とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

その町の誇り

2006-06-19 23:55:00 | 日記
 昨日のブログに岩国市営バスについて少し書いたけど、自分の町の売りって何だろうね。弘兼氏が岩国出身だとしてもそのことが観光に役に立つとも思えないけど、バスに全面的に広告のようなプリントをしたのは誰なんだろう?誰がお金をだしたんだろう?ちょっと不思議な感じがします。
 岩国は、作家の宇野千代だったり、経済学者の河上肇だったり著名な人はたくさん出ているように思いますが、今のトレンドは弘兼氏なのかな?

 彼にこだわるつもりはないのだけど、彼に対しては気になる点があります。彼は初期の作品の中では、社会的な作品が数多く発表されています。出身の岩国の基地問題を描いたものも少なくありません。その当時の彼の立場はどちらかというと、反戦平和の立場で書かれています。
 その彼が次第に変わっていきます。人間交差点などヒューマンなもの描きながら決定的になっていくのが課長島耕作だと思います。何が彼のなかではじけたのかわかりませんが、急に鷹派的な発言が目立つようになってきます。
 今は上関原発建設のための中国電力のコマーシャルに出演するほどになっています。政治家漫画『加治隆介の議』では、保守党の政治の裏側を描き出し、自らが政治家をめざすのではないかと思わせるほどの書きっぷりでした。

 彼にこだわるつもりはないと書きながら、やっぱり相当こだわっているようです。

 私の町の売りは、伊藤博文の生誕の地ということらしい。伊藤は初代総理大臣にはなっているが、韓国併合の立役者であり、朝鮮支配の黒幕でもある。伊藤の評価についてはかなり別れるのではないかと思われる。でも伊藤博文が千円札になった時にその千円札を象ったせんべいが売られた時には、さすがについていけないものを感じました。
 誇りに思うことと、商売の道具にすることはあまり差違がないような文化のでしょうか?
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岐阜に行ってきました。

2006-06-18 22:21:14 | 日記
 土曜、日曜と岐阜に行ってきました。障害児教育関係の集会に参加してきました。朝、新岩国から新幹線に乗りました。少し早く着いたのでぼんやりしていると派手なバスが入ってきました。岩国の市営バスです。ここのバスはいつも派手なのですが今回は特別です。悪趣味の極致といっても良いかもしれません。岩国市民でなくて良かった。弘兼氏は岩国出身だそうです。


 まだ時間があったので駅構内を少し散歩しているとポスターに目がいきました。観光ポスターの写真はいいいですね。思わず行きたくなってしまいますね。ついうかうかとその気にさせるのが目的なんだろうけど、やっぱり大したものです。できるならこういう写真をめざしてみたいですね。


 雨が降ってきたのが少し心配だったけど、とにかく車中の人になりました。電車の中では一緒に行った友人と話をしたり、香山リカの『いまどきの「常識」』(岩波新書)を読みながらと過ごしてましたが、やっぱり途中は眠ってしまいました。最近新幹線の中ではよく眠ります。疲れか?寄る年波か?
 名古屋で在来線に乗り換えです。

 岐阜について昼ご飯です、。何を食べようか考えていると目の前にトンカツの大きな文字が…。このトンカツという響きに弱いのです。岐阜は名古屋圏内なのでトンカツと言えば味噌カツです。学生時代を名古屋で過ごしたのですが、当時はこの味噌カツというのが大の苦手で、どうしてもあの臭いがだめでした。食堂で頼む時には「味噌抜きで!」と言っていやな顔をされていました。他に赤だしがダメでした。これでは名古屋の文化を否定しているようなものです。でも、最近食べられるようになったのが不思議です。この日も味噌カツ定食と生ビール(グラス)にしました。トンカツに乗っている泥のようなソースが特徴です。

