とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

高知に行って来ました。

2010-01-31 23:12:42 | 写真日記
週末に高知に行って来ました。
こう書き出すとNHKの大河ドラマ「龍馬伝」に影響されて出かけたように聞こえますが、
障害児教育の研究集会に行って来ました。

今回は自分の車を出さずにI氏のデリカに乗せてもらって行きました。
後部座席に座ってのVIP待遇での旅程だったので大変楽をさせてもらいました。

熊毛インターで7時前に待ち合わせをして、一路高知に向かいました。
1回目の休憩を宮島ICでしました。

そこから一気に瀬戸大橋まで休憩なしで向かいました。
与島PAでちょっと長い休憩を取ることにしました。
ここは絶好のビューポイントです。
少し逆光気味でしたが、瀬戸大橋の写真を撮りました。

 

 

与島PAでは、さぬきうどんを揚げた“揚げぴっぴ”というかりんとうをおみやげに買いました。
讃岐では幼い子にうどんのことを「ぴっぴ」と言って食べさせるそうです。

いよいよ高知へと高速を降りようとした時のことです。
後ろから覆面パトカーが現れて来ました。
私たちのすぐ前の車の横にピタリとつけて写真を撮影した後に、誘導を始めました。
リアウィンドウに「パトカーに続け」というサインが出ます。
初めて見ました。
画像が小さいので見えにくいのですが、大きくするとはっきり映ります。



高知に入ると、集会の時間まで少し時間があることがわかりました。
「桂浜方面に行くか?」運転手のI氏から提案がありました。
天気も良かったので、M氏の同意で桂浜に向かいました。
でも、そこからなかなか車が進みません。
結局桂浜ではほとんど時間がないことがわかりました。
取りあえず、急いで撮影をしました。

 

 

 

集会は、記念講演をされた品川先生が、非常に良い報告をされました。
自分の長い教員生活を振り返って、障害児教育の実践で何を大切にしてきたか。
どのように内容を組み立てたかを懇切丁寧に話してもらいました。

その後の講座では兵庫の原田先生が、
重心児の教育について魂のこもった教育論を展開されました。
久しぶりったけど、心が揺さぶられるいい話でした。

6時半からは、恒例の大交流会がありました。
大宴会の後は、参加者全員によるよさこい踊りがありました。

1次会を終えて、2次会の場所を探しに向かいました。
パンフレットを参考に龍馬屋という店に入ることにしました。
1次会でたっぷり食べていたので軽くやるということにしました。
まず、店の人においしい酒を聞きました。
“船中八作”といういかにも龍馬という酒を出してもらいました。
一人分のコースを注文して、みんなでつつくことにしました。
私は1次会で少し飲み過ぎていたので、2次会ではほとんど口が進みませんでした。
このお店は店長がとてもユニークでシンガーソングライターだそうで、
市内のいろんな歌を作ってCDを出しているそうです。



ホテルまでの帰り道面白い店を発見しました。
一件目の屋台はタイガースの看板です。
もうひとつは玉子焼きと書いてあるのです。
のぞいてみるとたまごが入っているたこ焼き風のものでした。

   

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源明山(624.7m)山口県周防大島町

2010-01-24 17:13:20 | 週末は山にでも
今回は周防大島町の源明山にしました。
本当は、文殊山からの縦走路が望ましいのだけど、時間短縮の登山ということで、源明山だけにしました。
インターネットで検索して、一番近いルートを探しました。
すると大島大橋を渡って右折して、屋代ダムの上の農道を行くのが一番だということがわかりました。
車をどこに駐めたらいいか、今度はGoogleの地図で検索していると、元小学校の土地を使って公民館ふうの建物があることがわかりました。
そこへ、車を駐めることにしました。

妻は、岩国の山の会で、柱島に行くことになっていたので、由宇の港まで送って行ってから大島に向かいました。

目当ての会館はすぐにわかりました。
元小学校という割には狭い土地でした。
神社までできていてびっくりでした。

 

そこに車を駐めて、車道を歩き始めました。
ところが、これが長い長い。
農道ということで、奥畑という集落の所だけは道幅が狭いけど後は広い広い…。
どこに駐めても誰にも迷惑をかけるような道ではありません。
後悔の念がどんどんたちます。
帰りにまた、このだらだらアスファルト道を通って帰るのかと思うと憂うつな気分になります。
行けども行けども目的の峠にはつきません。
ずっとなだらかな登り道が続いています。

やっとたどりついた所は、工事中でその先は車が入れない所で、そこにはちゃんと車が駐車してあります。
悔しい思いをしながら、さらに登り道に向かいます。
そこからは、車が1台やっと通れるくらいの、でもやっぱりアスファルト道なのです。

