とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

萩民謡「男なら」

2007-10-31 00:04:15 | 日記
昨日、紹介した萩八景遊覧船に乗ると小さなパンフレットを渡されます。
裏側に萩民謡の「男なら」が載っていました。
「男なら」を民謡とするかどうかには少し疑問があります。
民謡は、ほとんど民衆の歌で、農作業や子守などの時に歌われてきたものです。
どこか、哀愁のある節が印象的なものが多いように思います。
この「男なら」は、ほとんど軍歌のような雰囲気がします。
幕末の四国連合艦隊下関砲撃の際、萩の菊ヶ浜に築いた土塁があります。
この土塁を築く際に、男はほとんど下関方面に出かけていたので、武士の妻や女中たちが働いたとされます。
土塁は「女台場(おなごだいば)」と呼ばれています。
この時に、士気を高めるために歌われたとされています。
その後、明治になって、宴会の席で歌われてとぎれたものを再び復活させたとされています。

>男なら
>お槍かついでお中間になって
>ついて行きたや下関
>お国の大事と聞くからは
>女ながらも武士の妻
>まさかの時にはしめだすき
>神功皇后さんの
>雄々しい姿が鏡じゃないかいな
>オーシャリシャリ

こういう歌詞になっているそうです。
最後の神功皇后がくせ者です。
彼女は神話上の人物で架空の人物です。
明治時代に出たお札の最初の顔が神功皇后だったそうです。

萩に行った次の日の新聞に神功皇后のことが載っていました。

「江戸時代の末期から明治時代にかけて、神功皇后の朝鮮侵攻の絵が盛んに描かれました。描き手には浮世絵師の広重や国芳もいます。色鮮やかな錦絵です。たくさん刷れる木版画の錦絵は新聞のような役割も果たしていました。
 東京港区の韓国中央会館で「錦絵から見た幕末、明治の東アジア観」が開かれています。90点あまりを展示中です。
勝って凱旋する神功皇后、彼女にひれふし、金や銀を貢ぐ新羅の役人。……。やがて錦絵は神話と歴史物から時事画へとうつっていきます。……
 隣国を「征伐」する相手と見下していた日本の近代化。錦絵はそんな思想をあおったのでしょう。日韓人歴史資料館の姜徳相(カンドクサン)館長は言います。「錦絵から日本の過去を直視しよう」(赤旗 潮流より)


明治維新の中心になった長州藩。その後の明治政府の中でも多くの官僚を出してきています。日本陸軍の中心になった人物も山県有朋をはじめとして数々います。
朝鮮出兵、朝鮮併合、朝鮮支配へとつながる思想への一端をみたような気がしました。
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萩を歩いてみました②

2007-10-29 22:42:38 | 写真日記
東光寺~松下村塾を後に萩城趾に向かいました。
駐車場に車を停めて、城下町の土塀でも撮ってみようか考えていました。
駐車場の手前に青い幟がたくさん立っているのに気づきました。
遊覧船の幟です。
川面から見る萩の街もいいかもしれないと思い、乗ることにしました。
ブログを始めてからこのあたりの軽はずみさが身についたようです。
40分1200円の旅のスタートです。

リーフには「萩、水風景ゆらり旅 萩八景遊覧船」と書いてありました。
漁船を改造したような小さな船です。
定員は12人だそうです。
ここまで言うと優雅に見えますが、柳川下りと違い、モーターで動くのです。
少し興ざめな感じもしますが、40分であちこち旅するのはこのくらいでないと無理なのかもしれません。

 

橋をくぐり橋本川に入ったところで船はスピードをゆるめます。
対岸に「釣りバカ日誌12」の舞台になった家があります。
青島幸夫が都知事をやめてから出演した映画です。
青島と宮沢りえが住んでいた家です。

 

橋本川のあたりは大きな松の木がたくさん生えています。
このあたりは、平安子(ひやこ)と呼ばれ、古い屋敷が多いようです。
元総理の田中義一の旧宅も見えてきます。
田中義一と言えば、山東出兵や、第1回普通選挙(男だけ)、3.15弾圧と連想してしまいます。

 

この日は快晴に近いくらい、いい天気で空は秋の様子を見せていました。

 

川幅が広くなっている河口付近をゆっくりと進んでいるととても贅沢な気分で気持ちよくなってきます。
ここに酒でもあれば、大名の船遊びという感じなのかもしれません。

少し行ったところでUターンです。
今まで通った川沿いを引き返していきます。
乗船した場所を通り過ぎて海へと向かいます。
海へつながる橋は非常に低いために、電動で船の屋根が下がる仕組みになっています。
満潮時には客も頭を下げないといけないそうです。

 

海に近づくと、防波堤の上にはたくさんの人がいました。
目が合うくらいの近さです。
釣りをしている人、昼ご飯を食べている人、ジュースを飲んでゆっくりしている人それぞれ、面白いなあと思い、船からパチリ!パチリ!

