とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

115系3000番台

2020-05-30 10:09:00 | Nゲージ撮り鉄

現在、私の住んでいる町を走っている山陽本線普通電車です。
115系3000番台は、前面構造や主要機器は115系に準拠していながら、室内構造は2扉転換クロスシートとなっていて、後発の117系との共通点が多く見られます。

当初は、広島シティ電車との愛称が付けられていましたが、広島管区は順次レッドウィングの新型車に替えられています。

車検のたびに塗装しなければいけないので、一色にしているのだと思いますが、口の悪い人たちからは、濃黄色をの車体を末期色と揶揄する向きもあります。

時間帯によっては、私の家の近くもレッドウィングが走っていることもあり、だんだん隅っこに追いやられる115系にだんだん愛着が湧いてきています。

実車も何度も撮っていますが、敢えてのNゲージ撮り鉄です。

 

 

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キハ66・67

2020-05-26 16:21:00 | Nゲージ撮り鉄

鉄旅にゆけないのでNゲージを撮り鉄しています。

今回はJR九州佐世保線・大村線・長崎本線を走っているシーサイドライナーにしました。

キハ66・キハ67です。

世界に30両しかない貴重な車両と紹介されています。

私はシーサイドライナー色が好きなのですが、国鉄色もわずかながら走っているようです。

2020年のいずれかのダイヤ改正でYCI系蓄電池搭載型のディーゼル車に取って代わられるようです。

最後の1枚はあり得ないキハ40系との2ショットです。

 

 

 

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古都奈良への旅2(2018.1.6撮影)

2020-05-22 22:46:50 | 写真日記

奈良滞在2日目です。この日の午後から全国障害児教育学級・学校学習交流集会があります。受付は12時からなので、午前中は寺廻りをします。

インターネットで検索すると、法隆寺が朝8時から拝観できるとのこと。
朝8時の開門に間に合うべく法隆寺に向かいました。
流石に朝早くの境内は静かでほとんど観光客らしき人たちもいなくて、心穏やかに向かうことができました。

法隆寺訪問も学生の頃から数えたら10数回になると思います。書籍もたくさん持っているので、滅茶苦茶詳しいのですが、それでもやっぱり生の迫力には圧倒されます。

法隆寺では建物だけしか撮影できないので、どうしても建物ばかりになりますが、金堂にある釈迦三尊像ももちろんですが、百済観音、広目天、多聞天等々それはすごい飛鳥仏に囲まれています。

ため息が出るほどの歴史を前にそれをほとんど独り占めしている時間は、本当に貴重でした。

 

 

今回は南大門が工事中で、金堂、五重塔、南大門のスリーショットが撮れなかったのが。ちょっと残念ですが、家にはたくさんの写真があります。
一枚めは大講堂です。正面にある灯篭の獅子も見事です。
解説し始めるとメンドくさい男になるので、ここら辺で。

 

 

五重塔や金堂のある伽藍を西院と呼びます。そこから夢殿がある東院に向かいます。
どこを撮影しても歴史的資料なのですが、我が家には若い頃に無理して買った「岩波版奈良の寺」全6巻(ほるぷ出版)があるので、家に帰ってゆっくり堪能できるので、全部撮影することはないのですが、やっぱり撮影してしまいます。

 

 

法隆寺から中宮寺に向かい彌勒菩薩像を見てから、時計を見ながら斑鳩三塔を巡ります。

歩くにはちょっとあるのですが、バスを待つには不便ということもあり、やっぱり歩きます。(これが後で後悔につながるのですが、それも知らず)

まずは、法輪寺に向かいます。創建は、飛鳥時代に遡る寺なのですが、現在では規模も小さくなり、国宝だった三重塔も1944年落雷で消失してしまいました。
現在の塔は、1975年に再建されたものです。

講堂には、飛鳥時代、白鳳時代の重要文化財の仏像が多数あります。
すぐ近くで見ることができてなかなかのものでした。

 

斑鳩三塔最後の法起寺です。
パンフレットやガイドブックには「ほうきじ」と書いてありますが、自分の記憶では「ほっきじ」と読んでいたと思います。
地元の方に聞いてみました。すると、地元の方は「ほっきじ」と呼ぶことの方が多いそうです。でも、どちらも正解のようです。

