今日のNHK『スタジオパークからこんにちは』に乙武洋匡さんが出演されていました。
説明するまでもないと思いますが、番組サイトでの紹介文を引用させて頂きます。
1976年、東京都生まれ。
大学在学中、自身の経験を綴った「五体不満足」が多くの人々の共感を呼び、500万部を超える大ベストセラーとなる。大学卒業後は、スポーツライターとして活躍したのち、教員免許を取得し東京都杉並区に任期付き教員として採用され、2007年4月から3年間、公立小学校で教師として働く。
2010年、教師経験をもとにした小説「だいじょうぶ3組」を発表。現在は執筆・講演活動を中心に活動している。
私も一応、仕事中だったので番組すべてを観ることはできませんでしたが、やはり、感じるところが大きいです。
まず、乙武さんのこの言葉、
「私が自分の存在をありがたいと思っていますが、両親が愛情をいっぱい注いでそんな自分に育ててくれたからで、両親に非常に感謝しています」
というような主旨でした。(表現や言葉は違っているかもしれません)
それから、乙武さんの教師としてのエピソードの話題になったのですが、
サクラがあまりに綺麗だったので、じゃあ桜を観ながら学級会をしようと思い、ブルーシートやホワイトボードを持ち出して学級会を行ったのですが、学年主任から「勝手なことをするな」と叱られたそうです。
理由を聞くと、「他のクラスの保護者から、あるクラスはそういうことをやって、うちのクラスではしないのは何故か」という質問(クレーム)があると困るからだ」と言われたそうです。この時、乙武さんは、自分が思っていた以上に横並び教育が根付いていると感じたそうです。
「横並び」という言葉は、軽蔑や揶揄の異が込められた表現ですが、善意に言い換えると「平等」になるかもしれません。「平等な教育」というと筋が通っているように思えますが、何かおかしいと思いませんか?
まず、「桜を観ながらの学級会ですが、この行為が悪いこと、責められることなのか?」ということです。通常の授業なら、効率が悪いというマイナスが考えられますが、学級会なら支障はなさそうです。ブルーシートは汚れるかもしれませんが。
学年主任さんも、そのこと自体を責めているわけではありませんね。クラスによって授業(教育)が違うとまずいという考えなのです。
先ほども述べましたが、確かに「平等な教育」は理想だと思います。この場合を考えると、確かに乙武先生の授業と他のクラスの授業、どちらが良いのかは一概には言えませんが、乙武先生の授業の方が人気があると考えられます。となると、確かに平等ではありません。
で、乙武先生に「勝手なことはするな」となるわけですが、その授業自体に非がないとして、乙武先生の授業の方が支持されるとしたら、他のクラスもすればいいんじゃないかとならないんでしょうか?
これが、野外での学級会という型破りな授業だったので抵抗があるかもしれませんが、例えば数学の教師のA先生とB先生がいて、A先生の授業はは面白くて分かりやすく、B先生の授業は退屈で分かりにくかったとしたら、A先生の授業が支持されるのは間違いなく、B先生のクラスからは不平が起こると考えられます。
この場合、学年主任は「他のクラスから質問(クレーム)が来るので、そんな良い授業はしないでください」と注意するのでしょうか?
通常の企業論理、経済論理だと質の落ちる商品や企業は淘汰されるので、何とかそうならないように自社の製品の質を上げようとするでしょう。
個人のレベルなので、皆が質の高い授業を均一に行うのは難しいですが、質の高い授業を目指すべきで、「教師」という立場ならそういう姿勢であるべきです。(現状は授業の質を高めることに専念できない環境であるということは理解できます。しかし、長年と言うと偉そうですが、16年PTA活動を一生懸命やっていて、少し甘えがあると時々感じます)
もう一点、学年主任の言葉におかしなことを感じます。
なぜ「保護者から」クレームがあると困るのでしょう。生徒や児童からではないんでしょうか?
