とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

久々のハードワーク

2010-10-30 21:56:53 | 日記
金曜日、土曜日と久しぶりにハードな時間を過ごしました。

精神的にも肉体的にもかなりしんどい思いをしました。

金曜日、ある市の私立幼稚園研修会に出かけました。

朝9時から午後4時までの長丁場で、

午後から講演と実技研修をしなくてはならないというスケジュールになっていました。

午前中は、公開保育ということで、幼稚園3歳児~5歳児のクラスの授業を見てから、

場所を移動して、研究経過報告を聞くという流れになっていました。

公開保育は、事前の準備も教材研究もしっかりされていたようで、なかなか見応えのある授業になっていました。

何度か地域Coの仕事で行っている園だっただけに、子どもたちの様子も興味深いものがありました。

ただ、課題設定のねらいと、子どもたちの発達段階のところで、

多少課題があるかもしれないという気もしました。

そこらへんは、次回行った時に当事者と少し討論したいとこかもしれません。

当事者たちは準備その他大変だったと思いますが、大変参考になった会でした。

研究経過報告は、これも練習をたっぷりしてきたのか、

実にゆっくりと流ちょうに話されていました。

一所懸命聞こうとするのですが、あまりに流ちょうな優しい声に危うく眠りそうになってしまいました。

講評は、別の幼稚園の園長がされましたが、なかなか刺激的なまとめになっていて、

これも大変参考になりました。

午後からは、1時間半講演をして、その後で、1時間うた遊びをしました。

会場は100名以上の幼稚園の先生たちが集まっていたので、動いて遊ぶことは難しかったのですが、

とにかく笑顔を引き出したいという思いで、いろんなことを発信していきました。

終わった時には思わなかったのですが、車に乗ったとたん、どっと疲労感が押し寄せてきました。

幼稚園を出たのが、5時くらいでした。

6時半から少し離れた柳井市で特別支援教育の学習会の講師を頼まれています。

豪華な昼食をもらっていたのですが、緊張からの解放から少し空腹感を覚えました。

移動中のラーメン屋さんに寄ってから、行くことにしました。

“ま○○○ん”というラーメン屋さんでとんこつだけど、あっさりして薄味のラーメン屋さんです。

普段は自分の好みと違うので、行くことはないのですが、

この日は、時間もないのでそこに入ることにしました。

お客はいつも通り少なめです。

食事を終えて、会場に着くと責任者が座って待っていました。

「プロジェクターは?」と聞くと、私が持ってくると言っていたと言われました。

「エー!」と言いながらだんだん記憶が定かになってきます。

確かに私が持ってくると言ったように思います。

責任者が自分の学校に取りに行ってくれるというので、その間、ギターでうた遊びをしながら時間をつぶしました。

特別支援教育関係の話はお手の物だし、聞いている人も少ないので、流ちょうに話すことができました。

でも、この段階で朝から合計するとしっかり4時間半しゃべったことになります。

話が終わってから、自由討論の時に、多動で、友だちとのトラブルが絶えない子どもの例が出ました。

母親はまだ25歳で、子どもが幼い時に離婚して一人で育てている話が出ました。

困っているのは子ども本人で、次に困っているの母親なんだたという話になってきました。

孤立させずに、母親も含めて支援していくことの必要性について確認しました。

家に帰ったのは10時近くになっていました。

次の日の土曜日は、山口市で午前中会議です。

その会議の責任者でもあるので、会議の資料の準備もしなくてはなりません。

何とか準備も終わり、山口に向かいました。

午前中しっかり会議をして、午後からは“特別支援教育ビジョン実行計画”の学習会です。

もちろん、講師です。

先日準備したプレゼンを使って説明しました。

聞いている人たちは、しっかりとした人たちばかりだったので、しっかり深め合うことができたように思います。

帰りの車はさすがに疲れていました。

今回はそれぞれ、しっかり充実していたけど、やっぱりハードすぎたかもしれません。
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人間ドック騒ぎ