 集会のオープニングで障害を持たれている青年たちが自ら作った脚本で演劇をやっていました。ストーリーも演技もつたないのですが、何か感じさせるものがあってなかなかでした。基調講演の白石正久先生の講演はMDに録音してきました。もう一度聞くかどうかはちょっと不明です。
 夕方からは例によって交流会です。気をつけて飲もうと思っているのですがついついペースが上がっていき、やっぱり次の日は一人で反省会です。

 交流会が終わり山口県の関係者たちとちょっとした打ち合わせをしました。周囲はコーヒーを飲んでいるなかで、一人だけ角のオンザロックのダブルを飲んでいました。話をしながらも壁で笑っているジャニスジョプリンが気になっていました。まるで、「理屈じゃないよ!魂だよ!さあ飲んじゃえ!」とでも言ってるような気がしました。

 その会が終わっても別のグループと合流するためにまた次の会場に向かいました。ここでもたっぷりお酒を飲んでしまい、店を出る頃には泥酔状態だったかもしれません。記憶がほとんどありません。聞くとつらくなるので誰にも聞かないことにしました。でも、次の日みんなの目が笑っていたので相当だったのかもしれません。
 次の日は分科会です。特定の分科会に出ることは決めてなかったのでいろんな分科会に顔を出していました。その中でいくつか印象的なレポートがありましたが、報告は別の機会にしたいと思います。そのくらい重いレポートもありました。
 会館の外にあじさいが咲いていました。宿酔の頭にはまぶしい花でした。

 全日程が終わってから電車の待ち時間に昼食を取りました。いろいろ探してやっぱり岐阜らしい店に行きました。『チャーシューぶっかけうどん』というのを食べました。冷やし中華のうどん版でタマネギのスライスも乗っているというちょっと変わったメニューでした。注文すべきではなかった…。


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ワールドカップ

2006-06-16 23:32:03 | 日記
 ワールドカップが開かれる時にいつも気になるのが、出場国のことです。「あんた、どこよ?」と聞きたくなるような国がたくさんありますね。知識がないのがいけないのか、昔の知識がじゃまするのか、わからない国がたくさんあります。ちなみに私は社会科の教師なのです。(免許状の関係でいえば)採用されてこのこかたずっと養護学校の教師なので、地理なんか教えたことありません。

 民族独立運動の結果だったり、ソ連の崩壊だったり、旧ユーゴスラビアの分裂だったり、宗教上の理由だったりといろんな要素で世界はまだまだ動いているんだと実感する時でもあります。

 昔の地図や百科事典は役に立たないので高2の息子の地図帳を借りてじっくり調べてみました。

 今回の自分にとっての目玉の一つは『トリニダード・トバコ』です。カリブ海に浮かぶ本当に小さな島で面積は5,130平方kmで日本で言えば愛知県と同じくらいです。ちなみに私の住んでいる山口県は6,111平方㎞で山口県より小さい国なのです。人口は110万2,000人 (99年推計)で山口が151万人というので小ささがわかると思います。首都はポートオブスペインで人口が4万人だそうです。私の家の家族(私以外の3人がイングランドでホームステイしていた時にお世話になったホストファミリーの奥さまがこの国の出身だったということで、我が家でこの国の位置を知らなかったのは、この私だけでした。)

 どうして、こんな小さな国からワールドカップに出場できたのか、本当に不思議です。でも外国から見れば、「日本ってどこなの?」という感じなのでしょうね。
 もう一つ気になっていたのがセルビア・モンテネグロです。この国はどこにあるの?セルビア…という以上はユーゴ紛争に関係があるのかな?と想像はしたのですが、旧ユーゴスラビアの主要国のようです。首都はベオグラードということで、そういうことか…と納得しました。でもこの国で出場するのは今回が最初で最後のようです。もうじきモンテネグロが分離独立するようです。地図で見るとこの国のすぐ西がボスニア・ヘルツゴビナでその北が金曜日日本と対戦するクロアチアになっています。

