坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

不安

2011年03月14日 | 坊主の家計簿
 今日もなんだが、最近、娘とママが寝た後に、こたつに入ったまま寝てしまう事が多い。なので、どうしても寝付くのが遅くなる。
 昨日もそうで、「明日、法事やんけ。。。」と思いつつ、結構遅くまで。無理にでも寝ようと布団に潜り込む。当然、なかなか寝付けない。ようやく寝れた時に、娘、大泣き。え~。。。昨日、パパ一日中外出=ママ御参りだったので、娘は一時保育。え~。。。辛かったんやろなぁ。。。大泣き。でも、パパもママも働かんとアカンし、慣れて貰わんと。なんぞと思いつつ、気を利かしたママが寝室から大泣きする娘を連れて出て行って呉れたのだが、これまた簡単に寝付く事が出来まへん。

 今日、仕事から帰って来て、お腹が空いたパパ御飯。娘も昼ご飯がまだだったみたい。またまた泣きじゃくる。パパ抱っこしながら『しまじろう』のテレビを見る。っちゅうか、私はツイッターなのだが。胃の調子が悪かったので、あんかけ卵とじうどんを作って来て呉れたママ。「あら、寝てる」と。パパ抱っこで寝る事は滅多にないので、余程眠かったのだろう。
 今日も夜9時に娘が泣き出す。パパ抱っこしながらアンパンマンを見てたのだが、ママが家事を済ませてリビング(?)に戻って来たら、眠いのだろう「ママ!」と。

 テレビでも「お母さん!」と、中学生ぐらいの女の子が泣いてた。津波だったかな?その映像よりも、「お母さん、お母さん」と泣きながら呼んでた女の子が印象的。

 葬儀で坊さんが泣いたら話にならん。葬儀社の方も同じ。どんなに辛い葬儀であっても、それが私たちの仕事だから。でも、葬儀の依頼があって説明を受けている時に辛そうな表情をされている。『死の現場』という事が仕事であっても、やはり。

 今回の大災害。
 精神科医の香山リカが

【被災地におらず、直接、救援活動に携わらない私たちができることは、せめて自分の心のケアは自分ですること。この国の全員が「急性ストレス障害」に陥っているいま、まず自分を落ち着かせて。】

【いまはこの国の全員が「急性ストレス障害」という状態です。これは地震に直接遭遇してなくても、映像や情報から起きます。これが回復せずに長引けば、本格的な「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」に移行します。私たちができることは、自分をPTSDにしないこと。】

 とツイッターを通じてメッセージを送られて居られた。

 香山リカは余り好きではなかったりする。でも、このメッセージには共感する。「よく言ってくれた」である。

 私は大阪市内に住んでいる。今回のプレート型地震は、東海、東南海、南海プレートの地震が「必ず起こる」という研究結果があって、それこそ、災害予定地図なんぞも以前に住んでいた大阪府南部では配られていた。また、市内の話ならば上町断層というのがあって、これも危ない。

 何やら、首都圏ではインスタント系の食料等が売り切れ状態であるらしい。また、計画停電の影響もあり、乾電池等も。
 でも、潜在的には「次は関東大震災だ」みたいな不安がるのだと想像する。日頃から地震に対する意識が高い地域=不安が高い地域だし。

 プレート型地震は連続する場合があるらしい。だから、「東海、東南海、南海の地震が連続したら日本は壊滅になる。」なんぞの情報も。『連続』あるいは『同時』といっても、んなもん、24時間を1日とする時間サイクルではない。

 私は喧嘩に強い。殴り合いの喧嘩なら弱いのだが、「んなもん、最終的には殺したら終りやんけ」「死んだら終りやんけ」という妙な覚悟があって、とことんまでやるし。「死ぬのを覚悟してない人間が夜のミナミを歩くな」なんぞの暴言を吐いたりする。実際、ミナミで飲み屋をやってた時はそういう覚悟だったし。

 でも、実は、今、怖い。

 近くに大きな川が流れている。プレート型地震で津波が来た時にあの川を伝って津波が来る。
 本堂の横に住んでいる。本堂は傾いているので、今回みたいな大地震では間違いなく倒れる。
 娘はまだ幼い。

 だから、怖い。

 死の畏れ。覚悟が決まっていない、悟れない私。

【寮ガ燃エタ。燃エル縁ガ熟シテ燃エタ。コンナニアザヤカニ燃エルトハ誰モ考エテハナカッタダロウ。燃エルモノガ燃エタノダカラ、燃エルコトソノコトハソレデヨイノダガ、燃エテモラッテハ困ル問題ガコチラニイッパイアッタカラヤヤコシイ。「寮ガ燃エタ」ソノ現実ハキビシイ。イロンナヒトガイロンナコトヲイイ、イロンナコトヲ考エ、イロンナ動キヲシタ。マサニ「火宅無常ノ世界」ノ現前デアル。「タトヒ大千世界ニミテラン火ヲモスギユキテ仏ノ御名ヲキクヒトハ」トアルガ、コノ現前ノ境遇ガ仏ノ御名ヲ聞ク場トナッタカドウカ。ホントニヒトガ問ワレテイルノダト思ウ。トテモ大キイ体験ダッタ。】(竹中智秀『願生』十九号より。いわゆる『「願生」あとがき事件』で問題になった文章)

 という言葉を思い出す。
 
 竹中先生はよく「声をかけなさい」と仰っておられた。
 「あなた達は飲み屋に行くでしょう。行くと自分を待ってくれる人がいるから」みたいな感じ。

【真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)は12日、19日からの親鸞750回遠忌法要の日程を変更せず実施すると発表した。東日本大震災の被災者への追悼から、法要中の雅楽や舞楽は取りやめる。5月までの法要期間中に予定する関連イベントは今後、中止や変更の可能性も含めて検討するという。】(http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110312000099

 らしい。
 法要中の雅楽や舞楽を辞める必要もないだろう。それは『喪』である。ならば、葬儀での雅楽を禁止してからの議論だ。辞める必要は一切ない。宗祖の御遠忌ならば尚更である。
 ただ、今回の事で参拝に来られなくなった方々は多く居られる。でも、出向く事も出来るのでは?と思ったりする。

 不安を誤摩化す為の「今、私になにが出来るのか?」そこから生まれる「不謹慎だ!」等の排除。「何もしない人達」等。

 『不安に立つ』、『煩悩具足のわれら』という身の事実に帰る。帰らざるを得ない現実。

 動機はみんな不純。生きているだけで、『何もしない』であっても、義を立ててしまう。『何もしない』事に義を立ててしまう。
 解り易い形での『ボランティア活動』で義に酔うのも、『何もしない』という義に酔うのも同じ。そこから逃げ出す事など出来やしない。
 後は、それぞれの御縁。