とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

『母と暮らせば』を観てきました。

2015-12-19 14:52:03 | 映画
https://www.youtube.com/watch?v=hvrs_103jRw

『母と暮らせば』を観てきました。

山田洋次の映画を愛してやまない私としては絶対欠かすことのできない映画です。

映画を観ている時に少しだけ違和感を感じていました。

それは、吉永小百合さん演じる母と、二宮和也さん演じる息子の二人の会話のシーンがあまりに多く、二人芝居の舞台を見せられているような気がしていました。

原田芳雄さんと宮沢りえさん演じた井上ひさしさんの戯曲『父と暮らせば』(黒木和夫監督映画化)をオマージュとして作られたという影響からなのかもしれません。

私の勝手なイメージからすると山田洋次作品は引きの映像の素晴らしさだと思っています。

写真好きの私は、山田映画の映像からかなり影響を受けていると思います。

でも、最初に感じた違和感は途中からは感じなくなってくるくらい場面に引き込まれていきます。

日々の幸せが奪われていく小さな家庭のドラマを描いて、戦争の悲惨さを訴えた『母べえ』ちょっとした恋愛ごとを描きながら、迫り来る軍国主義を描いた『小さいおうち』普通に暮らす人々の笑いや涙を映しながら、戦争について考えさせられた山田洋次監督の戦後70年を迎えた2015年の映画だということを考えずにはいられません。

山田監督が描いているのは、何の前触れもなく、一瞬にして原爆によって命を奪われた人々の悔しさ、突然消えた最愛の家族や恋人を焼け野原で探し続けた人々の悲しみー。

スターリンは「一人の人間が死ぬと、それは悲劇だが、百万人が死ねば、それは統計だ」という迷言を吐きましたが、統計にしてはいけない一人ひとりの悲しみ、痛みを感じることのできる映画だと思います。

直接ストーリーに入るのはまだ観ていない人たちに迷惑だと思うので、気になったシーンや台詞だけ紹介します。

1945年8月9日、長崎で助産婦をしている福原伸子(吉永小百合)は、たった一人の家族だった次男の浩二(二宮和也)を原爆で亡くします。

それから、3年後、伸子の前に浩二の亡霊がひょっこり現れます。その日から浩二はたびたび伸子を訪ねてきます。

浩二は母親のことを気にしながら、恋人の町子(黒木華)のことを気にかけています。新しい幸せを見つけてほしいと願いながら、寂しい気持ちは母も息子も同じです。

楽しかった家族の思い出話は尽きることがなく、二人が取り戻した時間は永遠に続くように思われたけど……。

突然現れた浩二が、母に対して「僕んこと探した?」と聞かれ、あの時の長崎の町の恐ろしい光景を思い出し、口ごもってしまう伸子も印象的です。

その雰囲気を変えようと「あんたは元気?」と尋ねます。浩二は笑いながら「僕は死んどるんとよ。相変わらずおとぼけやね」と答えます。秀逸な情景描写です。

「僕の運命さ」と呟く浩二に伸子は「運命?地震や津波は運命だけれど、これは人間が行った大変は悲劇だ」と訴えます。これも、山田洋次監督のメッセージだと感じました。

町子のことが諦められない浩二が「町子が幸せになってほしいっていうのは、実は僕と一緒に原爆で死んだ何万人もの人たちの願いなんだ」と母伸子告げるシーンもウルウルです。

新しい出会いと出発に踏み出すように進める伸子に対して、町子が苦しみを伝えるシーンも秀逸です。原爆の落ちる前の日に友だち2人と丁寧なお別れの挨拶をしようということになり、「ごきげんよう、また明日」と笑いながら別れ、次の日自分は急な腹痛で勤労奉仕を休んだ。

友だち二人は工場の屋根が落ちて下敷きになり動けなくて「助けて!助けて!」と叫びながら焼け死んでいった。

友だちから借りていた時計が気になり、数ヶ月後に訪ねて行き、助かった理由を説明すると激しく非難されたことを泣きながら話す。

こういう時の黒木華は存在感が大きいと思います。大好きな女優さんです。

もう一つ、伸子が助産婦だということもとても示唆的だと思います。

新しい命をこの世へ届けるという存在です。

長崎の地で放射能の影響を受けるだろう時代での助産婦です。

さらにもう一つ忘れてはいけないのが音楽を坂本龍一さんが手がけているといことです。

病気でしばらく活動できない時期を経て、現在では原発反対の運動や戦争法反対の運動に深く関わっておられます。

この映画のテーマに深く感銘し、すばらしい音楽を作られています。私は、オリジナルサウンドトラックを買おうと思っています。

近々もう一度この映画は観に行くと思います。

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DVD「かぞくのくに」を観ました

2013-04-29 20:56:40 | 映画

  

