とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

月曜日の音楽…

2011-01-31 22:37:10 | 障害児教育

特別支援学校に勤めながら、週のほとんどを地域の学校や幼稚園・保育園の支援に歩いていると自分の学校の居場所がなくなるような気がします。

月曜日は、唯一授業でチーフをさせてもらう音楽の授業があります。

しかし、土曜日・日曜日を過ぎて最初の日です。

ちょっと憂うつになることもあります。

それでも気持ちを振り絞って授業に臨みます。

授業に参加してくれる子どもは小1の女の子が3人、そのうち二人は車いす移動で手も自由には動かせません。

他に小3の女の子が1名、小5の女の子が1名この2人は歩けるけど、病弱で心臓疾患を持っています。

5年生と6年生の男の子が1名ずつ、この二人は会話はできるけど、体は自由に動かせない子どもたちです。

合計7人の子どもと一緒に音楽をしています。

授業の流れは歌唱、手や体を使ったリズム遊び、器楽(打楽器が中心)を曲を変えながら組み合わせています。

楽器はほとんどをギターとバンジョーでやっています。

ピアノ伴奏を手伝ってもらうこともあります。

1月31の授業は

①オープニング『青い空に絵をかこう』

②『北風小僧の寒太郎』(マイクを使って1番ずつ声を出したり、歌を歌ったりしました)

③『たんぽぽ』(子どもたちはマイクを使って、先生たちは2部合唱で歌います)

④『風に向かって』(オリジナルソングです。車いすを後ろから押してもらって教室を動きます)

⑤『大型洗濯機』(オリジナルソングです。子どもたちをくすぐる遊びで、大人気の遊びです)

⑥『おしくらまんじゅう』(オリジナルです。車いすから降ろして、マットに支え座りをしてみんなで背中を押し合います)

⑦『タンブリン』(オリジナルです。四拍子のリズムをタンブリンで叩きながら、みんなで合わせます)

⑧エンディング『世界中のこどもたちが』

だいたいこういう流れで行っています。

子どもたちの喜ぶ笑顔だけが救いの授業です。

それでも、悩みながら授業をしている今日この頃です。

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『ニライカナイからの手紙』を観ました

2011-01-30 22:44:37 | 映画

テレビで『ニライカナイからの手紙』を観ました。

2005年.監督:熊澤尚人
出演蒼井優、南果歩、平良進、、金井勇太

沖縄を舞台にした映画は、いつも空気感が違うように思います。『ニライカナイからの手紙』は八重山諸島の竹富島を舞台にした映画です。
竹富島には古くからニライカナイの伝説と「うつぐみ」の精神が根付いているそうです。
「かしくさや うつぐみどぅ まさる」(協同一致の精神は、個人の知恵に勝る)という考え方は竹富島の古くからの基本的な考え方だそうです。
生活の基本とも言って良いと書かれている本もあるくらいです。
朝必ず、自分の家の周りの道路をみんなで掃き清めるシーンがたびたび出てきますが、これもこういう生活習慣の中の一つなのでしょう。
そういう人々の暮らしの中で、描かれていく映画です。
心を動かされないわけはありません。
きれいな海岸で、母と幼い少女が砂遊びをしているシーンからスタートします。
船着き場の古いポストの前で母は娘に「ニライカナイの伝説」を語る。
そのことが、物語の伏線になっていきます。
女の子の名前は安里風希(成長してからは蒼井優)で、母(南果歩)は幼い風希を竹富島に一人残し、東京へ帰っていきます。
その後、風希は島で唯一の郵便局長である祖父と暮らしていきます。
棚の上には父親らしき人の写真が飾ってあり、カメラが置いてあります。
風希の父はカメラマンだったのかもしれないという設定で、観客にはわかりなさいと暗示しているような気がしました。
母親はその後誕生日の日に「大好きな風希へ」と手紙が届きます。
でも、母親が島に会いにくることはありません。
風希は,竹富島の村の人々に包まれ,成長していきます。
高校を卒業するころになると、進路を巡って悩みます。
ここまで育ててくれた祖父は、20歳まで島にいるように言います。
父の形見であるカメラを使って撮影に興味をもって、土産物屋でも作品を販売している風希は、反発します。
東京に行って、カメラの勉強をしたいことと、母親に会ってみたいという思いから、祖父の元から旅立ちます。
東京に出てからは、当然のようにきびしい毎日が続きます。
母の手紙の消印局を訪ねても,母の住所を知ることはできません。
しかし母の手紙にあった「20歳の誕生日に会って全ての事情を話す」という言葉を頼りに,風希は自分の写真を撮り始めます…。