法輪寺も法起寺も生活空間に根付いた塔のような気がします。
法起寺は聖徳太子建立の七ヶ寺の一つとされています。
三重塔は706年に建立されたとされ、最古の三重塔として国宝に指定されています。
溜池越しにひょいと顔を出す風景が好きです。

敷地内の池越しに見える三重塔はやっぱり落ち着きのある姿を見せます。
左下の写真のように畑のすぐ横に建っている姿は、三重塔
周辺の観光モードとは程遠い、いかにも奈良の風景だと思います。

 

 

法起寺をしっかり見てから、お寺の人に奈良に戻る方法を尋ねました。
法隆寺に戻るより、バスに乗って奈良に戻る方法がベストだというアドバイスをもらってバス停に行ってみました。

次のバスの時間まで40分近くあります。でも、法隆寺駅まで歩いても40分以上かかるし。ということで待つことにしました。
ベンチも近くに店もないので、法起寺周辺のあぜ道をブラブラと散策しながらバスの時間を待つことにしました。

前回紹介した畑越しの三重塔がそれです。
テレビでやっている「路線バスの旅」が好きで憧れて見ているのですが、テレビで見て楽しむのと現実は違いますね。
奈良交通のバスは、1時間に1本あるのですが、この日は土曜日。さらにバスの間隔が空いていました。

バスはまさに路線バスです。各バス停ごとに速度を下げながらゆっくりゆっくり進みます。なかなかロングドライブでした。
ただ、Suikaのカードが使えたので両替を気にせず乗車できたのは良かったです。

 

 

交流集会2日目からは奈良教育大学に場所を移します。
奈良教育大学の裏手には新薬師寺があります。分科会が始まる前に時間を見計らって是非とも行きたいお寺です。

本堂も何とも味わいのある奈良時代の建物です。もちろん国宝です。中には、薬師如来坐像があり、それを囲むように十二神将立像があります。どれも国宝に指定されており、仏像の写真集には必ずと言っていいほど、掲載されています。
時間はあまりなかったのですが、時を忘れるほど見入っていました。

すぐそばには入江泰吉記念 奈良市写真美術館があります。
入江泰吉さんの万葉路の写真と花の写真にすっかり魅入ってしまいました。
やっぱり私の写真の原点はここでした。構図といい色合いといい、この人のコピーから始まったようです。
ちょっと高くて重かったのですが、入江さんの写真集を買って帰りました。

 

 

奈良教育大学周辺は大変落ち着いた町並みです。好きな風景の町並みです。
分科会が終わってからホテルに帰る道すがら撮影した写真です。

 

 

古都奈良に行ってもやっぱり鉄道は撮ってしまいます。
行く前にはなるべく乗り換えを減らしたいこともあり、ローカル線に揺られるのも良いかと思い、JR一本で京都経由という旅を選びました。
でも、近鉄線にも興味が湧き、西大寺経由で沿線の写真を撮ってきました。

 

 

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古都奈良への旅(2018.1.5撮影)

2020-05-20 15:37:01 | 写真日記

毎年参加している障害児教育の全国集会が今年は奈良で開催されました。第17回を数える学級・学校学習交流集会に第1回目からずっと参加しています。途中からは、実行委員会としてして参加していたのですが、今年3月で一度退職してからの参加なので、一般参加者として気楽な気持ちで参加しました。

毎年1日前から乗り込んで現地での趣味的な観光ガイドをしていました。今年からは気楽なトーンで撮影してきたのでちょっと時間をかけて紹介していきたいと思います。建物オタクと鉄道オタク満載になりそうです。

あさイチのローカルな駅から始まります。山陽本線岩田駅です。これからの旅への何のワクワク感も湧いてきません。

 

徳山から京都まで新幹線です、大阪周遊券を使っていろんな線を経由して奈良へとも考えたのですが、新大阪からの乗り換えが「めんどくさい」の一言で京都経由にしました。

京都駅から奈良線に乗り換えるわずかな時間に重たい色の車両を隣のホームで見付けたので、撮影です。117系です。ここが性(さが)というものでしょう。
この調子で行っていたらどれだけ記事が続くのでしょうね。