2010-10-23 22:38:35 | 日記
今年は日帰り人間ドックに当たっています。

気が進まないのですが、行かないといけないので
家と職場を結んだ所にある総合病院に仕方なく出かけました。
朝の受付を済ませて、待っていると次々と検査をされていきます。
判決を待つようないやな気分になっていきます。

今回は胃カメラはいやだったので、バリウムの検査にしました。
このバリウムの所で意外と時間をくってしまいました。
結局3時間くらいの所要時間で終了しました。

人間ドックが終了して結果を待っていたら、病院から電話がありました。
「念のためですが、胃カメラの検査をお勧めします」という連絡でした。
“念のため”を何度も強調されてちょっといやな気持ちだったのですが、
この年ですので受けることにしました。

指定された日の時間15分前に行くとすでにたくさんの人が待っています。
待っていても、指定された時間をとうに過ぎても動きがありません。
どうなっているのか、担当に聞くと「受付された順番でやっています」とのこと。
指定された時間に行くと、だめということのようです。
それならそれで、ちゃんと言ってもらえれば何時にでも受付を済ませていたのに…。

予定変更はきわめて苦手なタイプなのです。
いらいらしながら順番を待ちました。
やっと順番がきて胃カメラスタートです。
昨年胆嚢摘出の前に検査された時はそんなにも思わなかったのですが、
今回は非常に苦しかったです。
昨年の胆嚢の時は別の痛みが強くてそんなに思わなかったのかもしれません。
とにかくのどを通る時の嘔吐感はいやになるほどです。

やっと終了して、結果は2週間後に病院に聞きに来いということでした。

指定された日は、朝早くから順番を取るために行きました。
見事2番の札を確保して、ベンチで読書を楽しみました。
この日は検査ではないので、家から持参したコーヒーを飲みながら優雅に待っていました。
いつまで待つというスケジュールが提示されていれば、ちゃんと待つことができます。

順番が来て診察室に入ると胃カメラの検査をしてくれた医師が
「検査の結果がでました。Aです。はい、ご苦労様」これで終わりです。
看護師が「今日は会計はありませんので、このままお引き取りされて結構です」
「オイ!オイ!」という感じです。
電話でも郵送文書でもいいじゃないか!いささかあきれるのと腹立たしいの両方で職場に向かいました。

職場のみんなも「午前中お休みじゃなかったんですか?」と聞かれる始末。

後日検査の結果全てが送られてきました。
全部の検査結果がA判定なのにF判定の「治療を要します」があります。
何と骨密度が低下しているというのです。
まさかの骨粗鬆症の疑いです。
これだけ運動もできて、山登りもしているのに骨粗鬆症です。

また、病院に行かなくてはなりません。
やっぱり年で無理がきかないということでしょうかね。
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川棚コスモス祭2

2010-10-13 22:37:03 | 写真日記
川棚コスモス祭の続きです。
この日は、ミニSLも走っていました。
こういうイベントにはつきものですね。
ほんの短いコースを2周回るだけのSLです。
でも、これが子どもたちには人気なのですね。

 

 

祭の会場には他に子どもたちを楽しませるものはないので、子どもたちは楽しそうに乗っていました。
もちろん、親はカメラを持って撮影をしています。
日頃は見向きもしない光景なのですが、この日は和やかな気持ちで眺めていました。

フリーマーケットをやっているというので、ちょっと覗いてみましたが、これといって掘り出し物もなくさっと素通りしてしまいました。
途中に看護師3人組に会いました。
模様の入った白衣が何とも不思議で、最初はコスプレかと思ったくらいです。
韓流スターのコーナーで「私のダーリン!」とはしゃいでいたのが、何とも浮いていました。

 

 



この日、歩いていると二人目の知り合いに会いました。
Fさんもこちらの方ではないのに、わざわざカメラを持って撮影に来ていたようです。
声をかけたのですが、話もあまり弾まず、声をかけなかった方が良かったのかもしれません。
それとも、この日の私のトーンが少し高かったのかもしれません。



