とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

観光列車「○○のはなし」の旅3(2019.12.21撮影)

2020-05-18 15:47:03 | 鉄道旅

東萩駅前に「ビジネスホテル中村」があります。
20代の頃、交流学習の先行研究校として萩の中学校の研究発表会に出張を命じられました。次の年に勤務校が交流教育の文部省指定を受けることになっていて、泊まったホテルが「ビジネスホテル中村」でした。当時は電話帳(イエローページ)で「いかにも」というホテルを探しました。

 

左下の写真の方は実は車内でもお見受けしたのですが、東京から来ている旅人でした。宇部空港まで飛行機で来て、この観光列車に乗って来たようです。ついでにいろいろ質問させてもらったのですが、大きなぬいぐるみは荷物扱いで飛行機に乗ったそうです。
お面は顔をあまり見られたくないためにしているそうです。
余計見られるのではないかと、ツッコミたくなりましたが、人それぞれいろんな旅のあり方があるんだと勉強になりました。
最近の私も然り。知り合いに合わないで済むから、鉄旅に出ていますが、それを逐一報告しているのもアンバランスの証拠かなと思っています。

右下の写真は東萩駅の跨線橋の中です。何だか雰囲気を出しています。以前は「いかにも」のこういった趣向は苦手だったのですが、最近は受け入れている自分がいます。
東萩〜益田間の山陰線はまだ乗車していないのでいつか乗りたいものです。ただ、時刻表が隙間だらけです。

 

帰りも『〇〇のはなし』に乗車します。帰りは長門市駅から方向転換して仙崎に向かいます。仙崎支線2.2Kmの路線です。仙崎の駅で30分間停車するというので、仙崎の探索に出かけました。往復で30分、これを甘く見ていて後で後悔することになります。

仙崎駅からまっすぐの通りが「みすゞ通り」です。金子みすゞ記念館がある通りです。古い町並みの通りなので、「少し写真でも」と思い、歩を進めました。

右下の画像はVespacar p50de です。Vespaと言えばイタリアのスクーターでローマの休日でも登場した例のアレです。でも、Vespacarp50はスクーターに3輪の車をつけたものです。戦後は大活躍をしたものだそうです。この車体はいつのものかはっきりしませんが、「おお!」という代物でした。

左右に古い家屋が立ち並び、一瞬タイムスリップしたような感覚になりました。古くは栄えていたような街並みでした。

 

 

左下の画像は仙崎のみすゞ記念館のすぐ横の路地です。

右下の画像はもう少し海辺に行ったところで見つけたちょっと洋館です。時間がなかったので何に使われているのかはわかりません。
駅に引き返す途中で蒲鉾屋に立ち寄ってその場で揚げてもらいました。この油断が失敗でした。

 

駅までの時間を勘違いしてしまいました。
発車時刻はどんどん迫るのに、なかなか駅に辿りつきません。

午前中にあんなにビールやお酒を飲まなければ良かったと思うくらい走りました。
ギリギリのところで何とか間に合いましたが、12月というのにすっかり汗だくで服をどんどん脱いで行きました。最後にはTシャツ1枚になっていました。

何やってるんだか。そう言えば九州の鉄旅でも三角駅に向かうのに走ったことを報告したのに、全く学習する能力がありません。

 

 

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観光列車「○○のはなし」の旅2(2019.12.21撮影)

2020-05-17 22:00:32 | 鉄道旅

交通費が安上がりだったので、昼食は特製弁当にしました。乗車3日前までに下関の料亭に予約を入れて車内で料金と引き換えにもらえるシステムになっています。
旅行中はいつも食には拘らないで適当なものを食べて済ますのですが、今回はチャレンジしてみました。税込で2600円です。

 

メニューは左上の枠がちしゃなます、いとこ煮人参 中央上が出汁巻き レンコン旨煮、鰆柚庵焼き、焼明太子、豚八幡巻 右上がフク唐揚げ、鯨竜田揚げ、海老雲丹バター焼き、酢橘

左下が白飯、中央下が夏みかん寒天、鰆南蛮漬け、ふきのとう佃煮、焼き抜き蒲鉾、右下が雲丹飯となかなか豪華な弁当でした。

食べながら思ったのですが、青春18切符が使える日程を選んで1号車を4人で予約して、ボックス席に座れば、この弁当を食べながら十分忘年会を楽しめるのではないでしょうか。青春18切符は5枚綴りで12,050円です。何人で使おうと自由です。
年末までの運行は終わってしまいましたが、新下関から3時間の景色を楽しみながらの語らいの忘年会はなかなか良いものだと思いました。

左下は最近流行っている元乃隅神社の最寄りの駅人丸です。外国にも紹介されている人気スポットだそうです。この赤い鳥居と海の取り合わせが良いのでしょうか?京都の伏見稲荷も外国の人がたくさん行かれることで有名です。
私も車で行って何回か撮影したことがあります。

右下の写真は、子どもと2人連れのお客さんです。最初私の隣に座った子どもさんがキョロキョロ私の顔を見て何度も目が合うので話しかけると広島の小1の男子でした。お連れの男性が落ち着いていて、私とそんなに歳が離れていないような気がしたので「お孫さんですか?」と尋ねるとあに計らんや「息子です」と答えて来ました。「これは失敗した〜!」と一瞬焦りました。

道中、話をすると私より10歳若くて広島の小学校の校長をしているとのことでした。
2人は東萩駅から貸し自転車に乗って城下町へと消えていきました。

 