奈良に到着したものの生憎の雨だったので、さてどうしたものか?と考えましたが、すぐに素晴らしい建物が目に入りました。
奈良駅舎です。

 

現在は新しい駅舎になって使われているわけではありませんが、昭和初期1934年(昭和9年)に完成した建物です。
鉄筋コンクリート構造に方形の木造小屋組みの瓦葺の屋根。その上に寺院風の相輪が載る和洋折衷様式です。

 

駅周辺の混雑緩和と再開発のためにJR奈良駅周辺を立体交差化する計画により取り壊しの憂き目に遭いそうになりました。
市民の署名や多くの人たちの努力の結果、中央部分だけの保存することになり、何と曳き家方式で18メートル移動させて現在の位置に落ち着いています。
現在は観光案内所になっています。

雨の奈良ということで、歩き回るのもしんどいし、次の日から学級・学校学習交流集会ということもあり、ムリは禁物ということで奈良国立博物館に向かいました。
仏像館ではこれでもかというほどの仏像を見て歩きました。
仏像好きにはたまらない聖地です。

少し昼も回ってきたので、博物館内のレストランで昼食をとも考えたのですが、奈良らしいものも食べたいという思いもちらつき、さらに歩を進めました。

東大寺方面に向かうと中国の団体客と思われる方々が、たくさん歩かれていました。その人たちの写真のターゲットは見事なほど鹿でした。
私は鹿があまり好きではありませんが、人それぞれです。
大仏殿はアジアの方々の多さに、喧噪をパスして、東大寺風景の写真を中心に撮影しました。

 

 

東大寺は大仏殿よりも二月堂に向かう参道が一番のお気に入りです。
もちろん山川出版の資料集の表紙になっていた大仏殿の前にある灯篭の透かし彫りも大好物です。(今回は行っていません)

 

上の2枚が表参道です。

下2枚が裏参道です。
ここでの写真は雨に助けられた気がします。
しっとりとした古都の雰囲気が出せたのではないかな?

 

東大寺周辺は本当に好きで奈良に行く度に必ず訪れます。建物や仏像だけでなく、そこにある空気感のようなものが好きです。

大学の時に夢中になった入江泰吉さんの写真集の影響かもしれません。

今回参加する障害児教育学級・学校学習交流集会の会場が奈良教育大学ということもあり、すぐ近くに入江泰吉写真館があるので、再確認したいと思います。

 

 

さて、1枚目は二月堂から見る大仏殿です。少し雨に煙っています。
2枚目は二月堂の欄干です。お水取りの時はここからお灯明が火の粉を撒き散らすことで有名です。

東大寺に着いたら時はすでに昼過ぎていて、何か食べないといけないと思いつつ、ずっと歩いて行きました。一度、うどん定食の店に入りかけたのですが、少し混んでいて、ざわついていたので席につかずにすぐに出てしまいました。

三月堂、二月堂と巡ったところで、茶屋が目に入りました。「柿の葉寿司」という単語が入ってきたので二月堂の目の前の茶屋に入りました。

3枚目が、「柿の葉寿司とにゅうめんのセット」です。少し落ち着いたところで、もう少しゆっくりしようという気になりました。最近、コーヒーと甘いものというのが自宅での定番になっているので、さらにわらび餅のコーヒーのセットを注文しました。二月堂を眺めながらのコーヒータイムはなかなか良いひと時でした。

 

興福寺を経てホテルへ向かう途中に「ならまち」があります。
途中に元興寺(がんごうじ)があります。前身は蘇我馬子が設立したとされる法興寺(飛鳥寺)。大きなお寺だったそうなのですが、今はこじんまりした佇まいになっています。極楽堂・禅堂(共に国宝)の屋根の一部には今も飛鳥から運ばれた日本最古の瓦が使用されているそうです。
ちょっとマニアックな日記でした。

 

 

JR奈良駅近くにホテルを予約していたので、ならまち界隈をぶらつきながら町並みをパチリパチリと撮影して歩きます。

以前全障研の全国大会があった時も仲間と散策しました。
古民家を活用して雑貨屋やカフェが人気らしいのですが、とんと興味はありません。ひたすら建物や町並みにぐんぐん引っ張られていきます。
それでも、軒先に飾られている小物は興味が湧きます。
少しだけ見る人寄りに写真を紹介します。

