とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

映画「東京家族」を観てきました。

2013-01-19 22:04:15 | 映画

映画「東京家族」を観てきました。公開初日の朝一番の映画を観ました。

今回の映画は小津安二郎監督の「東京物語」のオマージュと言うことで、非常に楽しみにしていました。

映画館は初日の朝一番なのにいつもよりお客は入っていました。

それも年配の方が多くて、何かとタイアップしているのかもしれないとも思ったほどです。

初日ですので、あまり深く感想を言うわけにはいかないと思いますが、率直に言って見事としか言いようがありません。

小津監督の「東京物語」がなくて、今回の映画が初めての作品だとしたら、最高傑作といいたいと思います。

ただ、小津監督の「東京物語」を踏み台にしてできあがった作品だけに作品の評価というのは微妙なものがあるかもしれません。

映画を観終わって、自分がこんなに映画を観て泣く人間だと初めて知りました。

これも、年をとったと言うことかもしれません。いろんな場面で泣いてしまいました。

出演者は見事な配役で、それぞれ演技をやりきった観があります。

瀬戸内海の島から東京へ出てくる老夫婦に橋爪功(平山周吉)吉行和子(平山とみこ)

長男夫婦に西村雅彦、夏川結衣、次女夫婦に中嶋朋子、林家正蔵、

風采の上がらない次男に妻夫木聡、その恋人に蒼井優

ほとんどその4つのカップルで動いているのですが、それぞれの持ち味を台詞や所作で見事に演じ分けているのです。

映画は、もともと知られている「東京物語」をベースにしているので、映画のあらすじを言っても構わないかも知れません。

「東京物語」が1953年の作品で、今回の「東京家族」が2013年ということで60年の隔たりがあることで設定や、家族のありようをいろいろ工夫している様子が見られます。

でも、面白いのは、台詞やいろんな場面が「東京物語」を踏み台にしているのがとても興味深いものがありました。

2012年5月、瀬戸内海の小島に暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子供たちに会うために東京へやってきます。