さらに登って行くとやっと標識が出てきました。



そこを曲がるといきなり石ころだらけのガレ場になりました。
極端な話です。



でも、やっと山道らしい道になりました。
やっぱりこういう道がいいです。
ガレ場が終わると今度は、枯れ葉に覆われた山道です。
ここは気持ちのいいものです。
登って行くとあっという間に山頂についてしまいました。

山頂は幕末の長州征伐の時の戦いを顕彰して石碑が建っていました。
建てたのは、維新百年の年です。
文字は当時の佐藤栄作総理大臣です。
沖縄核密約をしながら、非核三原則でノーベル平和賞をもらった人です。



山頂に立ったらまずは証拠写真ということで、セルフタイマーで撮影しました。



山頂の景色はいつもと違って見えました。
というのも、今まで登ってきた山が全部手に取るように見えるのです。



嘉納山です。



右側が嘉納山、左が文殊山です。
http://blog.goo.ne.jp/dylan12283199/e/e8bc7883a1bc8a335b252659f7118ef0



海の向こうに見えるのが琴石山です。
http://blog.goo.ne.jp/dylan12283199/e/349590911d26cff08ec48fb5b9ff0486



うっすらと見えているのが大星山です。
http://blog.goo.ne.jp/dylan12283199/e/67245f81788c90b523583cf7ecb79ffd

本当なら嘉納山へ縦走するといいのですが、今回はここだけにするつもりだったので思い切りゆっくりしました。

昼はいつものうどんです。
今回は、牛肉のしぐれ煮の冷凍を持ってきたのでデラックス肉うどんです。
しょうがもたっぷり効いていて、美味でした。



食後は、家で朝いれてきたネルドリップのコーヒーをゆっくり味わいました。
この日は気温10度くらいでとても暖かかったので、久しぶりに流れる雲を味わいました。



そうこうしていると、山口市から来たという夫婦二組の中年登山組が上がってきました。
どこに車を駐めたのか聞くと、最後の通行止めの所にしたそうです。
ほとんど歩いていないんだと思いました。
この仲良し4人組はこの後縦走もせずに降りて、車で嵩山に移動してまた登るそうです。
「取りあえず登りました」と山の数だけコレクションしているみたい。
まるで、夏休みのラジオ体操のカードみたいだなと思いました。
もう少し山歩きを楽しんだらいいのにともったいない気がしました。

一人でゆっくり降りて行くと、車道もけっこう楽しいものでした。
登りはきついけど、下りは車道も風を感じて楽しいものでした。
下りは約1時間くらいで駐車場まで着きました。
途中に咲いていた水仙を愛でるくらいの余裕がありました。



駐車場に着く寸前に山頂であった仲良し4人組の車に会いました。
「けっこうあったでしょう」と言われましたが、
「下りはけっこう楽しかったですよ」と答えておきました。
本当に歩くことを楽しめた時でした。



 
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DVD「蟹工船」

2010-01-23 23:40:37 | 映画
DVD「蟹工船」を観て

小林多喜二の原作が120万部売れたり、一大社会現象を起こしたと言われる「蟹工船」の現代版のDVDを観ました。確か、流行語大賞を取ったのでは…。

映画館で観るべきだったのでしょうが、田舎では、ほとんど限られた日数の上映だったこともあって観ることができませんでした。
いつものTSUTAYAに新作で並んでいました。
これはやっぱり観なければということで借りてきました。

1953年版の映画は一度、大学の構内で観たことがあります。
俳優の山村聰の監督主演昨だと覚えています。
古い映画で画面も暗かったことであまりいいイメージは持ちませんでした。

今回の2009年版はどう描いてくるのか、気がかりでした。
原作は主人公と言われるような人は出てこなくて、群像劇のような形なので松田龍平がどういう形で出てくるのか興味がありました。

オープニングは、不思議な光景から始まります。
重たい扉を持ち上げて、眼光鋭いやせた男が目だけを出して、あたりの様子をうかがいます。
やっと扉を持ち上げたら、上空から大量の蟹が降ってきます。

ストーリーを原作からかいつまんで言うと、

 カムチャッカ沖で蟹を獲り、それを缶詰にまで加工するのが蟹工船です。
様々な出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間です。彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取されています。

 情け知らずの監督者である浅川は、労働者たちを人間扱いせず、劣悪な環境の中で彼らは懲罰という名の暴力や虐待、過労と病気(脚気)で次々と倒れてゆきます。
初めのうちは仕方がないとあきらめる者や現状に慣らされた者もあったが、やがて労働者らは、人間的な待遇を求めて指導者のもと団結してストライキに踏み切ります。

