とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

DVD『マザーウォーター』を観て

2011-05-17 14:12:12 | 映画

 「京都を舞台にゆったりとした流れの中で豊かな生活を送る人々を描いた作品だ。『かもめ食堂』、『プール』を手がけた製作チームが集結し、今回は松本佳奈監督が演出を務めた。出演は小林聡美、もたいまさこ、小泉今日子、加瀬亮、市川実日子といった実力派が揃う。独特の京都の街並みや、何気ない風景、そして川のせせらぎに癒される。」

公式サイトにはこのように紹介されています。

 「マザーウォーター」とは本来の意味からするとウイスキーの仕込み水のことだったと思います。
 でも、この映画を観ていると"母なる水"と考えた方がいいのかもしれないと思いました。
 
いつものように何も起きなく、何の主張もない、この上なく生活感のない映画です。
これを癒しとでもいうのでしょうか?よくわかりませんが。
せっかちな私としては、このような空気感のの中ではとても暮らせそうにありません。

 まず出てくるのは、ウイスキーしか置いていないバーを経営しているセツコ(小林聡美)出たー!という感じの存在感を遺憾なく発揮しています。
 8オンスタンブラーに大きめの氷を入れてウィスキー(それも「山崎」いいウィスキーを使っています。)を目分量で注ぎます。
 それをバースプーンでゆっくりゆっくりかき回していきます。
それから市販のミネラルウォーターではない水を加えて、またゆっくりゆっくりまぜて、客へと差し出します。
 客が一口飲んだのを見計らって、自分は水をグラスに注いで、独特のタイミングでそれを一口飲みます。
 まさに「けっこうなお手前で!」といいたくなるような流れです。
 それを幾度となく観客にみせます。馴染みの客に加瀬亮が出てきます。

 続いては、喫茶店を営むタカコ(小泉今日子)が登場します。
 この喫茶店も大変小さな店で、席の数も知れています。
 客が来るとミルでコーヒーを挽いて1杯1杯入れてくれます。
 これがまた優雅でオトメ(光石研)ならずもずっと見ていたいと思わせる優雅さです。
 客が入っているのかどうなのかは、定かではありませんが、タカコのため息だけが聞こえてきそうなそんな店です。

 もう一つ水つながりでハツミ(市川実日子)の作る豆腐屋です。
 ここの豆腐は、買うと店の前のベンチでそのまま食べることのできるシステムです。
 道路に面したベンチで豆腐を食べるこの光景はありなんですかね?

 そして、その3人ともたいまさこをつないでいくのが水の大御所銭湯です。
 この店はオトメ(光石研)が経営者なのですが、のれんはいつとなくかかっているし、お湯はどうしてわかしているんだろうか?と疑問になります。
 銭湯には、1歳前後のポプラ少年とどういう関係なのかわからないけど、若い男が働いています。
 この3人の関係もよくわかりません。

 もう一つ忘れてはいけない人にマコト(もたいまさこ)がいます。
 この人はどの店にも顔を出して、全員をつないでいく大事な役目を果たしていきます。
 銭湯のポプラの面倒もよく見てくれます。
 マンションが映るんだけど、そこには未亡人らしき様子も見られないから、もしかしたらずっと独身だったのかも?とも思われます。
 でも、ポプラのかわいがり方からすると、前に子どもがいたのかも…とも思われます。
 
 八百屋で900円もするタケノコを買ったり、新鮮な野菜を選んで来て、家で野菜の天ぷらをあげて食べるようすなど、生活に困っている風はありません。
 いつもながら正体不明な人を演じています。

 夜はビールと天ぷらとそれも塩で食べるスタイル、朝ごはんに出汁撒き卵と暖かい味噌汁朝など、さすがフードスタイリストの飯島奈美さんらしい気配りです。

 全体が静寂な世界につつまれています。
 その中で静かな生活音だけが響くという映画造りには頭が下がります。

 最近、いい人ふうの演技ばかりやっているもたいまさこさんですが、
 とことこ散歩していて「こんにちは」と声をかけた小泉今日子に向かって例のしわがれ声で「今日も機嫌良くやんなさいよ」と声をかけただけで、
 すたすた歩いて行ってしまう姿に久しぶりに「吉野刈り」の時の意地悪おばさんの雰囲気が蘇ってうれしくなりました。