映像的はとても美しい映画です。
沖縄竹富島の風を感じることの出来る映画です。

14歳から20歳を演じた蒼井優はとても魅力的です。
途中から、「ニライカナイの伝説」が頭から離れなくて、結果が見えてきますが、蒼井の演じる風希の気持ちが、結論を急ぐのを止めてしまいます。
「蒼井優と一緒にその時のことを感じたい」と感情移入させてしまいます。

竹富島の人々の描き方も良心的です。
エンディングを前にして、哀しみにうちひしがれた風希の下へ、島の人々が次々に現れます。
ささやかな贈り物を手に彼女を訪れ、声をかけその身体にそっと触れ、挨拶をして帰っていきます。
何時までも続くその人々の列です。
そんなやつはおらんやろー!と思いながら、これが「うつぐみ」の精神なのかと思わせます。
ただ、少しだけ気になったのは、郵便局の幟やゆうぱっくの箱です。
何度も何度も出てきます。
この映画が出来た頃はちょうど郵政民営化でごたごたしていた時期だと思います。
「郵政民営化になると、離島の郵便局はなくなりますよ」と言わんばかりの感じです。
直接映画の流れとは関係のない、人のいい郵便局長の存在や、おじいおばあの家を一軒一軒訪問している映像、

「役場から手紙が来たからお金がもらえると思ってきた」というおばあを郵便局に招き入れて、

違うことを説明する場面など、ちょっとやりすぎじゃないの?と思わせる場面があります。
撮影協力なのか、資金的援助があったのかわかりませんが、そこは見ないようにした方が良いと思います。

郵便局のくだりは差し引いてみても、蒼井優の演技はいいです。
映画を観ると竹富島に行きたくなりました。

 

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映画のHPを独立させました。

2011-01-29 22:43:49 | 日記

ブログの映画の感想がずいぶんたまってきたので、独立させることにしました。

ブログのままでも全部読むことはできますが、何が入っているのか書いた本人がわからなくなっています。

そこで、以前閉鎖していたHPを立ち上げることにしました。

http://movie.geocities.jp/biginimam/です。

現在ブログの記事を移行している途中ですが、80タイトルくらい移行させました。

興味のある方はぜひどうぞお立ち寄りください。

今日は、昼間山口に行っていました。

ちょっとした教育関係の集会に参加しました。

昼食を取るために偶然座った場所に、私のブログを見てくれている3人と出くわしました。

こういうのをオフ会というんですかね?

 

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TVで『変身』を観ました。

2011-01-28 23:28:52 | 映画

WowWowで映画『変身』を観ました。今頃?と聞かれてしまいますが、2005年公開のこの映画は劇場はもとより、DVDでも観たことがなかったのです。
 タイミングを外すと「どうも今さら…」という感もあります。
 作者の東野圭吾という人も、その頃はあまり得意なほうではないこともあり原作も読んでいませんでした。
 『変身』というタイトルはカフカのイメージが強すぎて、その印象を大事にしたいという独特なこだわりがあったのです。
  それが、なぜか観てみようかという気になり、留守録をした後に観ることにしました。

 監督: 佐野智樹  原作: 東野圭吾   『変身』(講談社文庫)
 出演: 主役に玉木宏(成瀬純一)その恋人役に 蒼井優(葉村恵)他にも佐田真由美   山下徹大 松田悟志 釈由美子 北村和夫が出演しています。

