とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

岡山県下津井

2007-05-30 22:56:11 | 写真日記
 宿を少し早めに出発して、今回の目的地の一つ下津井に出かけました。下津井は今はさびれた漁港ですが、かつては北前船の寄港地としてにぎわいを見せた町だったようです。そのなごりはなまこ壁と呼ばれる白く厚い壁が残っている街並みにあります。古い町大好きな私としてはぜひ一度行かなければいけない町でもあります。

 狭い道を下りていくとたくさんの家並みが見えてきます。その先には瀬戸大橋が目の前に迫ってきます。駐車場をさがすのに道を間違えて狭い通りに迷い込んでしまいました。そこには、写真に撮りたいような家が並んでいました。わくわくしながら駐車場を探して、そこから歩き始めました。

 まず最初に目についたのは古い家ではなくて、細い家でした。敷地が狭いのでいろんな工夫をしているのだろうけど、右側の家はなかなかスリムです。比べるとよくわかると思います。



 「むかし下津井回船問屋の駐車場に車を停めた関係で、取りあえずめざすことにしました。でも、その途中に魅力的な家並みを見つけました。

 

 帆船が行き来していた時代には、“風待ち、潮待ち”の良港として知られていたそうです。北海道で取れたにしん粕、かずのこ、こんぶなどを満載した北前船が立ち寄った時には、賑やかな光景が広がったんだろうなと思わせるような家並みです。

   

 「むかし下津井回船問屋」は今に残る回船問屋の建物をできるだけ当時に近いかたちで復元した建物です。

  
   

町を歩いているとそこには、やっぱり生活の臭いがしてきます。町行くおばあちゃんたちは、ていねいなあいさつをしてくれます。観光客と同居するのはなかなか骨がおれるだろうなと思いながら、ていねいなあいさつを返していきました。

 

 少しだけ白壁の町柳井と似ているところも感じながら、歩を進めて行きました。すると突然鳥居とブルーのペンキの町には似つかわしくないような光景が目に入りました。こういうアンバランスさもけっこう好きなので写真に撮りました。

   

 次の目的地に車を走らせていたら漁港のあたりで瀬戸大橋の大きな柱に出会いました。古いものと新しいものが同居している何とも不思議な町でした。

            
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ある小学校の苦悩(詳細報告)

2007-05-29 15:22:48 | コーでないと
 関●機●連●携協議会の専門家チームの指導を受けたいという依頼を校長を通して受けました。特定の講師(Dr)を希望していましたが、専門家チームの性格上特定の講師を派遣する制度ではないこと、具体的な場面を見て気づきやアドバイスをする、課題についてい協議するということで理解してもらったうえで、状況を把握するために事務局として訪問しました。

 先方の希望により、登校時より観察を開始しました。情緒障害学級を中心に見てほしいということで、情緒障害学級に在室して観察をしました。すでに、男子1名、女子が1名登校していました。登校後、かばんをロッカーに入れると、連絡帳やノート類を出し、プリントに今日の日程を書き写す学習をしています。

 事前に話していることもあり、Aくんが「お客さんがきたね。勉強見に来たん?」と何度も聞いていました。先生に付き添われて挨拶にきます。人なつっこいことや、注意が転動することなど、行動特性からADHDの傾向のある子どもかと思われました。

 男児が登校してきました。教室に入るなり、小さな声で独り言を繰り返しています。鞄をロッカーに入れる、連絡帳を出すことは、何の問題もなく行っています。二人とも担任に付き添われて挨拶に来ましたが、手を添えるだけで握手はしません。

 教室の配置は右図の通りです。この配置にしたのは今年の4月からで昨年までは個人用の机はなかったようです。学習スペースとリラクゼーションスペースは衝立で仕切られているがまだまだ雑多な刺激を感じました。



 日課表を書き写したら、朝の会まで自由に過ごしていい時間になっています。 「Hくん本読む?」と担任が促します。課題の後の自由時間に何をしたらいいのかが決まっていないと子どもたちは混乱するのではないかと思えました。結局自閉症の2人は絵本を読むことになりました。もう一人のAくんは担任と一緒に教室を出たり入ったりたえず動いています。

 Bくんが独り言のように絵本を読み出したので、横について彼の声をまねして絵本を読んでみました。するとすぐに振り向いてバイバイと手を振り、「あっちいけ!」のサインが出ました。次にCさんのところに行きました。彼女は、絵本の文字をちゃんと認識しているようで、アナウンサーか、ドラマのような口調で読んでいました。でも、全文読むのではなくて好きなキーワード「焼き鳥」だけで読んでいるようなので、正しく「焼き鳥弁当」と読んでみました。すると間髪いれずに「焼き鳥弁当じゃな~い!」と強い調子で返されてしまいました。

 タンブリンの合図で、いよいよ朝の会が始まります。タンブリンの音と「席についてください」の声が響くとBくんが耳をおさえています。タンブリンの音と、怒ったような「席についてください」の声は今から始まる朝の会の緊張をより高める効果になるのではないかと思われました。

 「立ってください」何度も当番のAくんの声が響きます。なかなか一斉には立ちません。ここで担任の注意が入ります。「みんな見てますか?」何度でも起立を繰り返させます。ここは、何の目的なのか指導上疑問が残ります。「今日は5月22日天気は晴れ」を全員で動作化を交えて復唱しています。黒板には左図のように担任の文字で書かれています。カレンダーが表示されているのではなく、毎日担任が書き換えているようです。1週間、1ヶ月の見通しを考えるとカレンダーとの併用が望まれるのではないかと考えます。続いて、今日の日課が読み上げられます。


