とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

DVD『theショートフィルムズ』を観ました

2010-12-31 11:24:24 | 映画

DVD『theショートフィルムズ』を観ました。

年末やっと時間が取れると言うことで、TSUTAYAの気になるDVDを結構借りてきています。

その中の1枚です。

朝日放送の開局記念に“子ども”をテーマに作られたオムニバス映画ということです。

オムニバス映画というのは、正直苦手なジャンルです。

ツボにはまってきたかな?と思った頃には終わってしまうからです。

同じ理由でテレビドラマがなかなか好きになれません。

でもこのオムニバスは、個人的に好きな監督がズラーッと並んでいるからやっぱり観ないわけにはいきません。

井筒和幸、大森一樹、崔洋一、阪本順治、李相日と、これだけ並べるとやっぱりそうそうたるメンバーです。

内容は、ざっと以下の通りです。

・通天閣の展望台で、一夜を過ごすことになった自殺しようとしていた男と母親に置き去りにされた少年のふれあいを描く阪本順治編(展望台)。

・小学校を舞台によくいる思い込みの激しい教師とこれまたよくいる冴えないお調子者の三人の男子児童の攻防を描く井筒和幸編(TO THE FUTURE)。

・母と息子のそれぞれを思う心を描いた大森一樹編(イエスタデイワンスモア)。

・ガンで死期の迫った父親と知的障害のある息子を描く李相日編(タガタメ)。

・中流家庭の母親と出戻り娘の日常を描く崔洋一編(ダイコン~ダイニングテーブルのコンテンポラリー)。

『展望台』では、佐藤浩市と子役の何とも言えない会話の駆け引きが面白い。

さすが、大阪を知り尽くした阪本順治監督だなと思いました。

場所も通天閣の展望台の中だけという設定も何とも言えずいい空間を演出しています。

リュックに貼ってあった「この子をよろしくお願いします」の紙を見ても、動揺しない子どもの凄み。

これも恐ろしい話です。

『To The Future』(井筒)は小学校を舞台にして、とんでもない教師(光石研)の存在がすごい。

学級王国の独裁者としての存在を遺憾なく発揮しています。

「最近の子はすぐに切れる子が多い。それはミネラルが足りないからだ。だからこの海草煎餅を食え!」と子どもたちにビニール袋を押しつける。

よくある光景です。海草煎餅とまでは言わなくても、授業中のくだらないルールはもう異常です。

勤務地を離れて小学校の授業を見せてもらう機会がよくあるのですが、似たような光景をたくさん見かけます。

思ってもいなくても「同じです」「違う意見があります」端で見ていて気持ちの悪いルールが教師から一方的に“約束”させられます。

教師に悪気はなく、みんな一所懸命やっているところから出発しているから悩ましいのです。

しかも、自分で考えたのではなく、どこかの雑誌や本で紹介されたことを真に受けて実践しているから、

うまくいかなくても自分のせいにしないで、すぐに違う方法やハウツーに走っていけるのです。

そんなことを思いながら、この映画を観ていました。

『ダイコン~ダイニングテーブルのコンテンポラリー』は子どもはやっぱり小泉今日子なのか、

ロンドンに行っている小泉今日子の子どもなのかよくわかりません。

この映画はとにかく、樹木希林さんと小泉今日子の二人の会話だけで成立している映画です。

女優のすごさをあらためて感じさせる映画です。

日常をここまで描ききる、演じきるというのはすごすぎます。

ロンドンにいる息子に日本のギャグを教えるということで、携帯電話を持ったままで小泉今日子がギャグを連発する姿は必見です。

「私はアイドル!」と絶叫していた小泉今日子がここまで成長したか…と感慨物です。

怪演しているのは、すっかり白髪頭になった細野晴臣さんです。良い味出してます。大阪で言う「しゅみてる」感じです。

『タガタメ』李相日編は、コメントの難しいテーマです。

末期癌に冒されて余名いくばくもない父親(藤竜也)に39歳の自閉症の息子(川屋せっちん)の物語です。

父親の前に死に神(宮藤官九郎)が現れます。

父親は子どもの未来を悲観して車に練炭を持ち込んで無理心中を図ります。

でも、うまくいきません。

恐怖のあまりパニックになっている子どもを呆然と見ていると、死に神が出てきて「あなたの寿命は尽きていますが、息子の寿命はまだまだあるから、死ねない」と告げます。

息子は、食事も排泄も父親の手を借りないと難しいという設定になっています。

うらぶれた食堂で、児玉清の『パネルクイズアタック25』を見て喜んでいます。

自閉症で、食事も排泄も難しいという設定はどうなんでしょう。

時代はいつなんだろう?