2012年 キネマ旬報 日本映画ベスト・テン 第1位の作品です。何とか観たいと思っていたら久しぶりに行ったTSUTAYAにありました。

ヤン・ヨンヒ監督が今なお北朝鮮で暮らす家族を思い、書き上げた「兄~かぞくのくに」小学館の映画化です。

ヤン・ヨンヒ監督はドキュメンタリー映画はドキュメンタリーで自らのルーツや家族を描いていましたが、監督初のフィクション映画です。

監督・脚本ともにヤン・ヨンヒです。

この映画は監督、ヤン・ヨンヒさんの実体験をもとに作られたフィクションです。

ヤン・ヨンヒさんは在日コリアン2世です。1964年生まれの女性映画監督です。

かつて、1970年代に差別や貧困に苦しんでいた在日コリアンが、当時“地上の楽園”と謳われた北朝鮮へ集団移住した帰国事業がありました。

吉永小百合の映画「キューポラのある町」でも描かれています。もちろん、井筒和幸監督の「パッチギ!」にも描かれています。

これに参加した兄が病気治療のために25年ぶりに日本へ帰国することになります。

25年ぶりに帰ってきた兄を取り巻く家族の状況を描きます。

父親は、朝鮮総連の東京支部の副支部長です。母親は喫茶店を経営しながら家計を支えています。

妹は、日本語学校に勤めています。父親の生き方に対してどこか納得のいかない家族の前に兄が帰ってきます。

日本との国交が樹立されていないため、ずっと別れ別れになっていた兄が帰ってきます。

そんな兄・ソンホ(井浦新)が病気治療のために、監視役(ヤン・イクチュン)を同行させての3ヶ月間だけの日本帰国が許されます。

25年ぶりに帰ってきた兄と生まれたときから日本の社会で自由に育ったリエ(安藤サクラ)とは微妙な溝が生まれます。

兄を送った両親との家族だんらんも、微妙な空気に包まれています。

兄のかつての級友たちも、奇跡的な再会を喜びます。

その一方、検査結果はあまり芳しいものではなく、医者から3ヶ月という限られた期間では責任を持って治療することはできないと告げられます。

なんとか手立てはないかと奔走するリエたちです。

そんな中、本国から兄に、明日帰還するよう電話がかかってきます……。

感想を一言で言えば、真実が描かれていること、それも家族の視点から描かれた真実にに言葉を失います。

ヤン・ヨンヒ監督には、実際に北朝鮮への帰国事業で離ればなれに育った3人の兄がいるそうです。

映画が始まると、ドキュメンタリー映画の監督らしい雰囲気がたっぷり伝わってきます。

ソンホ(井浦新)は物静かで日本では言えない真実をいっぱい持ってきているんだろうということを感じさせます。

キネマ旬報の主演女優賞を獲得したリエ(安藤サクラ)の演技は圧巻です。

リエの目線を借りて、私たちは映画の世界に入っていきます。

時がまるで止まっているような、自分から思考を停止しなければ生きていけないと語る兄の姿に戸惑いながらぶつかっていく姿は圧巻です。

リエが北の監視人ヤン同志(ヤン・イクチュン)に対して「あなたもあの国も、大っ嫌い!」と言い放ちます。

これに対してヤン同志は、怒りもせず静かにリエに語りかけます。「あなたの嫌いなあの国で私もあなたのお兄さんも生きているんです」と切り返します。

このシーンは監督自身の映画を通して本当に言いたいことだったのかもしれません。

ソンホとリエの別れのシーンは、緊張感、緊迫感を伴った何とも言えない名シーンです。

ソンホは父親の立場を考えて帰国事業に参加します。儒教思想からくるものか、あの国に関わる人たちならではの問題なのか簡単には理解できません。

でも、ソンホが思考を停止して生きていかなければならない現実は?と考えると想像できません。

でも、戦前の日本にもこういう状況があったのだと思います。

学徒動員で徴兵された学生たちも、やはり思考停止していたのだと思います。

今私たちが曲がりなりにも思ったことが言えるのは日本国憲法があるからです。

基本的人権を生まれながら持っている私たちと、ソンホの生きている現実の違いを深く感じてしまいます。

「かぞくのくに」の“くに”は日本でもなく、もちろんあの国でもなく「かぞくのくに」なんだと思います。

 

 

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DVD「ふがいない僕は空を見た」を観ました

2013-04-28 15:13:51 | 映画

DVD「ふがいない僕は空を見た」を観ました。

このDVDはキネマ旬報の2012年日本映画ベスト10の7位に入っていたので観ました。

この雑誌はずっと読んできていて、ベスト10はいつも気にしています。

若い頃はベスト10に入っていると言うだけで絶対観るという気になっていました。

観ると自分の感性にかなり近いものがあって、いつも満足していました。

この頃は、半分くらいかそれ以下かな?「この映画が…?」という映画も増えてきました。

まあ、考えてみれば評論家それぞれがベスト10に選んだものをポイント制にして合計するんだからいい加減といえばいい加減です。

映画に対して、順位をつけることがどうなのか?という気もしています。

それでも、ちゃんと購入してじっくり読むんだからそこもどうですかね?

映画のタイトルからして、主人公は男性ということなんだけど、映画は里美(田畑智子)目線で描かれていきます。

コスプレ好きの専業主婦と若い愛人(しかも高校生)と何たるスキャンダルの映画です。

それは、それで興味深い設定なのですが、見始めると目線が少し変わってきます。

「空を見た」「ふがいない」人は、「僕」ということで場面が転換するところで青空が出てきます。

観客の目線をふがいない僕にしていこうとしているのだと思います。

3人の目線が入れ替わりながら映画が進んでいきます。

コスプレ好きの専業主婦の里美(田畑智子)と、高校生の卓巳(永山絢斗)は、いわゆる「愛人関係」で、卓巳と良太(窪田正孝)高校の同級生です。

皆それぞれつながりはあって、そこからドラマが展開されるわけですが、そこが複雑な展開です。

里美と卓巳のエピソードは破局の場面から描かれて、改めてなれそめから語られていきます。

時には卓巳の視点から、時には里美の視点から描かれます。

そして、良太の生活が描かれていきます。

里美と卓巳の二人だけの関係を描いているだけでは、宙に浮いた話になりがちだが、良太の生活を描くことによってリアリティーが増します。

初めは、主婦と高校生の「愛人ドラマ」の切り口で観るべきなのかな?と思っていましたが、途中からそういう見方はできませんでした。

卓巳の母親が助産士ということもあって常に生命誕生の場面が出てきます。

しかもその卓巳が助産士の手伝いをしているということも何かの意味を持つのかと考えてしまいます。

その卓巳が年上の主婦に引っかかって、避妊をしない体の関係を続けるというのはどういう意味なんだろう?と考えてしまいます。

良太が後半で逃げ出した母親を訪ねて「どうして俺(私)なんか生んだんだよ!生んでくれって頼んだ覚えもないのに!」「欲しくなかったんなら堕ろしてくれれば良かったのに」とつぶやきます。

