坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

自らに由る

2006年12月11日 | 坊主の家計簿
 12月11日

 雑費   缶コーヒー          120円
 
 合計                  120円
 12月累計             41692円

 朝からエエ天気。
 この『晴れ』を『エエ天気』っちゅうのは当然主観なんだが、洗濯物も乾きやすいし、仕事もしやすいし、『都合のエエ天気』でっせ、やっぱし。んで、こういう天気の時は当然御機嫌で、しかも日差しが結構あって、風もなかったので、ポカポカでっせ。
 で、朝からの御仕事もエエ感じ。昨日走りまくったので、今日はゆっくりしようと、ゆっくり、まったりと仕事。エエ感じや、エエ感じでっせ。
 車である団地にお参り。団地前の一番奥の鉄製の車止めがある所までギリギリ突っ込んで、当然路肩ギリギリに停める。この団地はあの場所が空いてなかったら車を停めるのが面倒なんだが、エエ感じや。
 お参りを済ませて、しゃて次でっせ、次。ゆっくりまったりした気分で車に乗り込んで、「お、路肩ギリギリやな。これは少し前進して、左に余裕が出来てからバックしよ。」と、前進→ガッシャ!
 あ~あ、車に乗り込んだら前にあった車止めが見えなかったんだよ~。。。っちゅうか、「覚えとけ!」っちゅう話なんだが、ゆっくりまったりし過ぎたなぁ。。。
 バンパーが少し割れて、後から車屋に行ったら当然修理が必要。
 あ~あ。。。

 気分がへこんで、帰って来て不貞腐れてコタツで寝る。
 「うわ~!こんな時間やんけ!!!」
 『のだめカンタービレ』が始まってから20分も過ぎてた。
 不貞腐れてる場合じゃないので、慌てて洗濯機に洗濯物を放り込んで、のだめ。
 調べて見ると結構視聴率もエエらしい。よってこれはDVD化間違いなしなんだろうし、恐らく近所のレンタル屋にも並ぶ事必須であろう。楽しみ、っちゅうか、レンタル奪い合いやろな。
 しゃて、来週月曜日も何も無いはずやし、のだめ。
 んが、25日は「クリスマス~」っちゅう事で、夕方6時から堅苦しい会議があって、その後も堅苦しい、っちゅうか、真面目にギャグも織り込みながらの飲み会が当然の如くあって、のだめは録画やな。

 のだめが「千秋先輩と一緒に留学したい」とピアノ練習三昧の姿を観て刺激を受けて。。。ん?っちゅうか、明日提出しなアカンので筆ペン三昧。
 んで、毎度の寝酒のブログ。

 『解放の神学』っちゅうのがある。その中で「声なき人の声を伝える」っちゅうのがある。厳密に云うと『声を奪われた人達』か。社会的差別や、それ以前に『文字』すら知らない人達。そういう人達の現状をインテリ神父達が社会に『声』として伝えて行く。『声』っちゅうよりも『叫び』に近いかな?
 圧迫されて、発言出来ない。もしくは発言しても無視される。

 ネットは一人一人がミニコミであってもメディアを持つ事が出来た。しかも旧来のミニコミなら1000部刷ったとしても1000部だ。その1000人全員が眼を通すとも限らない。
 でも、ネットなら一応『WWW』なんだから世界中で見る事も出来るのだろう。ん?このブログはどうなっているのだ?良く知らんが、まあ、少なくとも大阪限定ではないだろう。

 巨大掲示板なら全国規模なんだろう。全国規模で『声』を届ける事が出来る。名前を出す事も、固定ハンドルを使う事が出来なくても『声』を伝える事が出来る。
 人間関係を持つ事が出来る。自分の素性を明かす『強さ』がなくとも、『声』を出し、人間関係を持つ事が出来る。

 何度も何度も紹介している言葉だが、恩師・竹中先生が「如来の本願と云いましても、それは『みんなと一緒に生きたい!』と云う事なんですよ。」と。
 とても大切にしたい『みんなと一緒に生きたい!』と云う言葉になった願い。

 今年の年明けも旅行に行くつもり。んが、寒いので電車かバス。「目指せ!うどん王国!!!」でんな。
 でも、バイク(すんません。。。原チャリです)旅行が一番好き。
 バイクで旅行してると、一日中ほぼ誰とも会話しない。メシ屋、ガソリンスタンドぐらいなものか。
 「満タンで?」
 「はい。満タンお願いします」
 そういう日常でのささやかな言葉が、無茶苦茶暖かかったりする。
 「人間だ!!!」と、砂漠等を旅してて抱き合いたくなる気持ちが解る。

 『当たり前』になる事がある。恋愛も、家族も、友人も、知人も。
 ネットと云う道具も。

 『声を奪われた人達』にとっては、自分達の現状をその他多くの人達に伝える為には解放の神学の神父なり、運動家なり、マスコミなりによってしか伝える事が出来ない。
 私はネットを出来る恵まれた環境に住んでて、毎日自分の家計簿やら日記やらを書いて、一応『誰でも見られるように』している。『声』を伝えれる。

 情報の力って、結局、その人の意見を伝える事が出来る事だと思う。
 「こういう事があるけど、どう思う?」みたいなの。

 表現の自由がある。これが『当たり前』になってる。天皇制の批判を書こうが、安倍の愛国心についての批判を書こうが、ブッシュの愚行について書こうが、別に規制されない。
 それは保障された権利なんだが、そうでない場合もある。これから日本でも出て来るかも知れない。スパイ防止法なり、共謀罪なり。
 
 日本は『平和ボケ』とも云われる。確かにそうなんだろう。自由が当たり前になっている。
 解放としての自由も、なんもなく、ただ、当たり前になっている。
 それは自由でもなんでもなく、単なる自我(エゴ)拡大にしか過ぎない。

 最近、自分は自己欺瞞の塊でしかないと痛切に感じる。
 そんなもんを拡大しても苦しみを再生産していくだけの話だ。

 「怨みに由らず、『哀しいね』って云えるかどうか。南無阿弥陀仏って云えるかどうか。」(某先生)