養護学校義務制になって30年もたっているのに、基本的生活習慣が身についていない自閉症なんてありえるんだろうか?

その他の設定がリアリティーを伴っていただけに、障害の誇張はちょっといただけないと思います。

でも、「親亡き後…」の課題は現代に突きつけられた問題でもあります。

何でも自己責任という風潮は、政権が変わっても引き継がれているままです。

もう少し掘り下げてほしいテーマでもあると思います。

『イエスタデイワンスモア』(大森一樹)は人情落語の世界のテーマでした。

観客をハートウォームな世界にいざなうような映画です。

時代劇に場所を変えたファンタジーの世界です。

私はこのての映画は、あまり好きではありません。

全部見終わった感想は、やっぱり物足りなさが残ります。

全編消化不良になってしまいます。

それは、作品一つ一つが出来が悪いのではなくて、興味が沸く頃に終わってしまうという消化不良です。

一本一本テーマを深めてあらためて作ってもらいたいと切に願います。

 

 

 

 

 

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DVD「ダーリンは外国人」を観ました。

2010-12-31 00:06:00 | 映画

年末のグータラ生活の一部として、TSUTAYAでDVDを何本か借りてきました。

その中の1本として、『ダーリンは外国人』を選びました。

家族でのんきに観られる作品も選ぶようにしているので、この作品なんかちょうどいいかな?という基準で選んだ1本です。

結論から言えば、これはひどかった…。

せめてもの救いは映画館で料金を払わなかったことくらいです。

原作は小栗左多里による自伝的コミック・ベストセラーの漫画エッセイです。

本屋でもよく並んでいるので、私でも知っている作品の映画化です。

このての本は買ったこともないし、読んだこともないので、映画化というのはどうなるの?という先入観はもっていました。

国際結婚ということをテーマにして、そのことで共感できる時代なのかな?

異文化のすれ違いが中心になるのかな?それなら『秘密の県民ショー』でも十分話題になるのでは?

なんて思いながらDVDを観ました。

イラストレーターのさおり(井上真央)は、「漢字」の美しさに惚れて来日した語学オタクのアメリカ人、トニー(ジョナサン・シェア)と知り合い恋に落ちます。

日本語がぺらぺらでいつも温厚なトニーとの同棲生活は幸せだったが、二人の恋には予期せぬ障害がいくつも待ち受けていました。

二人の結婚の最大の試練が父の反対だというのだから、理解に苦しみます。

「この二人ってちゃんと結婚できるのかしら」と共感できる観客はどんな人たちなんだろう?