 

 

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観光列車「○○のはなし」の旅3(2019.12.21撮影)

2020-05-18 15:47:03 | 鉄道旅

東萩駅前に「ビジネスホテル中村」があります。
20代の頃、交流学習の先行研究校として萩の中学校の研究発表会に出張を命じられました。次の年に勤務校が交流教育の文部省指定を受けることになっていて、泊まったホテルが「ビジネスホテル中村」でした。当時は電話帳(イエローページ)で「いかにも」というホテルを探しました。

 

左下の写真の方は実は車内でもお見受けしたのですが、東京から来ている旅人でした。宇部空港まで飛行機で来て、この観光列車に乗って来たようです。ついでにいろいろ質問させてもらったのですが、大きなぬいぐるみは荷物扱いで飛行機に乗ったそうです。
お面は顔をあまり見られたくないためにしているそうです。
余計見られるのではないかと、ツッコミたくなりましたが、人それぞれいろんな旅のあり方があるんだと勉強になりました。
最近の私も然り。知り合いに合わないで済むから、鉄旅に出ていますが、それを逐一報告しているのもアンバランスの証拠かなと思っています。

右下の写真は東萩駅の跨線橋の中です。何だか雰囲気を出しています。以前は「いかにも」のこういった趣向は苦手だったのですが、最近は受け入れている自分がいます。
東萩〜益田間の山陰線はまだ乗車していないのでいつか乗りたいものです。ただ、時刻表が隙間だらけです。

 

帰りも『〇〇のはなし』に乗車します。帰りは長門市駅から方向転換して仙崎に向かいます。仙崎支線2.2Kmの路線です。仙崎の駅で30分間停車するというので、仙崎の探索に出かけました。往復で30分、これを甘く見ていて後で後悔することになります。

仙崎駅からまっすぐの通りが「みすゞ通り」です。金子みすゞ記念館がある通りです。古い町並みの通りなので、「少し写真でも」と思い、歩を進めました。

右下の画像はVespacar p50de です。Vespaと言えばイタリアのスクーターでローマの休日でも登場した例のアレです。でも、Vespacarp50はスクーターに3輪の車をつけたものです。戦後は大活躍をしたものだそうです。この車体はいつのものかはっきりしませんが、「おお!」という代物でした。

左右に古い家屋が立ち並び、一瞬タイムスリップしたような感覚になりました。古くは栄えていたような街並みでした。

 

 

左下の画像は仙崎のみすゞ記念館のすぐ横の路地です。

右下の画像はもう少し海辺に行ったところで見つけたちょっと洋館です。時間がなかったので何に使われているのかはわかりません。
駅に引き返す途中で蒲鉾屋に立ち寄ってその場で揚げてもらいました。この油断が失敗でした。

 

駅までの時間を勘違いしてしまいました。
発車時刻はどんどん迫るのに、なかなか駅に辿りつきません。

午前中にあんなにビールやお酒を飲まなければ良かったと思うくらい走りました。
ギリギリのところで何とか間に合いましたが、12月というのにすっかり汗だくで服をどんどん脱いで行きました。最後にはTシャツ1枚になっていました。

何やってるんだか。そう言えば九州の鉄旅でも三角駅に向かうのに走ったことを報告したのに、全く学習する能力がありません。

 

 

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観光列車「○○のはなし」の旅2(2019.12.21撮影)

2020-05-17 22:00:32 | 鉄道旅

交通費が安上がりだったので、昼食は特製弁当にしました。乗車3日前までに下関の料亭に予約を入れて車内で料金と引き換えにもらえるシステムになっています。
旅行中はいつも食には拘らないで適当なものを食べて済ますのですが、今回はチャレンジしてみました。税込で2600円です。

 

メニューは左上の枠がちしゃなます、いとこ煮人参 中央上が出汁巻き レンコン旨煮、鰆柚庵焼き、焼明太子、豚八幡巻 右上がフク唐揚げ、鯨竜田揚げ、海老雲丹バター焼き、酢橘

