とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

浅草界隈散策2

2011-03-31 22:49:05 | 写真日記

浅草六区をカメラ片手に散策していくと"浅草ロック座"を見つけました。

有名なストリップ小屋です。

こんなメインストリートにあるとは知りませんでした。

もっと隠れた所にそうっとあるのかと思っていただけにびっくりしました。

けっこうメジャーな娯楽なのかもしれません。

 

 

 

もう少し歩くと映画館がありました。

寅さんの看板があるので、何やってるんだろう?と覗いてみるとびっくりするような映画がかかっていました。

浅丘ルリ子さんと共演した「男はつらいよハイビスカスの花」です。

今時DVDで全部発売されているのに、映画館でこれを見せようとというのだから、さすが浅草!と拍手したい。

 

 

 

映画館は他にもあります。

ここは何がかかっているのかと覗いてみるとここもびっくりです。

「彼氏と彼女のあこがれの大スターに銀幕で再会しよう!」ということで70年代の映画がガンガンかかっているのです。

 

 

いやいや恐るべし浅草です。

でもでも、驚くのはまだ早かった…

 

  

 

座り込みねこみ禁止の張り紙が至る所にあるのです。

そんな街はなかなかありません。

食堂もなかなかレトロで昭和テイストがプンプンしてきます。

 

 

 

温泉もあります。

 

路地にある店もなかなか味わい深いものがたくさんあっていい感じです。

何とも不思議な世界に迷い込んだような気がする場所です。

 

  

 

外国の人もたくさん訪れるのだと思います。

誰が買うんだろうというようなものもたくさんあります。

もしかしたら大衆演劇の人が買うのかも知れません。

 

  

 

 

 

 

 

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浅草界隈の散策

2011-03-29 22:43:38 | 写真日記

毎年の恒例行事です。
3月下旬に東京に行きました。
もちろん会議です。
会議そのものは土曜日の11時スタートなので、飛行機を利用すれば、土曜日の早朝に出れば間に合うのですが、根っからの飛行機嫌いで、新幹線で行きました。
当然前日出発になります。

金曜日に職場に休みを取って出かけました。
乗り換えもあまり好きではないので、徳山に停車するのぞみで行きました。
午後1時過ぎに東京に着きました。
この日の宿は浅草です。
Yahoo!で検索するとここが出てきました。

今回の会議で卒業する先輩のために山口の地酒(獺祭)を3本持って行きました。
これをもったままでうろうろはできないので、会議の行われる場所の近くまで持って行くことにしました。
最寄りの駅は、有楽町線の麹町駅です。
「有楽町から地下鉄に乗って…」と思っていたのですが、いつもと様子が違います。
電車がなかなか来ません。
「これが例の計画停電の影響か…」と思いました。

いつものように、日テレの方向に出ると、なんとコインロッカーがありません。
駅員に確認すると反対方向の改札口にあるとのこと。
仕方ないので反対方向まで歩きました。

計画停電の影響で、時間が押していたので、すぐに浅草に行くことにしました。
でも、ここではたと困りました。
「麹町から浅草ってどう行くんだっけ?」再び駅員に尋ねました。
駅員は一瞬困った顔をしてから、説明をしてくれました。
「有楽町線で隣の永田町に行ってから、駅構内を歩いて、銀座線の赤坂見附の駅から浅草に向かってください。ただし、永田町から赤坂見附に行くにはかなり歩きますよ。」とのこと。

実際歩いてみました。
確かに大変な距離をあるきました。
半蔵門線のホームを端から端まで抜けるというなかなかのコースです。
雨の日は便利なんだろうけど、私は地上を歩く方が好きです。

浅草についてホテルまでまたけっこう歩く距離にあるんです。
安いんだからそのへんは我慢しなくてはいけないのですが。

ホテルまでの道のりに面白そうな店が並んでいました。
浅草は皮の卸屋さんが多いようで、靴屋の問屋も多いのが特徴です。
浅草弾左衛門の歴史からそうなっているのかもしれません。
皮を生業にしている人たちが多かった街のなごりだと思います。

 

 

ホテルにチェックインしてから再びカメラとガイドブックを持って浅草方面に向かいました。

浅草寺はたびたび行っているので、浅草界隈ということで歩き回りました。

取りあえず、浅草寺方面まで戻ることにしました。

来た道を戻るのは馬鹿らしいので脇道を通りながら撮影していきました。

 

近くに台東区立浅草小学校があり、元気なこどもたちが公園から出て来ました。

 

浅草寺は羽子板市の時に行っているのでさっと通り抜けすることにしました。

 

六区界隈はちょっと興味があってけっこうお気に入りの街でもあります。

最初に目についたのは芝居小屋の看板です。何とも浅草という感じです。

次に目についたのは浅草演芸ホールです。

漫才や落語が楽しめるところです。

落語を聞いて帰ろうかと思いましたが、この日の演目があまり好きではなかったので今回はパスしました。

 

