とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

入院騒動8

2009-07-31 22:01:29 | 日記
エピソード1
今回の入院は忘れられない想い出になります。
世間が日食で大騒ぎしている最中だったので、まさに歴史的な入院になりました。

7月22日(火)は初めて痛みのない朝でした。
点滴の管も外れていて、テレビで日食の様子を見ていました。

ミスター黄門さまの所に来た見舞客が大きな声で、今雲の間から日食が見えている。
半分くらい隠れていることを話していました。
雲に隠れているから逆によく見えるとも言っていました。
これを聞いたのでムクッと起き出して病院の屋上に向かいました。
エレベーターを使わずに歩いてみたくなりました。

屋上に上がると雲が確かに多いような気がしました。
直接太陽を見てはいけないことはわかっていましたが、何も道具もないので雲に隠れている太陽をすごい薄目をあけて見ました。
半月上の太陽を確認したので、「このくらいにしておこう」ということで下におりました。

夕方、隣のベッドのミスターいびき氏も屋上に上がって日食を見たことを自慢げに話していました。
「同じことをやってしまったか…」とミーハーな自分を恥じてしまいました。

エピソード2
木曜日に退院して、金曜日には職場に行きました。
K小学校の研修会が午後にあったので、取りあえず出席しようと思いました。

職場に行くと「大丈夫ですか?」の連発です。
心配していただけることは十分にわかるのですが、「大丈夫なわけありません」
「無理しないで…」「無理はしています」はわかっているのですが、通り一遍なあいさつをしていました。

日頃から親しくしていたYさんから心配そうに聞かれたので、病状を詳しく話していました。
すると一緒に聞いていたNさんが突然「この話はここまで!また、聞くから!」唖然としました。
人の話をこのように打ち切る人を初めて見ました。

前々からこのN女子は行動的に変わっていると思っていましたが、明らかに相手の気持ちを理解できない人の行動です。
腹立たしい気持になりましたが、発達障害の人を相手にしている商売です。
ここで怒るわけにはいきません。
でも、発達障害の人がコミュニケーションでつまづくというのがよくわかりました。
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入院騒動7

2009-07-29 23:30:05 | 日記
病室は4人部屋です。

移った時にはまだウンウンうなっている状況だったので、あまり周囲が気になりませんでしたが、体調がもどってくるに連れて状況が見えてくるようになります。

後の3名は私よりははるかに年齢が上の人たちばかりでした。
見舞いに来た人たちとの会話を聞くとはなしに聞いていると、どうやら皆さん癌の手術をなさったようでした。
入院も一度ではなく二度目のようなことを言っていました。

カーテン一つ隔てたベッドの人は、中でも一番元気で、しょっちゅうウロウロしていました。
この人が一番気になって仕方ありませんでした。
病室を変わった時にはいなくて、自宅に帰っていたようなので、もうすぐ退院なのかな?と思っていたら、手術を控えていた身の上だったようです。

この人が夜はいびきがすごいし、就寝後にもテレビを見ているのでカーテンの向こうからチラチラと光が漏れてきてなかなか眠れない原因を作った人です。

ある夜のことです。いつまでたってもテレビが終わらないのに、いびきががんがん聞こえてくるという日がありました。
カーテンを開けてテレビを切ってやろうかと思いましたが、トラブルになっても面倒くさいので、ナースの詰め所まで行って、事情を話してテレビを切ってもらいました。
時々廊下ですれ違うのですが、この人とは絶対合わないだろうなという感じの人でした。

ベッドで寝ていてちょうど足許の方向にいる人は、年齢が70歳くらいの人で、見舞いの人が来たり、ナースが訪問している時にはやたら元気のいい人でした。
ちょっと耳が遠いのか、話し声がとても大きくて「勘弁してよ」というところもありました。
でも、この人の興味は途中から、「お尻の調子が悪い」でした。
お尻のあたりが少しかぶれているのかとてもかゆいことを訴えていました。
「お変わりはありませんか?」と病状について聞いてくるナースに対して、病状ではなく「お尻が洗えないだろうか?」「薬はないか?」とか、そのことばかりを訴えていました。私は心の中でこの人のことを「ミスター黄門さま」と呼んでいました。
毎日血圧や体温について計測にくるナースに対して、数値を尋ねて記録しているようでした。

斜め向かいの人は、話で聞く限りは重症の患者さんなのかと思っていましたが、歩行可能な方でした。
この方の所も頻繁に見舞客が訪れてきていて、なかなか大声でにぎやかな病室でした。
この方のいびきも独特で元気になるとかんに障るものでした。

