
4年まえ(2020/令和2)に志村けんさんの訃報を聞いたとき、「志村けんを悼む。」という記事を書いた。
https://blog.goo.ne.jp/eminus/e/495dfde6ec1d8f8a140fbb73dad8dcf8
このなかでぼくは、志村さんはコメディアンとしてはもちろん、役者としても凄い人だった、と書いた。じっさいに映画やドラマで主演を務めたことはなく、出演作そのものも極めて少なかったから、
「役者としても凄い人だったはずだ。」、あるいは「役者としても凄い人だったろう。」
と書くべきだったのかもしれないが、いずれにせよ、言いたかったのは、志村けんは一見たわいないコントを演じていても、役者としての大きなポテンシャル(潜在能力)を感じさせるひとだった、ということだ。
その記事を書いたとき、ぼくは、現代の日本には、なぜ上質の喜劇映画が少ないのか……ということを思ってもいた。「喜劇映画」と聞いて、すぐ思い浮かぶのは三谷幸喜作品くらいだ。ところがぼくは、残念なことに、テレビドラマ『鎌倉殿の13人』を除いて、三谷作品とあまり相性が良くない。
「寅さん」亡きあと、日本には、なぜか、これといった喜劇映画が見当たらない。あるいはそれは、いい喜劇役者がいないからではないか……。ビートたけしは、コメディアンではなく、北野武として、荒事ばかりを描く。タモリだって、あれだけ器用で、なんでもこなす方なのに、役者としては、これといって印象に残る仕事はない。
大泉洋さんが、どなたか志ある監督と組んで、令和版「寅さん」というべき現代テイストの人情喜劇シリーズを撮ってくれないものか……と夢想したりもするけれど、どうやらこれは、たんなる夢想で終わりそうだ。
そんな状況だから、ぼくとしては、志村さんが亡くなったとき、「本当に惜しい人を亡くした。」と切に思った。あのひとが本気で俳優業に取り組んだら、間違いなく、当代随一の喜劇俳優/性格俳優が誕生していたはずだから。
一流の役者は、必ず、存在の根っこに飄逸なユーモアをもっている。それは、ただの悪ふざけとか、軽薄な道化ぶりとは違う。思わず笑ってしまうけど、どこか物悲しい。世間ではそれを、「ペーソス」と呼んでみたりもするけれど、そのひとことだけで表しきれるものでもない。
志村けんならば、そんな役者/俳優になれたはずなのに、この人を失ったら、日本にはもう、あれだけ味のあるキャラクターはいないよなあ……と、あの記事を書いた時には、ぼくは思っていた。
4年まえのそのとき、ぼくは、西田敏行さんのことをまったく念頭に置いていなかったし、そのあとも、まるで思い出すことはなかった。それでこのたび訃報に接して、おおげさにいえば、愕然とした。
「いや……。いたじゃないか。こっちが子どもの頃からずっと。すぐ傍に。そこに」
と思った。
ぼくが小学生の頃から、テレビの中に、西田敏行さんはいた。『西遊記』の猪八戒より前に、『新・坊っちゃん』の山嵐役で、その風貌と名前をおぼえた。中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、成人になっても、中年になっても、テレビをつければ、いつでもそこに、西田さんはいた。存在の根っこに飄逸なユーモアをもった、一流の喜劇俳優/性格俳優が、数えきれないほどのドラマと映画のなかに、当たり前のように、いた。あんまり身近だったから、かえって意識することすらなくて、それがどれほど幸福なことなのか、あらためて省みることもなかった。