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映画「ブラックスワン」を観て

2011-05-16 15:18:03 | 映画

久しぶりの洋画を観に行きました。

いつ以来だろうと真剣に考えても思い出せないくらいです。

CG満載のアドベンチャーものや、パニックムービーが好きでなくてついつい敬遠しがちでした。

今回は、シネコンのポイントを利用したタダ券の使用期限が迫ったこともあり、何となく興味のあった映画にしました。

あまり期待していなかった映画だったのですが、印象深い映画でした。

久しぶりの映画の割には、心にヒットした映画でした。

『レスラー』のダーレン・アロノフスキー監督、ナタリーポートマン主演と話題のコンビです。

映画の売りとしては、「内気なバレリーナが大役に抜擢されたプレッシャーや嫉妬から少しずつ心のバランスを崩していく」とされています。

公開されたばかりなので、あんまりストーリーに踏み込むことは避けたいのですが、感想を言おうとするとどうしても少し踏み込まざるを得ません。

そこらへんを考慮していただきたいと思います。

舞台はニューヨークの有名バレー楽団。ニーナ(ナタリー・ポートマン)は将来を嘱望されたバレリーナです。

夢は『白鳥の湖』のプリマを踊ること。

新シーズンのオープニングとなる『白鳥の湖』のキャスティング・オーディションが始まりニナはこれに全てをかけています。

よくある話なのですが、このストーリーは若きバレーダンサーの夢という話ではなく、様々なものが織り込まれたものなのです。

かつて、バレリーナだったけど、ニナを妊娠してバレリーナの道をあきらめた母親との確執、

つい先頃までニナのポジションにいた先輩プリマのベス、ニナにない奔放さと官能さを醸し出すライバルのリリーと関係性が様々に交錯します。

母親との確執で言えば、バレーとピアノの違いはあるけど『ピアニスト』の映画を思わせるものがあります。

幻想と現実を行ったり来たりするニナの頭の中の世界を映像で描き出します。

映画を観ている我々にとって、見えるもの全てが真実だけに後からそれが幻想だと言われてもなかなか戻れません。

そこがこの映画のややこしいところです。

もう一つ鏡の使い方がやたらややこしいのです。

鏡を使って幻想と現実を演じ分けるところも見られます。

バレーダンサーだから鏡を使うということだと思いますが、鏡と音楽というものがキーワードになっていると思われます。

ある人に言わせれば、ニナの母親でさえ現存しないニナの頭の中にだけある人物ではないかという解釈もあるそうです。

もう一つ、ニナは母親の魔法によって白鳥に変えられた娘という解釈も成立するようです。

白鳥から人間になるために様々な試練が試される。

それが、黒鳥を演じるための様々な試練ということになるということです。

何が現実で何が幻想かというストーリーの追い方ともう一つは純粋にニナの成長に合わせてバレーそのものはまり込んでいくこともいいのかもしれません。

ともあれ、見ている時間飽きることなくずっと画面に食い入るように見てしまう映画だと思います。

 

 

