エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カタクリの作法

2015年03月26日 | ポエム
カタクリの作法を伝えなくては、なるまい。
なんてね・・・実は少しばかりの蘊蓄を披露するに過ぎないのである。

花の観賞に、そもそも作法などは存在しないのだ。
好きなように愛でれば良い。
それが、一番の作法である。



カタクリは、殆ど山中にある。
加えて、斜面に広がるのだ。

一輪だけで孤高を貫くカタクリ。
二輪、三輪、或は五輪と固まって咲く花もある。



けれども、徒に群れている訳ではない。
スプリング・エフエメラルであって、一輪草のカテゴリーに入る。







「カタクリやためつすがめつ逆写し」







花言葉は・・・。
「初恋」を嚆矢(こうし)とする。
その他・・・。
「嫉妬」「寂しさに絶える」などというのもある。

山野にひっそりと咲く。
けれど、山野を紫の絨毯に変える。



カタクリの鑑賞には、手鏡を持参すると良い。
そっと、花の奥を覗いてみよう。

虫媒花のカタクリ。
蕊の周りには、虫たちを寄せつけようと紋様がある。



その紋様を観察できるし、カタクリの特徴が良く理解できるのである。
カタクリは、別名「かたかごの花」「かたばな」「はつゆり」であってそれぞれ季語として成立する。
一対の葉を広げ、六弁花を咲かせる。



ぼくは、カタクリもそうだけれどクリスマス・ローズの観賞にも手鏡を使う。
クリスマス・ローズは、身を捩って恥ずかしいと云う・・・。



今度の吟行には、鏡を最低二個は用意しておこう。
鏡に映るカタクリは、より鮮明に見える。

カタクリの魅力を充分に味わい尽くせるのである。



         荒 野人

ハナニラ

2015年03月25日 | ポエム
ハナニラは、春本番を告げるのである。
時に一輪二輪、時に雑草とともに咲き誇る。

誠に結構としか言いようが無い花である。



ハナニラは、毎年決まった場所で咲く。
これもまた、スプリング・エフエメラルである。

ぼくは、この花に「一抹の哀しさ」を感じる。
ぼくの中の、花言葉である。



およそ、白と紫の色合いの中でそれぞれの個性は際立つ。
花ごとのグラデーションとでも云おうか。

白は白で清楚であって、紫は妖艶である。







「ハナニラや働く者の足の跡」







ぼくは、決まった場所でハナニラを愛でる。
そうして、ハナニラからの愛撫を受ける。



ハナニラの別名は「イフェイオン」である。
「春の星の花」とも云う。
花言葉は・・・。
「耐える愛」「別れの悲しみ」「星に願いを:である。

だがしかし、ハナニラこそがぼくのニンフである。




       荒 野人

カタクリの明日

2015年03月24日 | ポエム
句友とともに吟行するのは、楽しい。
カタクリの吟行にあたって、案内をするのに何度も現地に出かける。

見頃の見極め。
カタクリ以外の見所。
歩き方。
休む場所。

etc.etcだ。



カタクリは、吟行当日の天気が最大のポイントである。
晴れていなければ、花は開かない。

初めてカタクリの吟行を案内する。
一人でプラットで掛けるのとは違う。
みんなの期待に応えなければつまらない。



幸い、順調にカタクリが咲いてきている。
案内役の役得でもあろうか、日々咲き綻ぶカタクリの様子を見つめられる。







「カタクリや佳人の視線待ちかねて」







小さな子、大きめな子・・・色の濃い子、色の薄い子・・・。
それぞれのカタクリの個性が見えてきて、実踏は誠に楽しい。



しかも、蕾の状態であるとか見所とも云える場所が分かって楽しいのである。
しかも今年は、カタクリを見て桜も見られる。

句友が、心に沁みる句を詠んでいただければ嬉しい。
楽しみである。




       荒 野人

春のラベンダー

2015年03月23日 | ポエム
紫色の、たおやかな花である。
季節としては、春から夏へ・・・夏に入ってしばらく経ったラベンダーが三夏として歳時記に載っている。



風に揺れる様は、楊貴妃のようである。
ぼくは、この花を下の方からスッと撫でる。
手の平に、ラベンダーの香りが移るのである。

今日は、春のラベンダーとして詠いたい。

深呼吸をして、その香りを嗅ぐ。
爽やかな気分が広がっていくのである。







「癒しの香移りくる春ラベンダー」







ラベンダーの花言葉は・・・。
「あなたを待っています」「私に答えて 下さい」「期待」「清潔」「豊香」「優美」「不信」「沈黙」
である。

春の光る風の中で揺らぐ。
そのたおやかさに、ぼくは感動する。

いつも、新鮮である。
自然と同化すると、毎日が美しいのである。



      荒 野人

円空・木喰展

2015年03月22日 | ポエム
春分の日「rippleさんのブログ」で、円空・木喰展(えんくう・もくじき展)が間もなく終るのを知って、いきなり出かける事としたのである。



これほど纏まった円空仏と木喰仏は、初めてであった。
これほどの木喰仏は、ぼくにとっては初めてであった。



円空は、美濃の国で出生した。
いまの岐阜県である。

円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴だ。
一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。
一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。



円空から後代の木喰も同様に日本各地で造仏活動を行っており、ノミ痕の残った鋭い円空仏に対し、表面を滑らかに加工した。後年、柔和で穏やかな表情を有した「木喰仏(微笑仏)」は円空仏と対比されている。
木喰は甲斐国出身の木食僧で、安永7年(1778年)に蝦夷地を訪れ、同地において造像活動を開始したとされる。

円空と木喰の廻国ルートは重ならず、円空仏と木喰仏の分布も異なっていることが指摘されている。
木喰が円空に影響され、木彫を始めたとは云えないのである。

因に円空と木喰とは、円空(1695年入滅)木喰(1718年生)だから、時代的には19年の間隔がある。
しかも木喰が木彫を始めたのが、61歳以降だから約80年の間隔が空いているのである。

木喰は、1718年(享保3年)甲斐国東河内領古関村丸畑(現在の山梨県南巨摩郡身延町古関字丸畑)の名主伊藤家に生まれる。丸畑は甲斐国南部・河内領に属する山村で、甲斐・駿河間を結ぶ駿州往還(河内路)と中道往還を東西い結ぶ本栖路(現在の国道300号)が通過する。
木喰の生涯については自身の残した宿帳や奉経帳記録や自叙伝である『四国堂心願鏡』、各地に残した仏像背銘などから、かなり詳細にたどることができる。
1731年(享保16年)、14歳(数え年、以下同)の時、家人には「畑仕事に行く」と言い残して出奔(家出)し、江戸に向かったと云われているのである。







「円空の鉈の切り口春兆す」



円空・木喰展は22日で終る。
円空仏と木喰仏と出会いたい方は、今日が最終日である。

時間がある方は是非、行かれるようにお勧めする。
感動の嵐である。
円空と木喰の木彫像が焼く250体展示されている。

圧巻である、
その時代、浄土を信じた日本人の敬虔な心が見える。

それが素晴らしいのである。



      荒 野人