 

 

いよいよ海に出ました。
天気が良く、風もないのであまり揺れませんでした。
海から見る指月城はなかなかでした。
このアングルは初めてだと少し感激しました。

 

 

海に出て平べったい島ばかりをながめて、帰路につきます。

 

船を下りて、少しだけ萩城趾を歩きました。

 

船で満足してしまい、当初の目的の城下町を歩くのはまた次回ということになってしまいました。     
      
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萩を歩いてみました。

2007-10-28 22:58:15 | 写真日記
久しぶりに休日に萩出かけました。
仕事で行くことはあっても、ぶらりプライベートで行くことはほとんどありません。
初めは、城下町の写真でも撮ろうかと思っていたのですが、山道を通って向かううちに、萩に到着したのが、東光寺が一番になってしまいました。
そういえば、東光寺も久しく行っていないことに気づいて、立ち寄ることにしました。
東光寺は藩主毛利家の菩提寺で、3代藩主が建て、奇数代の藩主とその妻の墓があるお寺です。
墓の前には、500基と言われる石灯籠が整然と並んでいます。
旧盆の送り火は、この石灯籠にすべて灯が入り、幻想的な風景を作り出すようです。(見たことはありません)

 

境内は、紅葉の季節はいいだろうなと思わせる場所がいくつかありましたが、気温のせいで、葉っぱはまだまだ青々としていました。

 

石灯籠は、日陰のせいかだんだん苔むしてきています。
見た目にはいいですが、このまま行くと危険な状況になるのではないかと心配になりました。

 

歩いていると観光客らしい関西弁が聞こえてきます。代表の男の人が説明していますが、明らかなうそ情報も聞こえてきます。
正しいことを教えてあげたくて、むずむずしてきます。
でも、その人のプライドもこわしてしまいそうだし…。
真実を知ることが大切か、そのグループの人間関係を大事にしてあげるのがいいのか試案のしどころ…。
結局黙って通り過ごすことにしました。
それにしても、中年から老年の男性はどうして知ったかぶりをしてまでかっこつけるのですかね?

 

 

続いて、久しぶりの松陰神社に行きました。
松下村塾を再現して、その周辺を神格化した変な空間であまり好きではない場所なのですが、東光寺から近いので立ち寄ってみることにしました。
もともと歴史好きで明治維新のエネルギーにもすごい惹かれるのですが、こうして個人を神格化するのはいかがなものかと思います。
吉田松陰が弾圧で処刑されてから、まだ150年くらいなのに、神とあがめられて神社になる発想がすごい!

乃木希典や東郷平八郎も神格化されているところをみると、だいたい傾向がわかるのかもしれません。

山口県にいると松下村塾やその門下生たちの名前は知っていて当たり前のところがありますが、世間ではそれほど知れ渡っていることはないようです。
私の場合は、明治維新100年という山口県をあげてのキャンペーンの時に小学6年生だったこともあり、様々な影響を受けながらやたら詳しくなっています。

吉田松陰という人は不思議な人で、戦争遂行の人たちからも持ち上げられるし、革新的な人たちからも持ち上げられる人です。
松陰神社は、宝物殿の建築で工事中だったりとどんどん新しい建物が建っています。
小学生の頃は、こんなに神格化されていなかったような…(記憶は曖昧)
歩いていたら、お守りの販売のための巫女さんが二人歩いてきました。
赤白のあの衣装はモノトーンの中に何とも映える衣装ですね。

  


   

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自分の感受性くらい

2007-10-25 23:26:52 | 日記
連続テレビドラマというのは観なければ観ないで済むものですが、見はじめるとついついはまってしまうものです。
以前もいくつかのドラマにはまって毎週のように見てしまったことがあります。

障害児・者をテーマにしたものは、仕事上絶対見逃さないようにしているのですが、それ以外はあまりはまらずにいようと思っています。
あの途中ではさまるコマーシャルがどうもいやな気になるのです。
通勤途上の車の中では、FMを聞くことが多いのですが、最近のFMはコマーシャルが多いですよね。
以前、FMを聞くことをエアチェックと呼び、その専門の雑誌が出ていた頃は、コマーシャルも少なく、しゃべりもほとんどなくて、音楽を2,3曲かけっぱなしというような番組が多かったですね。