いびき三兄弟のいびき攻撃は、夜となく昼となく続いてくるのでだんだん睡眠不足気味になってきました。
家からヘッドホンステレオをもってきてもらって、防衛に励みましたが、それをさらに超えるほどのボリュームもありました。
ナースに相談すると、睡眠剤を出してもらうよう手配してもらえることになりました。

ところが、検診にきたドクターが検査の結果もいいので、退院してもいいと言ってくれました。
「このまま病院で安静するのもいいし、自宅で療養するのもいい」と言ってくれたのでもちろん、退院を選びました。

土曜日に手術をして、木曜日に退院するという最短のコースを取ることができてちょっとラッキーでした。
(次回は入院にまつわるこぼれ話を紹介します)
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入院騒動6

2009-07-28 22:56:14 | 日記
手術後二日が過ぎ病院の生活にもだんだん慣れてきました。
点滴用の管を刺されている腕にも何の違和感も感じないようになってきました。
ただ、ずっとベッドに横になっているというのは、腰に負担がかかってきます。
寝返りを何度も打っていると時々ズキッとした痛みが走ります。
だんだん蓄積してきたところで、ナースに痛み止めをもらいます。
その痛み止めなんですが、注射だと思っていたら何と座薬なんです。
血圧を測って、ズボンとパンツを下ろしてもらいお尻からブスッと…。
30分くらいするとだんだん痛みがなくなっていきます。
この座薬なのですが、ナースコールで呼びつけてお願いします。
そうっと入れてくれるナースと、いきなりズボッとくるナースの二通りに分かれます。
スキル云々より個人の性格の問題なんだと思います。
(人にお尻を突き出しておいて、入れ方云々ケチをつけるような立場ではないのですが…)日曜日と月曜日は午前中に1回、午後1回、寝る前に1回座薬をお願いしていました。

月曜日のことですが、携帯がガンガン鳴ってきました。
部屋ではメールだけなので話ができるところまで移動します。
何のことはありません。
3連休の後の仕事の割り振りについてです。
几帳面なのはわかるけど、見舞いに来た時に言った優しいことば
「仕事のことなんか考えないでゆっくりしてください」
「後のことは私たちに任せてください」
あれは何だったの?というくらいしつこい確認の電話でした。

点滴と食事を同時にしているせいかどうか、トイレが非常に近いのです。
昼間は40分おき、夜も2時間おきにトイレに行きたくなります。
さすがにうんざりしてきてドクターに相談しました。
「今は手術の後の離尿期なんです。今までいろんな所に行っていた水が全部一所に流れているんですよ」と説明をされたが、「食事が取れているなら点滴はやめる方向にしましょう 」と言ってくれました。
やっと管でつながれている生活から解放されます。

そうそう点滴と言えば、こんなことがありました。
深夜になって、やっと点滴のノルマが終了して、管を腕に固定されました。
取りあえず点滴からは自由になった時のことです。
またトイレに行きたくなった私は何を思ったのか、点滴の袋がぶら下がっていない医療機器をゴロゴロ転がしてトイレに行ってたのです。
トイレに行ってやっと気づいて自分で吹き出してしまいました。
夜中のトイレで鏡を見ての一人笑い…怪談話ですね。

次回は大部屋の住人について紹介します。
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入院騒動 4

2009-07-27 16:48:38 | 日記
手術が終わり、個室で眠り、排尿の痛みに耐えて一晩が過ぎました。
朝になって自分で歩ける気がしてきたので、いろんな管を外してもらいました。
もちろん、点滴はついてきます。
足の、空気圧もなくなったのは少し残念でしたが…。

さっそくトイレに自分の足で行きます。
自動点滴機を充電池に切り替えて、ゆっくりゆっくり歩いて行きます。
傷が怖いのもありますが、思ったほど歩けないのです。
人間は行動するのにあらゆる筋肉を使っているというのがわかります。
たった、わずか腹筋を切っただけでこの始末です。

排尿の痛みは相変わらずです。
やれやれです。

自力歩行ができることを伝えると、ナースは自動点滴機を手動に切り替えました。
「点滴が終わるとお知らせください」
これは面倒くさいことになりました。
一日中うとうとしているのに、点滴の量を気にしなくてはいけないなんて…。

そうこうしているうちにナースが「部屋を換わります。」といいに来ました。
個室がないので大部屋になるそうです。
4人部屋です。
根が神経質なのでいっぺんに不安になり、憂うつな気持になってきました。

検診に来た医師がこの日の昼食から食事が出ることを伝えました。
点滴は一向に減っていないので食事に興味は全くわきません。
昼になり昼食が届きました。
食べたくありません。
ほとんど手をつけずに置いていたら、ナースが下げにきました。