この台詞に近いことばは自分の居場所が見つからなかった時に、誰でも一度は口にしたか、したくなったことがあるのではないでしょうか。

このあたりがタナダユキ監督の真骨頂だと思います。 

自分が存在している現実の前で、嫌気がさしてここから何とか脱出しようと、もがいてみるけどどうにもできない。

不条理な現実を前に悔し涙を流したり、わき起こる怒りをどこに向けたらいいのかわからなくなってしまう。

そこからわき起こることばが「俺なんか生まれてこなきゃよかった…。どうして俺なんか産んだんだよ…」です。

映画を観進めるうちにだんだん良太の世界が考えを占めてきます。

前半の里美と卓巳のコスプレ不倫なんかどこかに吹っ飛んでしまいます。

貧困、老人介護、スキャンダルすさまじい閉塞感で打ちひしがれても、逃げ出したくて、放り出したくて仕方のない現実をにしても、それでも生きていくことは忘れない。

そういう映画なのだと思います。

卓巳の母親、助産師の寿美子(原田美枝子)が、神社で卓巳と偶然出会います。

里美との関係がインターネットを通じて暴露されてボロボロになった彼に、寿美子は「生きててね。生きて、ずっとそこにいてね。」と言います。

どんな事情があるにせよ、お腹を痛めた我が子を思い、「生きててほしい」と思う。そこもこの映画のテーマになっていると思います。

そこまで映画が進むならということで、気になるのは里美(田畑智子)のことです。

初めは主人公のような存在だったのですが、全体的なテーマの中では単なる前奏に過ぎなくなってしまいます。

この人は、どうしてコスプレに走ったんだろう?

専業主婦という安住の場所を軸足に残しながら自分を変えてしまいたいと思う気持ちをどうしようもない。

しかも、若い高校生を巻き込んでまで、別の世界に逃げ込んでしまう。

それは、都会の日常として存在するのか、狂気の世界がなすことなのか?

そのあたりを詰めてみると映画は別方向に向かうのではないかと思います。

いろんなことを考えさせる映画でした。

これならキネマ旬報のベスト10も納得がいきます。(まだこだわっています)

 

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映画「すーちゃんまいちゃんさわこさん」を観ました。

2013-04-22 22:41:30 | 映画

映画「すーちゃんまいちゃんさわこさん」を観ました。

「何とも無色透明な映画だこと…」というのが率直な感想です。

原作は漫画だそうで、27万部も売れているということは後から知ったことなのですが…。

すーちゃんを演じるのは柴崎コウ、さわ子さんは寺島しの、まいちゃんは真木よう子ということで実に華やかなキャストです。

個人的にはどの女優さんもひいきなので絶対観なければという次第でした。

すーちゃん(柴咲コウ)は、カフェというのかな?(ランチのある喫茶店)に正社員で努めています。

仕事はちゃんとできるのに、自信がなく挙動不審のようなところがあります。

言いたいことはなかなか言えないけど、しっかり心の中ではつぶやいています。

服装も中途半端で可愛いのかどうなのかわからないような設定になっています。(でも柴咲コウだから…)

店のマネージャーに好意を寄せているけど、なかなか打ち明けられない。

家に帰っても店の新作レシピを研究しているようなとにかく一所懸命さが前面に出てくるようなけなげな女性です。

この3人はアルバイト先で出会ったという設定になっています。

寺島しのぶは、介護の必要な祖母と母と3人で暮らしています。仕事は家庭でインターネットを使ってできる仕事のようです。

出会いがなくても大丈夫なような暮らしぶりです。

真木よう子はバリバリ仕事のできるOLさんです。スーツ姿がきりっと決まっています。

上司の言われた仕事はてきぱきと片付けるお局さん的な設定になっています。

時々心の中で吐く、上司や部下への毒舌が何とも不気味です。映画館の中では笑いが起きていましたが、もしかしたら自分も言われているのかも…とぞっとしました。

映画の中では何も大きな事件は起きません。何気ない日々の中で、迷ったり泣いたりしながら生きている3人の女性。

そういった3人に観ている人たちは共感するんでしょうね。

 

ただ、主役が3人いるような映画なので絞りきれなくて、エピソードが短すぎる気がしました。

結局何が言いたいのか、ムードだけの映画になったのではないかと思いました。

漫画であれば、言いっ放しで後は読み手に任せるということもできるんだと思いますが、映画はちょっと違うように思います。

でも、メンズサービスデイに観る映画としては楽しめたかもしれません。

 

