エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

山河賞

2013年09月15日 | ポエム
山河賞。
俳句結社「からまつ」の結社賞である。

ぼくは昨年「次席」を頂いたのであった。
俳句を始めて、一年目に応募した。
俳句のイロハも分からないまま、被災地を歩いて句を詠んだ。
その20句が次席を頂いたと云う訳だ。



今年も応募したのだけれど、普遍的な俳句を揃えて山河賞を狙った・・・というより句の可能性を見たかったと言えるだろうか。
とまれ山河賞には応募したのであった。

昨年、次席の20句が公開されることが無かったので、改めてこのブログで読んで頂こうと思うのである。
そのきっかけは、発災2年半の節目が報道されたからである。
同時に、俳句四季大賞が「竜宮」という照井翠氏の句集であったこともきっかけにはなった。
照井氏は、福島で被災されている。
高校の教員である。



被災から半年経った岩手である。






 土の慟哭
        野 人

 風花や遮るもの無く海に落つ
 朝寒の跡形もなき被災の地
 佇める爽籟の街影も無く
 塩害の土に咲きたる秋桜
 紫苑咲く決壊の堤日暮れたり
 業を負い罪を呑みこむ秋の海
 波涛寄す渺茫の街末枯るる
 曳航の音途絶えたり浦の秋
 身に沁みる海の息吹の記憶かな
 焼玉の音も消え去り虫絶ゆる
 海は今嫋やかに秋抱きすくむ
 秋の風月の光を洗いけり
 被災地の土の慟哭捨案山子
 ただひたすら手を合わせ居る藁の塚
 はじかみを噛み奪われし人偲ぶ
 みちのくは深い眠りや星流る
 拾いたる山栗集め仏供とす
 光堂捧げる祈り蓮破れぬ
 痛哭の穏やかな海秋終わる
 冬隣たった一人となりにけり







以上の20句である。
いま読み返すと、綺麗事になってしまったとも思われる。
だがしかし、その時抱いた「怒り」と「哀しみ」は本物であったと言える。

そうだとしても、旅人の感慨に終わってしまったのではないかと自責の念に襲われている。

寂寥感は拭いえない現実であった。



       荒 野人