 その後で担任による健康観察、当番のハンカチ、ティッシュの確認と流れていきましたが、そのほとんどは、言語による指導のみに頼っていて視覚的な条件の支援は準備されていませんでした。自閉症の子どもたちには難しい課題であったように思います。

 次に今月の歌ということで、CD伴奏による「さんぽ」が流れます。子どもたちは教室の周りを歩き始めます。Cちゃんは、CDプレーヤーの前から動きません。CDプレイヤーの音に興味があるのか、係になったような感じなのかわかりませんが、動こうとしません。他の子どもたちは机の下をくぐったり、担任二人が作ったトンネルをくぐったりと楽しそうにやっていました。教室という狭い空間がわかりやすい環境を作っているのかもしれません。ただ、朝の会の組み立てからすると、導入の部分と逆の流れになっているような気がしました。動からスタートして静に持っていき、2時間目の学習につなげていくのが理想なのではと思えました。

 最後に先生のお話のコーナーがあって、「先生の方を見てください」「目玉こっち」という注意が飛んでいましたが、具体的な「お話を聞いてください」という注意は聞かれませんでした。2時間目の生活単元学習についての注意と3時間目以降の担任の研修のための時間変更についての説明がありました。

 その間、保護者は小さい子も一緒に教室に待機していました。それに対して担任の側は、保護者がいないがごとく振る舞っていたので、何か違和感を抱いていました。

 2時間目は体操着に着替えをして、帽子をかぶって運動場に出ました。Cさんだけが着替えずにスカートのままで運動場に出ました。「この子はどうしても着替えないんです。」と担任の説明があったので、「服装についてはこだわりの強いお子さんがいるので気にしなくていいですよ」と答えておきました。全員揃ったかに思われましたが、Aくんが帽子をかぶらずに外に出てきました。どうするかな?と見ていると、「Aくん、帽子を忘れています。教室に取りに行ってください」と言われて「みんな待っててよ」と言いながら教室に取りに帰りました。このような巻き戻しや失敗経験は、かんしゃくを引き起こす誘因になりがちなのですが、子どもも大人も気にしないでのんびりしたもので意外でした。

 この地点で、保護者が帰り始めました。Aくんは「ママいってらっしゃい!」と声をかけていました。この光景は逆なのではないかと思えました。

 子どもたちは外に出て、どこに行くのかと思ったら校舎の外からじょうろを一人ずつ持ち、教室のすぐ裏の花壇に植えてあった野菜に、水をやる活動をしました。「野菜さんのどが乾いているかもしれないのでお水をあげてください」「大きくなあれと言ってあげてください。」という注意を聞きながら実行していましたが、Cさんは「雨が降ります。」と自分独自の理解の中で活動をしていました。絵本の時と同様、自分のメルヘンの世界を持っているようです。

 水やりが終わると、運動場に整列して、手つなぎで遊具へ移動していきました。一つずつ遊具に挑戦してクリアーしていく学習になっています。「最初に準備体操をします」の声にCさんは、すぐにその場から離れて走って行きました。でも顔はちゃんと担任の方を向いていました。どうするのか見ていると、少し間をおいてから迎えに行きました。ちゃんとこっちを向いて離れて行ったのだから、もうしばらく様子を見てもいいのではないかと思いました。

 CさんはAくんの「1,2,3,4」のかけ声が嫌いみたいで、体操の場面では嫌なことがあることを予想して、逃げ出したのではないかと思いました。

 最初は鉄棒から始めました。隣の知的障害の学級の子どもたちは積極的にいろんな工夫をしてやっていました。でも情緒の学級の子どもたちはいろんな気になる行動を示していました。Bくんは最近、金属には一切触らなくなったそうです。こだわりはいろんな形で出てくるので、こだわりにこだわる必要はありませんが、どうして出てきたのか、サインとして理解しておいた方がいいのではないかと思えました。どうしても鉄棒に触らせたいのなら、手袋などの工夫も必要なのではないかと思えました。

 Bさん、Cさんはいろんな遊具の所で、集団から外れようとする動きが見られました。教室の中では集団の行動を見ることができましたが、運動場という広い空間では集中できずに、別行動に出てしまうのではないかと思えました。「これが終わったらこれ!」「いつになったら活動は終わるのか?」見通しを支える補助教材が必要なのではないかと思えました。

 結局、時間いっぱい運動場で過ごして教室に帰りました。この時間は生活単元になっていますが、「これで生活単元?」というのが率直な感想でした。子どもたちの工夫や自由な発想はどこにも感じられませんでした。生活単元というよりは、遊びの指導とした方がいいのではないかと思えました。

 3時間目から校長室に場所を移して、協議に入りました。3人の担任以外に教頭、聴覚障害学級の担任で生徒指導主任の担任が参加しました。

 まず授業を見た感想から入りました。それから子どもたちの行動から気づいたことについてコメントしていきました。その後で本題に入りました。出された問題を要約すると以下の通りです。

①保護者と担任のが子どもの教育の方針について共通理解が得られていないということが出されました。保護者が1時間目に小さい子ども連れで教室にいるために、子どもたちが集中した学習ができていないという意見も出されました。

