とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

「お返しはないの?」

2008-07-17 23:18:59 | 障害児教育
ある幼稚園に出かけました。
園長から気になる子どもについて説明を受けてから、それぞれの教室をまわっていきました。4歳児クラスにアスペルガー症候群だと思われる女の子が絵を一所懸命描いていました。その絵はとても4歳とは思えないような絵でした。人間が3人ほど描かれていましたが、その絵には動きがあって、関節もちゃんと描かれていました。
担任の先生から聞くと、紙芝居のようなストーリー性のある絵を描くそうで、何枚かの組み写真ならぬ組絵になっていることが多いそうです。
色紙ほどの小さな紙に1枚書き終わって次の紙に手が伸びたところで、「上手な絵だね。1枚くれるかな?」と聞くと意外にも「いいよ!」と答えてくれたのでもらうことにした。

その後、掃除などいろんな活動を共にした後で、「さっきは絵をもらってありがとう」と言うとにっこりして、「お返しはないの?」と聞いてきました。どきっとしました。4歳の子の会話ではありません。

「どうしよう?」と思いましたが、手に持ったメモ帳に絵を描くことにしました。「ドラえもんでもいいかな?」と聞くと、「ドラえもんでもいいけど、みんなでお弁当食べている絵がいいな」と答えてきました。「これは難しいぞ…」と思いましたが、何とかなると思い、おむすびを3つ描いてその横で大きな口をあけた子どもをかきました。相当いい加減な絵だったのですが、

「裸ん坊だったら風邪をひいちゃうから服を着せてください」と言われました。また適当に服を描いたら、「男の子だったらずぼんをはいてるよ」と注意を受けました。あわてて男の子を描きました。すると、「女の子はやっぱりスカートがいいと思うの」と言うのでまた付け加えました。その都度、手足を激しく動かす喜びのダンスが見られます。

だんだん面白くなったので、おむすびを四角で囲んで、中に卵焼き、ハンバーグ、とんかつを描き入れました。メモ帳を破って手渡すと、「私これ大切にする」と言って自分の鞄の中に入れにいきました。

何とストレートな喜びの表現なのでしょう。4歳ということにも驚きましたが、アスペルガーの人たちというのは本当に正直に生きているんではないでしょうか。
正直すぎるが故に、人々とぶつかってしまうのではないでしょうか。

大変勉強になったできごとでした。
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映画「武器なき斗い」

2008-07-17 23:00:21 | 映画
 山本薩夫没後25周年特集として映画「武器なき斗い」が放送されました。
この映画は西口克美原作を山本薩夫監督が脚色したものです。山本宣治(山宣)を描きながらファシズムにひた走る日本の状況を描いています。
1960年総評を中心とした労働者のカンパによって独立制作。

オープニングで、山宣の墓を無心に彫っている民衆が出てきます。山宣の墓には「山宣独り孤塁を守る。だが決してさみしくはない。後ろには大勢の大衆がいる」と大山郁夫の字で彫られています。戦前の反動勢力は何度もその字を埋めていきました。その都度、民衆はこっそりその字を掘り返していたそうです。オープニングはそのエピソードから始まります。

山宣は、京都大学講師、同志社大学教授として生物学の学者として生きていました。ただし、それだけでなく新しい考えかたによる性教育の必要を痛感して、教室で講義をしたり労組の集りで産児制限の講演をおこなったりしていました。それに対して、大学当局や政府は彼の行動を妨害してきました。

関東大震災が日本の経済に大打撃をあたえた直後。政府は治安維持法を制定して大弾圧をかけてきます。その頃京都では京大事件が起きます。そのあおりを受けて、山宣も大学を追われます。

農民組合争議の惨状を目のあたりにして、彼はまず政治を改めていかなくてはならないことに気づきます。労農党の活動と深く関係をもっていきます。

彼は家庭ではよき父親であり、料亭花屋敷を経営している父母からも信頼を得ている人格者です。

 治安維持法と一緒に制定された男子だけの普通選挙に労農党より立候補した山宣はおおかたの予想をくつがえし、当選します。戦争の道にひた走る政府は3.15の大弾圧をかけてきます。無産政党の代議士仲間の中でも、ひるんでいく仲間が出てきます。山宣は、最高刑を死刑にしようとする治安維持法改正にただ一人、反対を決意しますが、その準備の最中に右翼の凶刃に倒れてしまいます。

