坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

宗教危険

2006年01月28日 | 坊主の家計簿
 1月28日

 食    寿司        200円
 雑費   タバコ       300円
      缶ミルクティー   120円

 合計       620円
 1月累計  108627円

 掲示板にスカした事を書きながら、非常に小市民的に家計簿を付ける。別に『形』になんか縛られたくない。
 毎日の家計簿を付けながら金の計算をするのも私だし、スカした事を書くのも私だ。
 そういう私しかいないわけだし、別にそういう私を認める必要もない。認めようが、認めなくともそういう私しか居ないのだし。

 「死にざま」と云うのを最近考える。苦しみ抜いて死ぬ。決して満足なんぞして死ぬ必要はない。
 「ほら、アミダさんが待ってるから安心だよ」なんてクソ喰らえ!
 死ぬ時は、絶望して死にたい。死ぬ時ぐらいは絶望しきって死にたい。どうせ甘えて生きてるんだ、死ぬ時ぐらいは絶望して死にたい。


 真宗には『悟り』と云う言葉はなくても『信心』と云う非常にうっとうしい言葉がある。
 「あの人は信心を得た」とか。
 『廻心』と云う非常にうっとうしい言葉もある。
 「あの人は廻心した」とか。

 うぜーなぁ。。。んなもんは要らん。

 と、云う事で自己保身に向かう。「それこそが真だ!」みたいな感じで自己保身に向かう。自己否定してるつもりの自己肯定
の典型。

 宗教にはこういう危なさが常に付きまとっている感じがする。
 また同時に『形を変えた宗教』、まあ、『スタイル』だったり、『こだわり』だったり、『国家意識』だったり。。。そういう何か一つの視点、境地主義、そんなものからなんぞ離れられるわけがない。極論で云えば『自己』から離れられるわけがない。『自己』は『自己』を中心にした宗教だ。自己の境地に甘んじている。

 で、それを『立てる』。もてはやす。何かの『カリスマ的』あるいは『境地』を目指す。
 で、差別する。
 うぜー!