坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

♪赤い赤い、いのちは赤い

2007年07月01日 | 坊主の家計簿
 7月1日

 雑費  缶コーヒー         120円
     レンタル3        1260円
 外食  ポパイ蕎麦         326円
 食類  もずく            87円
     国産牛           199円
     カットパイン        100円
     エノキ            58円
     麺類4           100円

 合計               2250円
 7月累計             2250円

 レンタルは『のだめカンタービレ』の4、5、6。
 要するに昨日と今日とで全作観たわけやね。
 放映中は第七話の途中から観ておもしろかったので毎週一応チェックしていたのだが、最初から観たらもっとおもしろかった。
 登場する人達が「オーケストラ」という『場』で育って行く。
 特に主人公の千秋が気になる。
 千秋は日本に居る事が不満だった。でも海外に出れないジレンマ。「俺はこんな所で何をしているんだ」と。
 でも、オーケストラという『場』で千秋は育って行く。
 師のオーケストラに参加しているそれぞれの人を尊敬する態度に感動する。
 だが、それは続かない。ある一人のメンバーが千秋の発言によって脱退の危機に陥った時に師は千秋に激怒する。そして、千秋は立ち直りオーケストラを大事にしようとする。そしてオーケストラを成功させる。
 同時に師もそういう若い人達の姿を観て感動する。
 のだめと千秋も同じ。互いに刺激しあいながら、それぞれが育って行く。

 なんか、その『オーケストラという場』が『サンガ』に思えてきた。

 ちなみに『教団』と『サンガ』は違う。
 教団はサンガであると同時に社会的存在である。大谷派なら国家から承認された包括団体としての『真宗大谷派』だったりする。各寺なら、宗教法人でもある。
 国家が絡む。つまり国家から宗教法人を外されると固定資産税がかかって来たりするはず。大谷派なら京都駅前にドデカイ『真宗本廟(東本願寺)』があるが、あれに固定資産税がかかって来るはず。試算は知らんが多分膨大な金額。

 同時に世間の付き合いもある。仏教界の付き合いもある。
 まあ、それは別に『教団』だけの問題でなく、それぞれ一個人の生活そのものだったりもするのだろうが。

 当然、親鸞に教団なんぞ作る意思はなかっただろう。
 しかし、現実確かに『教団』、しかも、伝統教団、どデカイ教団がある。
 教団の構成員には『門徒』と『僧侶』がある。これも本来の真宗教団にはおかしな話なんだが、現実にある。授戒していない『僧侶』という不思議な存在がある。
 そして私は『僧侶』だったりする。

 人間は平等である。だが、悲しいかな現実には諸々の差別がある。
 ここはネットで書いているから解りやすいのだが、ネット上では様々な差別が解りやすく生きている。きっと「名無し」とか誰か解らないからこそ初めて書けるのかも知れないが、いまだに差別や在日コリアンに対する差別が歴然としてある。
 私は『女ではなく』、『被差別出身者でなく』、『在日コリアンでもない』。
 その3点との関係に限っていうのなら差別者の側である。
 当然、屁理屈者なので安易な批判には「アホか?」であるが、基本的にはそういう事実がある。差別される側でなく、その逆の側としての責任がある。

 被差別の人からは聞いた事がないが、女性からは「それは男の問題です」、在日コリアンからは「これは日本人の問題です」と差別に関して問われた事はある。
 それは『立場』である。現実に立っている世俗の場が違う。
 『世俗』とあえて書いたが、誤摩化しはナンボでも成り立つ。
 「差別したのは私ではない」
 「差別といってもそれは世間の話でしょう。お浄土には関係ありません」
 等々。
 そうやって誤摩化す。差別者である事を誤摩化す。
 
 私の運動批判の一つでもあるのだが、
 「私は被差別者と共に出会って運動してますから」
 と、差別者である事を誤摩化す。
 差別される人達の側に立つ事によって、自分が立っている現実を忘却しようとする。差別される側に立つ事が『出来た』と思い込む事によって、「差別する側」である事から逃げようとする。

 『汚泥の蓮華』は娑婆世間にどっぷりハマった現実の立場から、どういう願いを持つのか?ということではないのか?
 立場は責任であり、事実である。
 その事実を誤摩化す必要は一切無い。事実は事実として様々な形をとり、そこに居られる。事実を事実として引き受けられない事に悩み、迷う形をとりながら、そこに居られる。そういう形でもって輝いている。
 批判原理としての浄土なるが故に。