坊主の家計簿

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ひな祭り革命論

2011年03月03日 | 坊主の家計簿
 昨日のブログ、まあ、「いつもの事やんけ!」と言ってしまえばそのままなのだが、え~。。。文章になっとらんやんけ。。。やっぱし、朝酒は利くのぉ。。。

 なので、今日は寝酒。昨日と対して変わらん時間に飲んでいるのだが、気分が違う。今日はこれから寝るのだ。寝る前の「お疲れさま~」なのだ。これでいいのだ。

 ん?そういえば、ボケーっとツイッターを眺めてたら、昨日の『クローズアップ現代 岐路に立つお寺~問われる宗教の役割~』に対する呟きで、「滝に打たれるのなら沢ガニ同じ、門前を掃除するだけならレレレのおじさんと同じ」やったかな?んな呟きがあった。え~。。。なら、自殺防止は飲み屋と同じやんけ。人生相談も飲み屋と同じやんけ。間違いなく、世の中で一番自殺を防いでいるのはカウンセラーでも坊さんでもなければ、飲み屋の人やぞ。で、沢ガニがアカンのかい。レレレのおじさんがアカンのかい。んな意見があるから反発を喰らうわけであってでんな。。。
 ちなみに『頑張れ仏教!』じゃないが、「坊さんはもっと頑張らんとアカン!」っちゅう人に、引き蘢りとか自殺相談が出来るのか?大真面目に思うのだが。「坊さんは寺や教団の中に閉じこもっていないで、もっと表に出るべきだ!」という意見の持ち主が引き蘢りの相談、って、おい(笑)
 まあ、七不思議(笑)

 七不思議といえば、今日、ようやく謎が解けた、っちゅうか、映像で見て納得したリビア情勢。
 今までなんとなく、武器も持たずに投石なんぞで反政府運動をしている人達に対して、リビア政府、まあ、『政府』と呼んでいいのか解らんが、まあ、カダフィ革命政府が、軍隊を投入して弾圧しているイメージがあったのだが、反政府運動側も武器を持っているのね。しかもヤクザの抗争なんぞで使われる様な拳銃ではなく、戦争で使うようなヤツ。え~。。。ようするに武装勢力やん。内乱やん。内戦状態やん。
 また、反政府側の殺された人達の数は日本で報道されているが、政府側の殺された数は発表されていない。まあ、日本での報道ではカダフィー曰く「動乱なんか起こってない」という事らしいが。

 なんか、国連も含めて、当然日本のマスコミも含めて、カダフィを追出そうとしているだけやん。その後押しをしているだけやん。と、一向一揆の流れの真宗坊主は思ったりする。
 まあ、将棋でいうと、もうつんでいるのかも知れんが。。。
 
 平和ボケ日本の平和ボケの私の発想からすると、カダフィは「ほな、選挙で決着つけたらエエのんと違うんけ」と、金をばらまく、迎合バリバリの政策なんぞで対抗して選挙すればエエだけだと思ったりするのだが、まあ、そうわいかん事情があったりするのだろう。

 ブログで書くのは初めてなんだが、ツイッターではボヤキまくりのこの一件。

 ついでなんだが、「中東に比べて、日本人はなぜ立たない」って、おい。大きな御世話じゃ。ほっとけ、ボケ。まるで『立たない』のがアカンみたいな言い方しやがって。テメーらはそれを売りにしてメシ喰ってるからエエようなもんの、単純にうっとうしいぞ。「○○ちゃん。隣の子はもう○○が出来るようになったのに、あんたはなんで出来ひんの」やろ。ほっとけ、ボケ。っちゅうか、それより酷いやんけ。まあ、商売やからしゃーないねんやろうけどやなぁ。