もうひとつのエピソードもご紹介します。
体育大会で、クラスの士気を感じられなかった乙武先生は、一生懸命やって欲しいという思いから、全種目で1位を取ったら坊主頭になると宣言したそうです。その言葉に、生徒たちは燃え頑張り、11種目中8種目で1位を取りました。
おそらく、生徒たちも乙武先生を坊主頭にしようと頑張ったのではなく、その言葉に乙武先生の心意気を感じ、それに報いようとしたのだと思います。
全種目制覇ではないので、坊主頭になる義務はないのですが、乙武先生も一生懸命頑張った生徒たちに感激して坊主頭になりました。
ところが、今度は職員会議で絞られたそうです。「生徒のやる気を出させるのに、もっと他にやり方があったのではないか」という「もっともな理由」(←私の感想です)でした。
説明するまでもないと思いますが、番組サイトでの紹介文を引用させて頂きます。
1976年、東京都生まれ。
大学在学中、自身の経験を綴った「五体不満足」が多くの人々の共感を呼び、500万部を超える大ベストセラーとなる。大学卒業後は、スポーツライターとして活躍したのち、教員免許を取得し東京都杉並区に任期付き教員として採用され、2007年4月から3年間、公立小学校で教師として働く。
2010年、教師経験をもとにした小説「だいじょうぶ3組」を発表。現在は執筆・講演活動を中心に活動している。
私も一応、仕事中だったので番組すべてを観ることはできませんでしたが、やはり、感じるところが大きいです。
まず、乙武さんのこの言葉、
「私が自分の存在をありがたいと思っていますが、両親が愛情をいっぱい注いでそんな自分に育ててくれたからで、両親に非常に感謝しています」
というような主旨でした。(表現や言葉は違っているかもしれません)
それから、乙武さんの教師としてのエピソードの話題になったのですが、
サクラがあまりに綺麗だったので、じゃあ桜を観ながら学級会をしようと思い、ブルーシートやホワイトボードを持ち出して学級会を行ったのですが、学年主任から「勝手なことをするな」と叱られたそうです。
理由を聞くと、「他のクラスの保護者から、あるクラスはそういうことをやって、うちのクラスではしないのは何故か」という質問(クレーム)があると困るからだ」と言われたそうです。この時、乙武さんは、自分が思っていた以上に横並び教育が根付いていると感じたそうです。
「横並び」という言葉は、軽蔑や揶揄の異が込められた表現ですが、善意に言い換えると「平等」になるかもしれません。「平等な教育」というと筋が通っているように思えますが、何かおかしいと思いませんか?
まず、「桜を観ながらの学級会ですが、この行為が悪いこと、責められることなのか?」ということです。通常の授業なら、効率が悪いというマイナスが考えられますが、学級会なら支障はなさそうです。ブルーシートは汚れるかもしれませんが。
学年主任さんも、そのこと自体を責めているわけではありませんね。クラスによって授業(教育)が違うとまずいという考えなのです。
先ほども述べましたが、確かに「平等な教育」は理想だと思います。この場合を考えると、確かに乙武先生の授業と他のクラスの授業、どちらが良いのかは一概には言えませんが、乙武先生の授業の方が人気があると考えられます。となると、確かに平等ではありません。
で、乙武先生に「勝手なことはするな」となるわけですが、その授業自体に非がないとして、乙武先生の授業の方が支持されるとしたら、他のクラスもすればいいんじゃないかとならないんでしょうか?
これが、野外での学級会という型破りな授業だったので抵抗があるかもしれませんが、例えば数学の教師のA先生とB先生がいて、A先生の授業はは面白くて分かりやすく、B先生の授業は退屈で分かりにくかったとしたら、A先生の授業が支持されるのは間違いなく、B先生のクラスからは不平が起こると考えられます。
この場合、学年主任は「他のクラスから質問(クレーム)が来るので、そんな良い授業はしないでください」と注意するのでしょうか?