二人のハッピーエンドを期待する観客はいないのだから、もっと異文化のギャップのところにどんどん笑いを持っていくべきだったと思います。

まさに予定調和のエンディングを迎える水戸黄門的造りはテレビだけで十分です。

案外テレビで連ドラでやればヒットするかもしれないような内容かもしれません。

映画までしてしまう理由が見つかりません。

かなりきついことを書いています。

期待して検索した人には申し訳ありません。。 

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DVD「ヒーローショー」を観ました

2010-12-30 10:07:15 | 映画

映画「ヒーローショー」を観ました。

「今頃?」と突っ込まれそうですが、山口の田舎には全然やってこなくて、DVDになるのを待っていました。

TSUTAYAに並んでいることは気づいていたのですが、忙しい時期と重なって今になりました。

監督は井筒和幸です。

主演はお笑い芸人「ジャルジャル」とくれば島田紳助、グルナイを主演とした一連の井筒ワールドの世界です。

主人公は、お笑い養成所出身の売れないお笑い芸人ユウキです。

アルバイトと、母親の宅配便だけが生活の支えで、趣味と言えばパソコンソフトの妹ゲームくらいのさえない若者です。

昔の相方(剛士)のつてでヒーローショーのアルバイトを始めます。

せっかく始めたアルバイトだったのに剛志が、女を寝取られたことでステージ上で大げんかを始めます。

ボコボコにされた剛志が落とし前をつける依頼を鬼丸兄弟に頼みます。

お金を請求されたノボルと勉は兄に相談します。

その兄は、昔の悪仲間の勇気を頼ります。

勇気は自衛隊をやめ、配管工で働いていますが、恋人あさみ(ちすん)と垣島で飲食店を開くのが夢です。

暴力が暴力を生む。暴力の連鎖は決して止まらない。

後は、井筒ワールドの世界です。

テレビゲームなどで、虚構の世界での暴力に明け暮れている若者にとって、

パラレルワールドではない等身大の世界での暴力を見せることによって何かを伝えたいのではないかという気もします。

今回の作品は、「パッチギ」の時とは違って、エンディングが予定調和ではありません。

エンディングになるにつれて、ますます希望のない終わり方に近づいていきます。

一頃のアメリカ映画という感じかもしれません。

「イージーライダー」や「明日に向かって撃て」などが、閉塞された社会に向けてのメッセージだったように

井筒和幸監督も社会に石を投じたのかも知れません。

途中でストーリーが全てわかるような映画が全盛のこの時期、こういった映画は受け入れられないかもしれません。

でも、久しぶりに井筒ワールドを感じることのできる映画だったように思います。

映画の中でラブストーリーを入れてくるのも井筒さんらしいと思いました。

そのヒロインがちすんと言う女優さんです。

この女優さんは新人ではなくすでに映画には何本も出演されている人です。

何と「ぱっちぎ」には2回とも出演しています。

ちょっと調べてみました。

「パッチギ」第1作では、キョンジャ(沢尻エリカ)が長崎の高校生から絡まれるシーンで一緒にいた子がこのちすんでした。

アンソンたちを呼びに行って、バス転覆の大事件を呼び起こす役割をしています。

私としては、けっこう好きな映画でしたが、みなさんはいかがでしょう?

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テレビが壊れた~!

2010-12-30 00:43:30 | 日記

最近のことですが、突然、まさに突然テレビが壊れました。

「そういえば…」という兆候はあったのですが、突然画面が映らなくなりました。
待機ランプは点くのですが、スイッチを入れると一瞬声はでるのですが、画面が出ずにそなまま待機に戻ります。
何度か繰り返しているうちに「ボッ」という音が出ました。
まさに終焉の音でした。


2,3日テレビなしの生活をしてから23日の休日にテレビを買いに行くことにしました。
今まで我慢してきたアナログテレビから地デジ対応のテレビに買い換えようとしました。
でも、家電販売店に行って驚くことがありました。
何とテレビそのものがないと言うのです。
エコポイントの駆け込みでテレビの製造が追いつかないということでした。
デオデオに行くと3Dしかないというのです。
すぐ近くのヤマダ電機の行くと「ナイナイ」づくしの結果、数台ならすぐにOKというテレビを見つけました。
「性能そのものより、とにかく」ということで東芝の42インチのテレビにしました。
幸運なことに、外付けハードディスクに録画できるということで安く上がりました。

「いつ配達してもらいますか?」と聞くと住所を聞いてから「31日になります」と言われました。
「何てことだ…」と思い、そこはごり押しには自信がある私です。
「何とかならないのか…」と店員に詰め寄りました。
言ってみるものです。
翌日配達ということになりました。


家の受信の状況は、デジタルBS、ケーブルテレビなので以前は大変でした。
リモコンが3台も必要な状況でしたが、さすがにデジタルです。
ほとんどがリモコン1台で操作できます。
地上波デジタルはもとより、WOWWOWも、ケーブルテレビの日本映画専門チャンネルもすぐに見ることができます。
録画も外付けハードディスクと、今までのDVレコーダーとどちらも録画可能なので非常に助かります。
年末年始はDVDも含め、映画のテレビ視聴づけになりそうです。


24日にテレビが来て以来、すでに8本も観てしまいました。
観た映画については追々紹介して行こうと思います。
正月に「竜二」があるのが非常に楽しみです。

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浅草散策(時間が足りない)

