彼岸花である。
この花は、美しいけれど毒性を持っているのだ。
料理人は、いくら綺麗だと思っても触れてはいけない、とある。
従って、もぐら対策で畦道に植えたのである。
墓地に植えたのも、その伝であろう。
間もなく、曼珠沙華の咲く季節である。
今年の彼岸は、である。
暑さ寒さも彼岸まで!!
昔人は、物事を見事に言い当てている。
今年、初めて咲いた曼珠沙華と蕾を見た。
赤色が眩しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/98/8973c467c9c0a4d4bdf7817b012e9f38.jpg)
「曼珠沙華やがて咲けると君の云う」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f6/26e815f954f81597b6fc91566dc82e71.jpg)
今年は、巾着田に行こう。
満開の曼珠沙華は、かつて逝った父母や兄、叔父や叔母。
何より、ぼくを愛してくれたおばあちゃんと会える気がするのだ。
おばあちゃんは、母の闘病中に中高の6年間、ぼくの弁当を作ってくれた。
いま自分がその歳になって、おばあちゃんのありがたさがしみじみと分かる。
おばあちゃん、名前は「かめよ」戸籍上は「かめ」。
三人の男子と六人の女子を産み育てた。
三人の男子は、ことごとく大戦で喪った。
だがしかし、健気に戦中戦後を生きた。
ぼくが東京に出る日、生け垣越しに別れを告げた。
家を継いだのは、五女だったぼくの母だった。
前々年、母が薬石効なく彼岸の川を渡り、父が再婚した。
ぼくは、父の後妻を認められず家を出ていた。
その時代、既に大学を終えていたけれど東京に向かったのであった。
今年の彼岸の入りは9月20日。
明けは26日である。
因みに15夜は19日。
秋分の日は23日である。
彼岸花は哀しい記憶の片隅に仕舞っているのだけれど、この季節には思い出されてならないのである。
今日は皆さんにとってどうでもよい、ぼくの思いで語りになってしまった。
我慢して読んで頂いてありがとう!
荒 野人
この花は、美しいけれど毒性を持っているのだ。
料理人は、いくら綺麗だと思っても触れてはいけない、とある。
従って、もぐら対策で畦道に植えたのである。
墓地に植えたのも、その伝であろう。
間もなく、曼珠沙華の咲く季節である。
今年の彼岸は、である。
暑さ寒さも彼岸まで!!
昔人は、物事を見事に言い当てている。
今年、初めて咲いた曼珠沙華と蕾を見た。
赤色が眩しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/98/8973c467c9c0a4d4bdf7817b012e9f38.jpg)
「曼珠沙華やがて咲けると君の云う」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/f6/26e815f954f81597b6fc91566dc82e71.jpg)
今年は、巾着田に行こう。
満開の曼珠沙華は、かつて逝った父母や兄、叔父や叔母。
何より、ぼくを愛してくれたおばあちゃんと会える気がするのだ。
おばあちゃんは、母の闘病中に中高の6年間、ぼくの弁当を作ってくれた。
いま自分がその歳になって、おばあちゃんのありがたさがしみじみと分かる。
おばあちゃん、名前は「かめよ」戸籍上は「かめ」。
三人の男子と六人の女子を産み育てた。
三人の男子は、ことごとく大戦で喪った。
だがしかし、健気に戦中戦後を生きた。
ぼくが東京に出る日、生け垣越しに別れを告げた。
家を継いだのは、五女だったぼくの母だった。
前々年、母が薬石効なく彼岸の川を渡り、父が再婚した。
ぼくは、父の後妻を認められず家を出ていた。
その時代、既に大学を終えていたけれど東京に向かったのであった。
今年の彼岸の入りは9月20日。
明けは26日である。
因みに15夜は19日。
秋分の日は23日である。
彼岸花は哀しい記憶の片隅に仕舞っているのだけれど、この季節には思い出されてならないのである。
今日は皆さんにとってどうでもよい、ぼくの思いで語りになってしまった。
我慢して読んで頂いてありがとう!
荒 野人