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映画「岳」

2011-05-08 22:03:08 | 映画

映画「岳」を観てきました。

ビッグコミックオリジナルをずっと読み続けていてこの漫画はけっこうはまっていました。

映画化されると聞いてけっこう楽しみにしていました。

「剣岳」でも山の風景に感動していましたが、今回も実写ということで絶対映画館で観たいと思っていました。

ブログにも書きましたが、2日から東日本大震災のボランティアで宮城県石巻市に入っていて、

帰った次の日が公開だったのでその日のうちに行くことにしました。

次の日は、会議で滋賀県大津市に行かなければいけなかったので土曜日しかなかったことも理由の一つです。

本当に楽しみにしていても、心配なことが二つありました。

配役のことです。漫画の島崎三歩は、やたら元気でやたら明るくてそんな人物に小栗旬か…と思っていました。

彼は、クールというか世の中を斜に見ているような役ばかり演じてきていて、それが決まっているいる印象がありました。

もう一つ、ヒロインに長澤まさみが抜擢されたことです。長澤まさみはきらいじゃありません。むしろ好きな女優さんです。

そんな彼女が冬山に入る。ましてや山岳救助隊になることは想像ができませんでした。

でも、そんな心配は全くありませんでした。

見事に演じきっている二人がスクリーンの中にいました。

青空をバックにこれ以上ないくらいの笑顔を見せる小栗旬は今までのなかで一番いい顔をしていると思います。

それ以上に長澤まさみは体を張って演じきっていました。

髪の毛も短くして、ロッククライミングも見事にやっていました。

八方尾根らしき現場でそりを引くシーンでは男にまじって走っていました。

メイクもあまりしていなくて、頬に凍傷のメイクもしていつもの"可愛いだけの長澤まさみ"ではありませんでした。

三歩が冬の奥穂高(3.190m)の山頂に立つシーンなどは、実際に登らないと絶対に撮れないシーンです。

それだけに青空が実に気持ちがいいのです。

山のシーンだけでなく、様々なドラマを用意していてそこがなかなかホロリとさせます。

例えば父親を亡くした少年横井ナオタとジャングルジムの上で話すシーンです。

父親が遭難した場面をリアルに話すことは少年に受け入れられるのかちょっと考えましたが、いつしか場面に引き込まれていました。

命を救うシーンでの「よくがんばった」と命を救うことができなかったシーンでの「よくがんばった」はどう違うんだろう?

いろんなことを考えました。

山の中に存在する生と死の問題。装備と訓練が絶対必要な山。

最近の"山ブーム"の中でいろんなことを考えました。

私自身、最近膝が思わしくないので、高い山は少し遠慮しています。

でも、この映画を観ると、久しぶりに上高地から入って涸沢くらいは行ってみたくなりました。もちろん、テント泊で。

映画の中での三歩の名言はいろいろありました。

「悲しいことが起きるのが、山の半分、楽しいことがあるのも山の半分。二つ合わさって山なんだ。

学校もいやな勉強が半分、楽しい遊びが半分。生きるのも、死ぬのも半分、半分。

でも、どっちを多くするかは自分で決めること」

「山に捨てちゃいけないのはゴミと命」

もう一人忘れてはいけない名演技は山小屋の女主人役の市毛良江さんです。

実にいい笑顔でみんなを迎えてくれます。

いい映画だと思います。本当はもっとストーリーを語りたいけど、公開直後なのでじゃまをしたくありません。

ぜひ、映画館で観るべき映画です。

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その7

2011-05-07 22:34:50 | 写真日記

中央商店街の作業を終えてバスに乗り込みました。

午前中に帰る部隊と、午後まで作業を続ける部隊に分かれます。

私たち3人は午後からも参加します。

バスで待っているとヘドロと格闘した人たちが続々帰って来ます。

臭いと汚れが大変です。少しぐらい洗ったのでは落ちそうにありません。

申し訳ない気持ちになってしまいます。

午後は、支援センターに行き、野菜の搬送をした後、物資を被災者に配る仕事になります。

 

のんびり倶楽部氏は運転手になってしまいました。

渡波の被災者の地域に入ります。

バスで移動するのと、自家用車で移動するのは目線が違うのでまた思いが変わります。

 

住宅街の真ん中で少しだけ広い場所に着きました。ハンドマイクで案内をすると少しずつ人々が集まってきます。

 

 

 

  

周囲は本当に壊れかけた家やつぶされた車がたくさんあります。

 

次に場所を移して野菜を届けに行きます。

今度は渡波の駅前です。

 

 

 

駅のホームから見ると線路に車が突っ込んでいます。

 

物資のお届け隊を終了して、センターに帰る途中の光景も忘れられません。

目線が違うのでリアルに感じられます。

 

 

  

 

全てを終了して仙台に戻る時には安堵感と、疲労感でくたくた状態でした。

松島から仙台に戻る時に、リゾート列車が来ました。

乗車券400円にプラス座席指定券510円がいるのですが、どうしても乗りたくて乗ることにしました。

 

仙台に帰ると、楽天イーグルスの記念ボールが飾ってありました。

楽天球場第1戦で田中まーくんが勝ち投手になった時のボールです。

 