2010-12-29 23:58:29 | 写真日記

スカイツリーを堪能して、浅草に戻る途中で空腹を覚え、チェーン店に立ち寄りました。

「浅草まで来てそれはないよな」と一人つっこみをしながら、ビールを飲みながら遅めの昼食を取りました。

道すがら、梅干しの特売と書いてあった店の看板に釣られ、梅干しを買いました。

店の人から「今日は羽子板市で浅草寺は人がいっぱいでしょうね」と聞いて、俄然、闘志が湧いてきました。

今回は行くつもりはなかったのに、もう足は浅草寺に向かっています。

 

仲見世通りはそれはそれは大変な賑わいでした。

時間がないというのに、なかなか先に進めません。

正月でもないのに晴れ着の若者もいます。

外国人もたくさんいます。

 

店の飾り付けはだんだん正月へ向けた飾り付けになっているような気がします。

 

 

「羽子板市はどこでやってるんだろう?」とだんだんイライラしながら先に進むと、とうとう本堂近くまで来てしまいました。

すると、本堂近くの広場で夜店のような形でやっていました。

雨よけのテントが張ってあり、夕暮れも迫っているし、天気もあまりよくないということで撮影的には最悪のコンディションでした。

   

ISOをあげてもそれでも暗くなってしまうし、裸電球がつるしてあってこれがまたやっかいなものです。

でも、向こうは商売だし、写真だけ撮るひやかしは邪魔でしょうがないというところだから仕方ありません。

怒鳴られないだけましです。

 

今年はゲゲゲの女房ブームもあり、ゲゲゲ羽子板もありました。

 

 

撮影しているうちにどんどん暗くなってきました。

東京の夕暮れは山口に比べてずいぶんと早いのです。

 

キティーちゃん羽子板もあって、誰が買うんだろうと思いながら見ていました。

  

ちょうどいろんな事件があった直後だっただけに「海老蔵頑張れ!」の羽子板もありました。

下の中央の羽子板が海老蔵羽子板です。

今回の東京散策は見事にお上りさんだったように思います。

おかげで品川駅に着いたのはけっこうぎりぎりの時間でした。

  

 

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お上りしました。

2010-12-24 14:05:33 | 写真日記

会議が終わって、予約した時間まで3時間くらいあるので、さあどうしよう?と思いました。

金曜日、職場を出る時に子どもたちに、「スカイツリーの写真を撮ってくる」と約束していたので

新橋で、地下鉄銀座線に乗り換えて浅草に向かうことにしました。

浅草に着くと吾妻橋方面に出かけました。

アサヒビールのオブジェがドーンとあります。

「泡」をイメージしているそうですが、私には「うん◎」にしか見えません。

このオブジェ越しにスカイツリーが見えます。

これも新名所だと思います。

 

スカイツリーを目印に、できるだけ近くまで行ってみようとまさにお上りさんを実行することにしました。

私と同じような行動をしている人を何組か見かけました。

「近くに行ってみてどうなるんだよ?」と聞きたくなりますが、私も同じです。

最初は子どもたちに見せてあげようという思いで歩いて行っていましたが、だんだん意地になってきて「真下まで行くぞ 」という気になっていました。

公園にクリスマスツリーがあって、「ツリー越しにスカイツリーか…」と思って撮影しましたが、思ったより面白くありません。

 

それより、古いアパートの方が絵になります。

昭和の臭いプンプンです。

路地の向こうに見えるスカイツリーだったり、ガードの隙間から見えるスカイツリーが何ともいい感じです。

何だかか、高さは違っても通天閣にも見えてくるから不思議です。

  

いよいよ目前に迫ってきました。

 

小さな公園があって、そこからすぐの所に工事中のガードが張り巡らされています。

おじさん、おばさんたちはその工事現場の手前で記念写真を撮っています。

おそらく首から上だけのちょん切り写真になっているだろうと思います。

 

目的を達成したので、再び浅草に戻りながら、振り返りながらまだ撮影を続けました。

 

浅草へ戻る途中に、レトロを商売にしている店がありました。

時間があれば立ち寄ったのですが、お金にも余裕がなかったので欲しかったものがあった時が怖くて外から見るだけにしました。

  