 しっかりした原作がある作品は、映画化するのはなかなか難しいものです。
 特に登場人物の心理描写を伴うものはなかなか難しいものです。
 でも、同じものであっても、映画と小説は違うものとして理解しないとむずかしいのではないかと思っています。
 そういう意味で映画を観ていると、なかなか面白いものがありました。
 玉木宏はちゃんと、狂気の世界を演じきっていたし、蒼井優は、純朴な少女を可憐に演じきっていて、好感がもてました。
 2005年の作品なので、少し筋書きを追ってもいいかと思い、流れの中で感想を言います。
 ある病院の特別室らしい場所で、頭に包帯をしている青年が眠っています。
周囲には3人の医師がいます。
難しい症状であることは間違いない状況でオープニングを迎えます。
 長い昏睡から目覚めた青年に医師が尋ねます。
「自分の名前がわかるかね?」と聞かれた彼の耳に、「ジュン!」と優しく呼びかける女性の声がこだまします。
森の中の湖にたたずむ青年の姿……。

 成瀬純一(玉木宏)は、工場で働くかたわら絵を描くことに熱中していた。
 工場では、実直に働く彼は周囲の評価も高いものです。
 毎週金曜日に通っていた画材店で、その店で働く恵(蒼井優)と知り合います。
 笑顔がとびきり素敵な女の子に、ある日、勇気を出して、湖のある森に誘います。
 それまで風景画しか描かなかった純一は、その日から恵の肖像画を描きはじめ、2人は急速に親しくなっていきます。

 次第に回復へ向かっていた純一は、ある夜突然(それも後でわかってくることですが)人のいなくなった解析室の中に入り、

低温保存庫の中に人間の脳と思われる標本を2つ発見します。
 そのひとつには「JN」と記されていました。
 彼は、それまで詳しい説明を言いしぶってきた担当医師の堂元(北村和夫)に手術の詳細を問いただします。
 彼が施されたのは、世界初の脳移植手術であり、損傷を受けた部分に他人の脳片を移植したのだと聞かされます。

 退院してからの彼は、今までの彼ではなくなっていました。
 以前とは食べ物の好みが一変し、描く絵のスタイルも変化します。
 そればかりか、勤め先の工場でも、以前は人と争うことなど皆無だったのに、同僚たち の仕事ぶりを痛烈に批判し、

アパートの隣に住む若者の甘ったれぶりに殺意さえ抱いて しまいます。
 ちょっと『アルジャーノンに花束を』の小説を思い出すような話です。
 愛する恵の天真爛漫な言動にさえ、いらつきを抑えきれなくなってきます。

 脳移植によって、ドナーのもっていた人格が現れてくることと、もとの自分を取り戻したいと言う葛藤の中で次々に悲劇が起こります。
 このあたりが東野圭吾の小説の好きではないところかもしれません。

 脳移植によって徐々に他人の人格に支配されていく一人の青年と、そんな青年を以前と変わらぬ愛で献身的に支える恋人、

2人の切なくも純粋な愛の行方を情感溢れるタッチで描く珠玉の映画と言えなくもないのですが、映画全体を包む何とも不安感は、それさえも払拭してしまいます。

 脳移植という架空の話で、臓器移植に対していろんな投げかけをしている小説なのかもしれないと思いながら、居心地の悪さを感じる映画でした。

 ミステリーとロマンスの合わせ技の映画だったんだと思いますが、そこがまた一段と居心地を悪くしているような気がしました。
 

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蝋梅(光市冠梅園)

2011-01-23 21:39:06 | 写真日記

気分転換にでもと思い、カメラを片手に光市の冠梅園に蝋梅(ろうばい)を撮影に行きました。

年明けにも一度撮影に行っているのですが、ローカルニュースで何度も放送されているのを見ていて、

「もう一度行ってみるか」という気になりました。

家からすぐの距離なので、気楽に出かけられる場所です。

紅梅や白梅はまだ蕾でしたが、蝋梅は満開の状況でした。

蝋梅という植物は名前に梅がついているため誤解されやすいですが、ロウバイという別の植物です。

中国からの帰化植物だそうです。

中国名も蝋梅というそうです。

花の香りはとても強くて、甘い香りがします。

 

