昭和40年代に活躍した電車です。
山がちな路線でもスピードアップできるよう、自然振り子式の車体方式を用いることにより在来線の曲線の多い線区での高速化を実現ししました。
車体を大きく傾けてカーブを通過する姿が特徴的です。
塩尻-名古屋間など、カーブの多い区間を「しなの」のネームプレートを付けて走りました。
昭和40年代に活躍した電車です。
山がちな路線でもスピードアップできるよう、自然振り子式の車体方式を用いることにより在来線の曲線の多い線区での高速化を実現ししました。
車体を大きく傾けてカーブを通過する姿が特徴的です。
塩尻-名古屋間など、カーブの多い区間を「しなの」のネームプレートを付けて走りました。
金曜日はイマイチだった富士山ですが、月曜日の朝は見事な姿を見せてくれました。
日曜日の夜に宴を持ったホテルマウント富士にもう一度出かけてまず撮影をしました。
雪をかぶった南アルプスの絶景を見ることができました。
自衛隊の演習場も丸見えの富士山はあまり好きな光景ではありませんでした。
裾野まで全部見えていますが、余計なお世話という感じです。
山中湖まで降りて行き、金曜日の雪景色とは反対側の湖越しの富士山を撮影しました。
Ef58形は、登場したのは戦後すぐの1946年でした。
当初は、箱形車体の前後にデッキを持つスタイルでしたが、1952年に流線型車体に移行し、客車用暖房用の蒸気発生装置を搭載しました。
そして、この60号機は1953年にお召し列車専用機として浜松機関区に配置されました。
新幹線がない時代には、天皇が伊勢神宮へ行く(行幸)などのために浜松に置かれたようです。
葡萄色の車体に飾り帯があるのがお召し列車の特徴です。
1まいめはピントが甘くて申し訳ない。(_ _)
新宿で待ち合わせして家族で食事会です。
子どもたちの連れ合いが都合が悪かったので、純粋に親子4人で食事会をしました。
娘のリクエストでタカシマヤにある人形町今半ですき焼きになりました。
東京のすき焼きは味が濃いめでちょっと苦手だったかな?
自宅でやる汁だくの野菜たっぷりすき焼きの方が好きかな〜と田舎人らしい感想を持ちました。
等々力競技場を歩いていたら川崎ミュージアムにたどり着きました。
みうらじゅんの大きな写真があり、フェスをやっているとのことで息子と一緒に中に入ることにしました。
みうらじゅんという人のことはそんなに好きではないし、興味があるということもないのですが、いつもの「せっかくですから」のモードで入館しました。
みうらじゅんは、「アイデンアンドテティー」という大好きな映画の原作者ということだけは知っていました。
FES自体は1月27日〜3月25日までということでギリギリ入れたので、ラッキーだったのかもしれません。
1958年生まれですから私よりは2つ年下ということで、子ども時代から青春時代まで同じような空気感の中で育ったということからは、興味深い世界感かもしれません。
幼少期からの写真に続いて、興味も持ってコレクションしていたものをこれでもかと展示してあります。
子ども時代からのものがこれほどまでに保管できていたということは、やっぱり大きな家のお坊ちゃんだったんだろうなと余計なことを考えてしまいます。
小さな家だときっと捨てられていただろうと思います。
館内は写真撮影は全部OKで動画撮影のみ禁止という注意書きがありました。
これも全くユニークな発想です。
いきなり突っ込み菩薩です。
「何でやねん!」
ボブディランのアルバムが年齢順に並んでいる不思議な作品です。
「プヒ〜」というのはボブディランのハーモニカの音の表現みたいです。
右下に小さくボブディランが描かれています。
「○○ブーム時代」と称してこだわったものがたくさん置いてあります。
小学校時代の壁新聞ブームは何とも面白いです。私も似たようなことをしていました。
どれが実物?
「アイデンアンドテティー」の原作はみうらじゅんの描いた漫画だということも初めて知りました。
息子の家で読ませてもらいました。
DVDは息子が東京に出る時に持ち出したままなので、今度ネット配信で観ることにします。
雪の富士吉田市を味わって次の日は、高速バスで新宿に向かいました。
流石に東京へ車を乗り入れる自信はないので、バスにしました。
息子が川崎にいるので、初めて家を訪問しました。
夕方には、代々木に住んでいる娘と合流する予定にしていたので、それまで時間があるので、散策です。
等々力競技場が近くにあるということで、咲き始めたお寺の桜を眺めながら散歩しました。
川崎フロンターレの本拠地らしくあちこちに幟が立っていました。
藤子不二雄さんゆかりの地ということで競技場の前にはモニュメントがありました。
サポーターに扮したドラえもんやサッカーボールを足にしたパーマンもあります。
日本近代化遺産も展示されています。
NKKで実際に使われていた製鐵工場の一部が飾られています。どう見ても芸術品です。
屋台のコーヒー屋さんも大人気です。
なかなか美味しい味でした。
年に一度、妻の実家がある富士吉田に行くようにしています。
日頃は羽田経由で向かうのですが、妻が年末に車を買い替えたので、車で行くことにしました。
所々SAに立ち寄るのも楽しみの一つです。
宝塚北は、スマホから紹介しましたが、今回は浜松SAです。
大河ドラマで紹介された井伊の里です。
自宅を夜3時に出て、岡山と兵庫の県境で少し早い朝食を摂り、途中でねぎたこ焼きを食べ、昼食を食べ、結構休憩をしていたと思うのですが、
御殿場インターを降りるのは午後2時前でした。
裾野市を籠坂峠方面に登って行くと先日降った雪が道路の脇に残っています。
籠坂峠を超えて、山中湖に向かうといきなり冬に逆戻りです。
妻の実家は、園芸農家をしているので、あまり早く着いても手持ち無沙汰になる気がしました。
すぐ近くに富士吉田の道の駅があるので立ち寄ることにしました。
富士山頂上にあった測候所が設置されているが有名な場所です。
以前来た時は中に入ってFBで紹介したことがあります。
雪をかき分けて道の端においてありましたが、その高さは半端ないほどでした。
駐車場にはちょっと不思議な光景がありました。
札幌ナンバーの豪華キャンピングカーの横にサンダルとシェラカップがポツンとあります。
サンダルは理解できるけど、シェラカップの意味は何でしょう。
昭和40年代~平成25年まで走り続けた特急です。
北近畿ビッグXネットワークで活躍した車両です。
前面中央にある板状の部分は左右に分かれて開き、その中に貫通ドアと幌が格納されています。
今まで1カ所だった出入り口が2カ所になったのも画期的です。
条項の頻度が増したのが最大の原因です。
高知の画像を紹介してきましたが、今回が最後です。
研究会にはもう少し時間があるので、昨日は雨で板垣退助像の前でリタイアした高知城に行くことにしました。
でも、朝早いので天守閣には登れずじまいでした。
国宝らしく石垣も門も立派です。
朝の光が強すぎて天守閣を正面から捉えることはできませんでしたが、逆に雰囲気が出せるアングルになったかもしれません。
前の日には大雨の中の板垣像で、それはそれで雰囲気出していたのですが、今回は青空の下での板垣像を選択しました。
ひろめ市場で仲間と昼食を摂った後で、朝市(すでに午後市)で、干し芋、干し柿をたくさん仕入れて、刃物屋さんでしっかりした出刃包丁を購入しました。
駅まで歩き、三志士の像も青空バックで撮影し、ついでに市電を2枚撮影しました。
帰りもやっぱり南風号、アンパンマン号でした。