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映画「船を編む」を観てきました

2013-04-14 23:11:27 | 映画

映画「船を編む」を観てきました。

原作は2012年本屋大賞で大賞を獲得した三浦しをんの『舟を編む』(光文社・刊)です。

映画を観た感想は、なかなか興味深かったな~と思いました。

登場人物は何とも個性的な人たちだし、配役も見事に個性的なのですが、それぞれの個性を消して演技に集中していたことに好感を覚えました。

主人公の馬締光也を松田龍平が演じています。

どう見てもアスペルガー症候群の青年です。

いつもは、どこか陰を引きずって突然切れてしまうキャラクターばかりを演じている松田龍平が、今回は全然違うキャラを演じています。

まるで、お父さんの松田優作みたいに見えてくることもありました。

その馬締光也が一目惚れする下宿の孫娘を宮崎あおいが演じています。

宮崎あおいは、安心して見ることのできるようなキャラを演じています。

どうしてこの人はこういうキャラクターばかり演じさせられるんだろうと思いながら、でも見ていて安心してしまいます。

監督は「川の底からこんにちは」で注目された石井裕也監督です。

派手さや、事件もないストーリーを手堅く笑いを交えながらまとめ上げていると思います。

ストーリーは、辞書を完成させるまでの15年の歳月を綿々と語る物語です。

出版社の中で“変人”として持て余される存在だった主人公の馬締光也が、その才能が買われて辞書編集部に起用され、

言葉集め、語釈執筆、組版、校正に次ぐ校正、・・・と気が遠くなるような作業を地道に進めていく姿が描かれます。

主人公は「人の気持ちが理解できない」けど、下宿先の大家の孫・香具矢に惚れてしまいます。

「恋」という言葉の語釈に悶々としながら取り組む様子が笑いを誘います。

隣のおじさんは大笑いしていました。

辞書編集部には、ユニークなメンバーが揃っています。

監修には大御所の加藤剛が座ります。何とも浮き世離れしている存在が面白い存在です。

編集主任の荒木は小林薫が演じます。この人は、若い頃演じていた役柄とは全然違う演技ができている人だと思います。

先輩役で地味な作業を苦手とするチャラ男の西岡をオダギリジョーが演じています。

オダギリジョーが日頃は見せないような演技を見せます。

オダギリジョーもこういったコミカルな演技の方が好みです。「パッチギ!」の時のオダギリジョーを思い出します。

パートのおばさんに伊佐山ひろ子が存在感を見せつけます。

一冊の辞書を完成させるのに、どれだけの時間を要するのか・・・率直に驚きながら見ていました。

松田龍平演じる馬締光也の設定が光っています。

下宿家の1階は本棚に本がびっしりと並べられ、まるで古本屋のような状態。

本の集め方も全集中心のコレクター的な集め方になっています。

ここらあたりもアスペルガーと思わせるような設定になっています。

それにしても辞書は甘く見てはいけないのだと思いました。

 

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映画「だいじょうぶ3組」を観てきました

2013-04-03 22:56:52 | 映画

映画「だいじょうぶ3組」を観てきました。

ずいぶん前に原作は読んでいました。

作者はもちろん、乙武洋匡さんです。

乙武さんは、東京の小学校で実際に教師をされた経験があります。

その経験をもとに小説を書かれていて、私は文庫本で読みました。

ストーリーをごくごく簡単に紹介すると、

乙武さんが自ら演じる教師赤尾とその介助者である白石(国分太一)が小学校に赴任したところから始まります。

初日から遅刻するというおまけもついています。

教室にはすでに副校長が入っていて子どもたちを見ています。

初めて見る手も足もない教師に驚きと混乱を隠せない子どもたちを前にに自己紹介もそこそこに出席を取り始めます。

介助者の白石(国分太一)が出席簿を見せようとすると、赤尾は子どもたちの顔をゆっくり見ながら名前を呼び始めます。

初日が始まる前にすでに全員の顔を全て覚えていたのです。

教室の中を電動車椅子で移動していく赤尾先生の姿に、子どもたちは戸惑い気味です。

子どもたちと次第に打ち解けていく1年間を描いていく感動ものです。

1年間の中では、「上靴隠し事件」「障害をどう見るか」「何が変で何が普通か?」「運動会でクラスが一つになる話」「障害のあす先生も一緒に登山遠足」

などなどとエピソード満載で流れていきます。

劇場には涙を流して観る場面が幾度となく出てきます。

乙武さんが主人公として演じていることは、演技なのかドキュメントなのかわからなくなってしまいます。

乙武さんの存在そのものに圧倒されて本当は感想なんかおこがましいような気がしますが、あえて言わしてもらうと・・・

特別支援学校に勤務している教師の立場から言うと、よくぞこういう映画を作ってくれたと大絶賛したいと思います。

こだわりの映画好きから言わしてもらうと、気になる点がいくつかあります。

上にあげたエピソードが乙武さんの目線だけでしか伝わってきません。

子どもたちの苦しみとして伝わりにくいのです。

乙武さんのことばで語られることがあまりに多いことによるものだと思います。

乙武さんの涙のシーンはあえて必要なかったのではないかと思います。

白石が赤尾に「僕は赤尾先生のように強くなれないよ」と言うシーンで、赤尾先生が「僕は強くなんかないよ。強く見せているだけだよ」というシーンがあります。

本当はもっと掘り下げて描いてほしいと思いました。

子どもの痛み悩み、障害を背負った教師の痛み、悩みそこらへんを描いてほしかったように思いました。

介助員がいないと勤めることのできない障害、そのことを受け入れることのできる社会がどこにあるんだろうと今更ながら思ってしまいます。

障害者雇用はそこを解決しないと一歩進めないと思います。

私が勤めている特別支援学校に卒業生が教育実習に来たことがあります。

障害があるので、なかなか通常の教育実習生のようには実習が進みませんでした。

その時に心ない教師の一部からは「自分のことは自分でできるくらいになってから実習に来てほしいよね」などと言っている声が聞こえてきました。

障害をもっている子どもたちを相手に教育をしている教育者のことばとは思えません。

もちろん、現場には同僚のことを思いやるほどの余裕がないことは確かですが、そんなことでは障害者雇用は学校では全く進みません。

今年度は、電動車いすを使用する卒業生が教育実習に来られます。

受け入れはちゃんとできるのか、今から心配です。

介助者が一人ずっと張り付きの状態で教師を勤められた赤尾先生のような制度が特別なものでない時代がくることを願ってやみません。

 

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映画「東京家族」を観てきました。

2013-01-19 22:04:15 | 映画

映画「東京家族」を観てきました。公開初日の朝一番の映画を観ました。

今回の映画は小津安二郎監督の「東京物語」のオマージュと言うことで、非常に楽しみにしていました。

映画館は初日の朝一番なのにいつもよりお客は入っていました。

それも年配の方が多くて、何かとタイアップしているのかもしれないとも思ったほどです。

初日ですので、あまり深く感想を言うわけにはいかないと思いますが、率直に言って見事としか言いようがありません。

小津監督の「東京物語」がなくて、今回の映画が初めての作品だとしたら、最高傑作といいたいと思います。

ただ、小津監督の「東京物語」を踏み台にしてできあがった作品だけに作品の評価というのは微妙なものがあるかもしれません。

映画を観終わって、自分がこんなに映画を観て泣く人間だと初めて知りました。

これも、年をとったと言うことかもしれません。いろんな場面で泣いてしまいました。

出演者は見事な配役で、それぞれ演技をやりきった観があります。

瀬戸内海の島から東京へ出てくる老夫婦に橋爪功(平山周吉)吉行和子(平山とみこ)