コスモスの撮影が一段落したので、露店をいろいろ物色して歩きました。

 

 

 






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川棚コスモス祭

2010-10-12 22:29:52 | 写真日記
高杉晋作の墓参りに東行庵に行ってから、足を伸ばしてレフレッシュパークのコスモス畑に行くことにしました。
新聞やテレビでは情報を得ていたのですが、わざわざコスモスくらいで川棚まで行くことはないので、初めてでした。
近くまで行くとどうやらコスモス祭の最終日らしいことがわかりました。

現地に着くと、直接車を乗り入れることは難しいようです。
近くのスーパーの駐車場に車を入れて、専用バスに乗り換えて公園に入ることになっていました。

往復バスの運賃と入場料がセットになって200円ということでそれほどの割高感は、ありませんでした。
バスに揺られて、ずいぶん遠回りをしながら公園に入りました。

公園内は見事なほどの、露店です。
プロの露天商だけではなくて、漁協や観光協会が主催したような露天商が軒を連ねています。

お店も気になったのですが、それは帰りに取っておくことにして、コスモス畑へと足を進めました。
「いやーさすがです!」どこまで行ってもコスモスの波が揺られています。
まさに「ザワワ~「ザワワ~」という感じです。

 

自分で近所で撮影する時は気にいった花を撮影したり、バックに何かをいれたりと構図を気にするほうなのですが、
こうたくさんあると構図を決めるのもなかなか大変です。
それでも、構図を気にしながら撮影をしました。

  

後ろがうるさいので、できるだけ開放系のレンズを使って撮影しました。
でも、撮影していてもなかなかうまく決まりません。

撮影していると、カメラをもった家族連れがコスモスをバックに撮影しています。
それは、それは、幸せそうな家族の姿です。
望遠に持ち替えて遠くからその様子を撮影させてもらいました。

 

 

 

カメラを持ってうろうろしていると、いつものことなんですが、「シャッターを押してください」という声をかけられます。
だいたいが、コンデジなので苦手なのですが、いやな顔はせずに撮影に応じます。
その際、「私も1枚撮っていいですか?」と尋ねて「ブログに載せてもいいですか?」と尋ねるようにしています。
今回はコスモス畑ということもあって、「OK」が多かったように思います。

 

子ども3人組に会いました。
この子たちは、コスモスよりもバッタの方が興味があるらしく、草むらを散策していました。

 

花をバックに家族の写真を撮らなくなってもうどのくらいたつのだろう?
そんな思いをたくさんしたコスモス畑です。
みんな思い思いに家族写真を撮影しています。
それにしても、どこに行っても「シャッター押してもらえますか?」の声はよくかけられます。
いいやすい顔をしているのですかね。

 

 

それにしてもあらためて見てもみんな幸せそうな顔をしていますね。







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高杉晋作の墓に行ってきました。

2010-10-11 21:34:53 | 写真日記

前回、「龍馬伝」についていろいろ書いておきながら、毎週のように「龍馬伝」を見ています。
前回書いたように史実と異なる場面では、いろいろツッコミを入れながら見ています。
10月10日放送は「さらば高杉晋作」でした。
龍馬が長崎でいろいろ詮議をかけられているため、お龍を三吉に預けるため下関に向かいます。
そこで、死の床にあった高杉晋作に会い、日本の未来を語り合い、
身分の違いなど関係ない新しい国の形を語り合い、高杉の夢を引く注ぐ決意をするというストーリーです。

歴史上に出てくる人物を描くことがこのドラマの主題なので、
有名人はすべて龍馬に引き合わさなければならないし、歴史的の一コマは全部龍馬を中心に廻っていることになります。

まるで映画「フォレスト・ガンプ」の主人公のようです。

そういうつっこみを入れながらも、高杉晋作役を演じる伊勢谷友介がなかなかなのです。
いい男なのできっと高杉晋作も歴女の中で人気が出るのではないかと思います。
顔や雰囲気はそっくりな感じはするのですが、高杉晋作はあまり背が高くなかったので、そこがちょっと美化しすぎかもしれません。

