坊主の家計簿

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明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

2011年03月16日 | 坊主の家計簿
 昨日、本山の宗祖親鸞聖人750回御遠忌に関して「現実問題、団体参拝のバスとか、交通、流通の問題で延期になっても仕方がない。」等と書いてしまったが、そういう事を書いてしまう自分の信仰の浅はかさを思い知らされる1日だった。

 御参りの仕事がなかった今日、寝付いたのは朝の10時ぐらいだった。
 福島第一原発の次から次へと入って来るツイッター情報が気になってしまい、なかなか寝れなかったのだ。
 目覚めたのは14時過ぎ。事態がより悪化していた。

 深夜と言ってよい時間帯には富士宮を中心とする震度6強の大地震。夜が明けてみないとどういう事態になっているのか解って来ないのだが。
 飛騨の方でも地震があったらしい。

 御遠忌を延期する。遠忌延期である。これを平仮名で書くと「えんきえんき」であり、なんか『えんぎ』が良さそうだったりするのだが、そういう縁担ぎは真宗ではしないし、っちゅうか、私が今さっき思いついた「デーブなんかに負けてたまるか」という、ん?まあ、エエわ。

 御遠忌を延期した場合に、それこそ末期の癌患者は行けない。
 
 また、宗祖親鸞聖人の御遠忌である。伝説で

 『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 』

 と、「まあ、兄ちゃん、今日はもう遅いから明日にしようや」を拒否なさった宗祖である。その宗祖の御遠忌を遠忌するのならば、それこそ、「いつ始めるのだ?」と。
 言い換える。「いつ始まるのだ?」と。

 まして、今回の御遠忌のテーマは

 『今、いのちがあなたを生きている』

 で、ある。『今』である。

 「明日もある」と生きているのが私である。今日を生き切る事なく過ごしているのが私である。だから「来年でもエエやん」等と。
 私自身も来年生きているかどうか解らないにも関わらず、まして、これは恐らく現実にある話なんだろうが、余命わずかの人が「最後に宗祖の御遠忌に御参りして」と言って居られる方が居られるかも知れない。
 私はまだ若く、「来年がある」等と平気で言ってしまえるが、ご高齢の方にとっては「え?来年に延期ですか。。。」となるかも知れない。『1年間』という重みが全く違う。
 来年になった時に「いや~、おじゅっさん。去年やったら行けてんけどなぁ。。。」と言われるかも知れない。
 まあ、全て「知れない」という仮定、妄想なんだが。。。

 今日の大地震で、静岡方面の方々の参拝も難しくなったかも知れない。
 また、この地震が拡大して行くのであれば、それこそ、今週末までにも、もっと多くの所が、もっと多くの方々が参拝出来なくなる可能性もある。解らない。全く解らない。解らないが、

 『明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 』

 である。

 『いつかきっと離れてしまうから
  いま
  いっぱいの想い出を作ろう』
 (某門徒さん)