次は浅草の街編でいきたいと思います。

 

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東京に行ってきました。

2010-12-23 22:00:49 | 写真日記

12月18日(土)19日(日)と東京に行ってきました。

また例によって会議です。

午後から始まる会議のために朝早く新幹線に乗りました。

前のブログでも書きましたが、今回は小説「ノルウェイの森」を片手の旅でした。

ずっと物語の入り込んでいると、気がつくとそこは名古屋でした。

学生時代を過ごした街です。駅前は再開発でずいぶん変わってしまいましたが、そのぶん変な感じがしました。

また、小説に夢中になったり、考え事をいろいろしていたら、窓の外に富士山が大きく見えました。

鞄の中から慌てて取り出すと建物の影になって見えません。

意地になって撮影しました。妻の実家にいけばいやというほど見られるし、今まで何枚も撮影しているのだから別にいいのですが…。

 

今回は品川下車です。会議の会場が大森です。

昼食を取って会場のホテルに行きました。

ホテルモントレ山王というずいぶん古風な建物です。

会議の中身は別の場所で報告するとして、建物を少し紹介します。

 

  

  

トイレの入り口まで古風になっていて、なかなか素敵な建物です。

映画の舞台になっても充分いけるのではないかと思います。

もしかして、すでになっていたりするかもしれません。

今回のホテルは品川にしました。

次の日ホテルを9時開始の会議に間に合うように早々に出て、それでもまっすぐには行かず寄り道をしながら行きます。

 

都会のマックは朝から混んでいます。

品川に取ったホテルを朝早く飛び出しましたが、このあたりは土地勘がないため、どうしようか?と考えました。

今回の会議は午前9時始まりだったので、時間的余裕はありません。

品川駅を歩いていると、道路標識に大森の文字が見えてきました。

歩けるところまで歩いてみようかといういつもの癖が出てきました。

 

大森という地名を頼りに歩いていると、道路の左側に旧東海道の地名が見えてきたので、小さな通りを歩くことにしました。

北品川から、大井あたりにはいろんな地名が残っているようです。

品川駅の高輪口には御殿山という地名があります。

歴史好きにはたまらない地名です。

幕末に高杉晋作が焼き払ったイギリス公使館があった場所です。

攘夷のための行動で幕府を陥れる行動とはいえ、まさに若きテロリストだったのではないかと思います。

 

 

北品川を過ぎるとお寺がずいぶん増えてきます。

 

立洗町は、以前土佐屋敷があったそうで、若き坂本竜馬が闊歩した町ということで、

町あげて竜馬ブームにあやかろうとしている町です。

プラスチックでできていた竜馬像も大河ドラマを機会に銅像にしたそうです。

東京で唯一の竜馬像ということが自慢のようです。

  

  

大森の町は、大森貝塚が発見されて町で知られています。

 

日曜日の会議は午前中までなので、帰りの新幹線までの時間を利用して、プチ旅をします。(続く)

ちなみに会議は時間通りちゃんと出席しました。

 

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映画「ノルウェイの森」を観て再考

2010-12-22 16:49:31 | 映画

昨日も長く感想をあれこれ書いたのですが、
もう少しすっきりしなくてまたあらためて書いています。

映画のアラをさがすわけではないのですが、
原作に思い込みが強いために違和感を引きずっています。

何が一番大きい要素なのかと思っていましたが、
一日たって少しずつわかってきました。

小説の中では様々なキャラクターの登場人物が登場します。

その一人一人がとても個性的で魅力的なのです。

登場人物のことを考えながら、
ストーリーを膨らませていくことが小説の楽しさなのですが、
それがほとんど削られた形で映画が構成されていることが、
もっとも違和感を感じるところなのでしょう。

ワタナベの親友であり、直子の幼なじみで恋人とのキズキの性格描写が、
もう少しされていないと、
なかなか3人の微妙な関係が理解しにくいのではないかと思います。

映画のままでは、直子を取り巻く三角関係、
しかもワタナベの横恋慕という関係すら想定されてしまいます。

17歳で自殺したキズキへの思いや痛みを伴ってこそ、
ワタナベの直子に対する愛情というものが
理解されるのではないかと思います。

キズキへの愛情のためにだんだん死に近づいていっている直子を、
生の世界に引き戻そうとして、
それができないでいるワタナベの苦悩という肝心の所が
描かれていないように思います。