映画は、過酷な現場監督と労務担当の雑夫長の2人がこれでもかというくらいデフォルメされた悪役として登場してきます。

監督・浅川を西島秀俊が演じています。
この俳優さんは最近よく使われていますが、2枚目なんだけど、それだけに役柄によってはとことん悪役に見えてきます。
『パッチギ!』2作目でもキョンジャをだます俳優として出てきていました。

蟹漁の小さなボートに乗って、仲間からはぐれてロシア船に助けられて、そこで自分たちの矛盾に気づかされて、蟹工船に戻ってから仲間を組織する漁夫新庄を松田龍平が演じます。

新庄は、仲間たちが、お互いの境遇の貧乏自慢をしているのを思い切り否定します。
新庄は、今置かれている現実を捨てて、来世に期待しようとみんなを集団自殺に追い込みます。
でも、なんだかんだで助かって「首つりはまっぴらだ!死ぬかと思った」と笑い飛ばします。
そんなカリスマ的な新庄にストライキを提案されて、みんなついていきます。
確かに松田龍平はカリスマ的な雰囲気をもっている俳優です。

もう一人印象に残っている登場人物がいます。
蟹工船でもっとも若いと思われる雑夫清水役を演じる柄本時生です。
この若者の心の揺れが、観ている者の心の揺れにつながっていきます。

柄本時生という俳優は何ともとぼけた表情の俳優です。
そのぶん、他の濃い顔の俳優さんたちの中にあって目立つ存在なのです。
実はおいっこにちょっと似ているので、いつもよく覚えているのです。
『俺たちに明日はないっす』タナダユキ監督では主演をつとめました。
この映画では現代的な怠惰な高校生をうまく演じていました。

09年版は、最近の映画ということもあってテンポ良く展開していきます。
「おかしいと思ったら文句を言うだけではだめだ!ちゃんと言わなくては!」
「自分の頭で考えなくてはいけない。ただ、考えるだけではだめ!行動しなくては!」など原則的なこともちゃんと欠かさずに表現していました。

派遣の問題であるとか、パート職員など、低賃金でこきつかわれている現代の労働者たちの問題とあわせて話題になった『蟹工船』です。

蟹工船の中では、労働者が働かなくては運営が全く成り立たないのでストライキは経営者にとって重大な問題になります。

でも、現代において「どうぞ、やめてください。あなたの後ろには大量の失業者が順番待ちをしているのだから…」という脅しの中では、なかなか労働者は団結できにくくされています。

マルクスが資本論の中で明らかにした大量の産業予備軍が労働者を圧迫しています。
派遣労働者は、現役の労働者でありながら産業予備軍的存在でもあるというきわめてややこしい存在でもあるのです。
ここにますます労働者同士の団結を妨げる要因にもなっています。

そんなことを考えるにはいい映画だったように思います。
明日もう一度観てみようと思います。
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DVD「モーツァルトとクジラ」再掲載

2010-01-23 10:04:39 | 映画


2007年に書いたブログを再び掲載します。
当時は日記のところに書いていました。
「モーツァルトとクジラ」の感想が聞きたいという知人の要望です。

昨日観たDVDの紹介をします。
タイトルは「モーツァルトとクジラ」という奇妙なタイトルの映画です。
この映画は原作がNHK出版から出ていて、作者はJerry Newport夫妻です。
二人ともアスペルガー症候群と知られています。
3月には来日され、東京を中心に講演されたようです。
3月5日の朝日新聞でも大きく取り上げられています。

 映画の話題の前に少しその記事から紹介します。
Jerry Newportさん(58)はニューヨーク生まれで、93年にアメリカ初の成人自助組織をロスで立ち上げたそうです。
アスペルガー症候群の仲間たちのために執筆や講演、時々タクシードライバーをしているそうです。
同じ障害のMary Newportさんとの出会いや結婚、人生を「モーツァルトとクジラ」という著書(NHK出版)にまとめたそうです。
タイトルは出会ったパーティーでの二人の仮装からとったそうです。

 Jerryさんが周囲との「ズレ」を感じたのは4才頃で、大好きな数字のうんちくが止まらなくナルなど、場違いな言動で常に浮いた存在だったそうです。
89年に映画「レインマン」を観て「同じだ」と思い、自閉症を疑い、47才になってアスペルガー症候群という診断をされたそうです。

 Jerryさんは数学に特別な才能を持ち、小学生の時も微分積分等の計算ができたといいます。
その後、ミシガン大学を卒業しますが、卒業後は定職にも就かず、ギャンブラーやレジ係、タクシー運転手など職を転々とします。

