「京アニ放火事件」での弁護や“危険運転致死傷罪”が適用されない判例などを見聞きすると、《弁護士という職業は……》と釈然としない感情を強く持つことが多い。
そんな思いを説明するのに、Yahoo!ニュース「京アニ放火殺人事件「無罪主張」の被告弁護人への批判に巻き起こる“同情論”」は、相応の記事だ。
【弁護士批判意見】
《いくら弁護士の仕事とはいえ 36人も殺しておいて 無罪はないわ》
《京アニの犯人の弁護士ってどんな気持ちで無罪主張してんだろうね 仕事だからって 遺族に向かってよくこんな事言えるよな 何億円貰えるとしてもとても私には出来ない》
【弁護士擁護意見】
《京アニ放火事件の被告弁護人が無罪を主張するのは、「責任能力なしで無罪」以外は死刑しかほぼありえない状況なんで、ある意味当然かと。私は弁護士じゃないのでよくは知りませんが、「こんな事件の犯人を弁護する」なんて罰ゲームとしか思えないですし、「お疲れ様です」しか言葉がない》
《責任能力を争う弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのが恐ろしい。責任能力に応じた刑の減免を批判するなら法制度を変えるしかなく、現行法下では弁護人は責務として争わざるを得ない》
この記事では、
・弁護人がついていなければ、裁判手続をおこなうことすらできない。被告自らで依頼できる『私選弁護人』がいない場合は、裁判所などが選任する『国選弁護人』が着任することになっている
・困窮者でも弁護を受けられるように作られた制度で、国選弁護人は私選弁護人に比べると、非常に安い報酬で弁護を務めていると云われている
さらに、
・日弁連の職務基本規定『弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める』とされており、被告人の利益に反する発言は禁じられている。検察の求刑をそのまま受け入れるような弁護活動をすれば、懲戒処分を受ける可能性もある
と説明している。
……と言う訳で、どんな極悪(凶悪)の被告でも弁護士は必要であり、弁護士が弁護するのは当然の職務である……ということは理解できる。
しかし、今回の場合、犯行直後、青葉被告が警察官に取り押さえられた時に、警察官になぜ事件を起こしたか問われ、「パクられた、小説。お前らがパクりまくったからだよ」と青葉被告が言っている。
ところが、弁護士は
「青葉被告は、31歳の時、京アニの作品に感動し、小説を書き始めた。事件の1年前、テレビで京アニの作品を見ていた際、自分のアイデアが使われ、盗まれていたと感じるとともに京アニから逃れられないと苦しむことになった。その後、人や物との関わりを絶とうとし、スマートフォンを解約するなどした。事件の4日前にアパートの隣人と騒音のトラブルになった際には『失うものは何もない』と言って翌日、京都に向かった」
「被告にとってこの事件は起こすしかなかった事件で、人生をもてあそぶ闇の人物への対抗手段、反撃だった。被告の責任について判断する前に、被告が何をしたのか知る必要がある。責任能力は複雑なものなので今後の証人尋問で専門家の意見を聞いて被告に責任を問えるのかどうかを議論すべきだ」
そりゃあ青葉被告から「死にたくない。助けてくれ」と願われたら、弁護士を擁護する意見で述べられたように、“責任能力なしで無罪”しか術はないだろう。
被告が本当に妄想に囚われていたこともあるかもしれないが、取り押さえられた時の言葉からすると、その可能性は低い。
日弁連の職務基本規定に《被告の権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める》とあるが、事実とかけ離れた理由を作り上げて減刑(無罪)を主張するのが適正とは思えない。。
それに、こういう事件が起きるたびに思うのは、《責任能力云々》について―――
弁護士を擁護する意見として
《責任能力を争う弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのが恐ろしい。責任能力に応じた刑の減免を批判するなら法制度を変えるしかなく、現行法下では弁護人は責務として争わざるを得ない》
正論かもしれない。しかし、「弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのは“恐ろしい”」と言うことについては、肯定できない。
命を奪われた人にとっては、責任能力の有無など関係ない。命を奪われたのに、「心神喪失」とか「心神耗弱(こうじゃく)」とかの…よく分からない状態の者に殺されてしまうなんて、たまったモノではない。そして、そんな理由で“無罪”になってしまうのは浮かばれない。到底納得できない。単純に弁護人を糾弾すべきではない事情はわかるが、「恐ろしい」と表現してしまうことには、反感を持ってしまう。