これで報告をすべて終了させていただきます。

最後まで読まれた方ありがとうございます。

コメント等入れていただけたら大変励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その6

2011-05-07 21:49:06 | 写真日記

いよいよボランティア3日目になります。

今日は石巻市内の中央商店街に入ることになっています。

松島駅からバスに乗って石巻に入ります。

いつもと同じ光景を見ます。何度も何度もこの光景は目にしてきました。

バスは石巻の駅前近くの商店街に止まりました。

 

プラザ石巻にあるボランティアセンターに行きました。

今日はそこでの指示を仰ぎます。

指示が出るまで商店街を少し見回しました。

ピースボートの人たちが側溝のヘドロかきを懸命にやっていました。

地味な仕事ですが大変過酷な仕事だと思います。

 

 

 

  

バスから降りたのは31人です。6つのグループに分かれるように指示がありました。

それぞれのグループに活動内容が伝えられます。

合羽を着ていて、濡れてもいいグループはもっとも過酷な側溝のヘドロかきの仕事になりました。

私たちはそこまで準備していなかったので、商店の掃除ということになりました。

スコップ、土嚢袋、モップ、バケツ、雑巾、ワイパーなどをもって

案内の人に連れられてついたのはヤマザキショップの跡でした。

ヤマザキショップの前にある瓦礫を土嚢袋に入れるように指示が出されました。

店の前にある瓦礫はガラスやいろんなものが混ざっています。

スコップですくっては土嚢袋に詰めていきます。

 

 

いくら掘っても瓦礫が出てきます。すぐに土嚢はいっぱいになります。

埼玉高教組の女性と2名と一緒に取り組みました。

 

休憩の時に少し話を聞くことが出来ました。

コーディネーターだと思っていた男性はこの店の家族でした。

男性の話によるとこの店にはおばあさん一人が住んでいて、津波は1.8メートルに及んだそうです。

おばあさんは、水が引くまで4日間も店の2階に一人でいたそうです。

でも、この一帯はすべてそういう状態だったので近所でみんな声をかけあって過ごしていたそうです。

でも、夜はどんなに心細かったのではないかと思います。

 

下があらかた片付いたら今度は2階から家具を下ろしにかかります。

思い出の仙台ダンスを運びましたが、これが大変「重いでー」と冗談も言えず運びました。

作業が終了した時には、丁寧にお礼を言っていただき大変恐縮しました。

顔の見えるボランティアはいいものです。

予定した時刻より少し早く終わったので、ばすの乗車あたりの街の光景を見て歩きました。

 

 

 

 

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その5

2011-05-07 20:50:45 | 写真日記

次は支援センターで荷物の搬入と聞きました。

支援センターというのだからどんな場所なのかと想像していたら政党の事務所でした。

ここも津波が押し寄せたということで事務所の柱に「ここまで津波が来た」という張り紙がありました。

 

 

そこへ農民連から大量の野菜が届くそうで、それを袋つめして被災者に届けるそうです。

トラックで届いた荷物を事務所の二階に上げます。

これもみんなで並んでバケツリレーをします。

物によっては大変重たい段ボールもあり、みんなで声を合わせて運び上げます。

ここでも何とも気持ちのいい連帯感が生まれます。

「今度のはキャベツだから重いよ」「今度は人参だよ」

 

 

 

やっと終了ということで、この日は日和山という所に登って、

市内の被害の状況の全貌を見るというのも日程に入っていました。

 

また被害の大きい所を通ります。

一日何度もバスで通りますが、そのつどため息しか出ません。

海岸にはこどもたちが書いた壁画があります。

「自然を守ろう石巻」それも悲しさを誘います。

 

 

 

 

巨大な"鯨の大和煮"のドラム缶が横倒しになっています。

 

 

昨日行った道路作業を引き続きやっている仲間と合流して行きます。

 

 

 

 

 

 

 

日和山は少しだけ高台にあり、そこには団地が広がっています。

ある線から別世界のように被害がありません。

今回の震災が地震ではなく津波の影響が甚大だったということがわかります。

石巻高校の前でバスを降りて徒歩で向かいます。

石巻高校も避難所になっていましたが、被害はほとんど感じられませんでした。

 

 

 

途中見かけた公明党のポスターがちょっとむなしく感じました。

 