 著書の中では、二人の出会いの場面をこう書いています。(NHK出版のHPより)

『ぼくが計画したハロウィンパーティーを、いまでもよく覚えている。そこで初めてメアリーに会ったのだ。
1993年のことだった。1993は43の二乗に12の二乗を加えた数。
このふたつの数字を足せば55になる。
メアリーが生まれたのは1955年。ぼくらが出会ったのは、93年の289番目の日。
289は17の二乗。17はユニークな数字だ。
17は素数で、正十七角形は円に内接させることもできるが、めったに成功しない。

 ゴミ袋と紙でクジラの衣装を作るのに、数週間かかった。
努力の成果は滑稽なくらいお粗末なもので、細長く裂いた新聞紙と金網が、横からはみ出てぶらぶらしていた。
まるでクジラの残骸だ。しまいには、しぼんだ小型飛行船を引きずるような格好でパーティー会場を歩きまわる羽目になった。
でも、その衣装はAGUA(ぼくが組織したサポートグループ)の不思議な魅力を気づかせてもくれた。
とんでもない見てくれにもかかわらず、みんなにほめられたのだ。ぼくの努力がわかったらしく、こんなものを作ろうとしたことが、そもそもすごいと言ってくれた。
こういうふうに無条件で ―― うまくいってもいかなくても ―― 勇気づけてくれるのが、AGUAのいいところだ。』

 さて、映画ですが、オープニングでタクシードライバーのドナルドが出てきます。
二人の客を乗せながら、独り言をずっとしゃべっています。
無線の連絡を気にしていて、無線が入るたびに、地図と他の車の位置が目の前にチラチラしてきます。
そのうち花屋の車に追突してしまい、事の解決ができずにその場から立ち去ろうとします。でも彼の頭の中には「仲間の集会に遅れてはいけない」の考えが支配しています。
彼はそのことについて何の問題も感じていません。
そういった情景からスタートします。

 映画では二人の最初の出会いは、サポートグループで出会うようになっています。
イザベルは、相手の言ったことは額面通り受け取り、自分で思ったことは何でも口にしてしまうことが多い女性として描き出されています。
そのため、エキセントリックな会話が多くなって相手を混乱させることが多いように描いています。

 映画のストーリーについて語りたいこともたくさんあるのですが、これから観る人のために少し遠慮がちに2,3感想を述べたいと思います。

 二人が出会い、お互いに相手を意識するようになり二人の部屋を行き来するようになります。
ドナルドは片付けがまったくできません。
今までの生活が全部部屋の中にないと気がすまないタイプです。
イザベルはその感覚は持ち合わせていません。当然のように部屋を片付けます。
部屋に帰ってきたドナルドは、パニックになります。
イザベルに向かって「僕の人生を盗まないで(奪わないで)!」と叫んで飛び出します。
駐車場が一番落ち着く場所のようです。
車のナンバープレートを見て意味づけしていくことで心の安定を図ろうとします。

ドナルドが叫んだことば「盗む」stealということばがズキンと響きます。
 自分の世界がなくなっていくことに対しての恐怖が「盗む」ということばで表現されるのかと思いました。

 二人が一緒住むようになって、ドナルドが上司を家庭に招きます。
イザベルに「To Be Fine」と申しつけます。
そのことがイザベルの心の安定をこわしていきます。
イザベルは上司に対して、最大限のおもてなしをします。
それは自分にとってうれしいことは相手もきっとうれしく思うに違いないということです。最後には自分の最愛のペットのうさぎを相手に抱かすほどです。
このあたりにアスペルガーの特徴がよく出ています。

 映画は、価値観の違う二人が恋愛し、一緒に暮らす中ですれ違いがたくさん出てきていしまう。
相手の価値感を認めながら、自分の価値感も時には遠慮していく、でも他人同士なんだからいくつもの衝突やいさかいが起きてしまう…。
「そんなことってよくあるよね」という感じで淡々と流れていくのですが、これが、通常の人だったら「少しぐらい変わったカップルだよね」で済むのですが、二人ともアスペルガーの人同士の映画なのです。
アスペルガーの人の特徴を知って観るのと、知らないで観るのとでは映画の深みが根本的に変わってくると思います。
でも、映画です。
いろんな観方があって良いのだと思います。

 もう一つ、「レインマン」で自閉症の人が大きく取り上げられて、社会的にも話題になりました。
レインマンの行動をそのまま分析している専門書まで出ました。
でも、そこでは、自閉症の人の行動に対する理解を広げていこうというぐらいのテーマでした。
ダスティホフマンが、弟役のトムハンクスの恋人とダンスをするシーンにしても、どこか人間的なズレを感じてしまっていましたが、この「モーツァルトとクジラ」では、作者の「生まれつき脳が愛を受け入れにくくても、心までそうとは限らない」の主張がしっかり入っている映画になっているような気がします。