さて、本題に戻ります。
今何にはまっているかといえば、木曜日9時の金八先生なのです。
職員室に教師がほとんどいないこと、明るい土手を生徒と一緒に先生が帰っている姿など、非常にチープな作りになっている点は「そんな奴はおらんやろ~」と少し興ざめするところはあるのですが、金八が持ち出す教育の引き出しというものに興味をもっています。

今週のテーマは制服や校則でした。
制服を着てこずに私服登校する生徒に対してどう指導していくのかというテーマで議論していきます。

「どうして制服を着ないのか?」という問いかけに対して、本当に真実で答えられることができるのか。

校則やきまりの中で「自分らしく生きたい」と願うことが悪なのか…
そういう問いともう一つの切り口…

「人と同じことをしたくない」「自分らしく生きたい」「自分らしくってなに?」そういう問いも難しい問題です。

人と関わったり、学校を始め、いろんな組織に入ることで自分らしさがなくなるのか?
そんなこんないろんなことを考えさせられるドラマではありました。

今回は私服の女生徒に考えるきっかけを与えることになったのはまたまた茨木のり子さんの詩でした。

自分の感受性くらい 茨木 のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

若い時に読んで、感銘を受けた茨木氏の詩の数々がまた心に染みこんできます。
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秋の風景

2007-10-24 13:46:17 | 写真日記
先日、周南市の山間部の小学校に出かけた時のことをブログに書きました。
山間部にある学校ということで、どのくらい時間がかかるかわからなかったために少し早い時間に到着していました。
そのまま学校で待たせてもらうのも迷惑かもしれないと思い、周辺を散策することにしました。
「棚田と…の里」という看板につられて車を走らせているとだんだん道が狭くなってきます。
目当ての棚田は「あれだろうな…」と思いながら、でも工事の車が入っていて情緒も何もあったものではありません。
でも、そのまま走らせていると三叉路の分岐点に来てしまいました。
後ろからはライトバンが迫ってくるし、脇道にそれて車を停めました。
ライトバンの窓があき「どこへ行くんかいのー?」と声をかけられました。
「棚田を中心に写真を撮りたい」という話をすると、「この坂を上がったら景色がいいと思うよ」「そこにある家は映画“蛍の星”で下宿先に使われている家だよ」と説明してくれました。
そこまで行くと確かに視界が急に開けてなかなかの風景でした。

 

人家の横には薪がきれいに積んであってその模様もなかなかいいなと思いました。

少し降りてみると、反対側の坂道に向けて真っ赤な実がたわわに実っていました。そこだけは完全な秋の光景でした。

 

 

一番高い場所から下を見ると、棚田が整然と見え、反対側には遠くに中国山地の山々が見えています。
そこだけ見ると長野の高原に来ているような錯覚さえ感じます。

  

 ただ、その高台から車で降りるのがちょっと一苦労でした。車が離合できるような道幅ではなく、所々に広がっている所まで下がらないといけません。降りる時に1台の車と出会いました。相手の若い女性は全く下がろうとしないので、こちらがよけることにしました。
でも、すれ違う時に何のあいさつもなかったのでムカッとしてしまいました。
坂道を降りて県道に出ると、菅野ダムの近くだということがわかったのでそのまま足を伸ばすことにしました。

ダム湖に映える秋空は気持ちをリラックスさせるには十分でした。

 

    
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金木犀に思う

2007-10-24 10:20:54 | 日記
 まだまだ暑いと文句を言っていたのに気がつくとやっぱり秋の気配がしてきます。
ちょうど一ヶ月遅れぐらいで金木犀の甘い香りがどこからとなく漂ってきます。
この金木犀の香りは何とも言えない思いがあります。

高校生の頃、田舎だったためにかなりの距離を自転車で通学していました。
その途中でいろんな所から金木犀の香りが漂ってきます。
金木犀の咲く頃は、朝晩少し冷え込んでくる季節です。
自転車で通学する身は、暑さ寒さに敏感になります。
多感な高校生は甘い香りにいろんなことを感じます。

所変わって、高校を卒業してから東京に出ていました。
大学にも入れず、ぶらぶらしていた時のことです。
突然、本当に突然この甘い香りがしてきたのです。
そのとたん、東京のごちゃごちゃした街にいながら気持ちは田舎の高校生になっていました。

何とはなしに胸が締め付けられるようなそんな感覚を覚えました。
何かつらいことがあったわけでもなく、ホームシックにかかったわけでもなくそんな思いがあることをその時に知ったのかもしれません。

その時代は故郷は、帰りたい場所でもなくむしろ捨て去りたい場所であったはずなのに、突然感覚がスリップしてしまった妙な感覚…。
甘酸っぱい不思議な感覚なのです。
気障な言い方をすれば、青春の香りなのかもしれません。

