「夏休みにこそ有意義な研修を!」ということで大津島に行ってきました。回天記念館をゆっくり見学し、さらにいろんなことを考えたいと思って行きました。
インターネットで下調べをしたら、朝8時半から開館ということになっていたので朝早くなら誰もいないだろうから、誰にも邪魔されずにゆっくり見られると思い、朝7時40分徳山港発のフェリーで出発することにしました。
船は思っていたより広くて、たくさんの人が乗っていました。作業服を着た建築関係の人たちも多かったのですが、乗り込むたびに、「おはようございます」と声をかけて入ってくる人が多かったので、通勤で使っているような人たちも多いのだろうなと思いました。船の中には自動販売機もなく、あわてて乗ったことを後悔させられていました。
船のエンジン音はけっこう大きくて、「人の声が気にならない」ということでは良かったかもしれません。最初に刈尾というところに着くのですが、何のアナウンスもなく、また再び動き出しました。慣れていないと大変な船なんだと実感しました。馬島で降りるということは調べていたのですが、この感じならきっとアナウンスはないなと思い、「人の流れを見ないとな」と思いました。
8時25分に到着しました。乗客はみんな一斉に降り始めたので「ここに違いない!」ということで降りました。一緒に降りていく人の中に大津島小学校の名前が入った板を持っている女性がいて、小学校の先生なんだと思いながら、「毎日通勤してたら大変だろうな…」と後ろをついて行きました。
小学校の先生らしく、通る人みんなに「おはようございます」と声をかけていました。途中で釣りをしているおじさんのバケツをのぞき込み、「イカが釣れちょる!」と歓声をあげていました。
おじさんは「持って帰るでー?」と返事をしていました。島の生活をかいま見る思いがしました。
小学校の先生たちと別れて左に折れていきました。すぐ前を初老の男性が歩いています。「もしかしたら、記念館の関係者なのかもしれないな?」と思いながら後をついて行くと、記念館の坂道を上り始めました。最初に回天の練習場に行こうと思っていたのでまっすぐ行こうとしたら、初老の男性も振り返りながら気にしている様子でした。こんな早くに回天基地に向かう人間に興味を持ったみたいです。
回天の発射訓練基地までは、トンネルを通って行きます。トンネルはちょっと湿っぽくて薄暗くて何か雰囲気を感じさせるものでした。トンネルには回天を運んだトロッコの跡が残っています。この薄暗いトンネルを緊張しながら、回天を運んだんだろうな…複雑な思いを持ちながら先を急ぎました。
回天発射訓練場は、コンクリートの打ち付けがそのままで、何度見ても異様な雰囲気のするたたずまいを見せていました。
回天記念館に足を向けました。さすがにやっぱり誰もいません。受付の所で声をかけても誰も出てきません。しばらく待っていると先の初老の男性が現れました。記念館の小川館長でした。
「先ほど見かけましたね。今日は取材ですか?」と声をかけてこられました。「自分は教員で、回天で亡くなられた方たちの精神的なものに触れたい。最高学府に学びながら、なぜ志願してきたのか、自己の中でどう整理してきたのか、何が彼らの人間性を変えてきたのかを学びたい」ということを伝えると、時間はあるのか尋ねた後に「それでは、最初にビデオを見てもらうのがいいでしょう」とビデオに案内してもらいました。30分くらいあるビデオを2本見た後に見学を始めました。
すぐに館長が来られて、資料を一つひとつていねいに説明してくれました。いろんなことを説明されるなかで、いくつか共感する部分とちょっと違うのではという部分もいくつかありました。少し聞いてみると「感じ方は、その人なりにいろいろあっていい」と言われていました。
『出口のない海』のモデルは、亡くなった日や、光沖で死亡ということから東京大学出身の青年ではないかとも言われていました。他に知覧の特攻の母の話と同じように徳山にも隊員の世話をしていた『回天の母』しげさんの存在があることも初めて知りました。出口のない海の中では光基地の近くにそんな存在が描かれています。
映画『出口のない海』のセットの一部を回天基地に持って来ようとしていることを教えてくれました。このことについては、どうかな?という思いがありました。すべての物が真実である中で、フィクションのものを持ち込むことで違った意味になってしまいそうな気がしました。
毎年、自衛隊の隊員が千人近く来館されるそうです。「その隊員たちの国防意識はさすがだと思わせるものがある。よく訓練されている」と言われていました。小川館長は、回天に散った隊員たちの心の支えは国防意識だと思われているようです。
遺書その他の資料を見ると、表面上は確かにそうかもしれないけど、本当のところは違うのではないかと思いながら記念館を後にしました。小川館長の著書『語り継ぐ回天』を3千円で購入しました。
他に公園の中にある門の後や、小学校の敷地内にある回天の基地の跡をいくつか写真に撮りながら、船の時間を待っていました。
『島の魚をおいしく食べさせる店』と歌っている「ねこままんまの店」に入りました。当然看板メニューのねこままんまセットを頼みました。出てきた物を見て目がテンになりました。丼ご飯の上に干物を小さくほぐしたものがのっていて、その上にとろろ昆布が少しかかったものが出てきました。おばちゃんは「醤油をかけて食べてください」と帰って行きました。確かにおいしかったけど、本当に噂にたがわぬ「猫まんま」に700円は詐欺だなと思いながら島を後にしました。