 最後にJerryさんが朝日新聞に寄せていることば「日本では、“ことばやしきたりを知らない外国人だから”とていねいに教えてもらえ、居心地が良かった。
私たちは例えるなら地球に生まれた異星人。
常識でも、教えてもらわないと分からないこともある。
少しの支援で社会てき役割を果たせるようになるんです。」を紹介しておきます。
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「夜が明けたら」

2010-01-22 22:35:21 | この1曲
先日インターネットニュースで浅川マキさんが亡くなったニュースを見ました。
個性的な風貌で名前だけは誰もが知っていた人だけに惜しい気がします。

表題の「夜が明けたら」や「かもめ」が代表的な曲です。
ザ・ディランの「プカプカ」という曲の女性のイメージがつきまとうのは
自分だけのイメージなのかもしれません。

テレビには出ないので、新譜ジャーナルや、GUTSなどで写真を見るだけでした。
大人のイメージと黒のイメージがとても強い人でした。

1968年のデビューだそうです。
初めはゴスペルシンガーだったそうです。
それが、アングラの女王と呼ばれるようになってから伝説のシンガーとも言われるようになりました。

私は、音蔵というシリーズの中の「浅川マキ/浅川マキの世界」というアルバムしかもっていません。
東芝が出したフォーク全集のオムニバスには、必ず入っている1曲です。

ブルースのコード進行が結構気に入っていて、高校の頃には時々ギターで弾いて歌っていました。
でも、オリジナルキーは結構低くてカポタストでキーを上げていました。

夜が明けたら 作詞・作曲 浅川マキ

1 夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
  切符を用意してちょうだい
  私のために一枚でいいからさ
  今夜でこの街とはさよならね
  わりといい街だったけどね

2 夜が明けたら一番速い汽車に乗って
  いつかうわさに聞いたあの街へ
  あの街へ行くのよ
  いい人が出来るかもしれないし
  ンーあの街へ行くのよ

3 夜が明けあら一番早い汽車に乗るわ
  みんな私に云うの
  そろそろ落ち着きなってね
  だけどだけど人生は長いじゃない
  そう あの街はきっといいよ

4 夜が明けたら一番早い汽車に乗るから
  切符を用意してちょうだい
  本当本当よお 一枚でいいのよ
  いつだって身軽なあたしじゃない
  そうー乗るのよ
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あこがれと現実

2010-01-21 22:12:29 | 障害児教育
障害児学校に勤務していると、いろんなことに出会います。
それは、子どもたちの思いだったり、自分の悩みだったりいろんなことです。

Pくんのことです。
Pくんは1年生です。
脳性まひで車いすに乗っています。
ことばははっきりしていて、いろんな難しいことばも知っています。
おとなの会話にもどんどん入ってくるような子どもです。
Pくんのクラスには他に4名の同級生がいます。
そのうち3名はペルテス病による車いすの友だちです。
この子たちは一過性の病気で現在隣の病院に入院して治療をしながら、
通学しています。
股関節の病気なので両足を固定しているだけで、手は自由です。

子どもたちはいろんな遊びをやりたがります。
特にスポーツ系の遊びを求めています。
野球もそのうちの一つです。

車いすに乗りながらプラスチックのバットを使って野球をします。
体育館のステージをホームランにして、ゲームをしています。
そのままでは打てないので、ワンバウンドのボールを打つようにしています。
何度か練習していると、本当によく打つようになってきます。

それを見ていたPくんもどうしても仲間に入りたいということになります。
Pくんは足だけでなく、手もなかなか自由が効かないので
特別ルールになります。
固定したボールにバットを当てて転がった距離で、ヒットやホームランにしました。
2,3回はそれで良かったのですが、
Pくんの日記には、みんなと一緒に大きなホームランが打ちたいと書いてありました。

Pくんに本当のホームランを打たせてあげたいけど、なかなかそれは難しい。

Pくんは家で任天堂のWiiでスポーツ系のゲームをしているそうです。
Wiiを使うとテニスもできるみたいで、
Pくんは「僕はテニスが得意なのだ」と本当に思っているようです。
現実的にうまくいかないのは、教師の私の設定の問題だと思っているところがあります。

何とかしてあげたいのだけど、なかなか難しい。
生活年齢が上がれば、自分の障害と向き合うこともあると思うけど、
今の年齢でその現実を突きつけたくない。

ペルテス病の2名の男の子たちは、今はバドミントンをしています。
本当のラケットとシャトルを使って打ち返す練習をしています。
移動して打つことは難しいけど、
その場であればネットを超えるくらいできるようになりました。