 他にもアフリカからの出場国がアフリカ大陸の中西部のトーゴ、ガーナ、コートジボワールと隣り合わせの国が3カ国出場するのも何か因縁めいて感じます。
 日本対オーストラリアではちょっと熱くなってしまいましたが、他の国の有力、有名選手の活躍の方が興味が出てしまうのが悪い癖です。

 でも、本当に気になるのはワールドカップではなくて阪神タイガースが勝ったか負けたかです。今日は何とかオリックスに勝つことができました。
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携帯からのテスト

2006-06-16 16:52:15 | 映画
テスト投稿します。
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再び嫌われ松子の一生

2006-06-15 22:21:34 | 映画
 一昨日に「嫌われ松子の一生」については感想を書いたのですが、また書きたくなることがでてきたので再びの登場です。

 劇中何度も何度も繰り返し歌われていた『曲げて伸ばして』がやたら気になっていました。少女時代の松子も何度も歌っていたし、エンディングでもまた使われているのです。どこかで聞いたメロディーなのにどうしても思い出せませんでした。映画館を出てからもずっとこの単調なメロディーが何度も頭の中を駆けめぐります。聞き方によってはどこかなつかしい明るい純な曲で、背筋をピンと伸ばして歌っているいいとこのお嬢様的なのですが、聞きようによっては、もの悲しげにも聞こえるのです。あるいは、ちょっと怖いシーンでも使えそうなのです。そのくらい癖になる曲なのです。

 どうしても気になるので映画雑誌を見ていたらありました。テレビの子ども番組の「ロンパールーム」で使われていた外国曲だそうです。原曲は16小節しかないそうです。それを詞も曲も新たに補作していったようです。どおりでどこかなつかしいいような変な感じだったのです。

 一日たっていろんなことを考えました。感想を文章にするといろんなことを後で考えるものです。一昨日は原作を悲惨なストーリーと書いていますが、よくよく考えれば、「悪いことや悪い男ばかりつかんでどんどん状況が悪くなっていく人ってけっこういるよね。」のようなストーリーなのです。悪い方へ悪い方へ向かわせておいて読者に「それはないだろう。でもそんなやつもいるよね」と楽しませる方向へと導くような原作でした。だから、一つ一つにそんな大げさな悲惨さがあるわけでもなく、そのままエピソードとしてミュージカルとして語らせるやり方もあるのかもしれないと思い始めました。

 時代と共に墜ちていく松子に対して、社会が産み落としたというような読後感を持っていたのですが、映画の中で刑務所で知り合った親友のめぐみがアパートに訪ねていくシーンでやくざとつきあうなと説得するめぐみに対して「私はこの人となら地獄でもついていく。それが私の幸福なの。あなたになんか四の五の言われる筋合いは無いわ!」と啖呵を切るシーンで松子の一生は好かれようが嫌われようが松子自身が選択した結果だったんだと思いました。

 また、気になるのは脇を固める出演者たちです。最初に松子が墜ちていくシーンで重要な役割を演じるのが教頭役の竹山隆範(カンニング)です。これが見事なはまり役なのです。びっくりでした。彼はへたくそなリアクション芸人をやめて、俳優として生きていくことを勧めたいと思います。太宰かぶれの売れない小説家として登場するのが宮藤官九郎です。神経症的な役は彼の独壇場です。他にも人の良い理容師として荒川良々が出てきます。彼はどこか存在感があって好きな俳優です。下妻に引き続きの出演です。もう一人、妹役の市川実日子です。この人の演技はどれを見てもヘタウマでよくわからない女優という印象が強かったのですが、この映画に関しては、半ば狂気に満ちた人間を見事に演じています。この人の存在はこういう状況で初めて生きるんだと実感しました。そういう意味でこの監督とスタッフは優れた集団なのかもしれないと思いました。