②4月の始業式をもって教室の配置を変えた。個人用の机は昨年はなく、丸テーブルが中央にあって、いつでも遊べるトランポリンが目につくところにあった。
→それに対して保護者は反発している。自由な空間がある方が子どもたちに良い。急な変更によって子どもたちに様々な問題行動が現れてきた。
→学校は、この配置はいろんな先生たちのアドバイスを受けて実施したもので、事実子どもたちは落ち着いて行動できるようになった。と反対の見解をもっている。

③「登校後はしばらく自由遊びにしてほしい。」という親の願いがある。それに対して学校は何度も話し合いの機会を持っているが歩み寄る気配がないと感じている。
 結果、親たちを説得するためには、ある程度権威ある方を呼んで、親に理解してもらうことが大切だと考える。そのためにドクターに来校してほしい。という要望を持っている。

協議の中で、以下のことを確認しました。
①親とのコンセンサスを取り付けるには子どもたちの事実を語っていかないといけない。子どもの事実から出発して、そのことをどう見るか、どのように考えて、どのような願いをもって子どもたちに接しているかを語らなければいけない。

②校内委員会を開いて、学校全体の中で子どもたちの教育環境について考えていかなければいけないということを確認すべきであること。

③親と意見が合わないために担任が負担を感じているということについては、職場の中でそれを支える環境造りをめざしていかなければいけないこと。特に校長、教頭が間に入って支えていく必要があること。

④教育の出発点は、子どもたち自身の教育的ニーズから出発すべきこと、そのことを代弁している親の願いも一旦は受けとめてから、話し合いを持つことが大切なのではないか。

 いずれにしても、子どもたちが困らない方向で考えていかなければいけないということを確認しました。 
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岡山後楽園

2007-05-28 21:54:12 | 写真日記
 尾道を後にして、福山東インターから山陽道に乗り何とか会場に着きました。会議の場所が、後楽園の近くだったし、会議開始まで1時間あったので、後楽園に行くことにしました。お堀沿いに歩いて行きました。いくつも門はあるのですが、どの門も閉め切ってあって、正面からしか入れないようです。



 やっと正面に着いたら、すでに汗が出てくるほど、暑い日でした。正面より入場料金を払って入りました。目の前に広大な芝生が広がります。建物も見事なバランスの構造美を見せています。これぞ、日本建築という感じです。

   

 後楽園は庭が素晴らしいと言うことは、知っていたのですが庭を見ても大したことないよという気がありました。でも実際に見ると見事としか言えないほどのすばらしさでした。以前なら来なかっただろうな。と思いながら、庭に感動するほど、年をとってきたのかな…とも思いました。

 

  

 庭一つの構造を見ても曲線と直線混じり合って何とも言えない美意識を感じてしまいます。写真を撮る上での構図というものを感じてしまいます。バランス感覚と色づかいともに傑作だと思います。脚立を立ててもう少し上目線から撮影できたらもっと面白いものが撮れただろうと、少し残念な気もしました。

 

 

 これだけ画像を載せるとすごい長い時間いたみたいですが、実は30分足らずの滞在でした。会議の時間に間に合わせるためにさっと切り上げました。そこらへんが構図にこだわった写真ばかりになっている原因かもしれません。

 最後の1枚は最近岡山で話題になっているちくわで笛を作って演奏する人のキャラクター人形です。ここまでやるの?ということでパチリ撮りました。      
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尾道千光寺

2007-05-27 22:33:18 | 写真日記
 土曜日に岡山で会議が入りました。岡山というのは何度も行っている所なのですが、自分の足で歩いたことがないので、いい機会ということでもう1泊することにしました。自宅からだと高速を飛ばして、3時間半くらいだし、現地に着いてからのアクセスを考えると車で行くことにしました。

 朝早く出発しました。通勤割引を使う方が有利なのかもしれないという欲目を出して100㎞付近で高速を下りることにしました。時間もあるのでこのまましばらく一般道を旅するのもいいかな?と思い、高速を下りました。これが失敗の始まりでした。山陽自動車道は海岸付近を走っているという思いこみをしていました。三原で下りるととんでも山の中でした。三原市内までくねくねとした道を通らなければいけません。三原の港風景を撮影する気力すら失っていました。

 しばらく走ると尾道の標識が見えてきました。「尾道の方が絵になる!」と決めて尾道に向かいました。尾道も思ったより遠くて尾道に入った時には、岡山の会議の時間が気になりはじめていました。尾道の町をゆっくり散策するだけに時間はないようなので、一度も行ったことがない千光寺に行くことにしました。

 千光寺へはロープウェーがあるのですが、車で上がることにしました。時間も早かったせいで駐車場もガラガラでどこにでも停められる状態でした。車から下りて標識にしたがって歩いていくと観覧車が見えてきます。すっかりさびついてみすぼらしい観覧車です。きっと現役なんだろうけど、万博の事故を経験するとますます乗る人は少なくなるのではないかと思いました。



 千光寺という道標を目当てに歩を進めるといきなり眼下に海が開けてきます。この日は黄砂の影響でどんより曇っているのが残念ですが、見下ろす尾道水道はなかなかのものです。

 

 もう少し歩を進めると岩の間に松の根が入り込んだ大きな岩が目に入ります。「岩割り松」です。すぐ横には頼山陽の歌が掘られています。

 

