て貰いたいなぁ。。。青年将校の仲間として。
 青年将校の一員なんだが、仲間に入ったのも「親友が入って一緒に遊びたかったから」という理由がエエ。でも、その親友が青年将校(?)、まあ、革命同士のリーダー的存在であり、親友の影響の元、革命同士として中心メンバーになって行くのだが、「命がけ」という事が出来ない。
 恋人が出来て、子どもも出来てしまうが、その事は親友にも隠したまま。だが、公安にはその事が知れ、公安に脅かされ、仲間を売ってしまう。
 その事によって革命は阻止出来たのだからある意味『国家の英雄』なんだが、警察内部からも「仲間を売ったヤツ」として軽蔑され、左遷され、地方署に配属される。それでも、家族の為に、警察内部から軽蔑され、その事が知れた同じ署内の若手からも軽蔑されながらでも、警察の仕事を続ける。
 そんな彼の理解者は同じ署内の平警官であるトミーズ健である。ドジでミスばっかりして、オモロー山下と同じく後輩達から軽蔑されている。そんなトミーズ健だけがオモロー山下の唯一の理解者であるのだが、過去が過去だけにオモロー山下と署内で話そうとはしない。上から眼を付けられる事を恐れているのだ。

 そんな2人が親しくなったのは、トミーズ健が私服で変装してあるホームレスと一緒に酒を飲んで居たのを発見したからだ。変装していても元エリート警察官だったオモロー山下は変装を見破る訓練を受けていたので、簡単に変装を見破った。「あれは、トミーズ健。。。」と、トミーズ健の行動を監視する。監視した後、ホームレスの元を離れたトミーズ健に声をかける。ビビるトミーズ健。年は下だが階級は上のオモロー山下に怒られると思ったのだ。
 「何をして居られたのですか?」
 「いや~。。。」と言葉を濁すトミーズ健に、ひつこく問いただすオモロー山下。
 「他の人に言わんといて下さいよ。謝ってたんですよ。彼に」
 警官の仕事として地域住民から連絡があればホームレスの人をどかさなければならない。「こんな所で寝てたらアカン、って」と。せっかく見つけた大切な寝場所であっても。それがトミーズ健の大切な仕事でもある。でも、トミーズ健には仕事としてやっている事であるのだが、どうしても納得出来なかった。納得出来ないからといって、上に抗議する事も出来なければ、地域住民の理解を得る働きかけも出来ない。だから謝るしかない。謝る、といっても、警官姿や、私服であってもバレると不味いので、変装して、相手にも解らない形で謝りに行く。心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、ワンカップの酒を「競艇で買って今日は嬉しいねん。だから一緒に飲んでくれるか?」と。そういう形でしか謝る事も出来ない。

 仲間を売ってしまい、また、警視庁のエリートコースから地方署に左遷されたオモロー山下は腐っていた。「俺は一体なんやねん。」と。
 そんなオモロー山下はトミーズ健に対して堰を切るように一気に話した。自分が仲間を売ってしまった事、その仲間に大した志もなく入った事、その仲間達が死刑になり、あるいは処罰されているにも関わらず、自分は「俺は国家の為に忠義を尽くしたのだ」と言い訳してみたり、「家族の為」だと言い訳してみたりする俺ってなんだのだ?と。「俺って、最低ですよね。情けないですよね。どうしようもないですよね」と。
 トミーズ健は言う「んなもん、俺の方が情けないわ!」と。「お前は元々エリートやろ。俺なんか、『生活が安定している』というだけで警官になって、お前みたいに手柄もあげた事がないし、年下のお前は今でも俺の上官やないか!お前にそんな事いわれたら、俺はどうしたらエエねん!」と。

 ん?
 あ、当然、実際の『トミーズ健』と『オモロー山下』とは一切関係ありません(笑)フィクションです。

 ツイッター。最近、加藤夏希のツイッターが面白くてフォローした。んが、まあ、何時までフォローしてるかどうか解らん。多過ぎる情報は疲れるし。なので、過去にも色々な人達の呟きに興味があって、色んな人達のフォローをしてたのだが、残っているのは、最近フォローした加藤夏希と、有吉と、オモロー山下。

 オモロー山下は屋島やったかな?まあ、香川県出身であり、うどんツイッター。香川県は最近行ってないが、『モツ焼き』という夜の御伴も見つけたし、エエBARもある。あ、私にとっての『エエBAR』って、ロックバーね。子どもも出来たので、増々足が遠のいているのだが、娘もうどんが好物だし、娘が長距離移動が出来るようになったら「そら、行きたいわな」である。なので、うどんツイッターはチェックである。
 
 ジャリズム解散の時に、渡辺が「山下君は天才的に愛されているし」みたいな事を言ってた。あれは、ある意味、嫉妬だな。
 放送作家としても、あくまで噂では「年収1億」とも噂される渡辺である。芸人として再ブレークした時に「年収が減った」という渡辺である。才能あふれる渡辺。なので、三枝の弟子になって新作落語を書いて、エエ落語家になるのだろう。
 そういう渡辺にとって山下は、「なんでコイツが」なのかも知れん。だから「山下君は天才的に愛されているし」みたいなコメントになったのかも知れない。

 渡辺はある種、青年将校的である。才能に溢れている。
 でも、山下も、そして、トミーズ健も、「お笑い芸人としてどうやんねん」等と指摘されつつ、愛されている。

 サーカスにはピエロが必要。
 ピエロが『ピエロになるべく努力している』のに比べて、努力出来ていない私だが、オモロー山下や、トミーズ健みたいに努力も才能もないが、でも、そんなピエロみたいな生き方をしたい。

 当然、私は私であり、私以外の生き方は出来ない。
 でも、何かに憧れるのであれば、青年将校でなく、ピエロに憧れる様になりたい。
 
 『なりたい』という事は、「成ろうと思っていない」事。
 山下でなく、渡辺になりたい、渡辺でありたい、と思ってしまう。
 でも、「情けなさ」が滲み出る様な山下に対して、失礼ながら、親近感をもってしまう。それが山下の『芸風』であるとするななら、その『芸風』に暖かみを感じる。生きる勇気を頂く。

 何を書いてるねんや?え~。。。酒が。。。

 真宗の坊さん達。今となっては先輩達。
 なんか、そんな『情けなさ』が私にとっては『光』だった。温かかった。だから、仲間に入りたかった。

 今でも全く変わっていないのだろうが、「カッコ付けてしか生きて行けない」のが私。だから、『情けない』のもカッコ付けたりする。それで自尊心を保つ。そこから差別するのが私。
 「情けない」と思いつつ、「へっへっへっへ」である。「情けないと思っている方が、情けないのに憧れている方がカッチョエエやん」である。下げた頭の顔は笑っている。

【仏から信ぜられている『絶対に』何もかも承知の上で信ぜられている。】(曽我量深)

 不感症の心に、言葉が「生きよ」と応援してくれる。