左下が白飯、中央下が夏みかん寒天、鰆南蛮漬け、ふきのとう佃煮、焼き抜き蒲鉾、右下が雲丹飯となかなか豪華な弁当でした。

食べながら思ったのですが、青春18切符が使える日程を選んで1号車を4人で予約して、ボックス席に座れば、この弁当を食べながら十分忘年会を楽しめるのではないでしょうか。青春18切符は5枚綴りで12,050円です。何人で使おうと自由です。
年末までの運行は終わってしまいましたが、新下関から3時間の景色を楽しみながらの語らいの忘年会はなかなか良いものだと思いました。

左下は最近流行っている元乃隅神社の最寄りの駅人丸です。外国にも紹介されている人気スポットだそうです。この赤い鳥居と海の取り合わせが良いのでしょうか?京都の伏見稲荷も外国の人がたくさん行かれることで有名です。
私も車で行って何回か撮影したことがあります。

右下の写真は、子どもと2人連れのお客さんです。最初私の隣に座った子どもさんがキョロキョロ私の顔を見て何度も目が合うので話しかけると広島の小1の男子でした。お連れの男性が落ち着いていて、私とそんなに歳が離れていないような気がしたので「お孫さんですか?」と尋ねるとあに計らんや「息子です」と答えて来ました。「これは失敗した〜!」と一瞬焦りました。

道中、話をすると私より10歳若くて広島の小学校の校長をしているとのことでした。
2人は東萩駅から貸し自転車に乗って城下町へと消えていきました。

 

下関からは響灘を経て日本海へと青い海が続くはずなのですが、生憎の天気です。でも、瀬戸内の風景に慣れている人間にとっては日本海の風景はそれなりに新鮮です。

右下の写真は長門市駅です。ここで少し停車時間がありました。手前に写っている車両は美祢線の気動車です。当初は長門市駅で下車して美祢線経由で山陽本線の厚狭駅から帰る計画も立てていました。
終点までいかないと「○○のはなし」の車両の写真が撮れないと思い、東萩駅まで行くことにしました。
でも、下関駅であんなに時間の余裕があるなら乗ったことない美祢線に乗るという手もあったと後で後悔しました。

 

左下は萩市に入ってから撮影しました。

右下は車内の撮影です。1号車はグループや家族で旅行するにはなかなか良い車両だと思います。

 

終点東萩駅に到着しました。停車時間は約1時間です。この町はもう何十回と来ているので市内観光はさすがにしません。
図鑑を作るのかというほど、「○○のはなし」を隅から隅まで撮影をして過ごしました。

 

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観光列車「○○のはなし」の旅(2019.12.21撮影)

2020-05-16 21:39:33 | 鉄道旅

青春18切符を初めて使いましたが、目的地によっては,お得感満載の切符になることを初めて知りました。

観光列車『○○のはなし』に初めて乗りました.これもなかなかのものでした。
『○○のはなし』は土日運行の観光列車ですが、快速扱いなので指定席券だけを購入すれば青春18切符が使えます。私の家から下関経由の東萩駅までだと片道だけで4000円超えてしまいます。それが、往復で2400円で行けてしまいます。ちなみに指定席券は530円です。

 

メチャクチャお得感満載です。これだったらお昼に豪華弁当を注文しても、お酒飲んでも大丈夫という気持ちになります。
青春18切符の場合、普通列車しか乗れないので、乗り継ぎをしっかり考えないと大変な旅になってしまいます。
今回の旅は観光列車を使うということで殆ど待ち時間がありませんでした。

新下関が始発ということで、そこから乗り込み、列車が動き出すと同時に缶ビールをシュッパーと景気良く開けて、ディーゼル車の音と揺れに心地よくなっていると、下関で10分間停車するというアナウンスが入りました。降りて、写真を撮る時間が保障されています。希望者は係の人間が撮影してくれると言います。早速降りて、車体を撮影し、珍しく自分を撮ってもらいました。

でも、よくよく考えたら、『はなし』は山陰本線を走る観光列車です。当然始発は下関駅になります。
新下関は新幹線の乗客に向けたサービスのようなものなのかもしれません。
左の写真は1号車です。和風のテイストです。畳が敷いてあって靴を脱ぐこともできます。2人掛けも4人掛けのシートもあります。
右の写真は2号車です。こちらは洋風の作りになっています。私は2号車でした。

 