 独裁国家は大キライ。平和ボケ出来る状態が一番だと私は思う。
 けど、リビア情勢って、ようするに「カダフィを殺せ!」やろ。

 フランス革命。ああ、もう、『革命』という言葉だけで私は基本、メロメロになってしまったりするのだが。結局市民運動しかやっていないが、某過激派セクトに高校時代真剣に入ろうと思ってたし。今でも「革命」という言葉には非常に弱い。まあ、改革でもエエのだが。血湧き肉踊る、っちゅうヤツやね。元々暴力的だし。暴力の血が騒ぐ。
 でも、老いて来たのだろう。最近は「んなもん、自分の視点からでしか物事判断できひんやん」だったりする。
 フランス革命でも、リビア争乱でも、まあ、真っ先に銃を取っていただろう。そこに居てたら。「で、穏健派に対して、カダフィの首を取るまで革命が成功したとは言わん」なんぞと。喧嘩早いのは相変わらずだし。自分の私生活を考えると、それ以外にないし。でも、まあ、ワガママだ。
 当然、選挙もワガママだ。私は立候補したことはないが、ワガママで投票している。「この人」と選んで投票している。ワガママの集大成が政府なんだろうし。だから、野党も居てるわけなんだし。与党と野党が意見違って当り前。それぞれのワガママなんだし。それぞれがそれぞれの立場で政治を考えているわけなんだし。
 独裁はだからキライ。独裁は「カダフィを殺せ!」だ。独裁に対しては独裁的手法しかないのかも知れないが、現実問題としてその方法、リビアでなら銃を取る方法しかないのだろうが、それは決して『正義』ではない。『民主化』だろうが、絶対正義ではない。単に『生き方』であり、まあ、ワガママ。その『ワガママの自覚』っちゅうか、ワガママであると思い知らされる、っちゅうのが独裁から逃れる道だと思う。
 リビアだって、革命政府である。『革命』っちゅう美名である。独裁を肯定する大義名分である。
 
 なんじゃかんじゃ怪しい部分は多々あるが、民主国家の日本。
 私は天皇制に対して反対である。反対に対する理論もある。んでもって、同じく反天皇の同士達と皇居を襲撃しても、余り意味がない。若かりし日に考えた事もあるのだが、今となっては余り意味がない。天皇なき革命政府を樹立しても、暴力で押さえつけなければ「天皇陛下バンザイ!」というか、まあ、曖昧であっても天皇制を容認している人達も含めて、その人達を納得させる事が出来なければ、選挙で負けるし、支持を得られない。得られないから、暴力で押さえつけたりするかも知れん。「天皇制があるから真の平等を得られないのだ」と大義名分でもって、「だから、天皇制に洗脳されている人達の眼が覚めるまでは選挙をしない」とかなら、なんのこっちゃ?である。

 まあ、『ジャスミン革命』とかいうのか?今回の一連を。
 「あなたはジャスミン革命を支持しますか、しませんか」なんぞの質問が来たら「支持します」なんだろうが、っちゅうか、そういうアンケートには答えないだろうが。
 支持はするが、私のワガママでしかない、んなもんは。私が「世界はこうあって貰いたい」というワガママでしかない。
 だから、ワガママ肯定政権の独裁はキライ。ワガママが言えない、ワガママを表明出来ない社会は大キライ。ワガママを正義という美名で隠して、他のワガママを弾圧するのは大キライ。
 まあ、その大キライな事を日々やっていたりするのだが。。。

 『敵』ではない。『鬼』でもない。
 独裁者だって、同じ人間だ。独裁出来る能力があれば、独裁者になりたいのが本心ではないのか?エゴとしての、ワガママとしての本心ではないのか?「世界中が私の思い通りになりますように」が本心ではないのか?七夕しかり、節分しかり。

 明日はひな祭りである。反天皇制記念日である。
 『お内裏様』って天皇やろ。天皇と皇后をなぜ飾らないといけない。
 ひな人形があるのが当り前ではないのだ。どこかで買って来たわけなんだし、大阪での風習では「嫁の実家から贈る」っちゅう風習もあるらしい。んが、その風習を選択するのも、今を生きている私たちである。ひな人形を選択するのも私たちである。
 革命には血は必須である。血を流さない革命などあり得ない。まあ、その血は「パパの血の涙」なんだが。。。ママが近所で割り箸とか紙とかで作ったひな人形を持ち込みやがってでんなぁ。。。
 「貴様はそれでも真宗門徒か!真宗門徒の家庭、しかも寺に住まわして頂いているにも関わらずひな人形を持ち込む事は、真宗革命の日和見主義の反革命的である。自己批判せよ!」なんぞと言いたいのだが。。。いや~(ポリポリ)
 少し前に料理に関してボロクソに言って、その後の料理は「文句なく食べれる」し、先日は仕事関係でボロクソに言ったので、ちょっと抑えとかんとなぁ~、っと。

 あ、ついでなんだが、家事が仕事ならば、仕事は「失敗せんと当り前」やぞ。「家事をしてても何の感謝もされず」なんぞという声もあるが、多くの仕事はそういうものではないのか?
 まあ、家事が仕事として認めて貰いない状況だから「家事をしてても何の感謝もされず」なのだろうが。。。

 人間を人間として認めないのが独裁ならば、人権無視が独裁ならば、独裁者にも人権はある。殺人犯にも人権はある。それが『民主化』ではないのか?
 いかなる立場のいかなる人にも人権はある、と。

 「○○を殺せ!」は、真に民主化された国家なのか?