大部屋の生活がスタートしました。
でも不思議と眠れるのです。
朝となく、昼となく、夜となく眠り続けるのです。

日曜日になって少し落ち着いたので職場の主事に電話をしました。
入院のこと、病状のこと、手術のこと等報告しました。
すると、日曜日の夕方になって見舞いに訪れてきました。
見舞いというのは仮の姿で、本当は別の用事があったようです。
大きな袋から出てきたものは動静表(勤務の動向が書いてあるもの)です。
「ご無理なさらないように」と言いながら、「この日の巡回訪問は誰が行くのか」矢のような質問です。
几帳面な性格で仕事にポカがあってはならないのです。
「こことここは私が行きます」等連絡をしておきました。

ところで、ナースのことです。
ナースの服装はいつからズボンスーツ型になったんだろう?
そんな余計なことを考えながらうとうとしていました。
個人病院だとワンピース型のナース服だったりすることも思い出しながら、ナースの組合から出てきた要求なのかな?
そういえばナースキャップもしていないことにも気づきました。
足許は、ナースシューズでなく、スニーカーです。
いろいろ変化しています。

でも、一番気になったのは、ナースの口調です。
思い切りフレンドリーなのです。
「○○ます。」「○○です。」というのはほとんど聞こえてきません。
どんな年上でも、大先輩に対してもため口なのです。
ほとんどみんな同じ口調なので、きっと理由があり統一しているんだろうと思えたけど、やっぱり違和感は感じます。

傷の痛みが少なくなり、意識がはっきりしてくればくるほど、気づきや不満が増えてきます。
そのあたりも少しずつぼやいていこうと思います。

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入院騒動3

2009-07-26 08:26:41 | 日記
いよいよ手術が決定しました。
手術へ向けての準備が着々と進行していきます。
当初夕方と言われた手術ですが、2時過ぎに執刀するというように連絡が入りました。
一度自宅に帰った妻を呼び寄せるなど慌ただしい気持になってきました。

何度か、看護師は入ってきます。
“手術着”(短めの浴衣)“T字帯”(ふんどし)などいろいろ枕元に置いていきます。

そのうち麻酔医が来て、今回の全身麻酔についてのリスクの説明をしていきます。
「何%は安全だけど、それが全てではない」ということを誠意を込めて説明します。
私はこのような説明は平気だけど、人によっては不安になるだろうな…と思いながら聞いていました。
でも、今確率の数字について覚えていないところをみると本気では聞いていなかったようです。
手術の行程としては、初めに催眠剤の注射をしてから、手術室でガスによる全身麻酔をかけるという話だったと思います。

いよいよ着替えです。
T字帯を初めて着けます。
何とも頼りない存在です。
昔の人はこれで過ごしていたというのはかなりのものだと変な感心をしていました。

着替えを終えると、「気持の落ち着く注射をします」とナースがやってきました。
覚えているのはここまでです。

次に意識があるのは、不覚にも病室に帰ってきて、ベッドに移し替えられる時でした。
それも、ほとんど意識はもうろうとしていました。
ずいぶん乱暴に扱うんだなと思ったくらいです。

次に目がさめたのは強烈な尿意でした。
ナースに「トイレに行きたい」と訴えました。
N「導尿がしてあるので、そのままで大丈夫です。」
私「このまましてもいいということですか?」
N「そうです。してください。」

(尿を出そうとすると尿道付近に激痛が走ります。)

私「痛くて出せません。トイレに行かせてください」
N「手術が終わったばかりで動いてはいけません」
私「何とかしてください」
N「我慢してください」
私「我慢できるくらいなら頼みません。管を外してください。」

(手すりを持って立ち上がろうとする私を両方からナースが押さえます)
(まだ不満を言い続ける私でしたが、そこでまた記憶が消えています)

後で振り返って考えると、麻酔の影響で意識が混濁していたのかもしれないと思います。
自分の中にある攻撃的な部分が前面に出てしまったような気がします。
相当困った患者だと思います。

ナースから「おしっこがある時は呼んでください」と言われていました。
抵抗はあったのですが、尿意には勝てません。
ナースコールを押します。
溲瓶を持ってもらって排尿をしますが、これが痛い…。
心の問題ではなくて、本当に肉体的に痛い…。

職場に、二分脊椎の児童生徒がいて、導尿が必要なのだけど、「あの子たちもこんなに痛いのかな?
二分脊椎の子は、痛覚が鈍感ということも聞いていたな…」そんなことを考えながら排尿を何度か、お願いします。
最初は、抵抗がすごいあったのですが、だんだん麻痺する自分がいます。

