(先週の回でしたが、今日18日に視聴しました)
なぜ人を殺してはいけないのか?
おそらく、この回を観た視聴者のうちかなりの人が、この問いをググったのではないだろうか?
で、ヒットしたのがこのページ
「誰も答えられない?「なぜ人を殺してはいけないのか」 その理由を弁護士7人に聞いてみました」(『シェアしたくなる法律相談所』)
7人の弁護士のトップ回答者(琥珀法律事務所・川浪先生)の答えが、綺麗な解答だった。
【引用ここから】
『なぜ人を殺してはいけないのか?』と問われたら、最初に思い浮かぶ答えは『殺されたくないと誰だって思うから』というものではないでしょうか。
しかし、刑法には、殺人のみならず、同意殺人、自殺幇助も罰する旨の規定があります。すなわち、『殺して欲しい』、『自殺するのを手伝って欲しい』と頼まれてその人を殺すこと、その人が自殺するのを手伝うことも禁止されているわけです。
そうすると、殺される側が納得しているかどうかは関係ないわけですが、なぜ、刑法にこのような規定があるのかというと、人の生命はあらゆる活動の根源・自由の基礎にあるもので最も尊いと考えられているからでしょう。
これも一つの価値観に過ぎませんが、この価値観は多くの人が共有しているはずです。社会において、多くの人と関わって生きる以上、多くの人が共有する価値観に反する行動に出てはいけない、特に生命は最も尊いものですからそれを侵害してはいけない、だからこそ『人を殺してはいけない』のだと思います。【引用終わり】
川浪先生が「生命は最も尊いもの」と述べ、他の先生も「他のあらゆる権利(人権)は命があってこそのモノ」と言及している。
『「生命」は「人間が構築できる他の権利より次元が高い所にあるモノ」であり、それを人の手で奪ってはいけない』、『生きていることが“奇跡”であり、それを壊してはいけない』、と回答欄に書くかなあ。青春ドラマ風に書くとしたら、『その人の可能性を他の者が奪ってはいけない』と言うべきか。
でも、上述は人の範疇を超えると、当てはまらなくなる。
人は生きるために動物や植物の命を奪うし、娯楽・趣味の為に動物を殺し、自然を破壊するのである。
まあこれは、「同種族の繁栄」という観点で考えると、許容範囲の行動と考えることもできる。
しかし、地球規模で考えると、人間は地球にとって害虫としか思えず、殺人は『害虫駆除』で肯定出来てしまう……
星先生(先の7人の弁護士の一人)の
「人を殺してはいけないと言う法律があるからです」が正解なのかもしれない。
右京や社美彌子はどういう解答をするのだろうか?
あと、気になったことは、
「右京さん、返信葉書は、興味がなくても、出席しなくても、ごみ箱に捨てずに送り返さなければいけません」
【ストーリー】番組サイトより
右京(水谷豊)は、享(成宮寛貴)の後押しもあって、大学時代の恩師の古希を祝う会合に出席する。参加者は、恩師の鮎川(清水綋治)のほか、弁護士や大学教授、財務省の幹部など、特に優秀だった元教え子たち。その中には、最後の教え子だったという社美彌子(仲間由紀恵)の姿もあった。一同は、鮎川の身の回りの世話をしている家政婦の黎子(石野真子)の手料理に舌鼓を打ちながら会話を楽しんでいたが、鮎川は突然、思ってもみなかった疑問を投げ掛けてくる。「なぜ人を殺してはいけないのだろうか?」。次の瞬間、参加者たちは、強烈な睡魔に襲われ意識を失ってしまう。気がつくと、そこは外界から遮断された地下室で、その一角には命題への回答を求める書き置きが。しばらく後、地下室の扉が開かれるが、そこには猟銃を手にした鮎川の姿があった。
鮎川はなぜ教え子たちを監禁し、殺人の是非を問うのか。
捕らわれた右京たちは、この危機にどう対処するのか?
閉ざされた空間で、命を懸けた極限の頭脳戦が始まる!
ゲスト:清水綋治 石野真子
脚本:輿水泰弘
監督:和泉聖治
なぜ人を殺してはいけないのか?
おそらく、この回を観た視聴者のうちかなりの人が、この問いをググったのではないだろうか?