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東北・関東大震災の余波

2011-03-15 07:56:40 | 日記

3月11日の大震災のショックで、ブログも更新できない状況になっています。

おちゃらけた文章を書いても仕方ないという思いでいっぱいです。

仙台は昨年の5月、9月、今年の1月と出かけていたので、

テレビに出てくる場面も見たことがあるものが多かったのでショックが大きいものがあります。

3回とも仙台空港を利用して、仙台空港線で仙台に向かいました。

空き時間を利用して、高速バスで登米に行ったり、仙石線で松島にも行きました。

通ったところが津波で水没している状況を見ると、声も出ません。

私の息子と娘が東京の大学に行っているのですが、金曜日は携帯の連絡が取れませんでした。

息子は新宿に出てたらしいのですが、歩いて下宿に帰ったと言っていました。

今朝(3月15日)のことです。

ガソリンスタンドで給油しようと立ち寄ると「何リットルですか?」という問いがありません。

「いつも利用してもらっているから、今回は特別に満タンにしますけど、次回からは20リットルにしてください」

「他の方は今日から20リットルにしているんですよ」と言われました。

余波はこのあたりにまで来ているんですね。

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東京に行って来ました(3月2日~3日)その2

2011-03-07 22:02:20 | 写真日記

2日目の朝です。
集合時間は霞ヶ関に12時です。
さあ、どうやって過ごそうかと考えました。
今回は、ちょっとした日常からのエスケープだったので
特にこれといった目的はありません。

地図で目的地を確認すると、泊まっているホテルからは
皇居の向こう側ということがわかりました。

「取りあえず向かってみるか?」ということで、
水道橋から神保町をめざして歩き始めました。
あっという間に地下鉄神保町の駅が見えてきます。
ここが東京の不思議なところで、地下鉄に乗ると遠いのに歩くと近いのです。
古い建物を見つけたら必ず撮影をします。

 

間もなく右手に専修大学の建物が見えてきました。
専修大学は昔から近代的なビルだったように思います。
先日長崎に一緒に行ったM川先生の母校だったな…と思いながら歩きました。

靖国通りを渡って日本教育会館を過ぎたあたりから
前方に首都高速が大きくのしかかってきます。
竹橋JCTです。
その前はもう皇居のお堀です。

 

皇居の中に入ろうと思うと、東御苑が9時から入場許可でした。
今の時間が8時20分こんなに待てるはずもなく、
皇居の外苑をぐるりと廻ることにしました。


歩いているとランニングしている人がたくさんいます。
どの人も大変おしゃれなウェアーに身をつつんでいます。

平川門から大手門を通り、桔梗門の前から二重橋方面に向かいました。
そこから桜田門を抜けて霞ヶ関に行って集合場所を下見して、
東京駅に荷物を置いてこようという計画を立てていました。

この計画が杜撰でした。
東京駅の場所をもう少し認識しておくべきでした。
東京駅の正面は桔梗門だったのです。
東京駅に荷物を置いてから下見に行くべきだったのです。
でも、その時は気づきませんでした。

 

桜田門の警視庁の建物を見ていると左側に煉瓦の建物が見えてきました。

「何だ?何だ?」と近づいてみると法務省の建物でした。
赤煉瓦棟として有名な建物だそうです。

 

集合場所を確認して、東京駅をめざします。

 


とりあえず、正面に国電の線路が見えているので、
そこへ行けば間違いないと思い向かいました。
でも、標識を見ると、有楽町と新橋の真ん中あたりのようです。

有楽町の隣が東京駅だからと、有楽町を目指していきました。
賑やかな通りも見えてきたので少し寄り道をしました。
そこは、もう銀座7丁目でした。
東京の街の距離感は田舎の人間には想像がつきません。
どこまでだって歩いていける気がします。

あまり線路から外れると、日本橋の方へ向かってしまうので軌道修正しました。
すると、古風な建物が見えてきました。
何と小学校の建物です。
泰明小学校と書いてありました。
塀とフェンスで囲まれた小学校です。
小学校の横には石碑が立っていて「島崎藤村と北村透谷」が学んだことが記してありました。

  

さすがに、ちょっと休憩ということでコーヒーショップで休憩しました。

有楽町から東京駅へはガード下の店を覗きながら歩いて行きました。
なかなか味のある店が多くて、さすが東京だなと思いました。 

 
その中の一軒に日本酒で勝負している店がありました。
何と山口の酒『獺祭』が置いてありました。
こんな所で『獺祭』に出会うとは思いませんでした。

 

東京駅に向かう道すがら、三菱グループの建物を見つけました。
テレビのCMでもおなじみの三菱一号館です。
中は美術館になっていて、「丸の内・職業婦人の誕生展」というのをやっていました。

  

東京駅は今改修中で全く何も見えません。

 

東京駅に着いて、コインロッカーに荷物を入れて、再び皇居方面に向かいました。
実は、高校の修学旅行以来、皇居には行ったことがなかったのです。
外人さんがけっこう多いのに驚きました。
外人さんは、取りあえずお城をめざすのでしょうか?