 結論です。ボクシングのボディーブローのようにじわじわと効いてくるのがこの映画なのかもしれません。一昨日とは評価がすごく違っているかもしれませんが済みません。好きか嫌いか分けると好きではないと思いますが、映像、音楽、カット割り、美術などすべて優れた作品だと言えると思います。
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嫌われ松子の一生

2006-06-13 22:44:04 | 映画
 「嫌われ松子の一生」を見てきました。一言で言うならミュージックコメディーというジャンルに入るのではないかと思います。評価に関しては好きな人はめちゃくちゃ好き、そうでない人は首をかしげるというような映画です。

 この原作を読んだのは去年の9月のことで、2泊3日の人間ドックを控えていて、きっと退屈だと思って、本屋さんに行って大量の文庫本を買いました。買う時の留意事項として、とにかく頭を使わずに時間をつぶせるものとしました。確か、15冊くらい買ったと思います。それを全部読み終わるほど、退屈な日々でした。しかも、台風が迫ってきていて、退院するのが早いか、台風が交通機関を遮断するのが早いかという予断を許さない状況の中だっただけにその時読んだ本は非常に頭に残っています。

 その中の一冊が(上下2巻)が「嫌われ松子の一生」だったのです。映画化するということで、どういう形になるんだろうと思っていたら、主役が中谷美紀ということでちょっと興味がわきました。私は中谷美紀のきつい目線がけっこう好みなのです。映画「リング」で真田広之の助手役で出ていた時から注目していました。余談ですが、最近の『電車男』のエルメス役はちょっといただけませんでした。確かに最近の出演映画は泣かず飛ばすという面があったように思います。

 監督が、『下妻物語』の中島哲也監督ということで、どういう形に仕上がってくるのか非常に興味を持ちました。あの深刻な原作、しかも登場人物のディテールもかなり詳しく設定されている原作をどのように映像化していくのか、楽しみでした。オープニングは笙役の瑛太のナレーションが入って、コマーシャル張りのテンポの速い映像で次々に引っ張っていき、奇妙な顔の少女時代の松子のアップでタイトルインに入っていく。

 下妻の世界をここでも展開するわけ?と思っていたら、予想通り下妻の時のような映像美が繰り返し現れていく。ストーリーを書きたいが、まだ上映中ということもあり、映画館に行こうとしている人たちに迷惑をかけるといけないので伏せませす。

 松子の一生のエピソード的なものをすべてミュージカル仕立てに仕上げることで、深刻さとメジャー化を図ったことはわかりますが、原作のもつ味わいはそのぶん薄まったかな?と思います。原作をすでに読んでいる人にとっては、こういう解釈もあるかな?と思わされる省略化のためのミュージカル仕立てという面も感じられます。

 映画を見ながら、深刻なテーマをミュージカル仕立てでやっていた『ダンサーインザダーク』を思い出しました。あの映画も、テーマに迫ろうとするといきなりビョークが踊って歌って気持ちがそがれたものです。今回もそんな感じがします。登場人物に入ろうとすると、中谷美紀が変な顔を見せたり、いきなり踊り始めたりと、やっぱりミュージカル苦手なおじさんには、きつい映画だったかもしれません。

 結論です、楽しめる人には本当に楽しい映画だと思います。瑛太演じる笙が、松子のことを探る間にだんだん松子に愛着をもっていく様子は、見る側に近い目線だったことが、暖かみのある映像につながったかもしれません。

 
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山口竪小路

2006-06-12 22:20:25 | 日記
 山口市でちょっとした会合があり、午後から参加しました。会合を終えて、ちょっと気になることがあり、少しだけ山口を散策しました。山口に何度も来ているのに山口が小京都と言われていることがいまいち理解できていません。瑠璃光寺や、旧ザビエル記念聖堂だけでどうなんだろう?と思っていました。車でしか移動してない、竪小路を歩きたくなりました。ここは、大内家の屋敷跡があったところです。まず、ふるさと伝承館に車を止めて歩くことにしました。