Pくんがやりたいと言ってきたらどうしてあげたらいいんだろう?
今考えています。

遊びを発明したり、工夫したりすることには自信があるんですけど、
両者の思いを実現して遊ぶというのはなかなか難しい課題です。
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絵本「おこだでませんように」

2010-01-20 22:11:12 | Book

「おこだでませんように」くすのきしげのり・作 石井聖岳・絵
小学館 1500円

先日、大阪であった研究会でパネラーとして登場した東京の杉山先生が最後に読み聞かせをしてくれた絵本です。
私はこの絵本の存在を知りませんでした。

杉山先生の読み聞かせを聞きながら危うく涙が出そうになりました。

「ぼくは いつも おこられる。 
いえでも がっこうでも おこられる。」

主人公は小学校の1年生。おかあちゃんは仕事に行って時々帰りが遅い。
妹の世話をしてやっても、うまくいかない。
妹が泣き出したらおかあちゃんが怒る。
「また いもうと なかして!」
(いもうとのくせに わがままばっかりいうからや)
「まだ しゅくだい してないの!」
(いもうとと あそんでやってたからや)
「けれど、ぼくが そういうと、 おかあちゃんは もっと おこるに きまってる。 
 だから、ぼくは だまって よこを むく。 
よこを むいて、なにも いわずに おこられる。」

「あーあ、ぼくは いつもおこられてばっかりや」

学校に行ってもやっぱりおこられてばかり。
でも、本当はそれを良しと思っていない。

「ぼくは どないしたら おこられへんのやろ。 
 ぼくは どないしたら ほめてもらえるのやろ

ぼくは……『わるいこ』なんやろか……  

せっかく しょうがっこうに にゅうがくしたのに。 

せっかく 1ねんせいに なったのに」

そして、七夕のお願いに一所懸命考えた結果のことばを書く。

ひらがな一つずつ、心をこめて書く

それが… 「おこだでませんように」

その願いは果たして届くのでしょうか。

そういう絵本です。

今の教育のなかで困っている子どもたちの心を描いた珠玉の絵本だと思います。

私は大阪から帰るとすぐにアマゾンで注文しました。

届いた次の日から、幼稚園の研修会や保育士さんたちの集まりで読み聞かせをしています。

何人かは涙を流して聞いてくれています。

それほど、心ある人たちの琴線にふれるような本です。

ぜひ、読んでみてください。

 
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映画「かいじゅうたちのいるところ」

2010-01-19 22:50:02 | 映画


モーリス・センダック原作の誰でも知っている絵本の映画化です。
この本は、今は大学生の子どもが小さい頃何度も読み聞かせた絵本です。
何とも不思議なかいじゅうの絵が印象的な絵本でした。
原作の基本は、よくある展開です。
家から異世界に出かけて冒険をしてまた家に帰るというよくありがちなストーリーなのです。
でも、かいじゅうがでてきたり、マックスがとても乱暴なところが子どもたちの共感を得ているような気がします。



原作だとかいじゅうもWILD THINGSと表記されています。
WILDな子どもマックスがWILDな世界に行って、WILDな事物に出会うという話です。

そういった話をどういうふうに映画化するのかとても楽しみにしていました。
監督は、「マルコビッチの穴」で一躍有名になったスパイク・ジョーンズです。
きっと並大抵の仕掛けではこないだろうと思っていました。
実際映画を観ると、「そうくるのか…」という連続でなかなか見応えのある映画に仕上がっていました。



原作の絵本はごくごく短い作品なので、映画にするにはふくらます必要があります。
映画は、スパイク・ジョーンズ監督の読み方そのものだと思いました。
まず、主人公マックスなのですが、原作でも乱暴者で、部屋に閉じこめられてしまうのですが、映画の中ではそれだけでなく、
周囲の気をひくために乱暴を働いているように屈折して描かれています。

観ていると発達障害の子どもに見えてきます。
自分だけのファンタジーの中にこもりがちだったり、
自分の世界に相手を巻き込もうとしてみたり、
学校で「太陽もやがて死んでしまう」と言われると
その言葉に縛られてしまうなどなど
観れば観るほど、発達障害の子どもなのです。

また、マックスという人物像を描くためにリアリティーをかぶせました。
マックスには姉がいて、でも姉は思春期にさしかかってマックスにかまってくれず、
友人たちを大事にしています。

母は仕事に忙しくて、マックスにかまってくれない。
おまけに恋人らしき男性が時々遊びに来る。
父親は離婚して家にはいない。
そんな状況のなか、マックスは突然切れて大暴れして、
怒った母親の肩に噛みついてそのまま外に飛び出した。