 映画はその後も淡々と、戦争の進行について映し出していきます。
 最後に戦後の山宣を称える墓前祭を映し出します。
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映画「人間の壁」

2008-07-16 17:50:09 | 映画
 WOWOWで映画「人間の壁」を観ました。
1959年の作品です。原作は石川達三で、かつての教師たちのほとんどが読んでいるのではないかと思うような作品です。
監督は、社会派監督と呼ばれる山本薩夫です。それだけでももう観たくなります。
この時ばかりはWOWOWに加入していて良かったと思いました。

 キャストは 香川京子(志野田ふみ子(尾崎) 宇野重吉(沢田先生) 高橋昌也 (一条先生) 宇津井健(穴山先生) などです。
実に時代を感じさせる教師集団になっています。

 作品は、戦後の時代逆行を背景にした右傾化の波を歴史背景にしています。その時代に教職員組合に対する攻撃が一気にかかります。映画の中ではS県となっていますが、実際は佐賀県をモデルにしています。
当時、教師のほとんどが加盟していた日本教職員組合(日教組)に対する不当な攻撃と分裂工作が吹き荒れていました。
山口県でも、分裂攻撃がかけられて、第二組合がスタートしたことは知られた事実です。

 映画では5年生の担任になった女性教師の目を通して歴史を認識していく流れになっています。家庭訪問を通して、子どもたちのおかれた生活の状況を把握していきます。親の失業や、劣悪な家庭環境のために学校に行きたくても行けない子どもや、自分の居場所がないために学校で次々に問題行動を引き起こす子どもの姿に心を痛めます。

 しかし、経済的な理由を根拠に退職勧奨が始まります。矛先は共稼ぎをしている女性教師に向けられます。主人公のふみ子もこの対象になります。
ふみ子の夫は組合の執行委員をしています。家庭にもあまり帰らないところをみると、専従役員なのだと思います。
でも、組合役員を出世の道具としてしか考えていない人間のようで家庭でも暴君として描かれています。

 ふみ子は、退職勧奨をはね返す闘いの中で次第に組合の役割を意識してきます。
隣の教室には、人間的にも教育実践の上でも尊敬できる沢田先生がいます。しかし、この沢田先生は、教育実践家タイプで組合の活動には消極的です。
ある日この沢田先生のクラスで事件が起こります。
障害をもっている友だちをいじめている現場を目撃した沢田先生は思わず激高して子どもたちを突き飛ばしてしまいます。
教室で訓話してその場は済んだように思いましたが、突き飛ばされた子どもの親が“暴力事件”とでっちあげて問題にしていきます。
保守的な人たちはこれ幸いとばかり大きく取り上げていきます。
「原因は戦後の民主主義がいけない!」「赤い組合がリードしているのがいけない」など一大キャンペーンを張ります。

 組合の職場会でも個人の問題にすべきか、分会として闘うか議論しますが結論が出ません。結局沢田先生は「いつかわかってもらえる。教育の真実は子どもだけだ」と退職することになりますが、その沢田先生を訪ねたふみ子に対して「一人では闘えないことがわかった。今度別の職場に勤めた時は、みんなと一緒に闘う」と伝えます。

 ふみ子は一緒に退職勧奨されていた別の教師が、退職を飲んだ事に対して校長室に行って取り消してもらうと他の女性教員を連れて校長室に向かうところで映画は終わります。

 ストーリーを追うばかりでなく、子どもたちを取り巻く環境も織り込んでいくところに山本監督のリアリズムの世界があります。

 若手の熱血漢として描かれている宇津井健演じる穴山先生があるときはピアノであるときは高らかに歌い上げる「われら~われら~われらの○○組」の歌が何ともなつかしくて、教員になったばかりの頃を思い出していました。
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「風」はしだのりひことシューベルツ

2008-07-12 00:05:18 | この1曲
「風」シューベルツは1969年の発売になっています。
フォークルを解散した後に端田宣彦が新たに結成したグループの新曲です。
作詞が北山修、作曲が端田宣彦というコンビの曲です。

中1の時の曲です。ラジオの番組で何度もかかる曲でした。
ギターを中学時代から弾き始めていて、ギターのコードがGからBmに変わるのでなかなかうまく弾けなくて苦労した覚えがあります。