 

 

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須磨の町並み

2011-01-22 21:46:46 | 写真日記

先週の木曜日、仕事で周南市の須金に出かけました。

先週の土日に雪が降ったのでちょっと心配していましたが、天気も回復してきたし、

市内は雪がないのと午後からの仕事と言うことで安心していました。

午後2時には到着しておかないといけません。

1時間くらいかかるので、それを見越して出発しました。

最初の集落が須々万という所です。

須々万に入ってびっくりしました。

雪ががちがちに凍り付いているのです。

国道沿いはほとんど溶けていましたが、一本外れると大変な凍結道路なのです。

須金はここからさらに北に上がっていかなければなりません。

大丈夫かなと思っていると、道路にも時々氷の塊があります。

教育相談の検査だけのために、「どうしてわざわざ行かなくてはいけないの?」とぶつぶつ文句を言いながら向かいました。

目的地に何とか着いた時には30分くらい余裕がありました。

ここは、今年度2度ほど来ているところです。

その時昭和の臭いのする町並みを気に入っていたので、今回はカメラをもってきています。

車を停めて少しだけ撮影をしました。

この町は、昔は人口もとても多くて造り酒屋や旅館が軒を並べていたそうです。

とってもいい町だと思います。

現在は人口は数百人だと言われています。

中学校は廃校になり、小学校も廃校寸前です。

 

 

 

  

 

 