被告の精神状態を簡単に判断できないが、“責任能力”を法的にではなく、常識的に考えると……実際の犯行は計画的で責任能力はあると思われる。
ウィキペディアの記載―――
7月15日
午前 - 金融機関口座から現金5万7千円を引き出した後、東海道新幹線に乗車。
午後 - 京都市内に到着後、京都アニメーション本社および第2スタジオ近くの路上を歩く。
夜 - 京都市内のホテルに、本名を名乗って宿泊。
7月16日
10時31分から12時34分まで - JR京都駅前のインターネットカフェに滞在、その際に運転免許証を提示。
午後 - JR宇治駅周辺を移動。
夜 - 京都市内のホテルに、本名を名乗って宿泊。
7月17日
午前 - 事件現場から南へ6キロメートルのホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入。
午後 - 台車を押して本社・黄檗駅付近を歩く。
夜 - 事件現場から南西へ500メートルの桃山舟泊公園で野宿。
7月18日
10時0分ごろ - 事件現場から西へ500メートルのガソリンスタンドで「発電機に使う」と店員に告げてガソリン40リットルを購入。京都到着から確保まで、常に赤いTシャツに青いジーンズを着用していた。
10時31分ごろ - 路地でガソリン約10リットルを2つのバケツに移し替えて携行缶を遺棄した後に北へ30メートル移動し、6本のむき出しの包丁(内5本は鞄の中)とハンマーを付近に置いた状態で、第1スタジオ正面玄関から侵入してガソリンをまき放火。
裁判は《真実を明らかにして、無実かどうかや、犯した罪に対しての罰の重さを決める》のではなく、
《糾弾する検察官と弁護する弁護人が、綱引きをして、その均衡した地点を裁判官が見極める》もので、真実を明らかにするのが目的ではないらしい。
とは言え、裁判で被告の精神状態や責任能力の有無を論議するのではなく、
被告が思い込んだ《京都アニメーションが被告のアイデアを盗んだのかどうか》
《被告が2012年頃の受刑中に書き溜めたアイデアメモ、2016年「京都アニメーション大賞」の応募作、小説家志望の人が集うサイトの投稿作などの検証←現存している可能性は低い?》など、
事件の背景や動機などを明らかにしてほしいものである。
そんな思いを説明するのに、Yahoo!ニュース「京アニ放火殺人事件「無罪主張」の被告弁護人への批判に巻き起こる“同情論”」は、相応の記事だ。
【弁護士批判意見】
《いくら弁護士の仕事とはいえ 36人も殺しておいて 無罪はないわ》
《京アニの犯人の弁護士ってどんな気持ちで無罪主張してんだろうね 仕事だからって 遺族に向かってよくこんな事言えるよな 何億円貰えるとしてもとても私には出来ない》
【弁護士擁護意見】
《京アニ放火事件の被告弁護人が無罪を主張するのは、「責任能力なしで無罪」以外は死刑しかほぼありえない状況なんで、ある意味当然かと。私は弁護士じゃないのでよくは知りませんが、「こんな事件の犯人を弁護する」なんて罰ゲームとしか思えないですし、「お疲れ様です」しか言葉がない》
《責任能力を争う弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのが恐ろしい。責任能力に応じた刑の減免を批判するなら法制度を変えるしかなく、現行法下では弁護人は責務として争わざるを得ない》
この記事では、
・弁護人がついていなければ、裁判手続をおこなうことすらできない。被告自らで依頼できる『私選弁護人』がいない場合は、裁判所などが選任する『国選弁護人』が着任することになっている
・困窮者でも弁護を受けられるように作られた制度で、国選弁護人は私選弁護人に比べると、非常に安い報酬で弁護を務めていると云われている
さらに、
・日弁連の職務基本規定『弁護士は、被疑者及び被告人の防御権が保障されていることにかんがみ、その権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める』とされており、被告人の利益に反する発言は禁じられている。検察の求刑をそのまま受け入れるような弁護活動をすれば、懲戒処分を受ける可能性もある
と説明している。
……と言う訳で、どんな極悪(凶悪)の被告でも弁護士は必要であり、弁護士が弁護するのは当然の職務である……ということは理解できる。