♪人は誰もただ一人旅に出て
 人は誰もふるさとを振り返る
 ちょっぴりさびしくて
 振り返っても
 そこにはただ風が
 吹いているだけ
 人は誰も 人生につまずいて
 人は誰も 夢破れ振り返る


♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で
 プラタナスの散る音に振り返る
 帰っておいでよと
 振り返っても
 そこにはただ風が
 吹いているだけ
 人は誰も 恋をした切なさに
 人は誰も 耐えきれず振り返る


 *)何かをもとめて
 振り返っても
 そこにはただ風が
 吹いているだけ


 振り返らずただ一人一歩ずつ
 振り返らず
 泣かないで歩くんだ


 *)繰り返し

 中学生にとっては何となく切なくなるような歌詞です。
 特に1番では何か惹かれていました。
 人は誰もただ一人旅に出て~
 この旅が単なる旅行ではなくて、自立への旅だと言うことは
 当時の中学生にも何となく想像できる世界でした。

 家に代表されるしがらみを捨てて、自分一人で生きていく時を想像しながら
 この歌を歌っていたように思います。
 振り返ってもそこにな何もなく、風が吹いているだけ~
 振り返らずに前だけを見て歩いて行こうという呼びかけは、
 中学生の私にとって刺激的な言葉でした。

 この歌のことは忘れたことはないけど、ずいぶん自分では歌ったことはありませ んでした。
 10年以上前のことです。高石ともやさんが柳井に来られた時に、ステージからい ろんななつかしい曲を歌ってくれました。
 その中に「風」がありました。
 会場にいた大勢の人たちと一緒に歌った「風」はまた違った響きがありました。

 今では歌うことはありませんが、大切な1曲であることはまちがいありません。
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映画「西の魔女が死んだ」を観ました。

2008-07-10 22:57:04 | 映画
映画「西の魔女が死んだ」を観てきました。
予告がかかっていた時からぜひ観たいと思っていた作品だけにとても楽しみにしていました。

この日は朝から重要な会議があり、午後からも別の場所で会議があるというハードスケジュールで映画館に入った時は眠くて仕方がありませんでした。
コーヒーを買って入ったのですが、予告編では、ちょっとだけ眠っていたようです。

映画が始まる直前に目を覚ましたものの、もしかしたら眠ってしまうかも…と不安になっていました。
でも映画が始まると、そんな不安はどこへやら最後まで夢中で観ていました。
まだ観ていない人がいたらいけないのでストーリーに触れないように感想を言うと、まず第一にキャスティングの成功があげられると思います。
魔女を誰が演じるかによっては大きく左右されるのではないでしょうか?
名前が知られているような女優がやっていたら、その人の癖につられてしまってストーリーが大きく食い違うことになってしまうような気がします。
キャスティングのミスの代表がアルゼンチンババアの鈴木京香ではなかったかと思います。役所広司と合わさって原作のもつ魅力が完全に消された代表作と言っても良いと思います。

その点、この“西魔女”は日本ではあまり知られていない女優サチ・パーカーを起用することによって、ミステリアスな西の魔女が魅力的に語られていったと思います。

思春期の女子のつきあいにうんざりして、登校しぶりを始めた中学生まいが少しずつ魔女との生活で、人間らしさを取り戻していく何ともメルヘンチックなタッチが心地よい。

でも、そのメルヘンの世界に一緒に行こうとする観客を、現実に引き戻すのが近くに住むゲンジです。木村祐一演じるこの中年男の住む家にはやたら吠える犬が何頭も飼われていて、近くのゴミ捨て場にはエロ本が何冊も無造作に捨ててあります。魔女の生活と、ゲンジの生活の対比がまいの心の中にあるいやな現実との対比でもあると思います。

傷ついて、心が風邪をひいている状態の人間にどう対処したらいいのか考えさせらル作品にもなっています。自己肯定感をつけていくことの大切さを感じさせる映画にもなっています。

思春期のグループにまとわりつく閉鎖性についていけない子どもたちが他にもたくさんいるんだろうなと思わせます。

人の心や空気が読めない発達障害を持っている子どもたちは、このグループの中には決して入られないだろうな…と思いながら孤立していく少年少女の悩みは深いものがあるんだろうなと思わせる映画でした。