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心の風邪

2011-01-21 16:28:40 | 日記

年明け早々の仙台でひどい風邪をひいてしまい、やっと体はもとにもどってきたかな?と思ってきました。

でも、気力というか、覇気というかそういうものが全くありません。

仕事も何とかこなしていますが、やりがいのようなものがありません。

心が風邪をひいているような感じです。

今の自分の仕事が、成果が見えにくいためなのかとも思います。

とにかく、やる気が出てきません。

こんな時もあるんでしょうね。

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“天国と地獄”ツアーin宮城 4

2011-01-20 11:04:00 | 日記

次の日は、集会の本番といってもいい大事な一日です。

朝起きてすぐに熱を測るとやっぱり38度8分くらいあります。

でも、どうしてもいかなければならなないということで、何とか起きて朝食会場に向かいました。

朝食は和食で昨日と同じおかずが並んでいます。

一目で食べられそうにないことがわかります。でも、何とかご飯だけでも食べておこうということで無理をして食べました。

ホテルで、もう1包パブロンをもらって飲んで会場に行きました。

顔がすでに変だったのでしょう。みんなから「体調が悪い?」と何度か聞かれました。

熱があることを報告しながら、会場に向かいました。

午前中は、「歌遊び、ゲーム」の講座を担当することになっています。ギターを弾いて歌を歌っての講座です。

ちょっとトーンが下がりながら、会場で待っていました。

なかなかお客さんが来ないので、もしかしたら「やらなくてもいいかも…」と一瞬期待のようなものが浮かびましたが、定刻ぎりぎりにお客さんが入ってきました。

「よし、やるか!」と決心して何とか2時間の予定をこなしました。

でも、テンションはめちゃくちゃ低くて終わってから思えば、「あれをやっていない…これをやっていない…」ということで参加者にはとても申し訳なかった気がしました。

昼休みに薬屋さんに走って、症状に合う薬を相談して買い求めました。

弁当をもって、本部に行ったところで、実行委員のみんなから口を揃えて、「午後は来なくていいからホテルで寝てなさい」と言われました。

よっぽどひどい顔をしていたのだと思います。

午後の分科会の担当責任者になっていたのですが、「もう話が済んでいるので出なくてもいい」とS先生から言われました。

現地の実行委員に相談し、休日診療所に行くことにしました。

電話をかけて、問い合わせると「午後は1時半から…」と言われ、少し早いと思いましたが、タクシーで向かうことにしました。

タクシーに乗って、向かいましたが、行けども行けども病院には着きません。

すでにメーターは2000円をはるかに超えています。

やっと3000円手前で停まりました。

受付に行くと、「まだ午前中の患者さんが終わっていないので、いつになるかわかりません」待合室は満杯です。

次々に問い合わせの電話はなるし、薬の説明ではタミフルの説明ばかりです。

インフルエンザの患者があふれているのです。

3時間近く待ってやっと名前が呼ばれました。

「インフルエンザの検査はされますか?」と聞かれたので、症状から違うと思ったので、「しなくていいです」と答えると、「無理にお勧めするわけではありませんけどね」と、事務的な対応。

体調が悪いとこういう言い方もカチンときます。

診察では、「熱が高いのでやっぱり検査しましょう」と鼻の奥に棒をつっこまれて検査されました。

ちょっと待って再診察です。「インフルエンザはマイナスです」「だから言ったじゃないですか」と言いたくなります。

薬を数種類もらって、帰りました。

帰りに受け付けでもホテルの所在地を言うと、「地下鉄の方が早いですよ」と言われました。

地下鉄では290円くらいで来た時よりずっと早くホテルに着くことができました。

薬を飲んでホテルで眠ることにしました。

その日は1時間おきに目はさめ、寝汗で何度も着替えながら、朝までずっと眠っていました。

次の日は最終日です。

朝食会場に行くと、今回の集会の責任者であるH先生が近寄ってきて

「良かったー!生きてた-!ホテルでそのまま死んでたら誰の責任になるかと思ってた…」と言われました。

よっぽどみんな心配していたんですね。それにしても、言い方がありそうなものです。

最終日の会場では一番後ろで眠りながら参加しました。

実行委員会が終わっても帰りの飛行機が取れなくて、もう一日仙台にいなくてはいけません。

ホテルの問い合わせると昼1時からチェックインできるということだったので、すぐにホテルに向かいました。

成人の日ということもあり、外では右翼の宣伝カーが大きな音で大演説をしています。

その中でも眠ることができたので良かったみたいです。

夕方目がさめると今度は、キリスト教関係の宣伝カーが大きな音で演説しています。

少し眠ったので、夕食を何とか取らなくてはということで、外に出ました。

ホテルのすぐ横に松屋があったので飛び込みました。

チゲ鍋がおすすめと書いてありました。刺激的なものの方が食欲が湧くかもしれないという幻想をもって、注文しました。

ところが、熱で舌がまひしているらしくて、味がまったくわかりません。

塩辛いことだけを感じてしまいます。

1/3も食べられずに店を出ました。かなりたちの悪い客です。

この日も薬でぐっすり眠ることができました。

次の日、朝一番で仙台空港に向かいました。

9時半の飛行機で、福岡に向かい、新幹線経由でやっと家にたどりついたのは3時前でした。

そのままベッドで夕方までぐっすり眠りました。

トータルではやっぱりマイナスの宮城ツアーだったように思います。

 

 

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“天国と地獄”ツアーin宮城 3

2011-01-13 09:24:47 | 日記

いよいよ、天国編を終了して地獄編にさしかかります。

夕方少しだけ食事を取ろうと思い、街に出ました。

牛タン以外で一人で入ってちょっとだけ食事をできる店というのはあまりありません。
適当に見つけた店でちょっとだけ酒を飲んで、ホテルに帰りました。

うとうとしたのかもしれませんが、目がさめてしまい、それからなかなか眠ることができませんでした。
これが、これかの悪夢の前兆だったのかもしれません。

眠れないということで、パソコンを取り出し、その日の松島漫遊紀を書くことにしました。
その後も目がさえてなかなか眠ることができませんでした。
こういう時は必ず、頭の中に“過去の失敗シリーズ”が次々に押し寄せてきて、絶望的になってしまいます。
この日の負の連鎖はとても長く感じてしまいました。
                                         