それでも、高杉の死の場面を見ていると、久しぶりに高杉晋作の墓参りもいいかもしれないと思いました。
思い立ったが吉日ということで翌日、下関の高杉晋作の墓がある東行庵に向かいました。

ここは菖蒲の花と紅葉で有名な場所です。
花は咲いていないので、人はそんなにはいないだろうと思っていたら、とんでもありませんでした。

11時過ぎに着いた時は、駐車場が予備の上の駐車場までぎっしり満車です。
連休は差し引いてもテレビの影響は大きいですね。

ドラマでは高杉晋作役を伊勢谷友介がしているだけに、よけい人気が高まってきたかもしれません。
ずいぶん来ないうちにかなり整備されたみたいで、ちょっとした公園になっていました。

東行庵の入り口には食堂と茶店が並んでいて、“晋作餅”を競って販売していました。

 

ここまでは普通だと思いましたが、“晋作うどん”はどうなんでしょ?



店の前には、何と同僚でしかも同い年のM先生がいました。
この人も同じ発想で出かけてきたのかもしれません。

取りあえず、高杉晋作の墓にお参りをしました。
見上げると青空、日本は平和です。

 

高杉の像があるところまで移動して、写真を撮りました。
いつも着流しのスタイルで、まさに龍馬伝の伊勢谷友介です。
ドラマでは小倉口の戦争の時も着流しに三味線を持っていました。
(そんなわけはないやろ!)(責任者を出さんかい!)

 

東行庵はもともと山縣有朋が建てて、おうのさんに提供したものだと言われています。
おうのさんは亡くなるまでこの地で晋作を弔ったとされます。



東行庵のすぐそばに東行記念館があります。
当然、晋作の遺品があるものと信じて、みなさん入られますが、
晋作の遺品を巡って、東行庵と、萩市、高杉家の間で訴訟が起きていてそれが解決されるまで展示は見合わされているのか
全くと言っていいほど、晋作の遺品はありません。

2階部分の下関の管理部分は、山縣有朋関係のものばかりです。
これでは詐欺です。
入館前に断っておくべきだと思います。

 

 

東行庵近くに奇兵隊駐屯地跡があるということでそこにも行ってみましたが、石碑と像以外は何もなく
近所の人がバーベキューをしていました。

 

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「龍馬にしがみつくのは成熟拒否の表れ」

2010-10-05 22:15:40 | 日記
10月5日の朝日新聞13面オピニオンの欄に精神科医・評論家の野田正彰さんの記事が載っていました。

大変興味ある表題なので、出勤時間が迫っているにも関わらず真剣に読んでしまいました。

なぜ、坂本龍馬がこんなに人気があるかの問いに対して

「龍馬とは青春像そのもの…20代で暗殺されてしまって中年以降がない。
もし龍馬が明治維新以降も生きていたら、
時代を切り開く若々しいイメージを投影することは難しかった」と分析します。

これは、長州の高杉晋作ににも当てはまることだと思いました。

明治維新以降活躍して、さらに初代総理大臣になり、
朝鮮併合の“立役者”その挙げ句暗殺された我が町の“英雄”伊藤博文に至っては、
評価は大きく分かれることからも良い指摘だと思います。

「ダイエーの創業者の故中内功さんを初めとして、起業家には龍馬にあこがれる人が多い」

「自由、先見、大胆。それを私は青春ということばに込めています。
ありたかもしれない、願望としての青春です。
しがらみを離れて理想像を描き、実行するだけの力がある時期ですね。
自由な発想で生きていくことができる。
中年以上の成長した経済人がそういう青春像を結ぶのに、龍馬は適当なのだと思います。」

「日本の企業経営者が好きな座右の銘とも言える詩があります。
アメリカのサムエル・ウルマンの『青春』です。
『青春とは人生の一時期ではない、青春とは心のあり方である、志の高さであり、
思いの質であり、生き生きとした感情であり、人は年を重ねるだけでは老いはしない。
ただ理想を失うことによって老いるのである』