新下関に乗車して缶ビールをプハーッと呑んで気持ち良くなったところで下関駅停車10分とまでは前回紹介しましたが、外に出ている間にいろんなものがテーブルに配られていました。

白い袋の中にはふぐ茶漬けが2袋と下関の観光パンフレットが入っていました。
もう一つは棒がついたいる小さい旗です。行く先々のいろんな駅で横断幕を持った観光お出迎え隊が待っているらしく、その人たちに振ってくださいとの趣向だそうです。

   

 

出発の時は皆さん気持ちが高揚しているのか私以外の乗客皆さん手を振っていました。
それからゆっくりちょっと気の抜けたビールをごくごく呑んで旅を続けます。

下関駅を出た頃にはすぐ缶ビールはもうなくなりました。

NHKのBS番組「吞み鉄本線日本列島の旅」の六角さんのように鞄にいつも予備の缶ビールを入れておかなければいけません。
車内の販売カウンターで萩の地ビール「ちょんまげビール」を売っていました。ちょっとコクのある方を選びました。

 

ディーゼルの心地良い音と揺れ、車窓から眺める風景が酒の肴になりどんどん進みます。しかもまだ午前中。「酒飲みに来たんかいな!」と突っ込みたくなるようなペースで空いていきます。

海の綺麗な場所では所々で停車してくれます。でも、この日の天気は曇りで海は綺麗ではありません。

昼食は弁当を予約しているので、決めた時間に届けてくれます。11時半に予約していたのですが、ちょんまげビールも空いてしまいました。

お茶と弁当では味気ないのでまた売店に向かいました。今度は趣向を変えて日本酒にしました。完全に呑み鉄です。このお酒はすっきり辛口の地酒です。
何とか弁当が届くまでは持たせたいとチビチビ呑み始めました。

 

上左の写真はキハ47の通称タラコ色の車両です。『○○のはなし』も元はこの車両なのです。塗装を変えて内装をきちんとすれば、全然違う車両となります。

上右の写真は2号車です。全部海側を向いた座席になっています。おしゃれなバーという感じです。

上の写真は特牛と書いて「こっとい」と読む全国難読駅名のトップクラスの駅です。
映画『四日間の奇跡』のロケ地になった駅です。この映画は角島を舞台にした映画で、私の好きな映画の一つです。石田ゆりこさん演じる女性がホームに佇む場面が印象的でした。いつもホームで車両を撮るばかりで車内からの撮影は今回が初めてなので何枚も撮りました。

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D51 SL「やまぐち号」の旅3(2018.12.15撮影)

2020-05-16 13:16:55 | 鉄道旅

帰りもSLやまぐち号で帰ることにしていたのでたっぷりと時間があります。
津和野駅を出ていつもの風景を目指して歩きますが、いつも車で来ていたので、歩く方向が逆になり方向感覚がずれ始めています。町の風景がどこか違います。
「こんな町だったけ?」と少し遅い昼食場所を求めて駅前通りを探します。

写真を撮るために買った駅弁を車内で半分ずつ食べていたので、津和野での食事も軽いものを探していました。

『人生の楽園』で紹介されたという看板を掲げた店を見つけました。「小さな農家レストラン 千舎(ちしゃ)の木」手打ちそばの店のようです。
もともと栗の栽培とお菓子の製造販売の店だったのがそば好きが高じて始めた店のようです。
私は新蕎麦の風味を生かした塩とわさびで食べる蕎麦を注文しました。駅弁を半分食べていないと、おにぎりセットがいるかもしれませんね。(味噌をつけたおにぎりも美味しそうでした)
蕎麦は、しっかりコシがあり美味しかったです。オススメの店です。

津和野は造り酒屋も多い町です。ちょっと歩くだけで何軒か見つけました。
津和野の酒屋の前のベンチに昔馴染みの友の顔を見つけました。
幼・小・中・高と同級生で酸いも甘いも嚙み分けた仲でした。
人生後半からはいろいろあってそんなに親しくは話をしていません。
しかも会いに行くこともありません。
そんな友とわざわざ津和野の町でばったり会うとは奇遇です。
仕事で来ていたらしく立ち話程度で別れました。

 