2日目は、雪が舞っていました。
この日から集会の本番です。
ゴロゴロと鞄を転がして、地下鉄に向かうのもおっくうだったのでタクシーで会場に向かいました。

昨日から遊んでいたので、少しまじめに手伝おうかと思い会場に向かいました。
参加者に配る封筒の中に入れる書類の準備をしているところでした。
プリントをある程度まとめるための丁合という作業をしてもらえないだろうかと頼まれたので、

階上にある事務局でページセッターという機械に向かい合いました。

 

紙をセットしたら勝手にどんどんやってくれる機械です。楽なものだとたかをくくっていたら、

これがなかなかやっかいで、印刷とばしの白紙が何枚か混じっていて、これが機械が検知してそのつど止まるのです。
相当な枚数だっただけにその作業の面倒くさいこと。

近所で昼食を簡単にとりました。
地元の人のお勧めでそばやのかつどんを食べました。
出汁のよく少し甘めで濃い味付けでした。
一度ならおいしいけど、2回目からはないなと思いました。

午後1時から紙取りの作業を開始しました。
人数が多かったので、1時間くらいで終了してしまいました。
4時から実行委員会をするということで、ホテルに荷物を持っていくことにしました。
ホテルは実行委員会が準備してくれた会場にもっとも近いホテルです。
これが、絵に描いたようなビジネスホテルです。
空調の音はうるさいし、直接風が当たってくるような部屋でした。

4時から1時間半くらい実行委員会をして、懇親会が始まりました。
この人たちは本当によく飲みます。
私は以前はこの人たちの中にあっても飲兵衛として有名だったのですが、この頃はほとんど飲めなくなっているので、ゆっくり飲んでいました。
本当にこの人たちはお酒が好きです。

体調を壊して以来、酒量がめっきり減っている私としては、つきあうのも大変です。
以前は先頭を切っていたのですが…。

懇親会も解散してホテルに帰ってきました。
煎餅布団1枚だけで、空調はあの調子ということで、途中で目をさましてしまいました。
ホテルの薄いパジャマではなく、フリースの部屋着を持っていて、それで眠ったのですが、どうも空調にやられたらしく、朝起きるとのどに違和感を感じていました。

次の日は本番です。会場準備が終われば主たる任務は受付です。
12時くらいから参加者が集まってくるので早めに弁当を食べてくださいといいうことです。
11時すぎくらいから弁当を食べ始める人たちを横目に
食欲がないことに気づきました。

のども変だし、風邪かな?ということで、
早めに薬を飲むのが一番ということで薬屋まで歩いて行き、
葛根湯のドリンクタイプを勧められた通りに買いました。
食後となっているので無理しておむすびを1個買って飲みました。
受付業務も何とか無事に終わり、記念講演を外のTVで見ながらどうも調子が変だということが気になっていました。

この基調講演が気に入りません。
「なんでこんな人を連れてきたの?」「誰が連れてきたの?」とぼうっとした頭で怒っていました。

でも何とかやり過ごしながら、6時から全体の懇親会に向かいました。
300人の立食パーティーです。

最初は山口県から来ている人たちと歓談しながら過ごし、
各ブロック順番の発表では、「あのつくものなあに?」のバカ踊りをしていたのですが、「もう立っていられない」という感じになっていました。

ホテルに帰ろうかと思っていたのですが、パーティーの最後に歌うことになっている「あなたが夜明けをつげる子どもたち」のギター伴奏を頼まれていたので帰るわけにもいきません。
何とか盛り上げてから2次会の誘いも断ってホテルに帰りました。

ホテルで体温計を借りて、部屋に帰りました。
体温計は昔からある振るタイプのものです。
液晶は高めに出るけど、この体温計の方が正確に出ると言われています。
時計を置いて部屋で計りました。

予想的中で39度5分を示しています。
最悪です…。
フロントに電話をかけて、「解熱剤はないか?」尋ねました。
「バファリンくらい置いとけよ」と思いながら、パブロンを2包もらいました。
パブロンを飲んで眠ると、全身汗だくになって目をさましました。
上から下まで全部着替えて、体温を計ると38度6分くらいまで下がっていました。
また、眠りについてもう一度起きた時に検温するとまた39度6分まであがっていました。
残りのパブロンを飲んでしまってまた眠りにつくと全身汗で目をさまします。
大汗をかいて体温を下げているだけなんでしょうね。