もう一つ描いてほしかったのは、
ワタナベの学生寮のルームメイト“突撃隊”です。

せっかく柄本時生を起用しているのに
ほとんど影響のないところで描かれています。

規則正しい生活をして、毎日朝6時半のラジオ体操は欠かさない
地理学を専攻している学生についてもう少し描写してほしい気がしました。

学生寮は右翼的な人間が創設したという事実ともう一人特徴的な人物永沢です。

この人物は東大法学部を現役で合格し、
寮でも一目置かれている人物と描写しています。

寮でもめ事があった時に、上級生の前で土下座をしたうえに、
上級生が用意した大きななめくじを、
3匹飲み込んで事を納めたという伝説までもっている人物です。

金に不自由なく、飲みに行って女の子を口説き、
今までに70人くらいの女性と寝た男という描写なのですが、
ハツミという恋人もいながら、
なぜ彼がそういう行動をしなくてはいられないのか
そこら辺も含めて人物描写をしてほしい気がしました。

レイコの描写も中途半端です。

彼女が阿美寮に入ったいきさつや、
阿美寮での直子やワタナベへの関わりもかなり省いてあります。

ワタナベが阿美寮を訪ねた時にレイコが果たす役割はかなり大きいと思いますが、
そこを省いた形で、最後の場面、レイコが旭川に旅発つ前に、
ワタナベのアパートを訪ね、彼女からワタナベにSEXを誘い、
そのことを通して彼女が何らかの再出発点にすることの意味が、
伝わりにくいのではないかと思います。

レイコがワタナベを訪ねた時に、何を食べるか尋ねられて
「すき焼きを食べたい」と言います。

阿美寮では、ほとんど食事をしないで煙草ばかり吸っているレイコが
「すき焼きを食べたい」という事実は、
社会に向けて再出発している意味でも重要だと思うのですが、
映画の中では二人でインスタントラーメンを食べています。

ワタナベが、直子の自殺という事実から逃れるために傷心の旅に出て、
やっと帰ってきた直後という設定があるにしても、
インスタントラーメンはどうなんでしょう。

阿美寮の医師や、入寮者たちが交わす会話も非常に興味深いのですが、
そのことも省いています。

ここはやっぱり描いてほしかったと思います。

現実に生きているワタナベと、生と死の間を徘徊している直子と、
両者の違いをはっきりさせるために必要だったのではないかと思います。

もう一つ大きい違いですが、ミドリがワタナベの行動を怒って、
しばらくワタナベを無視してしまう場面です。

原作ではデートしていてコーラを買いに席を外したワタナベに
「髪型が変わったことにも気づかない。
今日はあなたの所に泊まるつもりでした」と
公園のベンチで書いた手紙を、
心ここにあらずのワタナベに渡して帰ってしまうという
いかにもミドリらしい行動なのですが、
映画では、バーで
「今私が何をしたいかわかる?」
「場所柄をわきまえろよ」
「そんなことを言われるとは思わなかった」と
その場から立ち去るいう形になります。

それは、直子が嫌っている彼氏の台詞なのです。

ワタナベは直子にそんなことは言わないと思います。

ワタナベと直子とミドリの3人のラブストーリー仕立てになっていることで、
周囲の人間をそぎ落とした感があります。

これで、良かったかどうかということを言うつもりはありません。
あくまでトラン・アン・ユン監督が感じた「ノルウェイの森」なのだから、
彼が日本で青春時代を送っていないことも影響があると思います。

日本の社会で精神疾患がどのような位置づけになるのか、
その結果の自殺がどのような位置づけになるのか
そこらへんの理解が若干違うのかもしれません。

現在のような生活苦を伴った自殺が3万人を超える時代ではなく、
1969年という時代でのできごとだということです。

原作に忠実にと言っているのではありません。

私の中の違和感について触れるとこういうことになるということです。

映画の質は、非常に高いものだと考えています。
評価の点ではかなり高い点をつけたいと思います。

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映画「ノルウェイの森」を観てきました

2010-12-21 22:15:05 | 映画

映画「ノルウェイの森」を観てきました。

原作村上春樹 
監督 トラン・アン・ユン (「夏至」の映画が印象的でした)
キャスト  松山ケンイチ(ワタナベ)
      菊地凛子(直子)
      水原希子(ミドリ)