 すぐに古い家並みを見つけました。取りあえず写真をパチリ。次に大内家屋敷跡の龍福寺に向かいました。枯山水跡という看板を目印に向かいました。そこはまさに跡というのにふさわしいいすでに考古学的な庭園でした。写真も撮る気もおきなくて、元の道に戻りました。すると西田幾多郎という看板がありました。旧制山口中学に哲学者の西田幾多郎が教師として赴任していて、このあたりに居をかまえていた書いてありました。当時の山口中学には河上肇などすぐれた人材が在学していたことが書いてあって興味を引かれました。

 龍福寺は現在工事中ということでそこには入らずに、木漏れ日の参道を反対方向に向かいました。正面に格子戸のきれいな家があったので思わずパチリ。だんだん小京都らしい風情が出てきました。大殿大路を右に曲がると古い民家を改造したギャラリーや工房が登場してきます。まさに京都の裏町といった感じです。

 ギャラリーのような店に立ち寄りました。そこは無料休憩所になっていて、店に入るとすぐにお茶のサービスがありました。工房の作品や、水墨画が何枚もかかってあってなかなかのものでした。玄関の1枚の絵に目が止まりました。「この構図は?」店に入る前にカメラでパチリ撮ったと全く同じ構図の絵がかかっていました。奉仕堂時計店の看板は印象的です。

また竪小路に戻り歩き始めると、今度はタイムスリップしたようなバーバーに出会いました。いつの時代からあるんだろう?何人の髪を切ってきたんだろう?中から俳優の殿山泰次さんが頭をかきながら「刈るとこないのに金だけ取りやがる」なんてぶつぶつ言いながら出てくる様子を想像してしまいました。

 わずか30分くらいの小散歩だったのですが、やっぱり山口は小京都と言ってもいいのかなと思いました。その気になれば京都を見つけることができるようです。時間を見つけてもう一度散策して、小さな発見ができればいいなと思いました。取りあえず写真日記でした。


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堀内佳さんのコンサート

2006-06-11 23:52:32 | 音楽
 堀内佳さんのコンサートに行ってきました。と言ってもコンサートホールではなく、公民館に毛が生えた程度の会場でした。堀内さんは盲目のシンガーソングライターで高知出身の方だそうです。盲目のシンガーというのは、私たち世代には別れのサンバや灰色の瞳の長谷川きよしさんが有名です。そんなイメージをもっていました。

 堀内さんのことは今までまったく知らず、校長や元PTA会長が推薦して学校のすぐ近くのホールでコンサートを開くことになったようです。私も30年近くギターを弾いていて、オリジナルもそこそこ持っているので、校長がぜひにと言うので校長の顔を立てる意味で出かけることにしました。

 正直あまり期待はしていなかったのですが、コンサートが始まると度肝を抜かれました。ギター一本なのですが、その声量は井上陽水かと思うほどの迫力でした。でも、気になったのはギターの演奏スタイルです。右手にギターを持ち、左手で奏で始めました。そこまでだったら、松崎しげるか、ポールマッカートニーかという感じですが、弦を押さえている右手です。指が下から出なくて、上からキーボードを弾くように出てきているのです。以前、アメリカの黒人ブルースシンガーでこの弾きかたをしているのをテレビで見たことがありますが、目の前で見たのは初めてでした。そして、よくみるとギターの弦が逆に張ってありました。普通細い弦を下にするのですが、逆に細い弦が上になっていました。したがって、弾く時にはつねにアップピッキングが基本になるので、どこかユニークな響きになっていました。また、弦を押さえる指ですが、普通装飾音は小指でやるのですが、なぜか親指で装飾音を出していたので、これもユニークな音を出していました。何度もチューニングを気にして、糸巻きを触っていたので、後でオープンチューニングなのか聞いてみましたがレギュラーチューニングだと聞いてまたびっくりしました。そのくらい不思議な音を出していました。