長男夫婦に西村雅彦、夏川結衣、次女夫婦に中嶋朋子、林家正蔵、

風采の上がらない次男に妻夫木聡、その恋人に蒼井優

ほとんどその4つのカップルで動いているのですが、それぞれの持ち味を台詞や所作で見事に演じ分けているのです。

映画は、もともと知られている「東京物語」をベースにしているので、映画のあらすじを言っても構わないかも知れません。

「東京物語」が1953年の作品で、今回の「東京家族」が2013年ということで60年の隔たりがあることで設定や、家族のありようをいろいろ工夫している様子が見られます。

でも、面白いのは、台詞やいろんな場面が「東京物語」を踏み台にしているのがとても興味深いものがありました。

2012年5月、瀬戸内海の小島に暮らす平山周吉(橋爪功)と妻のとみこ(吉行和子)は、子供たちに会うために東京へやってきます。

東京物語の笠智衆や東山千栄子は、尾道からやってくることになりますが、尾道が街になりすぎたということかもしれません。

品川駅に迎えに来るはずの次男の昌次(妻夫木聡)は、間違って東京駅へ行ってしまいます。

せっかちな周吉はタクシーを拾い、郊外で開業医を営む長男の幸一(西村雅彦)の家へと向かいます。

東京物語にはなかったシーンです。前回にはなかった次男の昌次の立ち位置を示すために大事な場面だったと思います。

「全く役に立たないんだから」と、不注意な弟に呆れる長女の滋子(中嶋朋子)の存在もなかなか見応えがあります。

ちなみに東京物語では杉村春子が演じてます。

掃除に夕食の準備にと歓迎の支度に余念のない幸一の妻、文子(夏川結衣)もしっかり者として演じられています。

やがて周吉ととみこが到着し、大きくなった二人の孫に驚きます。

ようやくイタリアのフィアットのおんぼろ車に乗って昌次も現れ、家族全員が久しぶりに顔を合わせ、夕食のすき焼きを囲みます。

「東京物語」でも夕食の献立はすき焼きで文子が「お刺身でも取りましょうか?」と聞いて「いいだろう」と否定するシーンも同じです。

日曜日、幸一は次男の勇を連れて、両親をお台場から横浜見物へと連れて行く予定を立てます。
 
ところが、患者の容体が悪化し、急な往診に出かけることになります。
 
とみこは、すねる勇と公園へ行くが、まだ9歳なのに将来をあきらめている孫の言葉に溜息をつきます。

周吉ととみこは、今度は滋子の家に泊まりに行きます。
 
美容院を経営している滋子は、忙しくて両親をどこにも案内できません。
 
夫の庫造(林家正蔵)は、周吉のことを「学校の先生だったから話が理屈っぽい」と煙たがっていましたが、駅前の温泉へと連れ出します。
 
滋子に頼まれて、昌次は両親に東京の名所を巡る遊覧バス案内します。徹夜あけで疲れている昌次は居眠りばかりです。
 
帝釈天参道の鰻屋で、昌次がビールを注ごうとしても周吉は断ります。
 
昔は相当な酒飲みで酒癖も悪かったが、幸一から忠告されてキッパリと断酒しています。
 
舞台美術の仕事をしている昌次に、周吉は将来の見通しはあるのかと問いただします。
 
「この話はやめよう」と昌次は突っぱねます。周吉は昔から昌次に厳しく、昌次はそんな父が苦手です。

その頃、滋子は訪ねてきた幸一にある提案をしていました。
 
忙しくて両親の相手も出来ないから、お金を出し合って横浜のホテルに泊まってもらおうします。
 
横浜のリゾートホテルの広い部屋で、何もすることがなくただ外を眺める周吉ととみこです。
 
「東京物語」では熱海に泊まる計画を立てます。熱海に泊まった二人は、宴会や麻雀の音で眠れない夜を過ごします。
 
周吉はネオンに輝く観覧車を見て、結婚する前に二人で観た映画『第三の男』を懐かしみます。
 
横浜のホテルでは中国人観光客がホテルの従業員と大きな声で何かもめています。

寝苦しい夜が明け、周吉ととみこは2泊の予定を切り上げて、帰ってきてしまいます。
 
そんな両親に、うちで商店街の飲み会を開くから、今夜はいてもらっては困ると滋子言い放ちます。
 
周吉は同郷の友人、沼田(小林稔侍)宅へ、とみこは昌次のアパートへ行くことにします。
 
このエピソードも「東京物語」と同じです。
 
老夫婦が座って時間をつぶす場所が前の映画の時は上野公園で今回は池袋のデパートの屋上の違いくらいです。
 
「東京物語」の時は、代書屋をやっている服部宅へ泊めてもらおうとして、警察署長をしていた沼田(東野栄治郎)を呼び出した3人で飲むことになります。
 
今回は、沼田に連れられて服部宅に伺う。そこで未亡人に「学テや、勤評闘争、道徳教育のことでずいぶんアドバイスをもらった」と言っています。
 
周吉は教員組合の人間なのか、管理職側の人間なのかちょっと興味がわきました。
 
仏壇には、服部の写真ともう1枚写真がありました。
 
最近亡くなった老婦人は大船渡で、3.11犠牲になって遺体も見つかっていないと語らせます。父も南方の海で戦死し、遺体がないままだと語らせます。
 
沼田と周吉は二人でカウンターで泥酔するまで飲んで「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃの」とぐちりあいます。
 