もうすぐ社会人になろうとしている娘の中学時代をスクリーンの中に観たような気がして少し変な気持ちになりました。
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「海は恋してる」

2008-07-10 00:35:22 | この1曲
図書館に行って、本を物色しているうちに『フォーク名曲事典』という何とも涙が出そうなタイトルの本に出会いました。著者は富澤一誠というこれまたなつかしい名前です。
すぐに借りてきて家でちらちらと読んでいると、自分でも語りたくなってしまいました。そばに聞いてくれる人でもいるならいいのですが、おじさんの独り言につきあってくれる人などいないし、語り出すと長くなりそうなのでブログに書いてみようかと思いました。

誰が読んでくれるかわかりませんが、感想などありましたらコメントに残してもらえたらうれしいかも…。

そういうわけでこの本の初めから読んでいくと目に留まったのがこの曲です。
「海は恋してる」ザ・リガニーズ1968年7月発売



1968年というと小学校6年です。周囲にはテレビから流れる歌謡曲しかありませんでした。GS全盛の頃で、修学旅行に行った時もジュークボックスからスパイダースの「あの時君は若かった」が流れていたのを妙に覚えている年頃です。

この曲はもう少し年が経って、中学から高校にかけての夏休みのイメージが浮かんできます。
暑い暑い夏休みにラジオから誰かのリクエストで何度も流れていたように思います。

♪海はすてきだな。恋してるからさ
 誰も知らない真っ赤な恋を

 海が照れてるぜ 白いしぶきあげて
 えくぼのような ゆれる島影

 君はきれいな 海の恋人
 やさしく抱かれて 夢をごらんよ

何とも歯の浮いたような歌詞が並んでいます。
この後は何とも言えないような台詞が続きます。

 「海も失恋するのかなあ 涙をいっぱいためるかなあ
  だけど、あふれだしたら 困っちゃうなあ
  だって俺泳げないんだもん」

今読むと何とも居心地の悪い気持ちの悪い気持ちになりますが、
これが、当時の中高生にはぴったりはまるから不思議です。
中学時代からギターを手にして、友だちの家でだべっている青臭いガキにとって大事な曲だったようで誰かが口ずさむ曲でした。

♪「君はきれいな~」と伸ばした後に「あ~~あ」と何ともくすぐったいフレーズがあるのですが、ここもくすぐったい楽しさを覚えていました。

「君はきれいな」と歌う時の“君”はみんなそれぞれ思いが違うこともわかっていたし、“失恋”というフレーズも胸がキュンとなっていた何ともいい時代でした。
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久しぶりの大失態

2008-07-07 23:54:12 | 日記
酒の上での失敗は数限りなくあります。
言い出したらきりがないほどの失敗の数々です。
特に若い頃は、とんでもないことをたくさんしてきました。
次の日の後悔は、とてもつらいものがあります。
最近年のせいかあまり大きな過ちもしないで過ごしてきたように思っていたのですが、やっぱりやってしまいました。

先週の土日のことです。

その日は、昼間大きな会議が終了して、ほっとしていたことと、最近忙しい日々が続いていたということもあったのだと思います。

夕方から懇親会、次の日別の会議という流れで山口の温泉に泊まることになっていました。
泊まり込みの飲み会、これがよくありませんでした。
夕方からの懇親会はバーベキューで飲み放題ということで、ほとんど食べずに飲んでばかりいました。

まず最初の失敗は、一緒に飲んでいた女性を怒らせたことです。飲んでいると普段言えないようなことも許されると思うのか、平気でいろんなことを言ってしまうようです。よく覚えていないのですが、「もう口をきくな。話もしたくない」と言われたことだけは覚えています。

そういった流れだったので、そのまま二次会に行く気にもならず、宮○氏を強引に誘って、別の飲み屋に行ってしまいました。
このブリックという飲み屋が実に居心地が良くて、この店に入るといつもグデングデンになるまで飲んでしまうのです。

この日もしこたま飲んだようで、ほとんど覚えていません。

次の日のことです。朝5時頃に目が覚めると、床の上にびっしょり濡れた服がありました。ズボンも服も何もかもびっしょりです。
まず思ったのは「昨日何かやらかしたのか?」ということです。
これほどまで濡れているということは、どこかの噴水にでも飛び込んだのか…
そんな恐怖でいっぱいでした。
一緒に行った宮○氏に大迷惑をかけたのではないかと後悔の念が…。