 生まれてすぐに、眼球の癌にかかり、1歳前後で両目眼球摘出手術を受けたこと、何でも知りたがる子だったこと、保育園でいじめにあったこと、幼児期の父母の子育てについて、中村市(現四万十市)からジーゼル車の揺られて高知の盲学校に通ったこと、母もとから離れてつらかった寄宿舎生活など、淡々と話されることに深いものがあり、すうっと引き込まれていきました。

 歌は、本人も語っていましたが、井上陽水、クラフトなどの歌をよく聞いていたというだけあって、叙情フォーク路線で、私Dylanとは音楽の趣味が異なる音楽でした。最初は聞いていたのですが、だんだんどの曲も同じに聞こえてきて後半は疲れてきてしまいました。私の個人的な見解では、歌よりもしゃべりの方が良いような気がしました。でも、こういった曲の趣味は人それぞれなので、私Dylanには合わなかったというように感じてください。


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晴れ後曇り時々雨

2006-06-11 00:06:23 | 障害児教育
 
 今日(10日)は学校の運動会でした。肢体不自由の学校なので体育館で行います。我がグループは今年は、できるだけ自力でがんばる方向で考えていて、4月より少しずつ準備を開始していました。車いすでの移動にこだわらずに、介助歩行や自力歩行にもできるだけ挑戦させていました。

 レオくんも普段はずっと車いすなのですが、運動会の取り組みに向けて4月くらいから意識的に自力歩行をさせていました。体育館への移動は靴下をはいて、くつをはいて自力歩行への意識をはかってきました。エレベーターでの移動であれば一斉に可能だし、教師の側から言えば楽なのですが、レオくんの意識を高めるために教師が一人ついてでも階段での移動をさせていました。

 運動会への意識は徐々に高まって、かけっこでも、団体競技でも楽しみにして参加できるようになっていました。運動会直前には、車いすを教室に残したままで開閉会式も含めて自力歩行での参加ができるようになっていました。

 お昼ご飯は、お母さんがPTAの役員をやっている関係で、毎年なかなかゆっくり食べられないということもあって、教室で他の子どもや、教師と一緒に食べることにして、事前にレオくんとも確認と納得を取り付けていました。

 さて、当日になりました。登校して、お昼ご飯のメニューを数種類の中から選んで、レンジでできるハヤシライスを選びました。靴下、靴もはき、トイレも済ませて紙おむつからパンツに履きかえ、朝の会で全員で意思統一もし、体育館に向かいました。開会式の間も立っていると主張し、準備体操まで一気に走っていきました。レオくんの出る競技まで1時間くらい待ち時間があるので、取りあえず2階の教室までもどり、ここでトイレも入れて気持ちを整えました。

 体育館に戻ると、まだまだ競技の最中で、気持ちが途切れそうになりましたが、いろいろ競技についてレオくんが興味を持てるような話をすることで何とか気持ちをつなぎました。

 いよいよ、レオくんたちの番になりました。でも、個人走に出場する選手が多くて、しかも肢体不自由ということで時間がたっぷりかかります。レオくんは最終2組に出場予定です。ここでも切れそうな気持ちを何とかつないで、見事一人で完走することができました。

 完走したことのうれしい気持ちやほっとした気持ちで午前中を終えることができました。昼食前のちょっとした親子参加競技でママとしないで担当のDylanとするというので、そういうこともあるだろうと思っていました。でも、後で考えるとこれが伏線になっていたのかもしれません。

 昼食は、レンジでチンしたハヤシライスを自力で食べながら、心配して見に来る家族の顔を見るたびに、食事のスプーンが止まるというような状況でした。これはいつものことなので気にせずにいました。後半介助をしながら、ハヤシライスは完食し、途中からのママの差し入れのデカデカプリンも、全部完食しました。最後のあたりは、家族が見る前で苦手な水分補給もスプーンでできるほどでした。