以前この話を職場の飲みの席で言ったことがあります。
でも、共感してくれる人はほとんどいませんでした。
キンモクセイの香りは、トイレの芳香剤とイコールなのだそうです。
「この香りはトイレを連想する」と言われてがっくりしました。

思い出は人それぞれなのだから仕方ないことだと最近では胸にしまっておきました。

もちろん、今はそこまで感じることはありませんが、金木犀の香りは特別なものがあります。

 
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丘の上の校舎

2007-10-23 22:55:54 | 日記
 23日(火)の午後から周南市の北部に位置する小学校に出かけました。夏休みにも一度出かけている小学校で、校舎がとてもすてきだったので今回はカメラを持参して出かけました。

 本題は、特別支援教育について職員研修をすることが目的でしたが、少し早めに行って、校舎の写真を撮らせてもらいました。

 研修が終わってからも校舎の内部の写真を撮らせてもらいました。

 

 1時間程度発達障害について説明をしました。
 小さな学校なので先生たちは全部で6名です。
 とっても熱心に聞いてくれたのがとても印象的でした。

 

 説明の後で、この学校での取組についての説明があり、LD傾向の子どもに学校放送の係をやってもらうために、読みやすい原稿の工夫をしているという話を聞きました。
 成功体験を積ませることや、できたことを自分だけの所にとどめるのではなく、社会的評価につなげようとしている。それを学校全体で取り組んでいることに感銘を受けました。

 木造の暖かい校舎と同様、中にいる人間たちのぬくもりのようなものを感じました。

 

 校舎はL字状になっていて、左手に見える長い校舎は廊下でつながっています。廊下の長さは何と87メートルになるそうです。
 
 ここを毎日四つばいで雑巾がけしたら、きっと体力がつくでしょうね。

 

 映画のロケ地にそのまま使われそうな校舎に何とも言えない魅力を感じました。
学校を後にする時、車が出るまで全員で見送ってくれました。
本当に暖かい学校でした。

 車に乗るとすぐに高石ともやとナターシャセブンの歌がよみがえってきました。まさにこの歌詞のイメージがぴったりの学校のように思います。


丘の上の校舎

作詞P・ロバーツ
作曲J・ダッフィー
訳詞 高石ともや

1 背よりも高い草原(くさはら)を 駆けぬけて
  いつでも歌ってた 子どもの頃
  思い出を色で塗れば 明るい緑
  思い出を絵に描けば 丘の上の校舎


2 誰もいない教室で 泣いてたあの子
  今頃どこの街で 泣いているやら
  思い出を色で塗れば 明るい緑
  思い出を絵に描けば 丘の上の校舎


3 いつまでも忘れない あの日の空
  いつまでも忘れない あの日の歌
  思い出を色で塗れば 明るい緑
  思い出を絵に描けば 丘の上の校舎



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ちょっとレトロな喫茶店

2007-10-21 23:09:56 | 日記
 周南市にちょっとレトロな喫茶店があります。
少し前にローカルテレビで紹介していたので、一度行ってみようと思っていました。
この日は、すぐ近くの高校に出張でした。
約束していた時間に30分くらい余裕があったので、思い切って入ってみることにしました。
昔の病院(日下医院)の建物を利用してその中にいろんなショップが入っています。



その中に、このレトロな喫茶店“なぎさコーヒーショップ”があります。
ここの喫茶店は、コーヒーの入れ方講座をやるくらいコーヒーの入れ方にはこだわりをもっている店らしいです。
確かにコーヒーはおいしくなかなかのお味でした。
ブレンドコーヒーもまろやかなタイプと、こくのあるタイプの2種類があるようです。
お値段は、田舎の店にしては(失礼)ちょっとお高くて600円でした。
都会のコーヒーショップでは当たり前の値段ですが、田舎ではどうなんだろう?

 

 

    
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DVD「サン・ジャックへの道」を観ました。

2007-10-15 00:33:54 | 映画
この休日にTSUTAYAでDVDを借りました。
土曜日には「あかね空」日曜日には「サン・ジャッックへの道」を借りました。
どちらも映画館では観ていない作品です。
「あかね空」は、人情落語の世界でした。
感想はまた後日載せたいと思います。

「サンジャックへの道」はフランス映画なので、田舎の映画館にかかるはずもない作品です。

でも、なかなかの作品です。
こんな映画が観られない環境は寂しい限りだと思いました。

3人の兄弟が突然、亡き母親の遺産を相続することになります。でも、それには条件が示されます。フランスのル・ピュイからスペインの西の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで1500kmにも及ぶ巡礼の旅を3人が歩くことです。