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“天国と地獄”ツアーin宮城 2

2011-01-12 14:01:44 | 写真日記

松島海岸に降りると、すぐに遊覧船の勧誘をしているおじさんにつかまりました。
この寒い時に遊覧船もどうかと思いながら、もう2度と来ることもないからせっかくだしと思い、結局乗ってみることにしました。

遊覧船の出発は1時間後の2時です。
それまで、松島の名所を散策しようとまずは、「まつしま~の~さ~よ~瑞巌寺」だろうと思い、向かいました。
本堂は2016年まで修理中ということで見ることができませんでした。
るるぶにもちゃんと書いてあったのですが、そこまで真剣に読んでいませんでした。
参道は、古木の杉並木でなかなか名刹という雰囲気をかもしだしていただけに残念です。

 

 

そこで、すぐ近くの円通院に向かいました。
伊達政宗の孫の光宗の菩提寺だそうです。
正面にある三慧殿は国の重要文化財に指定されている建物のようです。
このお寺は三慧殿の中にある厨子に支倉常長が持ち帰った西洋文化の文化と文様があるということで、徳川時代には開けることがなかったそうです。
外からはよく見ることができませんでした。

 

 

 

このお寺は庭園が有名なようで、江戸時代を代表する庭師の小堀遠州の作とされています。冬なので花は咲いていませんが、苔むした庭は何ともいい感じでした。

  

 

また、洞窟もなかなか迫力があるものでした。700年前のものだそうです。

円通院の近くで、着物姿のカップルを見つけました。渋い柄の着物で興味をもちました。

 


円通院で時間をかけすぎてしまい、昼食の時間がほとんどなくなってきました。
食事なしで2時から40分のクルージングも疲れるので何かないかと物色していると、牛タンのつくね焼きと牛タンまんじゅうというのを見つけました。
店のストーブの近くで缶ビールと一緒に食べさせてもらいました。
牛タンのつくね焼きは思いの外おいしかったです。

 

船の時間までまだ微妙にあったので、橋を渡って五大堂に行きました。
古くは坂上田村麻呂(日本史でしか知らない)の創建とされ、伊達政宗が再建したとされ、東北最古の桃山建築だと言われています。
海風に当てられてぼろぼろになっていることが残念です。

 

 

さて、松島クルージングですが、雪が舞い始めて視界はきわめて悪い条件での出航になってしまいました。
船は2階建てになっていて、景色のいい2階はグリーン席としてさらに料金上乗せというシステムになっていました。
撮影が目的なだけなので、もちろん2階に乗り込みました。
ここでも、売店で缶ビールとつまみを買ってカメラを構えてバチバチと撮影しました。

 

 

上の右端の画像は仁王島という名前だそうです。

でも私の目にはアヒルにしか見えませんでした。

船の後ろでは、かっぱえびせんを使ったカモメの餌付けをしているということで、船の周りにはカモメが群がっていました。
人間をほとんど恐れない習性には、ヒッチコックの『鳥』の映画を思い出してしまいました。
なかなかいい画像が撮れたように思います。
でもここまで近くにくるなら、もっといいカメラとちゃんとしたレンズを持ってきていたらいい画像が撮れたので少し残念でした。

 

 

 

島自体は面白いのだろうけど、天気が悪いのでそこまで感動しませんでした。
島は大小合わせて260あまりあるそうです。
私は瀬戸内ののんびりした島の風景の方が好きでした。
島には全部名前がつけられていましたが、どれがその島かよくわからなくなってしまいました。
まあ、どれがどれでもいいですけどね。(宮城の人に怒られそう…)

 

 

 

上の右端は小学校だそうです。ここに通う子どもたちは、各島から渡し船を使って登下校するそうです。

明日からの仕事を考えるとここらへんで切り上げなくては…という思いでホテルに帰りました。

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