 頼山陽の歌碑を見ながらある記憶が蘇ってきました。小学校の時に山本有三の「次郎物語」をテレビドラマとしてNHKが放送していました。当時は暗いストーリーだという印象をもっていました。その主題歌の一部に「松の根は岩を砕いて生きていく」という歌詞があります。この歌詞を聴いて、「一念岩をも通す」その意味について作文を書いて先生にほめられたことを思い出しました。でも、本当に感動したのではなく、こんなことを書くと、先生に評価されることをわかっていて書いたところがあります。小学2年生か、3年生のことだったと思いますが、すでに小賢しい嫌な少年だったのです。大人の意図を先に察知し、付け焼き刃でその時だけやり過ごすという幼い時の記憶が蘇って少しいやな気になりました。

 そのすぐ近くに巨岩があり、眼下に海が広がります。鼓岩というそうです。



 しばらく行くと最初のお堂があります。三十三観音堂です。お堂の正面には木で作られた大きな念珠があります。珠の数は108あり、念じながらゆっくり引くと珠が上から落ちてきてカチカチと音がします。この音で煩悩が打ち消されるということになるそうです。でも引っ張るたびに落ちてくる珠のカチカチという音は、「養護学校の教材に最適だろうな?自閉症の子どもたちは喜びそうだな」という思いを強くしました。山口の瑠璃光寺にもこれと同じものがあります。一つほしいものです。



 本堂の横には奇岩三重岩があります。とにかく石だらけの山でその山に寺の建物があるというそんな感じです。住職によると、寺が建つ前から巨岩に対する信仰はすでにあって、だから岩そのものを破壊するわけにはいかなかったということのようです。ただし岩に対する信仰は仏教ではなく、神道か、別のアニミズムかわかりません。



 鎖場のついた大きな岩がありました。名前は何と石鎚山となっています。四国の霊場でなだかい石鎚山に登ったと同じ御利益があると書いてありました。何というご都合主義でしょうか。四国のお札所参りに代わるというお地蔵さんはよく見ますが、ここにもまた…という思いがありました。でもせっかくだから山頂に登ることにしました。



 二つに割れてそれが寄り添うように立っている石、札を見る前からわかります。夫婦石です。このような対のものを見ると必ずこのタイトルをつけたくなるようですね。そのくらい夫婦というのは、一緒に居続けるのが難しいということでしょうか。



 本堂を過ぎると大師堂の前に「日常の五心」という札がはってありました。その五つはどれも非常に道徳的なもので、どういうときにということではなく、無条件に持ち続けるというものだと思います。私にはとうてい無理だと思うし、無条件には思いたくない。



 鐘楼がありました。誰彼となくつかれないようにひもで縛ってありました。この位置から鳴らす鐘の音は尾道中響き渡るのではないかと思わせました。そういえば除夜の鐘としてテレビで聞いたことがあるような気がしました。



 とにかく駆け足で見てきて、駐車場の前の売店で「尾道ラーメン」のご当地限定というお土産を買って岡山に向かいました。    
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ある小学校の苦悩

2007-05-25 23:39:00 | コーでないと
 “コーでないと”としてある小学校に出かけました。小学校から本校に依頼されたものです。本当は特定の小児科ドクターが希望だったのですが、名指しの専門家を派遣することは、できないということで、取りあえず私が出かけることにしました。

 朝7時50分に学校に来てくれという無理な要望にちょっとした疑問を持ちながら、出かけることにしました。登校風景から参観させてもらって、2時間目の生活単元まで観察した後で、先生たちと協議するという中身でした。

 朝の登校は、保護者同伴でした。登校した後で子どもたちはカバンを片付けて連絡帳を出し、机に着いて今日の日課を書き写すという作業をしていました。いかにもプログラムされた朝の風景です。子どもたちの中にはなかなか書き写すことが難しい子もいて、先生が付いていました。

 ここまではよく見る光景だったのですが、ただ一つ変わったことがあります。それは、付き添ってきた保護者が帰ろうとしないことです。机の後ろの衝立のあたりで雑談しています。付き添ってきた幼い兄弟たちはトランポリンやおもちゃを引っ張り出して遊んでいます。それに対して先生たちは無関心を装っています。何となく変な空気を感じていました。

 朝の会が始まりました。隣の学級も一緒に6名での朝の会です。当番が前に出ていろいろと進めていきます。当番の子はADHDらしく友だちのことがやたら気になって「静かにしてください」「手を下におろしてください」と注意を連発しています。静かに始まった朝の会は途中でCDをかけて行進し始めるといった流れで、「これって反対じゃないの?」と思いました。

 2時間目の生活単元は、教室のすぐ外にある花壇までわざわざ玄関からぐるーっと回っていき、水をやるというものです。その後で、校庭にある体育的な遊具を順に巡って時間が終わるという内容でした。「ねらいはどこにあるの?」「生活単元って知ってるの?」と聞きたくなるようなお粗末な授業でした。

 さて、校長室で協議が始まりました。参加者は学級の関係者が3名と聴覚障害の学級担任という目つきの悪い中年教師と、教頭でした。(校長は途中で出張のため退席)まず気づきをということで気づいたことを、相手が傷つかない程度にいくつか伝えました。ここまではまあまあの中身だったように思います。

 でも、これだけではありませんでした。結局、議題は親と教師の関係についてでした。授業が始まっても帰らない親たちに対する不満でした。自分たちはもっと勉強をさせてあげたいのに、親たちが話をして邪魔をする。子どもまで連れてきているので、集中できない。との話を始めました。