店のカウンターにはおかみ役で風吹ジュンがいます。無愛想な演技は、「東京物語」と一緒です。
 
久しぶりの母親の手料理を美味しそうに食べる昌次を、とみこは嬉しそうに見守ります。
 
その時、母に紹介しようと呼んだ、恋人の間宮紀子(蒼井優)が現れます。
 
とみこはすぐに明るい笑顔の紀子を気に入ります。
 
紀子が帰った後、昌次はボランティアで行った福島の被災地でひと目惚れしてプロポーズしたことを打ち明けます。
 
紀子をすっかり信頼したとみこは、翌朝出勤前に朝食を届けてくれた彼女に、もしもの時にとお金を預けます。

一方、周吉の方は大変なことになっています。
 
沼田に宿泊を断られた上に泥酔し、滋子に大迷惑をかけて、幸一の家でようやく落ち着いたところに、とみこが満面の笑みで帰ってきます。
 
ところが、何があったかを話す前に、とみこは突然倒れてしまいます・・・。
 
「東京物語」紀子役を原節子が演じます。紀子は戦死した次男の嫁で8年も独身を通して、元夫の両親に尽くす役所です。
 
今回の紀子の設定は興味深いものがあります。
 
テーマがまさに家族になっているために、家族でない人たちが家族のように手をさしのべてくれるシーンも多くあります。
 
昔から家族だった人たち、今まさに家族になろうとしている人たち、家族同然のつきあいをしてきた人たちいろんな人のつながりをテーマにしているようにも思えます。
 
前作のオマージュと言うことで評論家は何というかわかりませんが、私は最近観た映画のなかでは一番のできだと思います。
 
ぜひ、映画館で観るべき映画だと思います。
 
おそらくもう一度観に行くと思います。
 

 

 

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『レ・ミゼラブル』を観てきました

2012-12-23 00:35:41 | 映画

「レ・ミゼラブル」を観てきました。

ミュージカル映画というのはそもそも苦手なのですが、今回は行ってしまいました。

このミュージカルは全世界で上演されていて、とてつもないロングランを続けているということもあり、やっぱり観ておかないといけないだろうと思いました。

DVDだと最後まで観る自信がなかったのもきっかけです。

…とどう見ても肯定的な意見で始まってないのですが、やっぱり私が感想を言えるような映画ではないな…というのが正直な感想です。

死ぬ間際の人が歌を歌い続けるというのも違和感があるのです。

文庫本で5冊になるという大河小説を2時間38分で表現するのだから、その苦労はとてつもないものになります。

映画のセットや衣装、時代考証、登場人物、エキストラまで見事な舞台演出になっていました。

どれだけお金と情熱をかけているんだろうと思いました。

そういう意味では素晴らしい映画なんだろうと思います。

日本でこの映画をつくることはおそらくできないだろうと思います。

そういう意味からはアカデミー賞の部門にはほとんどノミネートされるだろうし、いくつかの部門では受賞するに違いないと思いました。

映画で歌われている曲は、すでにミュージカルで評価されているものばかりなので素晴らしいものばかりなのです。

また、この映画は口パクではなく、演技しながら実際に歌っているそうです。

1台のピアノが演じ手の歌に合わせて演奏されたそうです。

主導権は演じる側にあって、演技のリズムに合わせて伴奏が用意されるという形で撮影されたそうです。

オープニングの〈プロローグ「囚人の歌」〉では、押し寄せる波をかぶりながら、徒刑囚たちが船を引き寄せるシーンは大迫力でした。

「下を見ろ。決して上を見るんじゃない」と歌いながらロープを引き寄せるシーンは本当にインパクトがありました。

配役は、そうそうたるメンバーがラインナップされてあって話題になっています。

でも、そのことが観客の違和感を引き起こさなければ…とも思います。

主役のジャンバル・ジャン(ヒュー・ジャッィマン)は、いい演技をしていたと絶賛されていますが、

私はどうしても『X・メン』の印象が強すぎて、なかなか映画に入り込めませんでした。

ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)は、工場で勤めている間は、可愛らしい可憐な女優という感じでした。