東京物語の笠智衆や東山千栄子は、尾道からやってくることになりますが、尾道が街になりすぎたということかもしれません。

品川駅に迎えに来るはずの次男の昌次(妻夫木聡)は、間違って東京駅へ行ってしまいます。

せっかちな周吉はタクシーを拾い、郊外で開業医を営む長男の幸一(西村雅彦)の家へと向かいます。

東京物語にはなかったシーンです。前回にはなかった次男の昌次の立ち位置を示すために大事な場面だったと思います。

「全く役に立たないんだから」と、不注意な弟に呆れる長女の滋子(中嶋朋子)の存在もなかなか見応えがあります。

ちなみに東京物語では杉村春子が演じてます。

掃除に夕食の準備にと歓迎の支度に余念のない幸一の妻、文子(夏川結衣)もしっかり者として演じられています。

やがて周吉ととみこが到着し、大きくなった二人の孫に驚きます。

ようやくイタリアのフィアットのおんぼろ車に乗って昌次も現れ、家族全員が久しぶりに顔を合わせ、夕食のすき焼きを囲みます。

「東京物語」でも夕食の献立はすき焼きで文子が「お刺身でも取りましょうか?」と聞いて「いいだろう」と否定するシーンも同じです。

日曜日、幸一は次男の勇を連れて、両親をお台場から横浜見物へと連れて行く予定を立てます。
 
ところが、患者の容体が悪化し、急な往診に出かけることになります。
 
とみこは、すねる勇と公園へ行くが、まだ9歳なのに将来をあきらめている孫の言葉に溜息をつきます。

周吉ととみこは、今度は滋子の家に泊まりに行きます。
 
美容院を経営している滋子は、忙しくて両親をどこにも案内できません。
 
夫の庫造(林家正蔵)は、周吉のことを「学校の先生だったから話が理屈っぽい」と煙たがっていましたが、駅前の温泉へと連れ出します。
 
滋子に頼まれて、昌次は両親に東京の名所を巡る遊覧バス案内します。徹夜あけで疲れている昌次は居眠りばかりです。
 
帝釈天参道の鰻屋で、昌次がビールを注ごうとしても周吉は断ります。
 
昔は相当な酒飲みで酒癖も悪かったが、幸一から忠告されてキッパリと断酒しています。
 
舞台美術の仕事をしている昌次に、周吉は将来の見通しはあるのかと問いただします。
 
「この話はやめよう」と昌次は突っぱねます。周吉は昔から昌次に厳しく、昌次はそんな父が苦手です。

その頃、滋子は訪ねてきた幸一にある提案をしていました。
 
忙しくて両親の相手も出来ないから、お金を出し合って横浜のホテルに泊まってもらおうします。
 
横浜のリゾートホテルの広い部屋で、何もすることがなくただ外を眺める周吉ととみこです。
 
「東京物語」では熱海に泊まる計画を立てます。熱海に泊まった二人は、宴会や麻雀の音で眠れない夜を過ごします。
 
周吉はネオンに輝く観覧車を見て、結婚する前に二人で観た映画『第三の男』を懐かしみます。
 
横浜のホテルでは中国人観光客がホテルの従業員と大きな声で何かもめています。

寝苦しい夜が明け、周吉ととみこは2泊の予定を切り上げて、帰ってきてしまいます。
 
そんな両親に、うちで商店街の飲み会を開くから、今夜はいてもらっては困ると滋子言い放ちます。
 
周吉は同郷の友人、沼田(小林稔侍)宅へ、とみこは昌次のアパートへ行くことにします。
 
このエピソードも「東京物語」と同じです。
 
老夫婦が座って時間をつぶす場所が前の映画の時は上野公園で今回は池袋のデパートの屋上の違いくらいです。
 
「東京物語」の時は、代書屋をやっている服部宅へ泊めてもらおうとして、警察署長をしていた沼田(東野栄治郎)を呼び出した3人で飲むことになります。
 
今回は、沼田に連れられて服部宅に伺う。そこで未亡人に「学テや、勤評闘争、道徳教育のことでずいぶんアドバイスをもらった」と言っています。
 
周吉は教員組合の人間なのか、管理職側の人間なのかちょっと興味がわきました。
 
仏壇には、服部の写真ともう1枚写真がありました。
 
最近亡くなった老婦人は大船渡で、3.11犠牲になって遺体も見つかっていないと語らせます。父も南方の海で戦死し、遺体がないままだと語らせます。
 
沼田と周吉は二人でカウンターで泥酔するまで飲んで「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃの」とぐちりあいます。
 
店のカウンターにはおかみ役で風吹ジュンがいます。無愛想な演技は、「東京物語」と一緒です。
 
久しぶりの母親の手料理を美味しそうに食べる昌次を、とみこは嬉しそうに見守ります。
 
その時、母に紹介しようと呼んだ、恋人の間宮紀子(蒼井優)が現れます。
 
とみこはすぐに明るい笑顔の紀子を気に入ります。
 
紀子が帰った後、昌次はボランティアで行った福島の被災地でひと目惚れしてプロポーズしたことを打ち明けます。
 
紀子をすっかり信頼したとみこは、翌朝出勤前に朝食を届けてくれた彼女に、もしもの時にとお金を預けます。

一方、周吉の方は大変なことになっています。
 
沼田に宿泊を断られた上に泥酔し、滋子に大迷惑をかけて、幸一の家でようやく落ち着いたところに、とみこが満面の笑みで帰ってきます。
 
ところが、何があったかを話す前に、とみこは突然倒れてしまいます・・・。
 
「東京物語」紀子役を原節子が演じます。紀子は戦死した次男の嫁で8年も独身を通して、元夫の両親に尽くす役所です。
 
今回の紀子の設定は興味深いものがあります。
 
テーマがまさに家族になっているために、家族でない人たちが家族のように手をさしのべてくれるシーンも多くあります。
 
昔から家族だった人たち、今まさに家族になろうとしている人たち、家族同然のつきあいをしてきた人たちいろんな人のつながりをテーマにしているようにも思えます。
 
前作のオマージュと言うことで評論家は何というかわかりませんが、私は最近観た映画のなかでは一番のできだと思います。
 
ぜひ、映画館で観るべき映画だと思います。
 
おそらくもう一度観に行くと思います。
 

 

