坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

「葬式を出す金がなかった」

2008年08月26日 | 坊主の家計簿
 8月26日

 食類  弁当          200円
     イカ&タコ       100円
 雑費  するめ         105円
     タンガクラブビール   500円
     ドグラマグラ     1800円
     回数券(22日)   3700円
     電車          290円
     タクシー       1680円

 合計             8375円
 8月累計         149141円

 昨日の学習会で最後辺りに結構個人的にショックな情報があり、気になったのでタンガクラブへ。
 帰りに、毎度のドグラマグラへ。変わらず盛り上がってしまって電車に乗り遅れる。JRは大丈夫だったので、途中までJRで帰ってタクシーと。まあ、オモローやったからエエか。

 全然関係ないのだが、旅行中に気になったニュースがある。
 なんかワケ解らんぐらいに祭気分に犯されてしまった、っちゅうか、テレビの本性を見せつけたオリンピックのニョースが多い中、たまたまつけたテレビでやってたニュース。

【母遺体 自宅に放置 遺棄容疑長男逮捕 「葬儀費用なく」 2008年8月17日
 麻生署は十六日、死体遺棄の疑いで川崎市麻生区千代ケ丘一、無職安藤聡容疑者(49)を逮捕した。
 調べでは、安藤容疑者は六月十三日ごろ、自宅の寝室に、同月上旬に死亡した母の美子さん(80)の遺体を遺棄した疑い。
 美子さんに目立った外傷はなく、病死とみられる。同容疑者は美子さんの長男で二人暮らし。二十五年間仕事に就いていないが、近年は寝たきりの美子さんの介護をしていたという。美子さんの弟が六月十三日に家を訪問したが誰もいなかったため、不審に思い同容疑者の姉に連絡。姉が同署員と翌日に家を訪れ、パジャマ姿でベッドに横たわった状態の遺体を見つけた。
 同容疑者は都内にいたところを発見された。カプセルホテルなどに泊まっていたといい、「葬儀をしないといけないが、費用がなかった」などと供述しているという】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20080817/CK2008081702000108.html

【2008.8.17 00:00
 同居していた80歳の母親が死亡したのに自宅に置き去りにしたとして、神奈川県警麻生署は16日、死体遺棄容疑で川崎市麻生区千代ケ丘、無職、安藤聡容疑者(49)を逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と認めているという。
 調べでは、安藤容疑者は6月上旬、自宅で母親の美子さん(80)が死亡したのを知りながら放置した疑い。同容疑者は行方不明になっていたが、16日、東京・上野公園にいるところを警視庁上野署員が発見した。
 麻生署によると、美子さんは病気のため約1年前から寝たきり状態で、安藤容疑者が介護していた。連絡がとれないのを不審に思った美子さんの弟(77)が6月、安藤容疑者の姉に連絡し死んでいるのが見つかった。】(http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080817/crm0808170004000-n1.htm

 私は『門徒の子』である。故にガキの頃に両親が金に関する事で夫婦喧嘩をしている姿を見ながらも、毎月やってくる坊主が居た。
 ガキの頃の私にとっては『坊主=泥棒』であった。
 そして、その感覚は今でも正しいと思っている。
 ただ、私が泥棒の側に立っただけの話である。
 故に、上記ニュースが旅の途中ながら無茶苦茶こたえた。ちょうど、関東親鸞旧跡巡りの旅行でもあったわけだし。
 
 上記ニュースの人が何宗であったのかは知らない。
 というか、多くの人がそうであるように『何宗』かは知らないが、でも「葬儀には金がかかる」と思われていたのだろう。
 それが故に死んだ母親を放置するしかなかったのであろう。

 私は上記ニュースの人には興味がない。
 ただ、私が『坊主』であり、葬儀の中で結構な割合を占める『御布施』というものを受けとる立場である、という事だけは忘れたくない。
 非常に個人的な事なのだが、上記ニュースの中の「葬式を出す金がなかった」という言葉は、私にとっては「寺は風景でしかなかった」という言葉に匹敵する、いや、それ以上の重みを持つ。

 葬儀、仏事。諸々の議論もあり、諸々の動きもある。
 だが、どうなんだろうか?
 「葬式を出す金がなかった」という理由でもって母親の遺体を放置した人がいる事実に対して、どう応えていくのだろうか?

 寺には寺側、坊主には坊主側の理屈がある。故に、葬儀の『値段』は高い。
 当然、そんなものに従う義務は一切ない。
  
 こういう感覚は非常に大事だと思う。
 『寺側』、つまり、御偉い権威に従わなければならない理屈なんぞ一切無い。
 念仏でなら「天皇も凡夫である」と同時に「坊主も凡夫である」でしかない。
 禅でなら、臨済録の世界であり、一休の世界であり、近代でなら内山愚童の
 【天子金もち、大地主。人の血を吸うダニがおる。】(内山愚童『無政府共産』より)
 の感覚である。

 しかしながら、そういう感覚を持てずに、「葬式を出す金がなかった」と。
 故に、介護をして来た母親の遺体に対してどうする事も出来なく逮捕された人がいる。

 ただ、それだけである。
 ただ、それだけなんだが、それに関わる人達、私なら『坊主側』である。

 「寺は風景でしかなかった」とは、オウム真理教に入った人の言葉である。私は当然オウム真理教も仏教教団であると思うのだが、だが、「寺は風景でしかなかった」とはかなりショックな言葉である。

 今回は「葬式を出す金がなかった」である。

 【みな人は慾をすてよとすすめつつ、後で拾ふは寺の上人】(伝一休禅師)

 その中で「葬式を出す金がなかった」である。

 派遣労働の人達は、最低時給1000円を目指しておられる。

 仏教は絶対平等の教えである。
 で、
 「葬式を出す金がなかった」
 ただ、それだけの話である。 
 
 そういう意識を与え続けている側に私がいるだけの話である。
 1年間寝たきりで介護をし続けられ、で、「葬式を出す金がなかった」と。それが故に1年間介護して来た母親の遺体を放棄するしかなかった人が、部屋に帰る事が出来なかった人が居られただけの話である。
 ただ、それだけの話である。