まさに『プラダを着た悪魔』のイメージでしたが、髪の毛をばっさり切ってからは同一人物とは思えないほどの存在感を発揮していました。

なかでも『夢やぶれて』を歌うシーンは迫力がありました。虐げられた者の悲しみと思い通りにならない人生への絶望を切々と、

激しい怒りも交えて、最後は諦めに近い表情で歌い上げる様子は観る者を揺り動かしていきます。

他にも、ラッセル・クロウやアマンダ・セイフライトなどが出演していてファンにはたまらないのではないかと思います。

ミュージカル特有なのかもしれないけど、この映画はクローズアップがすごく多かったように思います。

クローズアップの場面では、周囲の流れが止まったように感じます。

でも、引きになると時間は動いている。

そこらへんも違和感に感じるところかもしれません。

登場人物が何人か出てくるのですが、エポニーヌ(サマンサ・バークス)に共感して、映画を観ていました。

片思いのマリウスのことを思いながら切々と訴える心情がなかなか胸に迫るものがありました。

原作のテーマも、映画自体のトーンもキリスト教の倫理観に基づいているので

そこも考慮に入れながら観なければいけないのだと思います。

また当時の時代背景も考えていくと面白いのかもしれません。

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映画「黄金を抱いて翔べ」を観て

2012-11-21 23:52:27 | 映画

地域コーディネーターをしていると、いろいろな出来事に出会います。

ほとんどが人がらみで、またそのほとんどが、数回の出合いになります。

その数回の出合いや相談をどう過ごすのかによって考え方が変わると思います。

「数回しか会わないんだから…」にするのか「数回しか会えないんだから…」にするかそのことも考え方次第なのだと思います。

日頃の言動からは想像もつかないかもしれませんが、私は後者に位置します。

今現在の私の持っている力をフルに動員して対処しようとします。

相手の表情を窺ったり、反応を探りながらの対応となります。だから、いつも終わった時には充実感と適度な(相当の)疲労感が伴います。

家に帰ってテレビを見たり、こたつでうたた寝しているとケロッとしまうのですが、年のせいか、この頃どうしても気分が冴えません。

今日(水曜日)は見事にコーディネーターのスケジュールも学校の行事も入っていませんでした。

本当は入っていたのですが、相手校の都合でぽっかり空けることができました。ここは、休んでしまおうと思いました。

職場には休暇を届けて、朝一番に映画を観に行くことにしました。

リフレッシュするためにはいつもと違う環境に身を置くことが一番なのです。

幸い井筒和幸監督の『黄金を抱いて翔べ』をやっています。

井筒ワールドに身を置くことは異次元に入るためには最高かも知れません。

朝8:50の映画に間に合うように家を出ました。

さすがに職場関係者には会わないだろうと、安心していたらチケットを買って入場口に向かう途中でにこやかな笑顔を向けられてしまいました。

見ると、見るとかつての同僚のYさんと保護者のIさんがいます。

仕方ないので「心が風邪を引きかけているので…」と正直に言いました。

彼女たちは「リンカーン」を観る予定だそうです。

さて、映画ですが、さすがに井筒和幸監督です。

アメリカンニューシネマ風な描き方をさせるとこの人の右に出る人はいないと思わされます。

原作は村薫の『黄金を抱いて翔べ』です。この作品は、高村薫さんのデビュー作で発表されたのは90年です。

けっこう前の作品です。前からマークして構想を温めていたんだと思います。

目の付け所が違いますね。『黄金を抱いて翔べ』は、主人公6人がみんな社会からちょっと外れたアウトロー。

生活に追い詰められた男たちが一発逆転をねらって必死の行動に出る。

銀行地下に眠っている金塊強奪を企てるというストーリーです。

ハリウッド映画ならよくあるストーリーのような気がしますが、

これを日本でしかも大阪で撮影しようとするところが井筒ワールドといったところでしょうか。

事件が起きる街がどこなのかによって映画の質は変わると思います。

大阪を舞台にすることによって、生活感がリアルに出てきて、空気感も含めてよりリアリティーが出て来たように思います。

ただ、今回違うのは出演者だと思います。

今までほとんど無名の若手の役者やお笑い芸人を使ってきた井筒監督が、

妻夫木聡、浅野忠信、東方神起のチャンミン、西田敏行、桐谷健太、溝端淳平と流行の役者それもイケメンを揃えてきたことです。

その結果かどうかわかりませんが、井筒さんのカラーが少し薄まっていたように思います。

それぞれの役者の個性や観る側がすでにもっているイメージがあるために、いつもとどこか違うのです。

それはそれで成功なのではないかと思います。

妻夫木聡は、いつも一所懸命演技しているように感じられます。

「ウォーターボーイズ」や、「69」の頃の脳天気で元気の良かった時代から、「悪人」の影のある演技まで、存在感のある役者だと思います。

この前が「愛と誠」だけに役の演じ分けは見事だと思います。

山田洋次監督の「新東京物語」も今から楽しみです。

浅野忠信の演技はまさに怪演ということばが一番当てはまるように思います。

大胆な犯罪計画を企て、実行する男と、平凡な家庭人を気負わずに演じるところが彼のすごさだと思います。

もう一人原作でも謎の男として描かれていた爆弾工作員モモ役のチャンミンです。

透明感のある青年でありながら、確かな存在感がそこにあるような青年を見事に演じていたと思います。

私は東方神起がどういう存在なのか知らないので、何とも言いがたいのですが、映画のワンシーンで面白い場面を観ました。

幸田(妻夫木聡)と再会するシーンのことです。

アルバイト先の豆腐屋では頭にタオル、首元の伸びた地味なブルーのTシャツで豆腐をすくうモモ(チャンミン)がいます。

買い物をしにきた主婦のセリフ「あんた、豆腐屋もったいないわー」と言う場面があります。

ここで場内にいた女性たちの笑い声がしてきました。この日はレディースデイで女性の客が多かったのです。

そこで映画館に入った時に少し思っていて疑問が解決しました。

井筒映画なのに女性の姿が目立つのです。今まででこんなことはありませんでした。

チャンミン見たさに来ている女性たちがいるんですね。

個人的にひいきをしているのは桐谷健太です。

パッチギの時は笑いを取るための配置でハイテンションな役所でしたが、今回はぐっと抑えめな役所です。

唯一、関西弁を話す人物であり、メガネとちょろりと長い後ろ髪がすでに胡散臭いシステムエンジニアを見事に演じていました。

ギャンブル依存症でリストカッター、何をしでかすのかわからない春樹に溝端淳平を配置しています。

この青年の立ち位置がよくわかりにくいところですが、

道化回し的な存在でドラマを展開してためには必要なキャラクターなんだと思います。

もう一人不思議な存在が西田敏行です。

映画の前半ではこの役は西田敏行でなくてもいいんじゃないかと思っていましたが、

映画がどんどん展開し始めるとここに西田敏行を配した意味がわかってきます。

もう一人忘れてはいけない人がいます。中村ゆりです。

「パッチギLove&Peace」の時にキョンジャをやった女優さんです。今回は浅野忠信演じる北川の妻を演じています。

透明感のある存在なのですが、どこか薄幸の臭いを感じてしまう女優さんです。