気がつけばどこかの浜辺。
彼の前にはヨットが一隻、それに飛び乗って大冒険の始まり…



…たどりついた島には見知らぬ大きなかいじゅうたちが住んでいました。
「いったい誰なの?」「食べちゃおうか?」
とっさにマックスは作り話でごまかそうとします。
「僕を食べちゃだめだ!僕は王様なんだから」
これを信用してくれたリーダー格のかいじゅうと一緒に冒険が始まります。

島にいるマックスを観ていると虚言癖としか思えないような行動の繰り返しです。



とはいえ、島にいる主要なかいじゅうたち7頭はそれぞれ、
とても個性的で擬人化されたものになっていました。
原作は、WILDな事物に出会うために旅に出て、自分のWILDさを理解してくれるかいじゅうたちに出会うのですが、
映画のそれは、WILDな事物ではなく、大変複雑な存在になっています。



それほど、マックスの心は複雑になっているのでしょうか?
島に着いた時は、一番乱暴者のキャロルと仲良しだったけど、
そのキャロルも単に乱暴者ではないようだし…。
他のかいじゅうたちはもっと複雑な存在だし…。

島の生活を経てマックスはどんな成長をして帰っていくのだろう…

もっともっと語りたいのだけど、まだ観ていない人に迷惑になるからこのくらいにしておきます。

画像は10年以上前に買った指人形です。
押し入れの奥から引っ張り出して撮影しました。



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NHKドラマ「その街の子ども」を観て

2010-01-18 21:58:02 | 映画
NHkドラマ「その街のこども」を観て
阪神・淡路大震災から15年目の朝を迎える前の神戸の一夜を描いたドラマです。
出演者はほとんどなく、大半が森山未来と佐藤江梨子の二人だけという何とも不思議なドラマでした。
その二人の語りと復興した神戸の夜だけのドラマでしたが、退屈することなくずっと真剣に観ることのできる良質のドラマでした。
森山と佐藤は実に自然に語り合い、実に自然と神戸を伝えていきます。
それもそのはず、森山と佐藤は実際に震災を経験した二人だったのです。

森山は会社の同僚と広島へ出張中。「今の子外人か?あんな足の長い日本人いないだろ?」とサトエリに興味を持った同僚に話しかけられて、
ふと見ると新幹線の車内電光掲示板に阪神・淡路大震災15年という電光掲示板に目が行きます。
思わず、神戸に降り立つことを思いつきます。
本当は出張先の広島に前ノリして、遊ぶ約束をしていたのです。
怒った先輩からのメールでサトエリのシャメを撮ってくるように頼まれます。
サトエリに近づこうとしますが、なかなかうまくいきません。

ところが、思わぬところでサトエリの方から、「神戸の人ですか?」と話しかけられて、二人で酒を飲むことになります。

サトエリは13年ぶりの神戸に来て、慰霊祭に参加しようと思っているけど、一人では怖くていけないと思っています。

サトエリは、新神戸から三宮を経て御影まで歩いて、もう一度三宮の東遊園地に行くと言っています。
コインロッカーに荷物を一緒に入れて、酒を交えながら食事を一緒にすることになります。
震災のことをいろいろ話し始めると、震災をめぐって利害関係がいろいろあったことに話がめぐっていきます。

サトエリは震災後焼き芋一本2千円で売っていた焼き芋屋の車に石を投げたことを話しはじめます。
「みんなが困っている時に、一人だけもうけようとしている奴は許せへんかった。」と言います。
一方、森山は父親が屋根屋をしていて、その料金を10倍程度ふっかけてぼろ儲けしたことを話し、そのことを悪いとは思っていないと話します。
でも、そのことに嫌悪感をもっていたことは後々わかってくることなのですが、その時は素直に話せません。
経験したことが違いすぎることから口論になってしまい、サトエリが飛び出してしまいます。

でも、コインロッカーを共用していたために、終電がなくなる頃に再会せざるを得なくなります。

サトエリが三宮から御影まで歩くことを提案します。森山は乗り気ではないけど、仕方なくつきあうことになります。
ほとんど、二人だけの歩きと会話で物語が進んでいきます。
復興が進んでいるために、過去のイメージとはずいぶん違っている街にとまどいながら
お互いの記憶をさぐりながら震災の街を歩いていきます。

住んでいた灘を通り過ぎる頃から、だんだん過去の記憶の中でいろんなことがよみがえってきます。

「ユッチーといいう友だちがおってな」何度かサトエリは語り始めて口ごもります。

「親父舞い上がってしもうたんや…2倍か3倍かくらいにしていたら良かったのに…
あんなに吹っかけたら神戸におれんようになってしまう…」と少年時代の暗い過去について話し始めます。

