昨日、紹介した萩八景遊覧船に乗ると小さなパンフレットを渡されます。
裏側に萩民謡の「男なら」が載っていました。
「男なら」を民謡とするかどうかには少し疑問があります。
民謡は、ほとんど民衆の歌で、農作業や子守などの時に歌われてきたものです。
どこか、哀愁のある節が印象的なものが多いように思います。
この「男なら」は、ほとんど軍歌のような雰囲気がします。
幕末の四国連合艦隊下関砲撃の際、萩の菊ヶ浜に築いた土塁があります。
この土塁を築く際に、男はほとんど下関方面に出かけていたので、武士の妻や女中たちが働いたとされます。
土塁は「女台場(おなごだいば)」と呼ばれています。
この時に、士気を高めるために歌われたとされています。
その後、明治になって、宴会の席で歌われてとぎれたものを再び復活させたとされています。
>男なら
>お槍かついでお中間になって
>ついて行きたや下関
>お国の大事と聞くからは
>女ながらも武士の妻
>まさかの時にはしめだすき
>神功皇后さんの
>雄々しい姿が鏡じゃないかいな
>オーシャリシャリ
こういう歌詞になっているそうです。
最後の神功皇后がくせ者です。
彼女は神話上の人物で架空の人物です。
明治時代に出たお札の最初の顔が神功皇后だったそうです。
萩に行った次の日の新聞に神功皇后のことが載っていました。
「江戸時代の末期から明治時代にかけて、神功皇后の朝鮮侵攻の絵が盛んに描かれました。描き手には浮世絵師の広重や国芳もいます。色鮮やかな錦絵です。たくさん刷れる木版画の錦絵は新聞のような役割も果たしていました。
東京港区の韓国中央会館で「錦絵から見た幕末、明治の東アジア観」が開かれています。90点あまりを展示中です。
勝って凱旋する神功皇后、彼女にひれふし、金や銀を貢ぐ新羅の役人。……。やがて錦絵は神話と歴史物から時事画へとうつっていきます。……
隣国を「征伐」する相手と見下していた日本の近代化。錦絵はそんな思想をあおったのでしょう。日韓人歴史資料館の姜徳相(カンドクサン)館長は言います。「錦絵から日本の過去を直視しよう」(赤旗 潮流より)
明治維新の中心になった長州藩。その後の明治政府の中でも多くの官僚を出してきています。日本陸軍の中心になった人物も山県有朋をはじめとして数々います。
朝鮮出兵、朝鮮併合、朝鮮支配へとつながる思想への一端をみたような気がしました。
裏側に萩民謡の「男なら」が載っていました。
「男なら」を民謡とするかどうかには少し疑問があります。
民謡は、ほとんど民衆の歌で、農作業や子守などの時に歌われてきたものです。
どこか、哀愁のある節が印象的なものが多いように思います。
この「男なら」は、ほとんど軍歌のような雰囲気がします。
幕末の四国連合艦隊下関砲撃の際、萩の菊ヶ浜に築いた土塁があります。
この土塁を築く際に、男はほとんど下関方面に出かけていたので、武士の妻や女中たちが働いたとされます。
土塁は「女台場(おなごだいば)」と呼ばれています。
この時に、士気を高めるために歌われたとされています。
その後、明治になって、宴会の席で歌われてとぎれたものを再び復活させたとされています。
>男なら
>お槍かついでお中間になって
>ついて行きたや下関
>お国の大事と聞くからは
>女ながらも武士の妻
>まさかの時にはしめだすき
>神功皇后さんの
>雄々しい姿が鏡じゃないかいな
>オーシャリシャリ
こういう歌詞になっているそうです。
最後の神功皇后がくせ者です。
彼女は神話上の人物で架空の人物です。
明治時代に出たお札の最初の顔が神功皇后だったそうです。
萩に行った次の日の新聞に神功皇后のことが載っていました。
「江戸時代の末期から明治時代にかけて、神功皇后の朝鮮侵攻の絵が盛んに描かれました。描き手には浮世絵師の広重や国芳もいます。色鮮やかな錦絵です。たくさん刷れる木版画の錦絵は新聞のような役割も果たしていました。
東京港区の韓国中央会館で「錦絵から見た幕末、明治の東アジア観」が開かれています。90点あまりを展示中です。
勝って凱旋する神功皇后、彼女にひれふし、金や銀を貢ぐ新羅の役人。……。やがて錦絵は神話と歴史物から時事画へとうつっていきます。……
隣国を「征伐」する相手と見下していた日本の近代化。錦絵はそんな思想をあおったのでしょう。日韓人歴史資料館の姜徳相(カンドクサン)館長は言います。「錦絵から日本の過去を直視しよう」(赤旗 潮流より)
明治維新の中心になった長州藩。その後の明治政府の中でも多くの官僚を出してきています。日本陸軍の中心になった人物も山県有朋をはじめとして数々います。
朝鮮出兵、朝鮮併合、朝鮮支配へとつながる思想への一端をみたような気がしました。