「いつまでも龍馬のように若々しくいたい。それはいいことなのでは?」の問いに対して

「成熟拒否です。…」とすっぱり切ってしまいます。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」について感想が述べられています。

「龍馬の業績に大筋は乗っているように見せて、内容はフィクションだらけ。
いくらなんでも、こんなことをやってはいけません」とばっさり切って捨てます。

ここでは“我が意を得たり”という気がしました。
あまりに史実を無視した展開にいささかいらだちを感じていただけにお見事!
という気がしました。

ドラマの中でグラバーと親しくし、武器を大量に買いつけながら
「列強は日本を植民地化しようとしている。だから幕府を倒さないといけない」
と言っている。
このことは明らかに矛盾していると述べています。

龍馬が植民地化への危機感を持っていたかというと、そんな事実はどこにもありません。
それなのにこのような嘘のメッセージを込めてドラマを作り続け、
放送しているのは、国民に対してある種の政治メッセージを発したいからだと、
述べています。

龍馬は歴史の中で何度か再登場してきてます。
代表的なのが、日露戦争の時に皇后の夢枕に立って
「ロシアと海戦になれば魂は海軍の将卒に宿って日本を守る」と言ったと
新聞で広がったことがあります。

「坂本龍馬というイメージが過去にどう利用されてきたかをちゃんと知ってほしい。
小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、
危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、
フィクションもないまぜに語られたりする。今もそうではないですか」と語りかけています。

もう一つ、戦前の日本の教育は、国家が偉人を盛んに宣伝した。
偉人をモデルにしてアイデンティファイ(自己同一化)して生きる。
それが素晴らしい生き方だとされた。でもこれでは人格が分裂する。
理想化した人物と世俗的な自分の生き方が一人の人物の中でファンタジーのまま共存する。
人格の自然な統合ができない」と述べています。

今の学校における歴史教育もまさにこのやり方のままだと思います。

見事に龍馬万歳の風潮に対して警告を投げかけています。

文化によって、国民の気分感情を利用しようとすることは、
よく見られることでもあります。

私たちも一方的に情報に踊らされることなく、
冷静に自分の頭で考えていかなければいけないということを考えさせられる記事でした。
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映画「キャタピラ-」

2010-10-03 23:31:47 | 映画
映画「キャタピラー」を観てきました。

この映画は2010年のベルリン国際映画祭でシゲ子役の寺島しのぶが
銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞した作品です。

周南市の古びた映画館で観たのですが、賞を取ると現金なもので、
いつもは閑散としている映画館もぼちぼちの入りでした。
観客は若い人より、中高年の方が多かったかなと思いました。

キャタピターって、日本語で芋虫って意味だそうです。
江戸川乱歩の「芋虫」からのインスピレーションらしいです。
どうでもいい話だけど、若松監督に言わせると、
本当は「芋虫」というタイトルにしたかったらしいけど、
商標権や何やで予算がかさむらしく英語のタイトルにしたそうです。

私が高校生だった頃「ジョニーは戦場に行った」という映画が
こんなテーマだったように思います。

この映画ずばり反戦映画というジャンルに入るらしいけど、
映画を見終わった感想から言えばずばりドキュメントという印象を持ちました。
戦前の映像も随所に出てきて、
それに映画のフィクションがかぶってくるという流れになっていました。