原作を最近読んでしまったということで、頭の中に台詞一つ一つが残っている状態で映画を観るというのはあまり良いことではないのかもしれません。

この映画は、原作を忠実に表現したところと、原作にはない映画独自の世界を出したことといろんな要素があったように思います。

作品全体の広がりからすると、上下巻で構成されている原作に軍配は上がってしまうのは仕方のないことだと思います。

原作をできるだけ意識せずに(それは絶対無理なんだけど)この映画を観ると実によくできた良質の映画だと思います。

映像美が実にすばらしいのです。それに加えて、原作で輝いている台詞をそのまま引用しているシーンなど出色の出来だと思います。

しかし、なにより主演の松山ケンイチの演技が光っていたために映画全体のトーンを決めていたように思います。

この俳優はどんな演技をやらせてもこなしてしまう不思議な俳優だと思います。
テレビのインタビューを聞いていると青森のなまりがあるのですが、映画の中ではみじんも感じません。

直子役の菊地凛子も自分から監督に売り込んでいっただけあって、いい演技をしていたと思います。

死への歩みを進める直子にワタナベは何とか生の方向へ導こうとするけど、死への歩みを始めた直子は止められない。

そんな二人のやりとりが画面の中にあふれています。

もう一人、ミドリ役の水原希子の存在も際だっていました。

ミドリの台詞は時においてショッキングな台詞なんだけど、「あの顔でさらりと言っちゃうんだ」という感じなのです。

実に見事な存在感なのです。初めての映画とは思えません。

気のなるのは、映画がきわめて断片的な映像になっているような気がします。

原作を読んでいる人間だったらつなげて理解することはできるのだけれど、本当のところはどうなんだでしょう?

例えば、自殺してしまう親友キズキと直子とワタナベの3人のシーンが冒頭に出てくるけど、これは理解に苦しむと思います。

原作では、何回かダブルデートはするけど、やっぱり3人の方が一番気楽だった。

キズキが有能なホストで、直子がアシスタントであるTVのトーク番組みたいだと書いています。

ワタナベは場を和ますゲストの才能もあることになっています。

そのことは、後に出てくる永沢とその恋人のハツミとの3人の食事にもつながっていきます。

他にもいくつかわかりにくいシーンもあるけど、文庫本上下巻で590ページの原作を2時間13分で映画化するわけだからいろいろ苦労があったんだろうと推察します。

原作と映画が異なるシーンではどちらがいいのか少しためらいがあります。

ワタナベと直子が再開するシーンは原作では中央線の車内で偶然会うことになっていますが、映画では美術館の池の見える静かなテラスで再会することになっています。

こういう場所にわざわざ直子が行くかな?ちょっと無理があるような気がします。

ミドリの家に行って食事を作ってもらうシーンでは、
原作では二人が食事を終えてゆっくりしていると近所で火事があり、
物干し場で二人で火事を見物しながらキスをするという不思議なシーンは全て削除され、外の雨を見つめながら窓辺でいろんな話をするシーンになっています。
これは少しもの足りません。

直子が療養する阿美寮に初めて行くシーンも変更が加えられています。
原作ではれいこと直子とワタナベが食堂で夕食を取っている時に、
いろんな不可思議な会話があるシーンがなかなか興味深いのに、
映画ではキャンプファイヤーになっていたりと
なかなか納得のいかない場面も多々あります。

ワタナベが寮を出て新しく住む部屋も大幅な変更をされています。
原作では一軒家で日当たりのいい家で、野良猫がたくさんいるということになっているのに、非常にクールやアパートになっていました。
ここもちょっと不自然な気がします。