シャツの着替えは持っていたのですが、ズボンの着替えはありません。
「どうしよう?」と頭をめぐらせて、フロントにズボンプレッサーを借りることを思いつきました。
でもズボンプレッサーというやつはアイロンと違ってなかなか乾きません。
でも何度も挑戦して何とか乾かせました。

素肌の上に浴衣を羽織り、朝風呂に行きました。
宮○氏に会ったものの聞く勇気がなくて黙っていました。

部屋に帰りやれやれ…と思い、取りあえず着替えようと鞄から服を取り出しました。
そこで最悪の事実に気づきました。
パンツが入っていないのです。
「どうしよう?」と思いましたが、ここは仕方ありません。
ノーパンの上にコットンパンツをはいて過ごすことにしました。
コンビニにパンツを買いに行くことも考えましたが、前日の反省に立ってこの日はノーパンで過ごすことにしました。

朝食の時に宮○氏に会ったので、昨晩の無礼をわびながら聞きました。
彼の話によると、それほどの失礼はなかったようです。(ただ、2,3回けりを入れたようです。)店を出てからどしゃぶりの雨で服が濡れたのはそのせいだということでした。
ただ、滑って転んだそうです。そう言えば膝が少し痛いような気がしていました。

ズボンは乾いたもののアスファルトの汚れのようなものが付いていて、何か惨めな一日をすごしてしまいました。
もう酒の上での失敗で笑える年ではありません。
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映画「クライマーズ・ハイ」再考

2008-07-06 21:48:06 | 映画
昨日公開初日に観た「クライマーズ・ハイ」について感想めいたことを書きましたが、もう一つ書き足りないことを加筆します。

映画のコマーシャルで何度も「命を追ったあの夏」「走り、叫び、書いた新聞記者たちの激動の1週間」ということが強調されていて、そちらに目が向きがちですが、もう一つのテーマに家族について特に父と子についての関係が描かれています。

主人公の山仲間として安西という人物が出てきます。この人物なくては「クライマーズ・ハイ」というタイトルそのものも出てきません。
映画では詳しく述べられていませんが、小説の中では、エベレストにも登った有名なクライマーを自分のミスで谷川岳の衝立岩で死なせてしまい、それ以来登山の一線から退いて、家族のために仕事ひとすじで働くことになる。
新聞販売店で身を粉にして働いている姿を認められて、新聞社の販売局に採用される。そこでも身を粉にして働いて、ついに過労からくる病気で倒れてしまう。

家族のために家族を振り返らずに働いた安西、仕事のために家族を振り返らずに働いた悠木。妻からは「あなたの好きなのは新聞だけなんでしょ」と言われ、息子からは、「お父さんは新聞だけが好きなんだ。だって、そうじゃないか」と走り去られてしまう。

それを象徴していくのが、ロッククライミングの際のザイルになっているようです。

インターネットの書き込みの中には、岩登りのシーンは必要ないという声がかなりあるようですが、私はそうは思いません。主人公の心の叫びや深みを理解しないとこの映画はただの会社相関図になってしまいます。

そういった意味からもう一度観てみたい映画だと思います。
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映画「クライマーズ・ハイ」を観てきました。

2008-07-06 00:21:37 | 映画
映画「クライマーズ・ハイ」を観てきました。
初日の第1回上映ということで、どのくらいの入りかな?と思いながら入りましたが、あまりいい出来とは言えませんでした。
映画の内容についてはあまり深く立ち入ると、今から観る人たちの楽しみを奪うことになるので、さらっと流そうと思います。

映画は、原作のイメージをほぼ踏襲しながら、映像ならではのシーンをいくつもつなげている面白い作品に仕上がったのではないかと思います。

テーマは、1985年に起きた御巣鷹山に落ちた日航ジャンボ機墜落事故を取材する新聞記者の物語です。作者の横山秀夫氏は、当時地元群馬の上毛新聞の記者だった経験を生かして、自己の経験や、新聞社内のいろんなしがらみや葛藤を描いた小説を発表しています。