 聞けば、昨年までは、教室の真ん中にトランポリンがあったり、教室に個人の机がなくて、丸テーブルで勉強していたそうです。それではいけないという注意があったので、今年から個人の机を持ち込み、その机は全部黒板に向けて、トランポリンやおもちゃなど刺激のあるものは全部見えないように工夫したとのこと。しかも、この大改造は始業式の日に突然行ったそうです。それに対して親たちが一斉に反発していろんな要求をしてきたそうです。

 やっかいな問題だな…と思いながら「でも、親と話を徹底的にするしかないのではありませんか?子どもの変化を伝えながら話していくとわかってもらえますよ」と毎日出してきた学級通信の例を出しながら伝えたのですが、ここで例の中年教師が登場してきました。「そんなことは、何度もやりました。それでも親たちは考えを曲げません。あの親たちを変えるのは、親のバックにいる小児科の先生を呼んできて話をしてもらうしかないのです」これではもう、出る幕はありません。

 「考え方を変えるのはあんたら教師の方じゃないの?あんないい加減な授業をしていて親たちに理解を得ようとするなんて10年早いよ!」と啖呵を切りたかったのですが、コーでないととしては、そうもいかずに「先生たちのご苦労もよくわかります。でも、やっぱり親と話をしていかないといけない」「学校でも先生たちを支える校内委員会を作って、校長、教頭を始めみんなで支えていかなくてはいけない」などと、歯に十二単を着せたような物言いでお茶を濁しました。

 子どもをしっかり受けとめて、本当に子どもに合ったねらいをもって指導していけば道は開けると思うのですが、何しろ小学校のシステムに子どもを合わせようとしていることが先に来ているので何ともはがゆいものがありました。1時間目から落ち着かせないと「交流学級に行けない」学校で朝やっている読書運動の一環として「朝の会の時に絵本の読み聞かせがやりたい」などと子どもの実態や願いからは遠ざかったところで教師の願いが出てきているところにこそ問題の本質があるような気がしました。

 親御さんの話が聞けなかったので、本当のところの問題点は正確に把握できませんでしたが、特別支援教育元年はまだまだ試練の年が続きそうです。
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一日幼稚園教諭体験

2007-05-24 23:59:07 | 障害児教育
 今やっているコーでないとの関係で、幼稚園に出かけることになりました。園長先生が学校に訪ねてきて、子どもたちの様子を見てからいろいろコメントをしてほしいという依頼があったので、朝から一日幼稚園を訪問することになりました。

 今までに、歌遊びや、集団ゲームの指導に幼稚園に行ったことは、何度かありましたが、今度みたいに内部に入って一日を過ごすことはありませんでした。園長の依頼によると年中組に3名気になる子どもがいるのでその子どもたちを中心に見て欲しいとのことでした。

 園児が登園する前から幼稚園に入り、登園風景から観察することになりました。家庭から、園への切り替えの場面なので、どんなドラマが待っているのか楽しみでした。先生たちは、思い切りの笑顔で子どもたちを迎えます。

 3人の子をじっくり観察しました。3人の子にはそれなりにコメントするところがあったのですが、それ以上に他の子どもたちの様子で気になる場面をたくさん見ました。

 子どもたちは集団でビー玉を坂道から転がす遊びをしていました。そこで突然「あーん!」という大きな声がしました。一人の男の子転がしたビー玉を途中で友だちが取ったのです。そんな時には「これは僕のだから取らないで!」とか、「やめて!」だろうと思うのですが、その子はその後も何度か「あーん!」と地団駄を踏んで抵抗を示していました。他にも何人かこのパターンを見ました。一人の子どもが始めて、それを見ていた子どもたちが誤学習をしていったのかとも思いますが、ちょっと異常な光景に見えました。

 その幼稚園は登園後10時くらいまで自由遊びを続けていました。本当の自由遊びで先生2人もその遊びの中に入るでもなく、入らないでもなく…という状況でした。10時くらいから朝の会を少しして「お仕事」という活動に入りました。前の日に描いてあった飴の壺をはさみで切り取り、糊をつけて台紙に貼るという活動です。

 その後で、今度は外で自由遊び、そして昼食、昼食後はまた自由遊び、その後また外で自由遊びというパターンで実におおらかな園でした。

 帰りの会の時に絵本の読み聞かせがありました。子どもたちのリクエストでコアラの写真絵本でした。ほとんどがナレーションのような絵本でした。その時に渦中の3人が一斉に集団から外れるような行動を示しました。自由遊びの時にはさして問題がないと思われた3人が、始めて問題?というような行動を示しました。このあたりのところが、学校に入学してきてから発達障害の子どもたちが発見されてくるというところにつながるのかな?と思いました。

 幼稚園の詳しい報告は後日あらためてさせてもらいます。
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腹立たしいニュース

2007-05-22 23:58:16 | 日記
 今日のニュースを見ているとまた一つ、腹立たしいニュースが流れてきました。在日米軍再編促進特別措置法案です。これは、在日米軍再編を円滑に進めるために札束をちらつかせて、地方自治体を無理矢理「YES」と言わせる法案です。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)のキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市)への2014年までの移設など、再編がなかなか進まないことにいらだった安倍首相の暴挙です。普天間基地の移転予定地には、すでに1000億もの補助金がばらまかれています。誰も使わないような立派な鉄筋の建物がたくさん建てられているのを実際に見てきました。