また、映画の中で2度目に阿美寮に行った時に、ワタナベが無理に体をつなごうとするシーンは原作にはありません。

ミドリの水着シーンも原作にはなかったし、レイコのシャワーシーンも原作には当然なかったのにあえて付け加えているところに観客を意識しているサービスが見られます。

もう一つ、ラブストーリー風味も充分感じさせています。

映画を観ながら今さらながら思ったのは、ワタナベを取り巻く人々は、それぞれ痛みを伴って生きています。

ナオコは姉の自殺を最初に発見し、幼なじみの恋人を自殺で亡くしています。

同室のレイコはピアニストへのプレッシャーから精神を病んでしまいます。

ミドリは、母親を脳腫瘍で亡くし、看病の末、父親も同じ病で亡くします。

ワタナベだけが痛みがない。

だから、アルバイト先のレコード店で手を切るという場面が必要だったのかもしれません。

映画では取るに足らないけがのシーンを誇張して描いています。

そして、自分で傷口を広げて出血するシーンまで付け加えています。

なかなか見応えのある映画でした。

おそらくもう一度観に行くことになるでしょう。

今年度観た映画の中では、かなり上位にランキングする映画だったように思います。

観た後でいろいろ引きずる映画です。

それを楽しめるならぜひ観に行ってはいかがでしょうか。

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小説「ノルウェイの森」

2010-12-20 22:12:04 | 日記

映画「ノルウェイの森」が気になっています。

なかなか観に行く時間がなくてそのままになっています。

12月18日・19日と東京に行くことがあったので、もう一度原作を読み直そうと数日前に文庫本を買っていました。
でも、読み初めて気づきました。

私は「ノルウェイの森」を呼んでいなかったのです。

村上春樹の小説はほとんど読んでいたので、すっかり読んだ気になっていました。


ドイツの空港に着陸するところから始まるこの小説は、読者を一気に引き込んでいきます。

春樹ワールドというよりは、私の中に深く入っていくような気がしました。


この小説は、読者の年齢層によって受け取り方が違うのだろうなという気がしました。

主人公と同年齢で読むと苦しくて仕方ない感じになるかもしれません。
50代半ばで読むと、自分の過ごしてきたある時代の空気感というもの

がすーっと入り込んでくるのがわかります。


一人旅(会議のための)で読むことが一段と思いを強くするのかもしれません。

私は、浪人時代を東京でアルバイトしながら過ごし、大学時代を名古屋でやっぱりアルバイトしながら過ごしたことがあるので、

名古屋の駅に着いた時は、なんというでもない説明できない奇妙な感覚に陥りました。


新幹線から観る名古屋の風景は、開発が進んで、私が過ごしてきた名古屋とは全く違う風景になっているのにも関わらずです。

誰のことを思い出しているのか、特定するわけでもないのですが、何か奇妙な感覚なのです。

それは、東京に着いてからも続いていました。

今回は会議が大森駅の近くだったので、終点東京ではなく品川で降りました。


駅を闊歩する洗練された東京人たちを見ていると、異邦人の感覚がします。

東京に住んでいた時に、寂しさから喧噪の中に身を置こうと考えて、新宿に繰り出したことがあります。

そこには、確かにたくさんの人が歩いていて、それぞれ、楽しそうに笑顔で語り合っていて、

その人たちに一人も知り合いがいないことになおさら孤独を感じたことがありました。
たまらなくなって入った喫茶店でも、店のピンクの公衆電話で笑顔で話している人を見て、

自分には電話をかける相手もいないことにたまらない寂しさを感じていました。

その頃の私には、京都の大学に通っている女友だちに手紙のやりとりをすることくらいしか、なかったのです。

今の携帯やメールの文化と違い、距離と時間のズレが微妙な関係を維持していたように思います。


「ノルウェイの森」の中でも、手紙のやりとりのシーンがあってよけいいろんな空気感を呼び戻したのかもしれません。

ちょうどその頃に、社会に対する疑問や不満、家制度そのものに対する嫌悪感など自分を取り巻く環境に対していろんな思いがあふれて、

自分のアイデンティティーに関する疑問もあったように思います。

いつもなら、さっと読んでしまう文庫本上下ですが、今回は大切に読んでいきました。

そんなこんなが一気にあふれてきた旅になりました。

いやな思いというより、あらたな経験をさせてくれた一冊になったように思います。

 

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