オープニングから現在と1985年を行ったり来たりするという、よくあるパターンで描きながら間延びすることもなく緊張感が持続する作品になったと思います。
映画の冒頭で見たことのある駅が出てきました。JR上越線の土合駅です。この駅は谷川岳の登山基地としても有名です。地中深く掘られたトンネルの中にある駅です。地上に出るまで486段の会談を登らなくてはいけません。俗にもぐら駅と言われています。

谷川岳の一の倉沢まではほぼ観光コースになっていますが、そこからロッククライミングの聖地とまで言われている衝立岩があります。その岸壁の登攀は登山家にとって一種の憧れにちかいものがあります。
私もそのふもとまでは行ったことがあります。岩登りをする気持ちは全くありませんでした。

タイトルのクライマーズ・ハイとは登ることに夢中で怖さを知らずにいることを指しています。もう一つ、日航ジャンボ機墜落の取材に夢中で何もかも忘れていることのどちらもかけているようです。

この映画を観ながらいつもと違う目で見ている自分に気づきました。いつもなら登場人物の誰かに入れ込んでしまってその誰かの目線で見ているのですが、今回は客観的に観ていました。
悲惨な事故を取材している記者と、それを紙面にしていく裏側を見せられると、人に何かを伝えることの意味とは何か?何を伝えればいいんだろう?伝えることによって何か創造できるのだろうか?そんなことを考えていました。
新聞は記事の中身だけでなく、たくさんの広告でなりたっていることも何かいやな気持ちになったようです。

最後まで夢中で観ていたけど、終わってから気持ちの上でどこかすっきりしないそんな気持ちでした。
新聞記者の使命は何なんだろう?一度は憧れた職業だけに複雑な思いでした。
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東京風景4

2008-07-02 22:47:46 | 写真日記
荻窪には気になる場所があります。駅前にある焼鳥屋の屋台です。
それこそ、30年前にももう存在していました。
いつもおじさんたちでごった返していて、夕方は煙もくもくという感じでいい臭いを発散していました。
若いときから気になっていたのですが、あの中に入るには少し勇気がいりました。
以前ここを訪れた時も、焼き鳥という雰囲気でなかったので入れませんでした。
昼間から酔っぱらいのおじさんたちがあふれている店です。
でもどこか気になっている店でもありました。
先日今は亡き高田渡さんの映像がテレビで流れていて、その時この店で昼間から酒を飲んでいました。
今度こそぜひと思いながら、店に近づきました。
でも、なかなか店に入れません。何回か近くを廻っている間についに勇気を出して近づくと、店のおじさんが「奥に席があるよ」と声をかけてくれました。
奥のカウンターに腰をかけて生ビールと焼き鳥を注文しました。

 

焼き鳥は一本ずつの注文になっています。
ほとんどがたれと塩の両方ができるようになっています。
炭火焼きというところが何ともすごいと思いました。
焼き鳥は期待通りのうまさで常連がこんなにいることも理解できました。
でも、まだお昼過ぎの時間なのです。
常連は生ビールで頼むのではなくて、瓶ビールで頼むのがここの流儀のようです。

 

結局生ビールを2杯飲んで焼き鳥をけっこう食べてすっかりいい気分になって、東京駅の方面に向かいました。
帰りの新幹線は3時過ぎなので時間があるということで、京橋にあるブリヂストン美術館に行きました。以前ここにあった青木繁の「海の幸」がどうしても見たかったのです。
ところがこの「海の幸」はここにはすでになく福岡の久留米市にある石橋美術館の所蔵になっているとのことでした。

美術館を後にして、荷物を置いてある八重洲地下の“銀の鈴”付近に向かいました。
すると、酒屋の横にカウンターがあってみんなちびちびと飲んでいます。
これはいいと思い、カウンターの客になりました。
焼酎とからすみを注文してちびちびとやり始めました。
頼んだ酒は宝山という芋焼酎のロックです。

 

実にいい心持ちになり、新幹線ホームに向かいました。
山形新幹線の車両が反対ホームにいたのでちょっと撮影してみました。
JR職員もお辞儀をしていたのでそれも撮ってみました。
こういうプロ意識はちょっと好きです。

 

電車を待っているとこれほどのバカップルはいないだろうと思うほどのべたべたカップルが目に付きました。思わず撮影してしまいました。

 



久しぶりの東京の空気を満喫しました。    
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