 でも、辺野古住民を中心にまだまだ反対の声が強いこともまた事実です。今回の法案は「出来高払い」ともいう法案で、本当にやったののかが基準になるようです。しかも、10年の時限立法ということでとにかく急ぎたいというのが本音のようです。
 中身は、報道によると、在日米軍再編に伴い基地の負担が増える市町村に対し、受け入れ度合いに応じて交付金を出す「再編交付金」制度を新設する。再編を受け入れた市町村に財政措置を行うことで、再編への協力を促す仕組みになっています。
 政府は
(1)政府案の受け入れ
(2)環境影響評価(アセスメント)の着手
(3)施設の着工
(4)再編の実施
 と段階を踏むごとに交付金を増額する考えのようです。また、負担が特に重い市町村に対しては、国の公共事業の補助率を引き上げるそうです。
 安倍首相は、野党の批判に対して、「米軍の抑止力で地域の安定が保たれている。日本全体として必要な基地を受け入れる地域に対して、国として発展を支援していくのは当然だ」と反論しました。
 
 岩国市は、米軍再編に対して、はっきり「NO!」を宣言してきました。住民投票でも、市長選挙でも、県議会議員選挙でも住民の意思は明らかです。でも、国は今まで決まっていた助成金までも打ち切ってきました。米軍基地はまだ岩国の中に歴然としてあるにもかかわらず、米軍再編に協力しないという理由だけで。
 今回の法案は住民の声をまったく無視したものになっていることは明らかです。

 「国っていったい何だ?」と強くいいたい気持ちがします。米軍の抑止力で守られていると思っている人たちがどれくらいいるのでしょう?憲法9条に記されている恒久平和の理念はどこに行ったというのでしょう?

 まるで、予定調和を楽しむがごとく、次々に恐るべき法案を可決していっている安倍内閣は、国民にとって最大の脅威になっているのではないでしょうか?本当は安倍抑止力がもっとも必要なのではないかと思えてきます。
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今日もまた「パッチギ!LOVE&PEACE」

2007-05-20 22:00:57 | 映画
 

 今日もまた「パッチギ!LOVE&PEACE」を観てきました。午後1時から山口で学習会の講師を引き受けていたので、10時半の映画を観れば、間に合うということで、またまた朝から家をいそいそと出ていきました。今日は、学習会の講師ということもあって、ネクタイスーツでバシッと正装していきました。あたかも「パッチギ!LOVE&PEACE」に敬意を示すような感じです。

 さて、映画館はというと相変わらずの、低調ぶりで宣伝がイマイチなんじゃないかと思ってしまいました。それとも、シネコンでない地方の映画館はこんなものかな?と日本の文化の行く先を心配してしまいます。頑張れ山口スカラ座!

 座席に着いて、昨日の映像を頭に描きながら、映画が始まるのを待っていると、「また、来たの?」とのんびり倶楽部氏が現れました。どうやら昨日のブログを読んだみたいで二日連チャンで来ているのを知っているようです。「2回目は2回目の良さがあるんだよ。本当は毎日来たいくらいだけどね」と返事をしました。話が聞こえたのか、前列の中年カップルが少し動揺していました。

 のんびり倶楽部氏に話した通り、2回目の感想は前回とは少し違ったものになりました。

 一つはキョンジャについてです。昨日の感想は、キョンジャの生き方について少し批判めいたことを書きましたが、それはまだまだ浅かった事に気づきました。キョンジャは、チャンスのお母さんが白血病で亡くなって、チャンスの治療のために東京に行くアンソン家族と一緒に東京に出てきているのです。
 東京ではおじさんの家でチャンスの世話をしながら、パートの仕事に出ている。しかも、前話でも家族の事情でいろんな場所を転々としている。自分の人生という点では、なかなか出し切れていない。そんなキョンジャが夢をもって何が悪いんだろう?

 自分のことを振り返っても、高校まで暮らしてきた“家”というものがすごくいやな時期がありました。一日も早く、この“家”というものから逃げ出したかった。都会ならどこでも良かった。自分のことを知っていない人の中に紛れて、自分を再生したかった。そんなことを思い出していました。

 キョンジャが映画の終盤でアンソンに向かって「東京に出てきて、私、毎日サンダル工場とお店だけで、東京タワーも観たことがなかった。…だから何かやってみたかった。飛び出してみたかった。」というセリフは深い意味があるセリフだと思いました。初めてキョンジャが自分を出した場面だったのではないでしょうか。

 キョンジャは続けます。「私、やるからには、一番なって、いっぱいお金もらって、それでチャンスのためにも…」キョンジャは泣き崩れます。そして次に「何で、私ら、朝鮮人なの?朝鮮人なんか生まれたなかったわ」このセリフも深いものがあります。このセリフがあって初めて最後のキョンジャの舞台あいさつのシーンにつながっていくのだと思います。

 二つ目は日本人と朝鮮人の関係です。前回は康介とテレビ局のプロデューサーが日本人として大切な役割を果たしました。それでも日本人と朝鮮人の間には深くて広い川が横たわっていて、そこで悩み苦しむという描き方がされていたと思います。ギターを鴨川に投げ捨てる康介と鴨川の不毛のけんかがそれを代表しているように思います。
 