森山は建築関係に勤めています。
新築のマンションの模型を作っている時に、「どんな地震にも耐えられます」という謳い文句に疑問を感じてしまいます。

サトエリに「こっちは商売なんで、うまくだませたらいいんです」とうそぶいてみても「じゃあ、なんでここにおるん?」と言われ、
神戸で震災にあった自分にしかわからないこと、
東京にいたら忘れがちだったことをもう一度建築士の自分として考えたいと思っていることを見透かされます。

サトエリはユッチーという友だちが震災で亡くなったことを話し始めます。
お互いの痛みを共感しあった頃に、やっと慰霊祭が行われる東遊園地に到着します。
サトエリは会場に、森山は「今年はやめとく。また来年!と言って、
二人はハグして別れます。

いろいろ考えさせられるいいドラマだったと思います。
午後11時から12時までのドラマだったので録画された方も多いのではないかと思います。
私も録画しました。
コメント (4)
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大黒山・竜ヶ岳

2010-01-16 17:47:08 | 週末は山にでも
1月に入って大変寒い日が続いています。
先週は大阪に行っていたので、今週こそ登ろうと思っていました。
天気予報がずばり的中して、土曜日は暖かい天気の良い日になりました。
寒かったらすぐに登って降りてくる山と決めていましたが、天気が良いので縦走することにしました。

もちろん、瀬戸内近辺の低い山の縦走です。
目的地は大黒山(323.4m)岩国市旧周東町と竜ヶ岳(365.5m)周南市、大梅山(
276m)岩国市旧周東町です。
近くの山ということで、朝もゆっくりして出発しました。
旧周東町のパストラルホールの近くの駐車場に車を駐めて、車道を登り始めました。
テニスをしている人たちを横目で見ながら登り始めました。
しばらくいくと林道に入ります。
林道の入り口には大黒山登山道の標識が立っています。



もう少し登っていくと本当の登山口の標柱に出会います。
そこを右手に折れて登っていきます。



そこから徒歩だけの登山道が始まります。
この登山道初めは普通の登山道だったのですが、
途中からだんだん険しくなってきます。
至る所に鎖場ならぬロープが設置されています。

 

 

300mそこそこの山だと思って軽く考えていました。
なかなか手応えのある山でした。
大黒山への登山道は何の無駄もなくひたすら上り坂なのです。
普通アップダウンがあったり、巻道があったりしますが、そうでなくとにかく登っていきます。

休憩をはさんで40分くらいで大黒山の山頂につきました。
海軍の監視所があったらしくコンクリートの基盤の跡がありました。
山頂からは監視所があったにふさわしいほど玖珂や周東町が見渡せました。
アリバイの記念写真を撮って次の目的地に向かいました。

 

大黒山から尾根筋をそのままたどって、アップダウンを何度も何度も繰り返しながら、竜ヶ岳に向かいます。
途中にいくつもの巨岩があり、そこを乗り越えながらの登山になります。

すぐ近くに山頂が見えるのだけど、なかなか近づかせてもらえません。
登ったと思ったらまた下って行きます。
ロープを持って後ろ向きで降りた方がいいような場所もいくつかありました。
標識はちゃんと整備されていて迷うようなことはありません。

山頂の標識を見てもうすぐかな?
と思ったのが運の尽き。
そこから険しい登りになりました。
ほとんど崖のような登りです。
ロープを頼りに登っていくようになります。

先の大黒山から竜ヶ岳山頂まで約1時間の行程です。

竜ヶ岳山頂も大変眺めのよい場所です。
360度の大パノラマです。
山頂には見事な巨岩があります。

 

 

竜ヶ岳の山頂でうどんとおにぎりの昼食を取りました。
大変暖かかったのでゆっくりと食事をとることができました。

下山は引き返して40分下って、分岐を右に大梅山に向かいます。
下山とはいえ何度もアップダウンがあり、20分ほどで大梅山に着きました。

      

大梅山からの下山ルート。これが大変でした。
何度アップダウンを繰り返したかわかりません。
所々真砂の尾根になっていて大変すべりやすい場所がいくつかあります。
真砂の斜面ではさすがにロープを頼りに後ろ向きで降りざるを得ませんでした。
大梅山から約1時間の行程で駐車場に帰ってきました。

食事・休憩を入れて4時間半の行程でした。
アップダウンが半端ではなかったので、思ったより厳しいルートでした。
近場でm山登りを楽しみたい方には絶対お勧めコースです。
ちょっとした北アルプス気分を楽しめます。
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