 

自衛隊の車には至る所で出会います。

本当によくやっているみたいです。

武器を捨てて、国際救助隊(サンダーバード)と名前を変えて世界各国に援助に行けたらいいのにと思いました。

 

  

山から俯瞰するとそれはそれは悲惨な状況が一望できました。

ほとんどの建物がなく、辺り一面何もありません。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

北上川から逆流してきた津波でやられた地域もあります。

中央に見える白いドームのような近未来的な建物が石ノ森章太郎の漫画館です。

 

 

 

日和山の山頂で聞いた悲しい話です。

みんなで下を見ていたら、60くらいの女性がゆっくり話し始めました。

「向こうの橋の所の倉庫の前に家があるのがわかりますか?あれが私の家です。本当はあそこにあったのではなくて

もっとこちらの方にあったのです。それが、津波で持って行かれて流されてあそこまで行って、倉庫に引っかかったのです。

私は二階にいてそのまま流されていきました。海岸ぎりぎりの所にある倉庫がなかったら私はどうなったかもわかりません。

真っ暗な中がれきを通って必死で脱出してきました。」

淡々と話す中に生死をわけた真実があることにことばが出ませんでした。

 

 

 

日和山には山口出身の種田山頭火の句碑があります。

せっかくだから見に行くことにしました。

地震で句碑は見事に傾いていました。

「水底の雲もみちのくの空のさみだれ

 あふたりわかれたりさみだる」

 

 

 

この日はこれで日程終了ということで、仙台に戻ってきました。

 

この日は、前回自分が通った餃子屋さんに行くことになっていました。

 

この日は、避難所の感想と、日和山から見た光景で話をしました。

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その4

2011-05-07 10:13:36 | 週末は山にでも

少し片付いてから、おばあちゃんと話をしている滋賀の先生の横で、

話を聞かせてもらいました。

おばあちゃんは、10月に公団のアパートが当たって、2階に住んでいたそうです。

津波があったその日は、たまたま腰に電気を当てるために病院に行っていて助かったそうです。

「そのアパートも3階まで水に浸かったので、自分の持ち物はここにある段ボールだけ」と話されていました。

病院に行っていないと命はなかったかもしれない。でも、もうあのアパートには住めない。

そんな話を淡々とされながらもどっしり生きているおばあちゃんの場所から離れることができませんでした。

 

いくつもの悲しいエピソードを聞くことができました。

もう一人気になる男の子がいました。4歳の元気のいい男の子です。

「おはよう!」と声をかけると「おはよう!」と声をかえしてくれます。

 

ブースの中で絵を描き始めたので、「見せてもらってもいい?」と訊ねると

「いいよ」と言うのでブースに入らせてもらって見せてもらいました。

描いてあるのは全部ヒーローものらしく、怪獣と闘っているんだと本人は言っていました。

 

描かれている絵の間に線が入って戦いを示していました。

全部のページを見せてもらったのですが、どのページを見ても、人間が出てきません。

お母さんもお父さんももちろん自分も出てきません。

またお店や遊園地に行った話も出てきません。少し気になりました。

 

「おじちゃんも描いてもいいよ」と言うので

アンパンマンとドラえもんとウルトラマンを描いて、ライオンやパンダなどの動物も描いてあげました。

うれしそうにしていました。

 

お母さんとも少し話をしました。

あの日、車で保育園に迎えに行って高台まで避難したそうです。

その日、その子の仲のいい友だちの家族も迎えに来ていて、でもその家族は貴重品を取りに帰ると言ったそうです。

「せめてその子だけでも置いて行きなさい。預かるから」と言ったのですが、

子どもがお母ちゃんと一緒に行くと行ったそうです。

結局その後からその子の家族とは連絡がつかないままだそうです。

「自分たちは全財産をなくしたけど、命は助かった」と言われていました。

紙一重で人生が左右されるエピソードがたくさんある現実を目の当たりにしました。

特別支援学校の先生からは別の悲しい話を聞きました。

ベッドで過ごさなければいけない医療的ケアーの必要なお子さんのベッドまでだんだん水が浸水してきて、

お母さんは子どもさんを抱っこして持ち上げてあげていたそうです。

でもそれでも

水かさは増すばかりで顔だけ水面から出すように懸命にこらえていたそうですが、

とうとう力つきて子どもさんが手から離れたそうです。

弟さんとお母さんは助かったけど、その子は亡くなられたそうです。

 

