とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

堀内佳さんのコンサート

2006-06-11 23:52:32 | 音楽
 堀内佳さんのコンサートに行ってきました。と言ってもコンサートホールではなく、公民館に毛が生えた程度の会場でした。堀内さんは盲目のシンガーソングライターで高知出身の方だそうです。盲目のシンガーというのは、私たち世代には別れのサンバや灰色の瞳の長谷川きよしさんが有名です。そんなイメージをもっていました。

 堀内さんのことは今までまったく知らず、校長や元PTA会長が推薦して学校のすぐ近くのホールでコンサートを開くことになったようです。私も30年近くギターを弾いていて、オリジナルもそこそこ持っているので、校長がぜひにと言うので校長の顔を立てる意味で出かけることにしました。

 正直あまり期待はしていなかったのですが、コンサートが始まると度肝を抜かれました。ギター一本なのですが、その声量は井上陽水かと思うほどの迫力でした。でも、気になったのはギターの演奏スタイルです。右手にギターを持ち、左手で奏で始めました。そこまでだったら、松崎しげるか、ポールマッカートニーかという感じですが、弦を押さえている右手です。指が下から出なくて、上からキーボードを弾くように出てきているのです。以前、アメリカの黒人ブルースシンガーでこの弾きかたをしているのをテレビで見たことがありますが、目の前で見たのは初めてでした。そして、よくみるとギターの弦が逆に張ってありました。普通細い弦を下にするのですが、逆に細い弦が上になっていました。したがって、弾く時にはつねにアップピッキングが基本になるので、どこかユニークな響きになっていました。また、弦を押さえる指ですが、普通装飾音は小指でやるのですが、なぜか親指で装飾音を出していたので、これもユニークな音を出していました。何度もチューニングを気にして、糸巻きを触っていたので、後でオープンチューニングなのか聞いてみましたがレギュラーチューニングだと聞いてまたびっくりしました。そのくらい不思議な音を出していました。

 生まれてすぐに、眼球の癌にかかり、1歳前後で両目眼球摘出手術を受けたこと、何でも知りたがる子だったこと、保育園でいじめにあったこと、幼児期の父母の子育てについて、中村市(現四万十市)からジーゼル車の揺られて高知の盲学校に通ったこと、母もとから離れてつらかった寄宿舎生活など、淡々と話されることに深いものがあり、すうっと引き込まれていきました。

 歌は、本人も語っていましたが、井上陽水、クラフトなどの歌をよく聞いていたというだけあって、叙情フォーク路線で、私Dylanとは音楽の趣味が異なる音楽でした。最初は聞いていたのですが、だんだんどの曲も同じに聞こえてきて後半は疲れてきてしまいました。私の個人的な見解では、歌よりもしゃべりの方が良いような気がしました。でも、こういった曲の趣味は人それぞれなので、私Dylanには合わなかったというように感じてください。


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晴れ後曇り時々雨

2006-06-11 00:06:23 | 障害児教育
 
 今日(10日)は学校の運動会でした。肢体不自由の学校なので体育館で行います。我がグループは今年は、できるだけ自力でがんばる方向で考えていて、4月より少しずつ準備を開始していました。車いすでの移動にこだわらずに、介助歩行や自力歩行にもできるだけ挑戦させていました。

 レオくんも普段はずっと車いすなのですが、運動会の取り組みに向けて4月くらいから意識的に自力歩行をさせていました。体育館への移動は靴下をはいて、くつをはいて自力歩行への意識をはかってきました。エレベーターでの移動であれば一斉に可能だし、教師の側から言えば楽なのですが、レオくんの意識を高めるために教師が一人ついてでも階段での移動をさせていました。

 運動会への意識は徐々に高まって、かけっこでも、団体競技でも楽しみにして参加できるようになっていました。運動会直前には、車いすを教室に残したままで開閉会式も含めて自力歩行での参加ができるようになっていました。

 お昼ご飯は、お母さんがPTAの役員をやっている関係で、毎年なかなかゆっくり食べられないということもあって、教室で他の子どもや、教師と一緒に食べることにして、事前にレオくんとも確認と納得を取り付けていました。

 さて、当日になりました。登校して、お昼ご飯のメニューを数種類の中から選んで、レンジでできるハヤシライスを選びました。靴下、靴もはき、トイレも済ませて紙おむつからパンツに履きかえ、朝の会で全員で意思統一もし、体育館に向かいました。開会式の間も立っていると主張し、準備体操まで一気に走っていきました。レオくんの出る競技まで1時間くらい待ち時間があるので、取りあえず2階の教室までもどり、ここでトイレも入れて気持ちを整えました。

 体育館に戻ると、まだまだ競技の最中で、気持ちが途切れそうになりましたが、いろいろ競技についてレオくんが興味を持てるような話をすることで何とか気持ちをつなぎました。

 いよいよ、レオくんたちの番になりました。でも、個人走に出場する選手が多くて、しかも肢体不自由ということで時間がたっぷりかかります。レオくんは最終2組に出場予定です。ここでも切れそうな気持ちを何とかつないで、見事一人で完走することができました。

 完走したことのうれしい気持ちやほっとした気持ちで午前中を終えることができました。昼食前のちょっとした親子参加競技でママとしないで担当のDylanとするというので、そういうこともあるだろうと思っていました。でも、後で考えるとこれが伏線になっていたのかもしれません。

 昼食は、レンジでチンしたハヤシライスを自力で食べながら、心配して見に来る家族の顔を見るたびに、食事のスプーンが止まるというような状況でした。これはいつものことなので気にせずにいました。後半介助をしながら、ハヤシライスは完食し、途中からのママの差し入れのデカデカプリンも、全部完食しました。最後のあたりは、家族が見る前で苦手な水分補給もスプーンでできるほどでした。

 この段階は、晴れです。午前中の晴れが午後のにわか雨が振るかもしれないという判断力を鈍らせたのかもしれません。

 昼食が終わり、午後のスタート時に車いすで参加すると言い出しました。後から考えればここが最大の山場だったのに、「いいよ。車いすで行こう。後で箱積みの時は歩こうね。」と軽く流してしまいました。レオくんの要求は車いすに乗ることではなく、もっと違うことを言っていたのにもかかわらず、そのことを解決せずにさっとその場を流してしまったのです。

 午後からは「今日はママと帰らずにバスで帰る」このことに変更はないのかを何度も繰り返し、確認していました。いよいよ、親子競技のスタートです。最初はスタートラインにママと並びました。この段階で、ママとタッチして、担当のDylanは全く別の場所に位置していれば混乱も避けられたのにすぐそばにいました。

 レオくんは、突然「ママと走らない。ママあっち行け!Dylanとする!」と言い出しました。その時にバスのことかな?と思ったのでバス係の学部主事を呼び、「今日はバスに乗って帰る」ことを目のまで確約させました。そこでママを呼びました。それでも、ママとはやらない。と言います。一度こじれると少し時間がかかるレオくんです。結局、Dylanと一緒にやることになってしまいました。

 バスの問題や次の日の日曜日にママが、仕事で家にいないことや、親子競技なのに何度も教師とばかり練習していて、突然親子競技ということで混乱していた等々いろんな問題が考えられるのですが、昼の段階でもっとレオくんの気持ちに寄り添って問題を整理できていたらこんなことにはならなかったのにと後悔の念が強いです。場面場面でいろんな判断を迫られるのが障害児教育です。まだまだ修行がたりませんね。日々是反省…
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