 この段階は、晴れです。午前中の晴れが午後のにわか雨が振るかもしれないという判断力を鈍らせたのかもしれません。

 昼食が終わり、午後のスタート時に車いすで参加すると言い出しました。後から考えればここが最大の山場だったのに、「いいよ。車いすで行こう。後で箱積みの時は歩こうね。」と軽く流してしまいました。レオくんの要求は車いすに乗ることではなく、もっと違うことを言っていたのにもかかわらず、そのことを解決せずにさっとその場を流してしまったのです。

 午後からは「今日はママと帰らずにバスで帰る」このことに変更はないのかを何度も繰り返し、確認していました。いよいよ、親子競技のスタートです。最初はスタートラインにママと並びました。この段階で、ママとタッチして、担当のDylanは全く別の場所に位置していれば混乱も避けられたのにすぐそばにいました。

 レオくんは、突然「ママと走らない。ママあっち行け!Dylanとする!」と言い出しました。その時にバスのことかな?と思ったのでバス係の学部主事を呼び、「今日はバスに乗って帰る」ことを目のまで確約させました。そこでママを呼びました。それでも、ママとはやらない。と言います。一度こじれると少し時間がかかるレオくんです。結局、Dylanと一緒にやることになってしまいました。

 バスの問題や次の日の日曜日にママが、仕事で家にいないことや、親子競技なのに何度も教師とばかり練習していて、突然親子競技ということで混乱していた等々いろんな問題が考えられるのですが、昼の段階でもっとレオくんの気持ちに寄り添って問題を整理できていたらこんなことにはならなかったのにと後悔の念が強いです。場面場面でいろんな判断を迫られるのが障害児教育です。まだまだ修行がたりませんね。日々是反省…
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米軍岩国基地

2006-06-09 23:37:25 | 日記
 先週の日曜日に、花の写真を撮りに出かけた帰りにちょっと思いついて、岩国米軍基地方面に向かいました。厚木基地からの米空母艦載機部隊移駐計画で揺れた街として話題になりました。住民投票でも、市長選でも住民の反対の声を無視して、政府はアメリカの言いなりになって計画を進めようとしています。何度もデモで通った基地への道を今度は一人でカメラを片手に歩いてみたくなりました。



 基地のゲート側に車を走らせると、看板が英語の店が目につきます。基地のゲートのすぐ横にはTATOOの専門店や、誰が着るのか理解できないバックに刺繍の入ったスタジャンや大きなTシャツが所狭しとかかってある店が目に入ります。店の中には、日本の若者とアメリカの若者が一緒に品物を選んでいる光景が。車を止めて入ってみたかったのですが、カメラを持ったおじさんが入るにはちょっと勇気がいったかもしれません。


 ゲートの横を抜けて、金網ごしに中を見ていると黒人の若者とと日本人の若い女性が楽しく談笑している様子が見えました。楽しそうなのでちょっとカメラを向けると「ヘーイ!」のかけ声と「写すんじゃないよ!」と言う英語が聞こえてきたので、慌ててカメラを下ろしました。


 ゲートの番人は4~5人程度でふざけながらやっているほど、緊張感がない状態でした。テロ対策強化や対中国ということで軍備増強している状態とはとても思えませんでした。

 それにしても、とにかく広い。中にはいろんな施設があって、外に出なくても十ぶん楽しめるようになっているそうです。それでも、休日には外に出たくなるようで、岩国や広島の街は基地関係者を少なからず目にします。この金網が閉塞感を生み出すんだろうなと思いました。


 日本の中のアメリカは、直接物言わないまでも、重圧感は十分です。米空母艦載機部隊移駐計画だけでも大変なのに、基地の沖合移設工事で、今よりもさらに強化されようとしているという事実は大変なことだと思えます。



 すぐ近くでは上関原発計画も推進されようとしています。この国に必要のないものがどんどん建てられようとしていることは、自分も含めた近隣住民にとって、頭の痛いことです。これからも一主権者として平和と安全の動向については注意深くみていきたいと思います。
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