銃後の臣民の生活というものを中心に描いてあるので、
まさに生活が淡々と描かれていきます。

農村の自然の風景が次々に描かれています。
そこだけ見ると実にのどかな田園風景なのですが、
そこへキャタピラーがインサートしてきます。

「平和に見えるけど、平和じゃないんだ!戦争が起きているんだ!」そういったメッセージが入り込んできます。

四肢の先を失い、顔の片側はケロイド状になり、
耳が聞こえず、喉も切られ声も奪われた状態の夫:久蔵の姿を見た時のシゲ子の動揺…。

久蔵は勲章を3つももらい軍神として取り上げられます。

それからの久蔵は毎日判で押したように食べて・寝て・妻の体を求める…。

久蔵の世話をすることが“お国のため”と国防婦人会の村人たちからたしなめられます。

妻は献身的に夫の世話をします。

妻が夫に対して時折反抗的な態度としてできることは、
いやがる夫を軍神様としてのリヤカーに乗せて連れ出すことぐらいです。

村民たちは軍神様と手を合わせて拝むが、夫の表情は硬い。

軍神になったいきさつや、作られた寓話についても次第に明かされていくことになります。

黙って従うしかなかった銃後の国民たちの生き方と、
その中でもしたたかに、
自己と向き合うシゲ子の生き方が感じられる作品になっています。

確かにテーマとしては重いけど、
エンターテイメントとラブストーリーのみに走る日本映画の中で

「日本映画はどっこい生きている」という感じのする映画でした。
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再び仙台3

2010-10-02 00:02:17 | 写真日記
2日目は午後1時から会議だったので、それまでの旅を楽しむことにしました。
「乗り降り自由で、時間も自由!」が売り物の“るーぷる仙台”という観光バスに乗ることにしました。
一日乗車券が600円というものです。
仙台市内の観光地はほとんど廻る観光バスです。
今回は時間があまりないので水力発電所、大崎八幡宮、宮城県立美術館の3カ所を巡ることにしました。

 

外面も古風なのですが中もなかなかこった造りになっていました。

 

 

仙台駅前を9時に出発して一方向にのみ進んで行きます。
観光をするためには、順番を決めて一つずつクリアーしていくのがかしこい利用法です。
仙台駅を出るときには立つ人が出るほど込んでいたバスもすぐに乗客が少なくなっていきます。
めざす水力発電所は10番のバス停なので、乗っている人は2人になりました。
私が降りた場所でも最後の人は降りなかったので、もしかしたら取りあえず1周を楽しむ人なのかも知れません。

最初に目指すのは、三居沢(さんきょざわ)電気百年館です。
ここは、日本で最初に水力発電が行われた所とされています。
明治時代の水力発電所がそのまま動いていると書いてありました。

私は、パンフレットにあった煉瓦造りの古い隧道に興味があってぜひこの写真を撮りたいと思いこの地を目指しました。

バス停を降りても、電気館が開くのが10時ということで少し時間がありました。
近くをぶらついて何とか時間をつぶしました。

10時になり、記念館に入りました。入場無料です。
近未来的な建物と、古い建物が同居している不思議な造りです。

 

 

三居沢((さんきょざわ)発電所は、日本初の水力発電所です。
1888(明治21)年、宮城紡績会社の工場内の水力を利用して、出力5kWの直流発電機で、工場内の電灯をともしたとされます。
その後、1894(明治27)年に、三居沢の水力発電を利用して、
仙台電灯株式会社が電灯事業を開始、
1900(明治33)年には出力600kWno発電機が設置されました。

 現在の三居沢発電所は、1910(明治43)年に運転を開始しました。
発電機は、横軸回転界磁型三相交流同期発電機で、
回転数429rpm、最大発電出力は1000kW。
水車は、横軸二輪単流前口フランシス水車だそうです。

ガラス越しに稼働中の三居沢発電所の水車と発電機を見る事ができます。
古い建物の中は空洞になっていて、その中に巨大なタービンがあり、発電をしていました。
ただ、窓は光が反射して撮影は難しかったので撮れませんでした。

百年館の中には1階は古い電気製品が展示してあります。

 

 

2Fは、森と水を守ることをテーマにした展示スペースと遊び場となっています。
「水と森のたから箱」と称して子どもたちが遊べる木の空間になっていました。

 

 

左下にあるのは虫かごです。

2階のベランダから目指す煉瓦の隧道を見ることができます。
この隧道はかつての発電用の水を通していたそうです。


 

ここで何枚も撮影しました。
歴史ある建物で、何かを物語っているような気がします。
昔活気があって現在は使われていない建物というのはどこか悲しげです。
そういうところにひかれるのかもしれません。



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