坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

私のハンドルネームは『エロ坊主』である。

2006年01月30日 | 坊主の家計簿
 1月30日

 食類    本マグロたたき半額    119円
       鯖きずし半額        99円
       なんとか鯛半額      140円
       ほうれん草        120円
       うどん玉          18円
       えのき           48円
       山芋           102円
 雑費    タバコ          300円
       缶コーヒー        120円
 コンビニ  コンニャク2個       80円
       大根            40円
       しらたき          40円

 合計      1226円
 1月累計  111606円(特別会計190200円)


 明日は休みなのだが、この間の休みから1週間少ししか経っていないのでイマイチ盛り上がらない。。。
 
 ボンヤリしてたら寝てもうた。。。で、起きて『電車男』を返却に。ついでに晩飯にこの間新しく出来たラーメン屋に行こうと思ったら23時までだったのね。。。しゃーないので何時ものスーパーへ。
 何時も行ってなければ万引きに間違えられそうなくらいスーパー内をウロウロする。気分は完璧ラーメンだったので気を削がれた感じ。ウロウロしてたらその内に刺身が半額になったので、「今日は刺身で焼酎お湯割り」と、まあ、少しは休日前らしいかな?っと。白身の何とか鯛が美味かった。
 で、スーパーを出て念の為にタバコを買いにコンビニに行ったらおでんが30円引き。貧乏人はすぐに飛びつく。

 と云う事で、ゆったりと深夜テレビを観ながら、漫画を読みながら晩酌を済まして酔いどれ。鯖のきずしは余ったので、もう一度酢に浸けたので明日でも大丈夫だろう。

 しゃて、なんかミクシィに登録してミクシィの日記と、このブログは併用なのでアクセス数が増えた。。。っちゅうか、『goo』は『アクセス数』と『実際にアクセスした人』を区別して呉れているのだが、まあ、両方増えた。
 と云う事は、前からの『聖カミソリ新聞』を見てる人だけでは無くなって来たわけだ。

 と云う事で、初級真宗入門その一、『真宗教団に僧侶は居ない』。

 私は『僧侶』と云う仕事をしていて、日本国家から認められた宗教法人の包括団体としての『真宗大谷派』と云う教団から認められた『僧侶資格』を持って居る。んが、これは『いわゆる僧侶』ではない。まあ、出家なんぞしていない。戒律なんぞも仏と法と僧(厳密に云うと出家者なんだろうが、その後の展開ではサンガ・教団)に帰依する以外の戒律なんぞない。聞く話によると出家者(日本は曖昧)はセックスなんぞしたら教団追放らしい。オナニーもダメらしい。と云う事は私の様にエロ画像の収集を趣味にして「目指せ60ギガ!」なんぞは問題外なんだろう。
 んが、それでも仏教徒だぜ。仏教を学び歩む事を出家者から否定される筋合いはない。こんな私でも仏教を学ぶ事を否定される筋合いはない。厳格な出家者なんぞダイバではないのか?
 んが、歴史的な流れの中で真宗は『寺』を持つ事になった。ついでに云うと『門跡』まで金で買ってしまった。これは真宗教団の堕落だと思う。
 と云う事で、うちら、我が誇るべき大谷派教団は『東本願寺』と云う名前を捨てた。『本願寺』と云う名称を捨てた。今は名残りとしての『東本願寺』はあるが、実際はない。あるのは根本道場としての真宗本廟である。
 親鸞の血を引く『法主』は『門首』になった。『門首』とは『門徒の首座』と云う意味である。つまり『門徒』なのである。
 そういう面で云うと、教団中枢が一番過激だったりする。教団中枢は(当時は少なくとも)『寺』を『僧侶』を辞めようとしていたのではないのか?

 戸次公正氏と云うオモロイ坊主が大阪には居てて、この人が大谷派の全国仏教青年会連盟の委員長だった頃に『宗憲改正 仏青連盟案』と云うのを作っている。
 ここに『僧侶」はない。あるのは帰敬式を受けた『門徒』と、帰敬式を受け所定の修練を受けた『教師』だけである。『僧侶』などない。

 しかし現時点で私は『僧侶」である。どっからどうみても『僧侶』の服を仕事で来ている。同時に『職分』としての役目も果たしている。が、基本は単なる『仏教徒』である。私も含めた『仏教徒』『真宗門徒』の中で儀式をする際にコスプレをしている様なものである。
 現時点で『僧侶』として呼ばれる事に対する責任は自己責任として引き受けるが、僧侶としてのプライドはない。あくまでも生き方としては『仏教徒』『真宗門徒』としての生き方を全うしたい。
 衣を脱いだ時に、やったらめったら『僧侶面』をするのは真っ平御免だし、そんな所で威張り散らしたくない。私は『仏教徒』であり『真宗門徒』で居たい。
 しかし、現状のこの教団の在り方は『出家教団』である。門首は『門徒の首座』と云いながらも『僧侶』であり、この教団を動かす議員も『僧侶』である。門徒議会もあるが、悲しいかな現実は出家教団が中心ではないのか?

 【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で、戸次公正氏がある門徒さんの言葉を紹介したやつの聞き書き)

 と、昔の門徒叫びが『僧侶』になった私の任務として突き刺さる。
 で、私は大谷派教団の中で住職ではないが、住職に成れる資格でもある『教師資格』を持って居る。帰敬式を受けた『門徒』でもなく、得度を受けた『僧侶」でもなく、その上の『教師資格』を持って居る。『教師資格』とは議員に成れる資格であり、議員を選べる資格でもある。実質的に教団を変えれる任務と責任を負っている。
 が、私はあくまでも『仏教者』『真宗門徒』としての誇りに立脚したい。

 ちなみにワケ解らん言葉は聞いてくれるなり、ネットで検索して下さい。