術後でベッドから動けない自分がだんだん客観的に見えてきます。
左手には点滴の管がつながっています。
薬は2種類つながっています。
背中は痛み止めの注射をいれる管が入っています。
足は、きつめのストッキングをはいてます。
足の裏と腕には定期的にエアーを使って絞めたり弛めたりするマッサージ器のようなものがつながっています。
「とっても気持がいいんだけど、これってエコノミー症候群予防のためのものだよね」と考える余裕も出てきました。
あらゆるリスクに対して善後策を考える今の医療システムに感心していました。

(今回はリアル報告になりました)


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入院騒動②

2009-07-25 10:01:26 | 日記
結局Y病院で一晩を過ごしました。

痛みは相変わらずありますが、昨夜ほどではなく懸命にこらえていました。

ナースの検温、血圧と一連の朝の訪問がありましたが、中でも傑作なのは昨日書き忘れましたが、入院に必要な資料の作成についてです。
「どこが傷むんですか?」「いつからですか?」…と繰り返し聞いてくるのです。
「急患で入ってきて散々検査をしてきたのだから、昨日のカルテを見たらわかるじゃないか」と反論すると、「入院のために必要な資料です。カルテはまだ上がっていませんから」と反論してきました。
完全黙秘を決め込んでやろうとも思いましたが、決まったことしかできない相手だと思ったので、いやいや答えてやりました。
自分の頭で考えない融通のきかない相手はとても苦手です。
私の職場にもたくさんいます。
この人たちとつきあうのは心底疲れます。

さらに追い打ちをかけたのが、「痛みはどのくらいですか?」「死ぬほど痛いのがレベル5だとしたら今の痛みはどのくらいですか?」心底あきれました。
誰が考えたのかしらないけど、痛みはひとぞれぞれ違います。
それをレベルで答えて何の意味があるのでしょうか?
それに“死ぬほどの痛み”って誰が説明するの?

昨日の“同じことを繰り返すドクター”といい、このナースといい病院生活にすでにうんざりきていました。

消化器専門のドクターが来て、また検査です。
車いすに乗せられてエレベーターの中へ入ります。
すでにブルーカラーの職員が乗っていました。
すると、こともあろうか組合の出張のことについて看護師と話を始めました。
「あのねー、今は仕事中です。しかも患者も同席しているんだよ!」
ややこしく言えば職務専念義務違反ということになるけど、最低外部の人間がいるところでする話ではないでしょう。
この病院の職員のモラルや水準が知れてきていやになってきました。
このY病院は最近近隣の市立病院との統合問題が住民の中で話題になっています。
でも、この時ばかりは「つぶしてもいいんじゃない」と思えました。

再びエコーを撮るということで検査室へ行きました。
昨夜からの絶飲食の効果か、専門のドクターということか、押さえて撮影することはなく、スムーズに身体を機械が滑っていきます。
そして、再び「胆石ですね」知ってます。

手術するにはもう少し検査が必要だからと再びレントゲン室へ連れて行かされました。
「あっち向け、こっち向け」もう(>_<)うるさい!

病室で待っていると「先生から説明があります」とナースが呼びに来ます。
隣のナース室に入るとおもむろに「胆石です」とCTの画像を見せて説明がありました。
そして、次のお言葉
Dr「選択肢がいくつかあります。すぐに手術をしますか?」
私「はい、すぐにしてください。」
Dr「すぐにするのがいいでしょうね。でも今外科医が出張中でいないんですよね。」
私「エー!!」
Dr「選択肢が二つあります。一つは背中から管を入れて胆汁を抜きながら外科医が来るのを待つ。もう一つは別の病院を選択する。この場合もちろん紹介しますけど」
私「別の病院を選択します。」
Dr「そうでしょうね。連絡をつけますからしばらくお待ちください」
そういうやりとりがありました。
こんな病院で手術なんかしたくない。誰が背中に管をいれたまま3日も過ごすか!

病室で待っていると、ドクターが来て「市立病院で手術を引き受けてくれることになりました。いつでも転院してください」「ありがとうございます」

ということで転院することになりました。
しばらくすると、ナースが来て「病院で車は出せないんです。転院は自分で行っていただくようになります。タクシーを呼びますか?」と言われました。

妻を呼び出して、すぐに市民病院に移動しました。
土曜日です。
どっちにしても手術は月曜日かな?
それまで痛みが続くといやだなと思いながら診察を待っていました。
痛みのため身体はベンチに横たえてくの字型にしています。

やっと呼ばれました。
ちょび髭をはやしたドクターです。
見た目フレンドリーな感じです。
送られた資料を見ながら「痛みはありますか?手術は早いほうがいいですか?」
スケジュールを見ながら「よし当直あけたら、今日手術しよう」
決定が早い。

いざ手術への準備が始まります。
(その後の顛末はまた後日…)



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何と入院!

