『 風さそう 花よりもなお 我はまた 春の名残りを いかにとやせん・・・・ 』
こう辞世の句を詠んで『赤穂藩藩主・浅野内匠頭』が切腹をしたのは、元禄14年3月14日の事でした。 殿中『松の廊下』で刃傷に及び後の『忠臣蔵』へと・・・
『切腹最中』でござりまする。 新橋は田村町の和菓子司『新生堂』 このお店は浅野内匠頭が切腹をした『田村右京太夫』の屋敷跡に店を構え、この『切腹最中』を通じて忠臣蔵にまつわる数々の語り草をとの思いから作られました。 最盛期には一日に7000個も売れるそうです。
虎ノ門から新橋に向かう大通り新橋4丁目、旧・新橋田村町にこの『新生堂』があります。 このあたり一帯はいわゆる『ビジネス街』でサラーマンの街、 この『切腹最中』はビジネスで大失態をしでかした時、迷惑をかけた先方にお詫びのシルシとして持参すると言う、ちょっといたご愛嬌の最中でも有ります。
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で、このお二人に絶好のお詫びのシルシとして『切腹最中』をお勧めしたらと、見本として買ってきました。
が・・・『お主もワルよのぅ・・・』と時代劇の悪代官じゃございませんが、ひょっとして『切腹最中』の箱の下に『小判・二十両』の賄賂を偲ばせて、『安倍・二階・菅の代官様』に献上するだろうなと思ったのでお勧めする事は止めました。
『切腹最中』甘過ぎず、上品な赤穂の塩味の効いた『粒餡』の中に柔らかい餅が入った上品な最中でござりまする、袖の下には最適かと・・・
そこで一句
『袖の下 入れやすそうな 最中箱・・・・・新生堂店主』
『袖の下 欲しいと顔が 言っている・・・広島悪徳議員』
『袖の下 貰ってしまい 辞職する・・・・某広島県市長』
私の場合は
『袖の下 貰えるほどの 地位じゃなし・・・『ないとう罵声』