 今回は藤井隆演じる佐藤(ノーベル)が重要なキーワードをもっていると思います。高校まで孤児院で過ごした佐藤は、枝川の住民の暖かさの中で本当の人間の温かさを知ることになります。居心地のいい場所を経ることによって恨んでいたはずの母親を許す気になります。そこには日本人、朝鮮人関係なく同じものが流れています。
 
もう一人のキーワードとして出てくる人物に宇野重吉がいます。チャンスが「今日は紙芝居のおじちゃんが来るから学校を休みたくない」と言った紙芝居のおじさんとして登場してきます。オモニの口からは「この人だけは信用できる気がすんねん!」と深い信頼を得ている。
 
 映画の中で宇野重吉が演じている紙芝居は「おおかみとひつじの話」は実際にあった話を脚色している話です。
 現在の東京都江東区枝川という場所は、戦前は東京湾の埋立地のはずれのゴミ捨て場でした。1940年のオリンピックは東京市で開催する】と決まったため、その予定地にあったバラックの朝鮮人集落の人間たちを埋め立てが終わったばかりの、排水設備も整っていない荒地の枝川地区に、ただの箱のような玄関も台所も風呂も無い小屋を230戸建てて、強制移住させました。当時の資料によると台所は共用で外にあり、雨が降れば共同便所の汚水が溢れ、食事には蝿がたかってご飯が見えなくなるような劣悪な環境だったそうです。
 
 もう一人のキーワードの人物は、キョンジャが所属する芸能プロダクションの社長(でんでん)が良い味を出しています。キョンジャが何かしでかしても、落ち込んでもひょうひょうと過ごしているそんな感じですね。いい人とは、言えないけど決して、悪い人でもないこういう人が日本を良くしていくんだろうと思いました。

 チャンスが通っている学校は、実は最近話題になった学校でもあります。
 2003年12月に、東京都江東区枝川にある東京朝鮮第2初級学校(日本の小学校に相当)の校舎の一部を取り壊して、都有地である校地の一部約4,000平方メートルを返還することと、1990年4月1日以降の使用相当損害金として約4億円の支払いを求めて東京都が提訴した裁判です。一応、1億7千万円で和解したそうですが、大変な額です。

 この映画は時間を経過しながら少しずつ気づく映画ですのでまた気づいた頃に報告したいと思います。


  
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「パッチギ!LOVE&PEACE」観てきました。

2007-05-19 18:27:34 | 映画

 「パッチギ!LOVE&PEACE」観てきました。封切りを待ちに待っていました。「金曜日(前の日)にしか上映時間がわからない」と言っていた田舎の映画館に、前の日にちゃんと電話を入れて、上映時間を確認しました。「10時半、3時、8時の3回です」と返事を聞いて、これは、第1回目の上映しかないと判断しました。本当は、午前中は別の場所で、障害児教育の学習会が予定されていたのですが、そこに出たのでは時間のやりくりがどうしても立たないので、10時半の上映に向かいました。もちろん、午前中のメンバーには内緒です。

 初めての映画館(山口スカラ座)でもあり、少し不安だったし、気持ちもあせっていて、着いたのは10時前でした。映画館らしきところにはラーメン屋があり、本当にここが映画館?という感じでした。取りあえず駐車場に車を止めると、1台の車が入ってきました。運転している女性が会釈をするのでよく見るとかつての同僚のAさんでした。「ここでいいんですよね」と話しながら入り口を捜しますが、入り口らしきものはありません。2階の窓からチラッと見える室内は映画館らしいので「ここだ!」ということになりました。でも、シャッターが下りています。

「10時になったら空くんじゃない?」と話しているともう一人「ここって映画館ですよね?」と聞いてくる若い女性がいました。この人もパッチギを観に来たのかと思って「何を観るんですか?」と聞くと「ゲゲゲの鬼太郎です」と答えたので、いっぺんにランクが下がってしまいました。

 近くのコンビニで暇をつぶして、10時過ぎに行くとシャッターが開いていて、「パッチギ!LOVE&PEACE」のポスターが貼ってあったので安心しました。映画館は初老のおじさんと売店の女の人の2人でした。他に映写技師とかいるんだろうけど、いかにも田舎の零細企業という感じです。日本の文化を支えている人たちがこんなんでいいのか!がんばれ!山口スカラ座!

 映画館に入って、いつものように最後列に座って、映画が始まるまでAさんと話していると、またまた知り合いのM川氏が登場してきました。聞けば午後から大学に行く用事があるので、その空き時間に最適だと思ったとのこと。この方は周南市で井筒監督を呼んで「パッチギ」を上映した時に大奮闘されたメンバーの一人です。

 さて、映画が始まりました。やっぱり井筒ワールドです。「本気でラブとピースを描きたいなら、まずその対極にある現実からキッチリ見据えないといけない」と主張するように、いきなりの乱闘シーンからスタートしていきます。某大学生の応援団になった桐谷健太が出てきたあたりで、やっぱり予想通りの展開の大乱闘が始まります。もう、「出たー!」という感じです。すごい人数と実際の電車やホームを使ってのシーンに圧倒されてしまいました。

 あんまりストーリーに踏み込むと今から観に行く人たちに迷惑になるので気をつけて語っていきます。最初からドーンと出てくる藤井隆はなかなか好演をしていると思います。「カーテンコール」の時の演技も光っていたけど、彼はこれからいいポジションにつけていけるのかもしれないと思いました。