しかし、今回の場合、犯行直後、青葉被告が警察官に取り押さえられた時に、警察官になぜ事件を起こしたか問われ、「パクられた、小説。お前らがパクりまくったからだよ」と青葉被告が言っている。
ところが、弁護士は
「青葉被告は、31歳の時、京アニの作品に感動し、小説を書き始めた。事件の1年前、テレビで京アニの作品を見ていた際、自分のアイデアが使われ、盗まれていたと感じるとともに京アニから逃れられないと苦しむことになった。その後、人や物との関わりを絶とうとし、スマートフォンを解約するなどした。事件の4日前にアパートの隣人と騒音のトラブルになった際には『失うものは何もない』と言って翌日、京都に向かった」
「被告にとってこの事件は起こすしかなかった事件で、人生をもてあそぶ闇の人物への対抗手段、反撃だった。被告の責任について判断する前に、被告が何をしたのか知る必要がある。責任能力は複雑なものなので今後の証人尋問で専門家の意見を聞いて被告に責任を問えるのかどうかを議論すべきだ」
そりゃあ青葉被告から「死にたくない。助けてくれ」と願われたら、弁護士を擁護する意見で述べられたように、“責任能力なしで無罪”しか術はないだろう。
被告が本当に妄想に囚われていたこともあるかもしれないが、取り押さえられた時の言葉からすると、その可能性は低い。
日弁連の職務基本規定に《被告の権利及び利益を擁護するため、最善の弁護活動に努める》とあるが、事実とかけ離れた理由を作り上げて減刑(無罪)を主張するのが適正とは思えない。。
それに、こういう事件が起きるたびに思うのは、《責任能力云々》について―――
弁護士を擁護する意見として
《責任能力を争う弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのが恐ろしい。責任能力に応じた刑の減免を批判するなら法制度を変えるしかなく、現行法下では弁護人は責務として争わざるを得ない》
正論かもしれない。しかし、「弁護人の姿勢を批判するコメントがあるのは“恐ろしい”」と言うことについては、肯定できない。
命を奪われた人にとっては、責任能力の有無など関係ない。命を奪われたのに、「心神喪失」とか「心神耗弱(こうじゃく)」とかの…よく分からない状態の者に殺されてしまうなんて、たまったモノではない。そして、そんな理由で“無罪”になってしまうのは浮かばれない。到底納得できない。単純に弁護人を糾弾すべきではない事情はわかるが、「恐ろしい」と表現してしまうことには、反感を持ってしまう。
被告の精神状態を簡単に判断できないが、“責任能力”を法的にではなく、常識的に考えると……実際の犯行は計画的で責任能力はあると思われる。
ウィキペディアの記載―――
7月15日
午前 - 金融機関口座から現金5万7千円を引き出した後、東海道新幹線に乗車。
午後 - 京都市内に到着後、京都アニメーション本社および第2スタジオ近くの路上を歩く。
夜 - 京都市内のホテルに、本名を名乗って宿泊。
7月16日
10時31分から12時34分まで - JR京都駅前のインターネットカフェに滞在、その際に運転免許証を提示。
午後 - JR宇治駅周辺を移動。
夜 - 京都市内のホテルに、本名を名乗って宿泊。
7月17日
午前 - 事件現場から南へ6キロメートルのホームセンターでガソリン携行缶や台車を購入。
午後 - 台車を押して本社・黄檗駅付近を歩く。
夜 - 事件現場から南西へ500メートルの桃山舟泊公園で野宿。
7月18日
10時0分ごろ - 事件現場から西へ500メートルのガソリンスタンドで「発電機に使う」と店員に告げてガソリン40リットルを購入。京都到着から確保まで、常に赤いTシャツに青いジーンズを着用していた。
10時31分ごろ - 路地でガソリン約10リットルを2つのバケツに移し替えて携行缶を遺棄した後に北へ30メートル移動し、6本のむき出しの包丁(内5本は鞄の中)とハンマーを付近に置いた状態で、第1スタジオ正面玄関から侵入してガソリンをまき放火。
裁判は《真実を明らかにして、無実かどうかや、犯した罪に対しての罰の重さを決める》のではなく、
《糾弾する検察官と弁護する弁護人が、綱引きをして、その均衡した地点を裁判官が見極める》もので、真実を明らかにするのが目的ではないらしい。
とは言え、裁判で被告の精神状態や責任能力の有無を論議するのではなく、
被告が思い込んだ《京都アニメーションが被告のアイデアを盗んだのかどうか》
《被告が2012年頃の受刑中に書き溜めたアイデアメモ、2016年「京都アニメーション大賞」の応募作、小説家志望の人が集うサイトの投稿作などの検証←現存している可能性は低い?》など、
事件の背景や動機などを明らかにしてほしいものである。