通常の企業論理、経済論理だと質の落ちる商品や企業は淘汰されるので、何とかそうならないように自社の製品の質を上げようとするでしょう。
個人のレベルなので、皆が質の高い授業を均一に行うのは難しいですが、質の高い授業を目指すべきで、「教師」という立場ならそういう姿勢であるべきです。(現状は授業の質を高めることに専念できない環境であるということは理解できます。しかし、長年と言うと偉そうですが、16年PTA活動を一生懸命やっていて、少し甘えがあると時々感じます)
もう一点、学年主任の言葉におかしなことを感じます。
なぜ「保護者から」クレームがあると困るのでしょう。生徒や児童からではないんでしょうか?
もうひとつのエピソードもご紹介します。
体育大会で、クラスの士気を感じられなかった乙武先生は、一生懸命やって欲しいという思いから、全種目で1位を取ったら坊主頭になると宣言したそうです。その言葉に、生徒たちは燃え頑張り、11種目中8種目で1位を取りました。
おそらく、生徒たちも乙武先生を坊主頭にしようと頑張ったのではなく、その言葉に乙武先生の心意気を感じ、それに報いようとしたのだと思います。
全種目制覇ではないので、坊主頭になる義務はないのですが、乙武先生も一生懸命頑張った生徒たちに感激して坊主頭になりました。
ところが、今度は職員会議で絞られたそうです。「生徒のやる気を出させるのに、もっと他にやり方があったのではないか」という「もっともな理由」(←私の感想です)でした。
乙武さんが、先生だったら影響大だろうなぁー
確かに、時代の流れかもしれませんね。
学校が変わったのは、社会が変わったからなのかもしれませんね。
>多感な子供の時代、先生との出会いは、ものすごくその後の人生に影響を与える
そう思います。だから、単なる職業として教職について欲しくないです。
責任と権限の不一致。
減点方式による事なかれ主義の蔓延。
派閥やら人脈の乱用やらのいじめ構造。
人権や平等に対する無知。
ざっとこのような問題を感じます。
1 個々の教師に権限がないので、それぞれの責任で意欲的な試みをすることができない。
2 上司は、個々の試みを判断し、可と思えば自らの権限でサポートする存在であるべきだが、その権限がない。
3 そのまた上も同様。
4 結局、問題が起きたらその現場のなるべく下の人間に詰め腹を切らせる。
5 現場教師のスポイル。
こんな感じで、腐るところは腐っているかと思います。
それでも教師というのは、やはり教育に熱意を持ってその道に進む人は多いですから、殆ど八方塞がりのような状況でも頑張り続ける人も多い(と感じる)のが救いです。
なるほど、現場の構造的欠陥というわけですね。
その他に、現代社会の問題点を徹底追及し、努力や成功過程を評価しないという傾向が強く、その結果、事なかれ主義になってしまうということも大きいですね。
>それでも教師というのは、やはり教育に熱意を持ってその道に進む人は多いですから、殆ど八方塞がりのような状況でも頑張り続ける人も多い(と感じる)のが救いです。
そういう教師は確かに多いと思います。頑張っていると思います。
ただ、残念ながら、そうでない教師も少なくないと言うと言い過ぎですね。ええと、そういう志を持っていても、教育に向いていない性格や心の柔軟さや大きさを持っていない方も多いようです。
先生もやりずらくなったと思いますよ。
子供の先生も、昔は冬に子供をスケートに連れて行ったけど、今はストップがかかって、できないって言ってました。
塾は、人気のある先生に集まるから、皆必死に対策を考えるけど、確かに学校は横並び・・・
過保護の意味が、ずれてきていますね。
それにしても、乙武君、すごい人です。
>子供の先生も、昔は冬に子供をスケートに連れて行ったけど、今はストップがかかって、できないって言ってました
なるほど。突出したことが出来にくくなっていますね。
地区ですんでいた出来事が、全国レベルの事件になってしまうのも大きいですね。
悪い意味での(低い位置での)横並びですね。