もう一つのエピソードは、

車いすの子を乗せて車で避難している時に津波に襲われて、

自力で脱出できる人は脱出したけど、車いすの子は車ごと流されていった。

家族は黙ってみることしかできなかったそうです。

段ボールでの避難生活はテレビで見るのと全く現実は違います。

これが生存権で保障された生活とはとっても思えません。

引っ越しが終わった時に、ほとんどの人が横にゴロンとなっています。

気力そのものがないようなしました。他にやることなんかありません。

生命だけを維持するだけで人間の生活と言えるのか、ひどくいらだちを覚えました。

引っ越し作業を終えた私たちの任務は終了です。

昼食を済ませてから後ろ髪を引かれながら次の場所に移動です。

 

下の画像は段ボールの食事用テーブルです。

各ブースに一つずつ配られるそうです。

もう1枚は次の日の朝食用の食料です。

 

 

 

山下中学校も津波にやられて、1階の校舎は水につかったようです。

体育倉庫には津波で汚れた柔道着が重ねて置いてありました。

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その3

2011-05-07 10:00:38 | 写真日記

2日目の朝です。

 

3人とも6時には目がさめて、7時前には宿を出ました。

 

この宿は食事なしの素泊まりで予約しています。

 

仙台を8時の電車で行くように指定されています。

 

宿の方に聞くと駅まで歩いてもそんなにかからないということだったので歩くことにしました。 

ほとんどの荷物は宿に置いていくので、そんなに負担はありません。 

3人でバカ話に花を咲かせながら駅まで歩きました。

 

朝ご飯は立ち食いぞばと決めていました。 

この日は甘辛肉そばにしました。意外とこしがあるそばでした。 

つなぎの小麦粉が多めなのかもしれません。そ

ばはあまり得意ではないのですが、こういう所のうどんはもっと怖いのでそばにしました。

スープは非常においしかったので満足がいきました。

一番若い琴石山氏はミニカレーとのセットメニューにしていました。

さすがというところです。

 

昼ご飯も自分たちで用意しなくてはいけないということで駅で弁当を買いました。

私は無頓着なので、昨日のお昼と同じ店でおむすびとサンドイッチとお茶を買いました。

二人は少し離れた所まで、弁当を買いに出かけていきました。

 

少し早い電車にのることにしました。

ホームで缶コーヒーを買って飲もうとすると、

のんびり倶楽部氏は「あれでは足りない気がする」ので、とパンをぱくついていました。

みんなに比べて私の食事量は少ないようです。

 

昨日と同じように松島でバスに乗ると、今日の行動の説明がありました。

「ここに何人行ってほしい」という提起があります。

私たちはどうしても学校の避難所に行ってみたいということで

一番希望が多かったのですが、ごり押しで山下中学校に向かいました。

 

 

ここは、今まで石巻中学校の教室を避難所にして生活していた人が、

石巻中学校を連休後に再開するという事情の中で、

避難所から避難所への転居を余儀なくされた人たちなのです。

その引っ越しの手伝いなのです。

 

非常にデリケートな事情なので対応については、

くれぐれも気をつけるように言われて臨みました。

 

体育館に入って息を飲みました。

高さ1メートルくらいの段ボールで仕切られただけの居室です。

家族者のためのスペースと単身者のスペースがあります。

単身者のスペースは畳一畳半くらいです。

「たったこれだけ?」と思うくらいのスペースしかありません。

 

 

 

 

 

車を持っている方が先に荷物を持ってこられます。

布団や毛布や衣類だけの簡単な荷物です。

番号が書いてあってそのブースまで運びます。

ほとんどの方はバスで移動されて、荷物はトラックで運び込まれます。

トラックが着くと、ボランティアで並んでバケツリレーの要領で送っていきます。

最後に体育館組がブースまで運びます。

 

 

 