 

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鉄道博物館(大宮)

2013-01-17 22:03:29 | 鉄道

今回の埼玉行きのおまけとして、鉄道博物館を考えていました。

前回も考えていたのですが、時間が合わなくていけませんでした。

今回は平日と言うこともあり、ゆっくり見ることができるかな?という期待感もありました。

できるだけ、時間のロスをしたくなかったので、新幹線と乗り換えの電車と入場券のセットの切符で行きました。

大宮に着いてびっくりしたのは、何と富士山が見えたことです。

こんなに遠くでも富士山は見えるんだと感激しました。

大宮からニューシャトルに乗って鉄道博物館をめざします。

ここまで来ると完全に撮り鉄のおじさんです。

入場してすぐに驚きました。とにかく広い。電車が所狭しと並んでいます。

まず目に飛び込んできたのが1号機関車です。

1872年(明治5年)新橋と横浜を結ぶ日本最初の鉄道のためにイギリスから輸入された機関車です。

しばらく新橋横浜間で使用された後に関西に行き、島原鉄道を走っていた車輌です。

今では、国の重要文化財になっているそうです。

 

 

続いて目についてなのは、弁慶号です。

1880年(明治13年)北海道にも鉄道が開通しました。

今度の蒸気機関車はアメリカからの輸入です。

1号機は「義経」2号機は「弁慶」と命名されました。

先頭部につけられた「カウキャッチャー」や煙突部分がいかにもアメリカの開拓時代を思わせる形になっています。

  

次の電車はなで6110形式電車です。山手線の電車運転に際して作られた車輌です。

 

 

続いては9850形式の蒸気機関車で見るからにごっついボディーをしています。

東海道本線がかつて御殿場線経由だった頃に急勾配でも力を発揮できることを目的としてドイツから輸入された機関車です。

 

次はキハ41300形式気動車です。

キハというのは現在も走っていて「キ」というのは気動車のことで、自分で動く車輌のことです。

「ハ」は普通車のことです。グリーン車だと「ロ」というそうです。

この車輌は、ジーゼルではなく、ガソリンで走る車輌だそうです。

1934年(昭和9年)製造だそうです。

  

電車の形を見ているだけで幸せな気分になります。

しばらく続けようと思います。

 

 

 

 

 