3人はとても仲が悪く、一緒に過ごすことなどもっての他という関係です。長男は、会社経営とアル中自殺願望の妻のことで薬漬けになっています。亭主が失職中で、一人で家庭祖支えなければいけないために、頑固なオバサン教師の妹、アルコール漬けで家族にも見捨てられ一文無しの弟。

当然、険悪な3人が同行することになります。

このツアーの同行者は、ベテラン・ガイドのギイ、楽しい山歩きと勘違いしてお気楽に参加したハイティーンの女の子達、その子たちを追って参加したアラブ系移民の少年、その少年にイスラムのメッカに行けるとだまされて二人分の旅費まで出さされた少年。頭にスカーフを巻いている物静かな女性の9人。

果てしなく続く岩山の道。兄弟3人のけんかに端を発して、なかなかチームワークはできていかない。周囲にはとてもきれいな風景が展開するのだが、誰も見ようともしない。人種差別の発言も飛び出すこともたびたび…。

他のメンバーもいろんな事情がある。「メッカ」に行き、旅の間に失読症を直して大好きな母親に喜んでもらいたい少年ラムジィ、わが子が病気と知りながらガイドの仕事を続けるギイ、過酷な運命の中で絶望と希望の狭間にいるマチルド…。

爽やかな風を全身で受け、ピレネーを越え、フランスからスペインへ。
一行はまっすぐ続く一本道を、急勾配の道を、天候に関係なくひたすら歩き続ける。それは、まさに人生のように長く起伏に富んだ道。

夢の中に出てくる光景はそれぞれの問題を抱えていたり、いなかったり…時にはとてもシュールであったりもして興味深いものがあります。

9人が歩いてゆく風景は、ロングの映像も多く、風景だけ見ていても飽きない作品になっています。

9人のストーリーのうち誰に気持ちを寄せることができるかも興味のあるところです。私はラムジィの夢がとても印象的でした。

ぜひ一度観ることをおすすめします。TSUTAYAだったら新作のコーナーに並んでいます。
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3年B組金八先生

2007-10-12 00:11:10 | 日記
3年B組金八先生の第8シリーズが始まるとテレビで盛んに流していたので「また始まるんだ…」くらいの感覚でいました。
ましてや、今日(木曜日)がその日だとは知りませんでした。

朝刊をさらっと読んで、テレビ欄を見ていると金八の今日のタイトルが「ぎらりと光るダイヤのような日!」となっていました。
どこかで聞いたような気がすることばだな…とすぐにピンときませんでした。

車に乗って職場に行く間にもどこか気になって仕方なかったのですが、職場に着く直前にはたと気づきました。
昨年亡くなられた茨木のり子氏の詩のタイトルだったのです。
学生の頃は、何度も読んでいたにもかかわらず、忘れるものですね。

金八は、今回第1回目のスペシャルということで、2時間枠で放送ということになっています。
午後9時からの2時間の貴重な時間を、テレビに割くというのは少し抵抗があって、どうしようか迷っていましたが、結局ずっと見ることになってしまいました。

導入は、同僚の先生の痴漢騒ぎで幕をあけます。結局、痴漢に注意しているのを間違われただけだったことに落ちつくのですが、職員室で「義を見てせざるは勇なきなり」の金八と「君子危うきに近寄らず」の校長の対立になるところから始まります。

金八の教室は相変わらず、にぎやかで落ち着きのないクラスです。それぞれが好きなだけパフォーマンスをします。「そんなやつはおらんやろ~」と思うくらいいろんな子が標本のように存在します。このあたりは毎回少し鼻について仕方ないのですが…。

今回は『学校希望選択制』を巡っての議論をあえて仕掛けてきます。
子どもたちを置き去りにしての成果のみを追求する教育議論をふっかけてきます。このあたりがいつもながら、現代的テーマを問題にする良いところでしょうか。
東京では、生徒を奪い合うような風潮も出てきているようです。
その上に学力テストで学校のランク付けまで行って、それによって教育予算を割り振るところまで行われているわけですから、現実はもっと上を行っているかもしれません。

現実から逃避して、ネットカフェで寝泊まりしている女生徒のために、茨木のり子氏の詩の授業を始めます。
なかなか興味深い授業でした。改めて「ぎらりと光る…」の詩を味わうことができました。

「ぎらりと光るダイヤのような日」    茨木のり子

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後仕末をして
研究や精進や結婚などがあって
小さな赤ん坊が生れたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

<本当に生きた日> は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ
                 「茨木のり子詩集」 現代詩文庫20 思潮社

「本当に生きた日」何と重たいことばでしょう。
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