一人足と腰の悪いおばあちゃんがいました。

おばあちゃんの荷物は段ボール10個ぐらいあります。

一人で梱包をほどくのも大変なのですが、気兼ねをして「自分でゆっくりやるから」と言われます。

 

全教の役員のH方さんと「何でもやるから言ってください」と言うのですが、

横から関西から来られている女性ボランティアの方が

「そんなにチャッチャッ言われてもねー。おばあちゃん!」と言いながら

ブースに入って布団の準備を始めます。

 

我々男はやることをさっさっとやるのがモットーみたいなところがあります。

ボランティアは力仕事ばかりではありません。

ゆっくりゆっくりその人に合わせて進めるのも大事な仕事だと思わされました。

大事なことを教わった気がします。

特別支援教育でそのことはいやというほどわかっているはずなのに…

大人相手だとこんなざまです。

 

 

 

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東日本大震災ボランティアに参加してきました その2

2011-05-07 09:05:23 | 写真日記

渡波(わたのは)地域のボランティアに参加しました。

 

現地の生活道路の復旧が主たる目的のようです。 

道の端に寄せられた泥の付いた藁と、その周辺に落ちているがれきの撤去作業です。 

泥と言ってもヘドロです。臭いがあります。

 

 

 

重機も車もないので全て人の手によるものになります。 

道具はスコップ、フォーク型のスコップ、一輪車、リヤカーになります。

 

 

 

でも、道具に限りがあるので残りの人たちは、

道路に脇に流れ着いていた木ぎれや家財道具の撤去に当たります。 

一緒に行った、のんびり倶楽部氏と琴石山氏は藁の作業に入りましたが、

カメラマン兼務の私は自由が利く運び作業に行きました。

 

 

 

 

 

とろろがこれもけっこう大変です。 

流れ着いたものは半端じゃありません。 

ありとあらゆるものが流れ着いています。 

冷蔵庫、風呂桶、漁業関係の道具なども流れています。

 

 

 

移動時間があるので、できるまでの作業を終えて再びバスに乗り込みます。

 

帰りもまた被災地のど真ん中をバスが通ります。

行きと帰りの窓が違ったのでまた撮影しました。

 

 

 

 

 

 

 

石巻から松島までの高速道路は渋滞をしていて、松島海岸に帰った時には5時をまわっていました。

 

大きな荷物を取り、再び着替えです手間取りながらやっと着替えて、

外に出ると山口出身の北村委員長が、一ノ俣で使い込んでいたんだろう青いつなぎを着て慰労の言葉をかけてくれました。

 

松島駅までバスで送ってもらって東北本線で仙台まで移動です。

仙台駅に降りて、一度宿に入ってから食事に向かうか、3人で協議しましたが、

「もうビールが飲みたい」という要求を抑えきれないので、

そのまま向かうことにしました。

 

大きなリュックを背負った3人組で、仙台の目抜き通りにある居酒屋を探します。

ところが、連休初日ということもあるのか、どこも満員です。

地元の人か、観光で東北にお金を落としに来たのかわかりませんが、仙台はなかなか元気です。

 

3人の服装がそうさせるのか、満席でお店で断られる時にも、非常にていねいに断られます。

「せっかくボランティアに来ているのに申し訳ない」というような気持ちが伝わってきます。

 

結局4軒くらい回ってダメで全国どこにでもあるチェーン店にたどりつきました。

でも、ちゃんと仕切られてあって、3人で慰労会をするのには問題ない店でした。

 

3人とも高級な舌をもっていないので"つぼ八"で十分でした。

 

 

 

まあまあ飲んでから宿の位置がわからないのでタクシーを使って移動しました。

 

タクシーの運転手が場所がわからなくて、あちこちうろうろしながらやっと到着しました。

典型的な日本旅館です。

 

 

 

主人が部屋まで案内してくれて、風呂やトイレについて場所を説明してくれました。

対応がとてもていねいで気持ちのいい宿でした。

 

風呂もトイレも洗面所も全部外にある典型的な日本旅館です。

大部屋を予想していたのですが、我々3人だけの部屋でした。

押入の下のスペースを活用しないと3人の布団が敷かれないという部屋でしたが、

あまり気を使わないですむことで言えば最適の部屋でした。

 