「津和野町日本遺産センター」に行ってみました。
以前来た時はなかった建物です。江戸時代の百景図を紹介しています。津和野の町は昔と町割がほとんど変わっていないのでとても興味深い資料館でした。
2階は伝統行事を紹介するコーナーになっていました。3枚目は伝統的な鷺舞です。
4枚目の黒づくめの衣装の画像は津和野踊りの衣装です。盆踊りには頭に団扇を指してこの衣装で踊るそうです。何とも怪しげな衣装です。のどかな盆踊りの風景とはちょっと違います。一説には、黒づくめの衣装の下に鎧をつけて、敵陣近くまで踊りながら向かったそうです。

 

津和野の町を散策していると、古い町並みに突然カトリック教会が現れます。
ゴシック様式で建てられた畳敷きの教会です。
津和野の町はキリシタン弾圧の悲劇を背負った町でもあります。
長崎から送られてきた信者に対して厳しい弾圧を強いられました。

3枚目は津和野町役場津和野庁舎です。

 

 

帰りももう一度「やまぐち」号に乗りました。
津和野駅を出る時にはやっぱり盛大な見送りが出ていました。

 

帰りは木造の椅子の最後尾の車両に乗り込みます。
展望車が付いているので選んだのですが、グリーン車ではないので出入り自由のためたくさんの人が行き来して落ち着きのない車両でした。

展望車からの撮影はアングル的にも面白い構図が狙えるのでいろいろ撮影しました。

 

トンネルが近づいても出たり入ったりするので煤煙が車内に入ってきて困ったものでした。わざわざトンネルの煤煙を経験するために外に出る人たちもいるのでやれやれです。子どもならまだ諦めがつくけど、大人も同じ行動をしているのでやれやれ。しかも観察していると同じ子どもと同じ大人が何度も何度もやっているところが、いろいろ考えさせられました。

 

 

久しぶりに屋外でカメラを使ったという感じです。
走っているところを外からとるのではなく、鉄道の旅の紹介編になったのかもしれません。
自分で車を運転するのではなく、半分集団生活のような列車旅も、ちょっとだけ良いかな?と思いました。

苦手なのは、耳が良いせいか、周りの会話が全部入ってきてしまい、イラっとしてしまうことがありました。「そこ、得意そうに語っているけど、それ間違ってますから!」と言いたくなる場面に自分で苦笑していました。ノイズキャンセラーの付いているヘッドホンを持参する必要がありますね。
今回は二人旅だったので一人だけヘッドホンはできなかったけどね。
1枚目2枚目は木製の背もたれのレトロな車両です。両サイドがちょっと上がっているところが何ともおしゃれです。
新山口の手前の大歳駅で列車のすれ違いのため停車します。

 

最後の最後に展望車からの撮影です。
すれ違ったのは「スーパーおき」でした。

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D51 SL「やまぐち号」の旅2(2018.12.15撮影)

2020-05-16 10:49:15 | 鉄道旅

SL「やまぐち」号の旅の続きです。
最初の長い停車駅は仁保です。乗客は一斉にホームに降ります。ホームでもSLを待ち構えていた人もいてごった返しています。
跨線橋の途中からその喧騒も含めて撮影しました。
最初の長い坂道を経てからの点検もなかなかです。
この先に最大の難所が待っているのでより慎重になります。
最後尾の展望車は山を背景にした方が色が落ち着いて撮影できたように思います。

 

 

先日TVのCMで「今日は明日の思い出」みたいなことを言っていました。誰が読むとか誰にアピールするとかではなく、今を記録することも面白いのかもしれないと思い始めました。
そこで、取り敢えず連日のUPをしています。
まずは、先日紹介したSL弁当の中身です。お味はまあまあ。“THE駅弁” というところでしょうか。
篠目駅にはSL用の給水塔があります。現在は使用されていませんが、SLに乗って見るのは格別です。
地福(ジフク)で少し長い停車になります。ホームに降りて外の空気を吸いながら改めてSLの撮影をしました。

 

 

SL「やまぐち」号の旅の続きです。
地福の駅で人の波が少し切れたところで、ググッと迫ってみました。
クロが飛ばないように気を使って撮影してみました。
この駅は、山口駅へ向かう各駅停車とすれ違います。
SLの黒を見慣れている目にはキハの色合いが鮮やかに映ります。
部活に向かうのか帰りなのかわかりませんが、ブルーのジャージと談笑がよく似合います。