  

この際、「歩き倒したろ」ということでまた二重橋に向かいました。

 
二重橋の正面に交番があります。
何ともレトロな交番です。
おまわりさんは好きではないのですが、取りあえず撮影しておきました。 

 

そろそろ、昼食を取らないと集合時間に間に合わなくなります。
日比谷公園の中にある食堂(レストランとは言えない)でカレーを食べて
集合場所に向かいました。

 

食堂を出ると、正面にとても個性的な男性がいました。

 

 

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「東京に行って来ました」(3月2日~3日)

2011-03-06 23:26:39 | 写真日記

3月2日~3日に東京に行って来ました。

用事は3月3日だけで良かったのですが、職場でつまらないことで
人間関係がごたごたしてたので、一日余分に東京で過ごすことにしました。

3月2日に朝そんなに早くない電車で、出かけました。
ローカル駅の朝の風景はいつもお気に入りです。

 

徳山から乗り換えなしで東京に行くのが好きなので、
8時45分ののぞみ14号を選びました。
徳山で、ビールを買って列車が動き出すと同時に飲み始めて、
検札が済んだ頃には、すでに眠りの体制に入っていました。
寝たり起きたりを繰り返しながら、名古屋あたりでコーヒーに切り替えました。
名古屋の風景はいつも気に入っています。

浜名湖から見えた青い空と白い雲が何となく気にいって撮影しました。

富士山は雲にかかって全く見えませんでした。
静岡の茶畑も撮影したかったのですが、本に夢中で気がついたら過ぎていました。

東京に着いて届けるものがあったので、中野に向かいました。

 

 


中野に住んでいる大学生の息子と夕食に出かけました。
いつもは、中野にある焼き肉やか、焼き鳥屋あたりで済ますのですが、
今回は鰻を食べてみることにしました。

以前テレビでみたことがある神田の鰻屋に行ってみることにしました。
「きくかわ」というお店で昭和22年創業だそうです。
 

メニューは 鰻丼も鰻重もい ろ は となっていて
その区別はうなぎの量だけだそうです。

鰻は注文してから作り出すので、その前にビールとつまみを頼んで待ちました。
運ばれてきた鰻重はこれは見事!という姿でした。
味は、東京の鰻です。
蒸してから焼くので、山口で食べるのとは違い少し柔らかめです。
とってもおいしゅういただきました。

鰻屋を出てもそんなに遅い時間ではなかったので、
ホテルの近くにあるジャスライブの店に行ってみることにしました。

 

『東京倶楽部』という店で毎日ライブをしているようです。
ステージは3回構成になっているようです。
出演者によって料金が違うようです。
3月2日はsayaという女性ボーカリストとピアノ、ベースの構成でした。
2625円の料金を払って、ウィスキーのロックを頼んで
1回目のライブの19:40まで待っていました。

出演する3人は店の奥で雑談のような打ち合わせをしています。
すごい近い距離で演奏が行われています。

 

一部は、ジャズのスタンダードのような感じで非常にいい感じがしました。
ノリノリで、一緒に行った息子も「休憩後の第2部まで聞いてから帰ろう」
と言い出しました。

ところが、第2部は第1部とは打って変わって日本の曲を歌い始めました。
最初の浜辺の歌は良かったのですが、後半で「蛍の光」を歌い出しました。
息子はすでに3曲目ぐらいからはウトウトしていました。
この「蛍の光」を何と4番まで歌い始めました。
その歌詞が何ともいえないくらい不快なものでした。
どうして今この歌を歌わなければいけないのか理解できません。
高揚していた気分が一気にさめてしまいました。

蛍の光歌詞
1 螢の光、窓の雪、 書読む月日、重ねつゝ、
 何時しか年も、すぎの戸を、 開けてぞ今朝は、別れ行く。
 
2 止まるも行くも、限りとて、 互いに思ふ、千萬の、
心の端を、一言に、 幸くと許り、歌うなり。

3 筑紫の極み、陸の奥、 海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、 一つに尽くせ、國の為。

4 千島の奥も、沖繩も、 八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勲しく、 努めよ我が背、恙無く。

3番と4番の歌詞は明らかに戦前の侵略戦争の頃の
国家主義的(軍国主義、滅私奉公)とも取れる歌詞だと思います。

最近、学校の卒業式でも歌わなくなった歌をこの人は歌い続けているそうです。
人それぞれの思いがあって歌っているんだろうけど、あまりいい思いはしませんでした。

阪神ファンの私としては、相手チームの投手が途中降板する時に
歌う歌というイメージもあるのですが…

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