インターネットで下調べをしたら、朝8時半から開館ということになっていたので朝早くなら誰もいないだろうから、誰にも邪魔されずにゆっくり見られると思い、朝7時40分徳山港発のフェリーで出発することにしました。
船は思っていたより広くて、たくさんの人が乗っていました。作業服を着た建築関係の人たちも多かったのですが、乗り込むたびに、「おはようございます」と声をかけて入ってくる人が多かったので、通勤で使っているような人たちも多いのだろうなと思いました。船の中には自動販売機もなく、あわてて乗ったことを後悔させられていました。
船のエンジン音はけっこう大きくて、「人の声が気にならない」ということでは良かったかもしれません。最初に刈尾というところに着くのですが、何のアナウンスもなく、また再び動き出しました。慣れていないと大変な船なんだと実感しました。馬島で降りるということは調べていたのですが、この感じならきっとアナウンスはないなと思い、「人の流れを見ないとな」と思いました。
8時25分に到着しました。乗客はみんな一斉に降り始めたので「ここに違いない!」ということで降りました。一緒に降りていく人の中に大津島小学校の名前が入った板を持っている女性がいて、小学校の先生なんだと思いながら、「毎日通勤してたら大変だろうな…」と後ろをついて行きました。
小学校の先生らしく、通る人みんなに「おはようございます」と声をかけていました。途中で釣りをしているおじさんのバケツをのぞき込み、「イカが釣れちょる!」と歓声をあげていました。
おじさんは「持って帰るでー?」と返事をしていました。島の生活をかいま見る思いがしました。
小学校の先生たちと別れて左に折れていきました。すぐ前を初老の男性が歩いています。「もしかしたら、記念館の関係者なのかもしれないな?」と思いながら後をついて行くと、記念館の坂道を上り始めました。最初に回天の練習場に行こうと思っていたのでまっすぐ行こうとしたら、初老の男性も振り返りながら気にしている様子でした。こんな早くに回天基地に向かう人間に興味を持ったみたいです。
回天の発射訓練基地までは、トンネルを通って行きます。トンネルはちょっと湿っぽくて薄暗くて何か雰囲気を感じさせるものでした。トンネルには回天を運んだトロッコの跡が残っています。この薄暗いトンネルを緊張しながら、回天を運んだんだろうな…複雑な思いを持ちながら先を急ぎました。
回天発射訓練場は、コンクリートの打ち付けがそのままで、何度見ても異様な雰囲気のするたたずまいを見せていました。
回天記念館に足を向けました。さすがにやっぱり誰もいません。受付の所で声をかけても誰も出てきません。しばらく待っていると先の初老の男性が現れました。記念館の小川館長でした。
「先ほど見かけましたね。今日は取材ですか?」と声をかけてこられました。「自分は教員で、回天で亡くなられた方たちの精神的なものに触れたい。最高学府に学びながら、なぜ志願してきたのか、自己の中でどう整理してきたのか、何が彼らの人間性を変えてきたのかを学びたい」ということを伝えると、時間はあるのか尋ねた後に「それでは、最初にビデオを見てもらうのがいいでしょう」とビデオに案内してもらいました。30分くらいあるビデオを2本見た後に見学を始めました。
すぐに館長が来られて、資料を一つひとつていねいに説明してくれました。いろんなことを説明されるなかで、いくつか共感する部分とちょっと違うのではという部分もいくつかありました。少し聞いてみると「感じ方は、その人なりにいろいろあっていい」と言われていました。
『出口のない海』のモデルは、亡くなった日や、光沖で死亡ということから東京大学出身の青年ではないかとも言われていました。他に知覧の特攻の母の話と同じように徳山にも隊員の世話をしていた『回天の母』しげさんの存在があることも初めて知りました。出口のない海の中では光基地の近くにそんな存在が描かれています。
映画『出口のない海』のセットの一部を回天基地に持って来ようとしていることを教えてくれました。このことについては、どうかな?という思いがありました。すべての物が真実である中で、フィクションのものを持ち込むことで違った意味になってしまいそうな気がしました。
毎年、自衛隊の隊員が千人近く来館されるそうです。「その隊員たちの国防意識はさすがだと思わせるものがある。よく訓練されている」と言われていました。小川館長は、回天に散った隊員たちの心の支えは国防意識だと思われているようです。
遺書その他の資料を見ると、表面上は確かにそうかもしれないけど、本当のところは違うのではないかと思いながら記念館を後にしました。小川館長の著書『語り継ぐ回天』を3千円で購入しました。
他に公園の中にある門の後や、小学校の敷地内にある回天の基地の跡をいくつか写真に撮りながら、船の時間を待っていました。
『島の魚をおいしく食べさせる店』と歌っている「ねこままんまの店」に入りました。当然看板メニューのねこままんまセットを頼みました。出てきた物を見て目がテンになりました。丼ご飯の上に干物を小さくほぐしたものがのっていて、その上にとろろ昆布が少しかかったものが出てきました。おばちゃんは「醤油をかけて食べてください」と帰って行きました。確かにおいしかったけど、本当に噂にたがわぬ「猫まんま」に700円は詐欺だなと思いながら島を後にしました。