布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

市の指定天然記念物と城趾

2007-07-23 | 歴史
柏市の指定天然記念物には、どのような植物や樹木が指定されているかご存知でしょうか。
布施弁天の境内にあるスダジイや欅の木は、残念ながら選ばれていません。指定されているのは、①法林寺の大銀杏、②カタクリ群生地、③銀杏樹 弘誓院、④五葉松 善龍寺、⑤玄圃梨 寿量院、そして今回紹介する⑥妙照寺の杉樹があります。
旧沼南の大井にある妙照寺は長国山妙照寺という日蓮宗の寺院であり、寺伝によれば、鎌倉末期に日蓮の弟子の日弁上人によって創建されたといわれている由緒あるお寺だそうです。
総檜づくりの本堂の右手の小高い丘の上に、鐘楼堂の近くに、この杉樹があります。樹木寸法をチェック方法として、樹木寸法はH(高さ)C(目通)W(葉張)で表します。(高さ)とは根の上から樹木の先端までですが、その年伸びた枝は含みません。(目通)とは根の上から1.2mの所の幹の外周寸法。(葉張)とは葉の一番広い所の寸法だそうです。
この杉樹は写真のように根元から真っ直ぐ伸びており、目通りので周囲が約6メートル、高さは20メートルあります。そして、高さ3メートルくらいの所に注連縄が回されております。樹齢は、あくまで推定ですが、約700年と言われております。
これは、法林寺にある大銀杏の目通り5メートルを上回り、さらに樹齢400年よりも上回り、市内を代表する古木と言えます。しかし、今、この古木が痛んでいます。樹木医にかかり、治療するための募金を現在、妙照寺で受付ているそうです。期間は、平成18年7月から20年3月までだそうですので、ご関心のある方は直接妙照寺にお尋ね下さい。駐車場はお寺の反対側に結構ありますので。
さて、昔から、有名なお寺の脇にはというか、近くにはお城があり、どちらが先か、後かはわからぬが、互いに持ちつ持たれつの関係が多かったようである。
この妙照寺もこれと無縁でなく、どうも、同じ地続きの追花(おっけ)城と関係があったようである。この追花城の城域は、その北側の谷合にある妙照寺のある辺りにも及んでいたようで、妙照寺の西側、現在霊園のある場所には出丸があったという。
この追花城は高城氏の支城で、高城氏が一族を派遣して治めさせたようです。城主は坂巻若狭守や高城伊勢守が知られています。この高城氏は日蓮宗を深く信仰しており、その庇護を受けていたとも考えられます。そして、妙照寺は、文禄年中(1592~96)、日真の代に中山法華経寺の末寺となって、現在の「長国山」と改められたのでした。
慶長11(1606)年9月13日の『護代帳』(中山法華経寺)には、「酒巻勘解由」「坂巻八郎右衛門」「坂巻太郎左衛門」「坂巻六郎左衛門」「坂巻彦右衛門」「石原四郎兵衛」「石原新七郎」などの外護者の名前が記載されているということです。
また、当地には、対岸の戸張城主との戦いにおける伝承が残っておりますが、それは、戦いの際に、兵士が敵兵の鼻を食いちぎったということから、「鼻喰田」という地名が残ったといわれていることです。帰りに、手賀大橋の足元にある満天の湯の先の方にある手賀沼のハスの群生地に寄ってみましたら、車が結構あり、人も今までの中で一番来ていたようです。しかし、まだ、10のうちの1割も花は咲いておらず、見に来ていた人たちも嘆いておりました。来週には、多分、咲くかもしれないので、また、行ってみます。
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