2009-07-24 20:22:52 | 日記
ずうっとブログを置いてけぼりにしていました。

もう一つYahooに写真中心のブログがあってそっちばかり更新していました。
そっちも少し飽きてきて、またこっちも更新してみようかと思いました。

そのきっかけは、実は入院でした。
日頃は、忙しく日々を送っていると、ブログの更新というところまで手が届きません。
しかも、このブログは結構自己暴露というような内容にしてしまってハードルを勝手にあげていたことも災いしています。
病院で点滴に腕を奪われ、やることもなくぼんやりしている時にいろんなことを考えました。
話す相手もいないので独り言のように頭を巡らしていました。

これから、少し書いてみようかな?と思うようになりました。

復活第1号はやはり、35年ぶりの入院でしょう。
勝手に一人語りを始めます。

症状に気づいたのは金曜日の夕食後です。
数日前から腰が痛くて何か変だな?と思っていました。
「夕食後に腰が痛いし、お腹も何だか痛い」と言うと妻が「胆石じゃない?」と言います。
実は3月にも同じような症状を訴えていて、その時は胆石による痛みだと通告されていたのです。
その時もすごく痛くて深夜に病院に駆け込んだのですが、もうすっかり忘れているところが実に私らしい。

以前の病院の薬袋を頼りに痛み止めを探すのですが、見あたりません。
きっとその時全部飲んだのでしょう。
そのことも忘れているところがこれまた私らしい。

あの時の痛みを蘇らせるのこりごりだったので、家から歩いて5分の総合病院Y病院に電話しました。
「内科の先生しかいないけど、すぐに来てください」ということでした。
ここの病院はすぐに対応してくれるので非常に重宝しています。

「3月に胆石の発作をやっていて、その時と同じ痛みだ」と訴え、薬の説明書まで持参したのですが、医師の対応は「一応検査をしてから対処します」の決まり文句でした。
「検査はお願いしたいけど、とりあえず痛みを取ってください」と強く訴えるけど、聞く耳は持ち合わせていないようです。
血液検査、次に腹部エコーです。
食事の後だけに、「ガスがいっぱいで見えるわけない」と思っていたのですが、医者もさるもの、わかっていてもやっぱりやります。
「痛いのはここらへんですか?」と何度も確認しながら、どんどん押さえてきます。
痛みはどんどん増してきます。
それはそうです。痛いところばかりを押さえているのですから。
そのうえ、「わからん」「わからん」を連発します。
「このやろう!」と思いながら我慢するしかありません。

やっとの思いで解放されると、「やっぱり胆石でしょう」と言われました。
「これで痛み止めだ!」と思っていたら、「念のためCTを撮りましょう」と言われ、撮影室に行きました。
「5分くらいですぐ終わります」
普通のことばですが、この痛みの中ではケンカを売っているとしか思えません。
やっと終わって医師の元へ帰ってくると、
「やっぱり胆石でしょう。明日消化器専門の医師にもう一度診断してもらいましょう。とりあえず今から痛み止めを打っておきます。これで内臓の収縮が押さえられて痛みが取れるでしょう」と痛み止めが注射されました。

「今から家に帰られてもいいし、今からの点滴は4時間くらいかかるし、明日絶飲食で来てもらわないといけないので入院してもいいのですが…」と言われました。
痛みが取れないところで提案されれば、大半の人が入院を決めると思います。

入院することにしました。
ところが、痛みはいっこうに取れません。
看護師を呼びました。
ドクターが駆けつけ、「痛みは取れませんか?うーんそうですか。でも胆石の発作ですから少々の痛みは伴いますからね。さっきエコーで押さえたしね」
怒りはだんだん爆発寸前まで…。
「とりあえず、痛みが取れる方法はないでしょうか?」
「うーん、別の痛み止めを使ってみましょうか」

その後、何度か痛みを聞きには来てくれるが、受け答えはさっぱりで同じことを何度も繰り返すだけです。
この人、コミュニケーションに問題ある?と痛みの中で八つ当たり気味になってしまいます。

結局、睡眠剤系の薬が効いたようで痛みの中で睡眠に入りました。

(入院第1日目の報告を終わります。続きも書きます。)



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