 今回の映画は、二つの大きな時間軸が横たわっています。一つはアンソン、キョンジャたちが生きる1974年、もう一つは2人の父親たちが生きてきた1944年です。1944年のエピソードは日本の徴兵を逃れて船でヤップ島に逃げ出した李鳳宇プロデューサーのお父さんの史実を元に描いているそうで、日本占領下のヤップ島で経験した戦争の映像が、インサートされていきそれが鮮烈なイメージを焼き付けていきます。教師をやっているせいか、ヤップ島の現地の子どもたちが鳥居の奥のご真影に頭を下げさせられて「立派な臣民として…」と訓辞を垂れられているシーンは胸が痛むものがありました。

 1974年においては、芸能人をめざし、少しずつはい上がっていくキョンジャの青春とアンソンとその子どものチャンスをめぐるストーリーが描かれていきます。

 キョンジャが芸能界をめざすということも在日の人たちの生きざまを学んでいかないと理解しにくいかもしれません。在日の人たちの就職はなかなかきびしいものがあったようです。就職差別という壁の前では、安定した収入を得るためにはパチンコ屋、焼き肉屋、不動産屋、スポーツ選手、芸能人、やくざになるしかないということがある本に書いてありました。映画の中でも実名で何人か出てきていますが、実際に芸能界にはたくさんの在日の方がいるようです。映画の中でも「在日がいないと紅白歌合戦はできなくなる」と言わせるシーンもあります。

 もう一つ、チャンスが進行性筋ジストロフィーになるという設定も、いろんなことを感じてしまいました。1974年ということは東京ではすでに養護学校は全入の段階だったと思います。チャンスが日本人であれば、すぐにでも養護学校で教育が受けられて、病気の進行に伴う障害とも向き合えるような教育ができただろうにと思ってしまいました。

 気になる点といえば、キョンジャの存在です。出目を隠して芸能界で頑張っていこうとするまでは理解できるけど、バカな男にだまされたり、そのヤケからか、自分を捨ててまで、芸能界で生きようとする。その彼女がエンディングに近い部分ではストーリーの主題に近い部分を語らせるという流れは、少し無理があるのではないかと思いました。

 全体的にはいろんなエピソードがたくさん詰まりすぎていて、少々欲張りすぎたのではないかと思いました。前回もそう言うところがあったのですが、何度か見るなかでまた違う面が見えてきそうなそんな映画だと思いました。

 ぜひ映画館で観ることをお奨めします。
 
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子ども理解これでいいの?

2007-05-17 19:09:58 | 障害児教育
 *注 
 いつになく強い論調になっています。障害児教育関係でない方は読まないでもいいかもしれません。 

ある研修会に参加しました。自主的ではなく、仕事の一環としてです。そこでは、午前中職場を離れて大学で研修を積んだ教員の発表会でした。どの発表も周到に準備されていましtが、いくつか気になるポイントがありました。

 それは、発表した4名とも学んだ場での教官の多大なる影響です。特別支援教育を進めていくには、この理論は絶対必要かつ絶対に有効であると強く主張されていました。異口同音に一つの理論が語られると、どうもすっきりしません。ここまで影響を受けてしまうことについては恐怖すら感じました。

 もちろん、私の障害児教育観とは相容れない立場のものなのでそういう気になっったのかもしれません。

 理論的には、賛否あるので限定した言い回しはさけますが、今日の発表の中で典型だと思われた例を一つだけ紹介します。

 小1の男の例です。アスペルガーと診断されているそうです。母親から「給食の時は座って食べるのに、家では食事中10回以上たち歩いて困っている」という相談を受けて、「食事中立ち歩かない」という目標を立てて指導を開始します。

 まずこの理論は今の行動「食事中立ち歩く」という行為を不適応行動と断定します。その原因となるものを捜します。「さほど食べたくない食事の存在」とします。不適応行動の結果を「食べなくてすむ」と断定します。その上で不適応行動「立ち歩く」を適応行動「ごちそうさままで座っておく」に行動を改善するためにプログラムを開始します。

 「科学的」と銘打っているので、まず食事中何回立ち歩くか調べます。これをベースラインと呼ぶそうです。改善した様子も数値化したものでなくてはならないからです。「さほど食べたくない食事の存在」を改善するために、強い誘因子を導き出します。この子の場合「目標が守れたら15分間大好きなテレビパソコンをしてもいい」ということだそうです。

 ベースラインを5日程度調べて10回と決定し、本人に示して、目標を決めさせます。目標が達成すればテレビパソコンで遊ぶ、2日おきに目標を高次化していき、最終的には立ち歩く回数が0になるまで続けるというものです。

 事実この子の場合はテレビパソコンという魅力的な刺激で行動は改善されたそうです。でも、こういった結果オーライでいいのかという疑問は強く感じました。この子が最初に示していた様々な行動については、ほとんど深い分析もせずに、ただ不適応行動(親の困り感)だけに注目してそれについて行動矯正をしているだけではないかという気がします。子どもの中から困った行動を取りだして、それを場当たり的に矯正しても、子どもの全体像はほとんど見えていないことになりはしないかという気がしました。

 そこには、子どもをまるごと捉えていくことや、子どもを肯定的に見ると言う視点は全く感じられません。HOW TO的な教育方法に過ぎないと思います。教師の専門性ということが叫ばれて久しいのですが、このような付け焼き刃のHOW TO的な教育方法を唯一の方法だと信じ込まされる教師のどこに専門性があるというのでしょうか。

 
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