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雪の埼玉~東京

2013-01-16 23:30:03 | 写真日記

障害児教育の学習交流集会に出席するためにさいたま市に行ってきました。

実行委員会に参加するために金曜日から出かけました。

実行委員会は夜7時からだったのですが、どうせ行くならということで、朝8時に山口宇部空港から飛行機で飛びました。

昼間の目的は大宮にある鉄道博物館です。

若い頃は鉄道オタクということもなかったのですが、

特別支援教育コーディネーターになってから自閉症や発達障害の子たちと関わることで、だんだん詳しくなってきました。

いろんな場所に行っても電車の写真は必ず撮るようにしているとだんだん好きになってきたようです。

大宮の鉄道博物館は昔の電車がたくさんあるということを聞いていたので、子どもたちと仲良くなるための材料集めもあって出かけました。

その話は、後々たっぷりするということで今回は、いろんなことがあったのでそこから報告します。

少し早く会場について、少しだけ手伝いをして会議に参加しました。

会議が終わるといつものように交流会が始まります。

酒も適当にまわってホテルに帰りました。

1日目は会場準備と受付が主な仕事です。

1日目の夜は大交流会です。300人くらいの人が一同に介しての大宴会です。

この日は少し抑え気味にして二日目に備えます。

二日目は講座形式の学習会や分科会に分かれて行われます。

会場責任者や、司会などフルに仕事をこなしました。

この日の夜はなぜかあぶれてしまい、一人で少しだけ酒を飲んでホテルに帰りました。

3日目はフォーラムということで会場の準備や受付などこなして、何とか帰ることができると思っていました。

窓の外がちょっと変な気がしたのでカーテンを少し開けて覗いてみると大変な雪が降っています。

でも、積もるようなことはないだろうと高をくくっていたらとんでもありません。

2時間足らずの間にかなりの積雪になっています。

フォーラムを終えて、最後の実行委員会を終えて、浦和の駅に向かいました。

駅に行く途中でどうしても寄らなければいけない煎餅屋があります。

ネギ味噌煎餅を買ってから電車に乗りました。

駅のアナウンスによると、上野方面に行くためには京浜東北線しか動いていないとのこと。

何とか乗り込んで取りあえず上野をめざしました。

すると王子の駅でぴたっと電車が止まりました。

蒲田付近で倒木があり、このまま電車は待機するということです。

南北線に乗り換えて行って欲しいと言っています。

仕方ないので大勢の人たちと一緒に南北線に乗り換えました。

南北線で駒込まで行き、そこから山手線に乗り換えました。

息子と妻が東京駅にいるというので、東京駅まで山手線で行きました。

丸善のカフェで待ち合わせをして、そこで名物のハヤシライスを食べましたが、お腹が空いていた割にはおいしいとは思えませんでした。

2人はさらに丸善のブックコーナーで本を見るというので、もうすっかり疲れている私としては、先に羽田をめざすことにしました。

でも、東京駅が新しくなったということで、少しだけ撮影することにしました。

 

 

  

 

その頃は、飛行機が飛ぶ予定だったので羽田をめざすつもりでいました。

ところが、ANAから欠航というメールが届きました。

すぐ妻に連絡をすると、何と山手線にもう乗っているとのこと。

浜松町の駅で待ち合わせることにして、慌てて追いかけました。

ホームに駆け上がると、京浜東北線の電車がいたのですぐに飛び乗りました。

京浜東北だと東京の次が浜松町だったからです。

ところが、浜松町の直前、ほんの目と鼻の先ほどのところで停車しました。

初めは前の電車が混んでいるからと言ってましたが、蒲田付近でどうのこうのと言い出しました。

何とそれから30分近く停車したままでした。

車輌の中には自閉症の青年もいたらしく「電車は大変です。雪のために大変です」とだんだん声を荒げています。

その間、全く説明もなく、だんだん我慢も限度になってきます。でも、東京の人たちは平然としています。

田舎なら暴動が起きています。

妻に何度も電話して、説明するのが大変です。そのことでも病気になりそうです。

やっと浜松町に着いてから羽田に向かいました。

羽田で次の日の便のチケットを確保することができました。

「明日来て手続きすればすぐにできる」ような説明を受けて安心したのが、後々大変なことになるのですが、その時は気がつきません。

息子のマンションに何とか転がり込んで、次の日に羽田に向かいました。

何と長蛇の列ができています。

みんな予約は済ませていて、手続きだけなのになかなか前に進みません。

2時間以上も待っていると、宇部行きの人は別の所で手続きをするとの連絡が入り、その人の後ろについて行きました。

それでもなかなか手続きができません。

とうとうフライトの時間になってしまいました。

それでも、何とか手荷物チェックの場所までたどり着いたところで、もう飛行機に乗れないと連絡が入りました。

5人くらいが一緒だったのですが、後ろの人は紳士のようで仕方ないと言っていましたが、私は納得ができません。

「指示通り並んで待っていた。優先手続きの連絡を受けて動いたのに、乗れないというのは納得できない。」と強く主張しました。

やっぱりだめなのか…とあきらめかけた時にもう一度指示をあおいでくれて「乗れるから急いでくれ」と言うことになりました。

走って飛行機に飛び乗りました。

やっと離陸の時に何度も「羽田空港混雑のため、皆様のご出発が遅れたことをお詫びいたします」というアナウンスを何度もしていました。

飛行機の離陸を20分くらい遅らせた張本人は私たちです。

宇部空港に降り立つと雪のかけらも見当たりません。

本当にやれやれです。

次の日学校に行くと、インターネットでボーイング787のトラブルがニュースで流れていました。

黒煙が出て高松空港に緊急着陸をしたとのことです。

私が金曜日に乗って東京に向かった便です。

なかなか経験したことのないことをたくさん経験したような気がします。

 

コメント (1)
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