で、ヒットしたのがこのページ
「誰も答えられない?「なぜ人を殺してはいけないのか」 その理由を弁護士7人に聞いてみました」(『シェアしたくなる法律相談所』)
7人の弁護士のトップ回答者(琥珀法律事務所・川浪先生)の答えが、綺麗な解答だった。
【引用ここから】
『なぜ人を殺してはいけないのか?』と問われたら、最初に思い浮かぶ答えは『殺されたくないと誰だって思うから』というものではないでしょうか。
しかし、刑法には、殺人のみならず、同意殺人、自殺幇助も罰する旨の規定があります。すなわち、『殺して欲しい』、『自殺するのを手伝って欲しい』と頼まれてその人を殺すこと、その人が自殺するのを手伝うことも禁止されているわけです。
そうすると、殺される側が納得しているかどうかは関係ないわけですが、なぜ、刑法にこのような規定があるのかというと、人の生命はあらゆる活動の根源・自由の基礎にあるもので最も尊いと考えられているからでしょう。
これも一つの価値観に過ぎませんが、この価値観は多くの人が共有しているはずです。社会において、多くの人と関わって生きる以上、多くの人が共有する価値観に反する行動に出てはいけない、特に生命は最も尊いものですからそれを侵害してはいけない、だからこそ『人を殺してはいけない』のだと思います。【引用終わり】
川浪先生が「生命は最も尊いもの」と述べ、他の先生も「他のあらゆる権利(人権)は命があってこそのモノ」と言及している。
『「生命」は「人間が構築できる他の権利より次元が高い所にあるモノ」であり、それを人の手で奪ってはいけない』、『生きていることが“奇跡”であり、それを壊してはいけない』、と回答欄に書くかなあ。青春ドラマ風に書くとしたら、『その人の可能性を他の者が奪ってはいけない』と言うべきか。
でも、上述は人の範疇を超えると、当てはまらなくなる。
人は生きるために動物や植物の命を奪うし、娯楽・趣味の為に動物を殺し、自然を破壊するのである。
まあこれは、「同種族の繁栄」という観点で考えると、許容範囲の行動と考えることもできる。
しかし、地球規模で考えると、人間は地球にとって害虫としか思えず、殺人は『害虫駆除』で肯定出来てしまう……
星先生(先の7人の弁護士の一人)の
「人を殺してはいけないと言う法律があるからです」が正解なのかもしれない。
右京や社美彌子はどういう解答をするのだろうか?
あと、気になったことは、
「右京さん、返信葉書は、興味がなくても、出席しなくても、ごみ箱に捨てずに送り返さなければいけません」
【ストーリー】番組サイトより
右京(水谷豊)は、享(成宮寛貴)の後押しもあって、大学時代の恩師の古希を祝う会合に出席する。参加者は、恩師の鮎川(清水綋治)のほか、弁護士や大学教授、財務省の幹部など、特に優秀だった元教え子たち。その中には、最後の教え子だったという社美彌子(仲間由紀恵)の姿もあった。一同は、鮎川の身の回りの世話をしている家政婦の黎子(石野真子)の手料理に舌鼓を打ちながら会話を楽しんでいたが、鮎川は突然、思ってもみなかった疑問を投げ掛けてくる。「なぜ人を殺してはいけないのだろうか?」。次の瞬間、参加者たちは、強烈な睡魔に襲われ意識を失ってしまう。気がつくと、そこは外界から遮断された地下室で、その一角には命題への回答を求める書き置きが。しばらく後、地下室の扉が開かれるが、そこには猟銃を手にした鮎川の姿があった。
鮎川はなぜ教え子たちを監禁し、殺人の是非を問うのか。
捕らわれた右京たちは、この危機にどう対処するのか?
閉ざされた空間で、命を懸けた極限の頭脳戦が始まる!
ゲスト:清水綋治 石野真子
脚本:輿水泰弘
監督:和泉聖治
今までのガッカリ感の強い相棒の中では久しぶりに、よくできてて
しっかり見ました
なぜ石野真子演じる奥様があのように従順なのか謎ですけど
人はなぜ人を殺してはいけないのかという問題に
右京さんはどう答えを出すのか楽しみです
これから後編見ます(笑)
今、解決篇についての記事をアップしました。
正直言って、“がっかり”の内容でした。
教授の凶行の真意が分かり、事件の構造が逆転した点は面白かったですが。
「何故人を殺してはいけないのか」
こういった根源的な問題は論理的に解決できない。
論理には前提条件が必要で、人間社会のルールにおける前提条件だからです。ここが揺らいだり変わる時は大騒ぎになります。
自然界の物理的な現象を推測する時、前提条件として物理法則がある。これは発見するものなので、現在のように科学的立証が積み重なった法則には門外漢は愚か専門家であればなお疑問を挟む余地がなくなる。
しかし価値観の問題となると、社会ルールとしては
「多くの人がそうだ」
となり、個人としては
「私はそう思う」
とはじめの一歩をどの方向へ踏み出すかは、自分で決める他ない。
そうですね。行動の基準の根底にあるのは「価値観」かもしれませんね。
で、人間社会においては、おっしゃるように、多くの人が大切だと思うものの価値が高くなり、それを尊重するのは妥当だと思います。
ただ、厄介なのは、個人特有の価値観も存在することですね。マニアt呼ばれるものは、一般的にはかなり外れたものですが、多くの場合は他人に迷惑がかからないのでよいのですが、そうじゃない場合は困ったことになります。
で、今回の問いかけですが、右京の解答をきっちり示さなかったのは、残念でした。