 

 

津和野に到着しました。
車椅子利用の方がいて、この駅でどうやって移動するんだろう?と思っていました。跨線橋の脇のストッパーを外して線路を渡っていました。前向きでスロープを降りていたので、後ろ向きにして降りるという考えはないんだと改めて“まだまだ感”を強めました。
津和野ではD51は方向転換します。ここは見ないといけないと回転場まで行きました。
いっぱいいっぱいの寸法にきっちり乗せないと回転しないようです。
何度も何度もやりかえていました。
こういった技術も含めての動体保存の意味があるんだと妙に感心しました。

 

 

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D51 SLやまぐち号の旅(2018.12.15撮影)

2020-05-15 22:18:22 | 鉄道旅

鉄旅に行けないので過去の鉄道記録を自分のFBから転載します。

ニュースを見るといろいろ暗い気持ちになります。
いろいろな気持ちはここでは表明せずに浮世離れした話題に触れていきます。
鉄道好きで写真好きの私ですが、今までSLやまぐち号には関わったことがほとんどありませんでした。
SLやまぐち号が復活した時も悪趣味な懐古主義程度しか思っていませんでした。

子どもの時にはまだSLは日常的に走っていて、窓をいたずらすると親から服が汚れると怒られたり、トンネル近くになると誰彼となく「窓を閉めろ!」と怒鳴り声が響くような記憶しかなく、あまり良いイメージは持っていませんでした。鼻がつんとする匂いも好きではありませんでした。山陽本線が電化された時にはむしろ喜んだくらいでした。

そんな私が何を思いついたか、SLやまぐち号に乗ってみようということになりました。担任しているクラスのレイルマンくんの影響で古い鉄道に興味を持ってきたせいなのかもしれません。
乗りたい列車は雑誌やNゲージの世界になってしまったので、ここいらでブルーリボン賞受賞の35系客車に乗るのも良いかもしれないと思いました。
こういう時には意外なものに気づきます。どこに行く時も乗るローカルな岩田駅(山陽本線)のホームの向こうにある石橋と木製枕木です。こんなものあったんだと新鮮な驚きでした。

 

新山口駅まで各駅停車での旅です。新山口駅(元 小郡駅)はもうSLの熱気で一杯でした。D51 200が走るということもあり、人気は復活しているようです。
せっかく乗るのだったら思い切り弾けてみるかとSL「やまぐち」号のヘッドマークと一緒に収まってみました。撮影は同伴の妻に頼みました。相変わらず表情が硬いのがダメですね。

 

山口線は非電化路線です。ディーゼル車が主役です。キハ47と特急「スーパーおき」のツーショットです。奥にチラッと宇部線の電車も見えています。
浮世離れした鉄分たっぷりの写真と記事です。

新山口駅で時間があるような電車を選びました。
ホームで出来るだけ撮りまくることにしました。
今まで撮ってこなかったこだわりは全て捨てて撮りました。
前回紹介した写真が、弾け方が足りなかった気がするのでもう一つ弾けてみました。

 

 

新山口の駅ではしゃぎ過ぎて既に喉が乾いています。
NHKBSの呑み鉄ではありませんが、駅弁とビールを用意しました。
津和野に着いて昼食と思っていたのですが、ホームで取り敢えず1個購入し、車内で地ビールを調達しました。
弁当はもう少ししてから食べますが、ビールは発車と同時に一気に飲んでしまいました。

本当は乗りたかったグリーン車もちょっとだけ1枚撮らせてもらいました。レトロな豪華シートが並んでいました。なかなか切符が取れないようです。

3枚目は私の乗った車両です。背もたれがまっすぐの懐かしいシートに仕上げています。これが腰痛持ちには疲れなくて良いと思いました。

新山口から乗った向かいのシートのカメラを提げたおじさんはやまぐち駅で下車されました。こういう楽しみ方もあるんだと感心しました。

山口駅ではちょっと変わったペイントのキハを見つけました。40か47かちょっとわかりませんが、おそらく40だと思います。
ここまで自転車を前面に押し出したサイクル県だと言い張るとは思いませんでした。

 

 

コメント
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