しばらくして風呂に向かいました。

湯船は二人が限度のスペースです。

でも、湯船に入れるだけでもいいような気がしました。

 

部屋に帰って、テレビを見ながら携帯瓶に入れて持ってきたウィスキーのお湯割りを飲みながら

明日からの活動にビビりながら眠りにつきました。

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東日本大震災ボランティアに参加してきました。

2011-05-06 22:33:18 | 写真日記

東日本大震災の支援のボランティアに行ってきました。

 

3.11の震災直後に話があったので調子に乗って一気に応募したのですが、、当初は春休みと言われていました。 

その後連絡がなく、もうないのかな?と思っていた矢先に連休直前に連絡がありました。

「どうする?」と聞かれ、引っ込みがつかなくて応募することにしました。

 

全国からこの連休を利用して「被災地のために何かをしたい」と思っている人は大変多いと聞いています。

でも、被害の甚大さもあって、現地の受け入れ体制が極めて弱いものになっています。

「活動のニーズはある」が「受け入れ、手配、調整を行う」機能が確立されずにミスマッチの状態だそうです。

そういう意味では今回は、受け入れ体制も整った素晴らしい企画になっています。

 

勤務を終えた52日の新幹線に乗り、岡山から『サンライズ瀬戸』で東京に向かいました。

久しぶりの寝台列車ということで、どうかな?と思ましたが、Bシングルの部屋がことのほか良くて、

午後6時に飲んだ誘眠剤がよく効いてウィスキーを一口飲んだだけでぐっすり眠ることができました。

気がついたら朝というような状況でした。

 

 

 

 

 

 

東京から東北新幹線に乗って仙台に向かいます。

東京駅で朝ご飯を食べるような余裕もありません。

駅でおむすび弁当を買って車内でぱくつきました。

 

 

 

 

 

仙台からは、東北本線で松島に向かいます。

仙台で昼ご飯を食べるような状況ではないのでまたおむすびを買いました。

一緒に行っていたのんびり倶楽部氏は、「おむすびはいやだ!」ということで

別の弁当を買いに行き『うに弁当』を買ってきました。

私の方は無頓着でおにぎりで十分満足でした。

 

今回の本部は松島海岸駅の近くにあります。松島駅でバスを待ちます。

 

 

バスの時間まで少し時間があったので駅のブロックに座り込んで弁当を食べることにしました。

待っていると次々に大きなザックを持っている人たちが降りてきます。

見るからに我々の仲間という感じです。

 

「お疲れさまです」「ご苦労様です」の声を掛け合います。

それだけですでに連帯感が生まれてきます。

そういう意味では、人間っておもしろいものです。

 

待っているとバスが到着してきました。

 

 

大型バスにいっぱいの人を乗せて、本部のある大松荘に到着します。

ここで作業できる服装に着替えて現地に入ることになるという説明を受けました。

 

着替える所は2階です。

荷物もそこに置いていてくださいとうアナウンスを聞いて、部屋に向かうとそこは普通の部屋です。

参加者の荷物を置くと着替えどころではありません。

 

ザックに念入りにパッキングしてきたので、着替えを出すのも一苦労です。

こういう限られたスペースでの着替えはきわめて苦手です。

 

一緒に行った二人はさっさと着替えて外に出ているのに私の方は大慌てでした。

 

何とか着替えを終えて、再びバスに乗り込んで、現地に向かいます。

今回のボランティアの場所は石巻市です。

 

松島から高速に乗って石巻に向かいますが、車窓から見る風景はほとんど変化が感じられません。

 

ところが、石巻の街に入ったとたん、景色が一変しました。本当に大変な惨状です。

 

ひっくり返っている車、

完全に倒壊してしまっている家、

どうしたらこういう車の形になるのだろう?

上からプレスしたような形になっている車など、大変な状態です。

 

 

 

 

 

 

湾岸道路に入るともっとすごいことになっていました。

JRのコンテナがへこんでいたり、「ここに何があったのだろう?」と思わせるような場所もいくつもあります。

 

 

 

 

 

 

 

石巻女子商業高校はもう閉鎖すると言われていました。

 

 

 

これでもかと思われるような場所を通って、渡波(わたのは)という地域に入りました。

 

コメント (2)
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