登場した時から何かしら事件に巻き込まれて不幸になることを予想させる存在です。

銀行の金塊強奪だけに終わらないのが井筒監督です。

それぞれが過去と事情を抱え、チームとして金塊を狙いながらも、誰が信用できるのかさえはっきりしない6人の男たちを描きます。

特にモモの存在が大きなウェイトを持っています。

国からは裏切り者扱いされ、兄を殺さなくてはいけないほどの極限の状態に追い込まれます。

モモが、どんな変化をしていくのかも見どころでもあります。

幸田とモモの絆は、傷を持っているもの同士と考えるべきか、もっと違うものと考えるべきか。

幸田がモモの頭をくしゃっとするシーンは、ちょっと違和感があるシーンです。

クールな二人にとって妙にウェットな描写です。原作はどうだったっけ?と考えてしまいまいした。

 もう一つ、気になるのは、登場人物の何人かが半島の影を引きずっているのかということです。

 元北朝鮮工作員のモモ(チャンミン)、末永(鶴見辰吾)も二重スパイとして登場します。

そして主人公の幸田弘之(妻夫木聡)すらその気配があります。

弘之が時々フラッシュバックで見る船でどこかの港に着く光景はそれを暗示しています。

弘之と北朝鮮の関係はどこにあるのか少し不思議な気がします。

もしかしたら、帰還事業に関わっていたのかもしれないとも思えます。

工作員モモとの関係はどうなんだろう?この2人には裏世界で生きざるを得ない暗黙の約束事のようなものが感じられます。

大阪のアパートに落ち着いた時に対岸にモモのアパートがあるのも予定調和のような気がします。

 弘之のアパートは友達の北川浩二(浅野忠信)が紹介した物件です。

浩二も北朝鮮関係と考えることの方がわかりやすいと思われます。

浩二も元々モモが何者か知っていたのではないかとも思えます。

彼ら皆、北朝鮮につながっているアウトローと解釈した方がわかりやすいかもしれません。

そうなると、あのジイちゃん(西田敏行)すら、その関係者であるかもしれません。

弘之は「人のいない土地」に行きたいと言っているけど、それは国籍のない世界と理解した方がいいと思います。

もう国籍で人生を翻弄されたくないという意味だと思います。

金塊もまた札束とは違い「国家が消滅しても残る」(浩二)国籍に関係なく価値が通用するということばも意味が通じてきます。

どんどん、疑問がわいてきます。もう一度観た方がいいかもしれませんね。

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映画「北のカナリアたち」を観ました。

2012-11-12 00:03:56 | 映画

「北のカナリアたち」を観ました。

井筒監督の映画と悩んだのですが、今回は吉永小百合優先と東映創立60周年記念作品に釣られました。

一緒に行く人の趣味もあったのですが…。

今回の原作は湊かなえということもあって、サスペンス要素もあるのかな?と思いましたが、ことのほかヒューマンドラマの群像劇でした。

ただ、荒々しい北海道の自然は余すところなく描かれています。

カメラマンが「八甲田山」や「剱岳」の木村大作さんです。

荒々しい北海道の大自然を切り取った力技のようなカメラワークには圧倒されます。

ストーリーをあまり言うのは何なのですが、でもある程度語らないと意味がないので少しだけ触れながら感想を言いたいと思います。

北海道の最北端の礼文島の児童6人の分校に勤めていた女教師川島はる(吉永小百合)はある事件をきっかけに島を追われます。

20年後東京郊外の図書館で働いていて、もうすぐ定年になろうとする時に、突然刑事が二人訪ねて来ます。

教え子の一人が殺人事件の重要参考人にされているとのこと。

しかもその教え子の所に自分の住所と電話番号が書いてあるメモがあったとのこと。

「なぜあの子が…」との思いから、はるは20年ぶりに島を訪れる決意をします。

真相を知るために大人になった子どもたちと再会をする決意をします。

再会をするということは、20年前の事件の封印を解いていくことになるという辛い事実も待っています。

成長した子どもたちは皆、はるが島を追われるきっかけとなった事件のことで、深く傷つき、悩みを抱えて生きていました…。

子役の子どもたちが演じる歌声は実に清楚で美しいものです。

サントラを探して何とか購入したいと思ったほどです。

6人の児童のうち鈴木信人という子がとても気になりました。

将来殺人事件の容疑者として追われる身になるわけですが、この子が困難になると大きな声で叫び泣き出すのです。

叫び出すと教室から飛びだし、海の近くまで走り出すのです。

明らかに発達障害的な行動を示すのです。軽度の知的障害か、発達障害なのか、それとも環境からくるものなのか大変興味を持ちました。

この子が発する音声から音階を引き出し、ロシア民謡の「カリンカ」を歌わせ、合唱まで導く教師の実践のエピソードは面白く感じました。

子どもの奇声と同じ音をピアノで探りながら教師が同じ声を出す。

子どもの問題行動に共感しながら、意味づけをし、正しい方向へ導いていく。特別支援教育のお手本的行動です。

できすぎたエピソードなのですが、ある意味で本質を描き出しているのではないかと思いました。

そこから、子どもたちの合唱に才能に気づき、彼らを熱心に指導していく教師を演じるのが吉永小百合だけに「うーんきれい事過ぎる」とも思えます。

まして、脳腫瘍を患って余命いくばくもない夫を気遣って献身的に勤めているというのは、吉永小百合ならではという面が出過ぎなのです。

でも、彼女には理性では絶ち切れないどろどろとした恋心があったのです…というところなのです。

そこから先のストーリーはさすがに公開して間がないということで、言えないかな?

どろどろとした恋心と、児童たちの互いに対する嫉妬や、夫の突然の死とそこをひもといていくところが、

サスペンス的要素なんだろうけど、今回はそのことより、子どもたちの歌声や大人になってからの子どもたちの純粋な友情のあたりがこの映画の見どころかも知れません。

成長した生徒達を演じるのは、森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平といった若手実力派で、皆、好演をしています。

森山未來に至っては見事な演技です。

もう一人、宮崎あおいは目だけで演技できる女優なんですね。吉永小百合と堂々と渡り合っている感じがしました。

大した役ではないし、出演時間も長くないのに存在感十分です。

もう一人松田龍平は何とも言えない怪演ぶりです。何かしそうで、何もしないところがドキドキさせられてしまいます。

唯一満島ひかりさんだけは、彼女の魅力が出ていない気がしました。もう少しはじけた演技が見たかったと思いました。

 

見方によっては、はる先生と傷心の警官の“不倫もどき”がサラッとしすぎているという意見もあるかもしれません。

本来事件の鍵となるはずが、淡泊に描かれすぎているかもしれません。

吉永小百合の立ち位置や年齢の問題かもしれません。違う女優が演じていたらまた違った演出になっていたのかもしれません。

そういう意味からは評価が分かれるかも知れません。

私個人的には後味の悪い作品を見るよりは、子どもたちの歌声に心を揺さぶれた日曜日ということを良かったと思っています。

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