下関からは響灘を経て日本海へと青い海が続くはずなのですが、生憎の天気です。でも、瀬戸内の風景に慣れている人間にとっては日本海の風景はそれなりに新鮮です。

右下の写真は長門市駅です。ここで少し停車時間がありました。手前に写っている車両は美祢線の気動車です。当初は長門市駅で下車して美祢線経由で山陽本線の厚狭駅から帰る計画も立てていました。
終点までいかないと「○○のはなし」の車両の写真が撮れないと思い、東萩駅まで行くことにしました。
でも、下関駅であんなに時間の余裕があるなら乗ったことない美祢線に乗るという手もあったと後で後悔しました。

 

左下は萩市に入ってから撮影しました。

右下は車内の撮影です。1号車はグループや家族で旅行するにはなかなか良い車両だと思います。

 

終点東萩駅に到着しました。停車時間は約1時間です。この町はもう何十回と来ているので市内観光はさすがにしません。
図鑑を作るのかというほど、「○○のはなし」を隅から隅まで撮影をして過ごしました。

 

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観光列車「○○のはなし」の旅(2019.12.21撮影)

2020-05-16 21:39:33 | 鉄道旅

青春18切符を初めて使いましたが、目的地によっては,お得感満載の切符になることを初めて知りました。

観光列車『○○のはなし』に初めて乗りました.これもなかなかのものでした。
『○○のはなし』は土日運行の観光列車ですが、快速扱いなので指定席券だけを購入すれば青春18切符が使えます。私の家から下関経由の東萩駅までだと片道だけで4000円超えてしまいます。それが、往復で2400円で行けてしまいます。ちなみに指定席券は530円です。

 

メチャクチャお得感満載です。これだったらお昼に豪華弁当を注文しても、お酒飲んでも大丈夫という気持ちになります。
青春18切符の場合、普通列車しか乗れないので、乗り継ぎをしっかり考えないと大変な旅になってしまいます。
今回の旅は観光列車を使うということで殆ど待ち時間がありませんでした。

新下関が始発ということで、そこから乗り込み、列車が動き出すと同時に缶ビールをシュッパーと景気良く開けて、ディーゼル車の音と揺れに心地よくなっていると、下関で10分間停車するというアナウンスが入りました。降りて、写真を撮る時間が保障されています。希望者は係の人間が撮影してくれると言います。早速降りて、車体を撮影し、珍しく自分を撮ってもらいました。

でも、よくよく考えたら、『はなし』は山陰本線を走る観光列車です。当然始発は下関駅になります。
新下関は新幹線の乗客に向けたサービスのようなものなのかもしれません。
左の写真は1号車です。和風のテイストです。畳が敷いてあって靴を脱ぐこともできます。2人掛けも4人掛けのシートもあります。
右の写真は2号車です。こちらは洋風の作りになっています。私は2号車でした。

 

新下関に乗車して缶ビールをプハーッと呑んで気持ち良くなったところで下関駅停車10分とまでは前回紹介しましたが、外に出ている間にいろんなものがテーブルに配られていました。

白い袋の中にはふぐ茶漬けが2袋と下関の観光パンフレットが入っていました。
もう一つは棒がついたいる小さい旗です。行く先々のいろんな駅で横断幕を持った観光お出迎え隊が待っているらしく、その人たちに振ってくださいとの趣向だそうです。

   

 

出発の時は皆さん気持ちが高揚しているのか私以外の乗客皆さん手を振っていました。
それからゆっくりちょっと気の抜けたビールをごくごく呑んで旅を続けます。

下関駅を出た頃にはすぐ缶ビールはもうなくなりました。

NHKのBS番組「吞み鉄本線日本列島の旅」の六角さんのように鞄にいつも予備の缶ビールを入れておかなければいけません。
車内の販売カウンターで萩の地ビール「ちょんまげビール」を売っていました。ちょっとコクのある方を選びました。

 

ディーゼルの心地良い音と揺れ、車窓から眺める風景が酒の肴になりどんどん進みます。しかもまだ午前中。「酒飲みに来たんかいな!」と突っ込みたくなるようなペースで空いていきます。

海の綺麗な場所では所々で停車してくれます。でも、この日の天気は曇りで海は綺麗ではありません。

昼食は弁当を予約しているので、決めた時間に届けてくれます。11時半に予約していたのですが、ちょんまげビールも空いてしまいました。

お茶と弁当では味気ないのでまた売店に向かいました。今度は趣向を変えて日本酒にしました。完全に呑み鉄です。このお酒はすっきり辛口の地酒です。
何とか弁当が届くまでは持たせたいとチビチビ呑み始めました。

 

上左の写真はキハ47の通称タラコ色の車両です。『○○のはなし』も元はこの車両なのです。塗装を変えて内装をきちんとすれば、全然違う車両となります。

上右の写真は2号車です。全部海側を向いた座席になっています。おしゃれなバーという感じです。

上の写真は特牛と書いて「こっとい」と読む全国難読駅名のトップクラスの駅です。
映画『四日間の奇跡』のロケ地になった駅です。この映画は角島を舞台にした映画で、私の好きな映画の一つです。石田ゆりこさん演じる女性がホームに佇む場面が印象的でした。いつもホームで車両を撮るばかりで車内からの撮影は今回が初めてなので何枚も撮りました。

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D51 SL「やまぐち号」の旅3(2018.12.15撮影)

2020-05-16 13:16:55 | 鉄道旅

帰りもSLやまぐち号で帰ることにしていたのでたっぷりと時間があります。
津和野駅を出ていつもの風景を目指して歩きますが、いつも車で来ていたので、歩く方向が逆になり方向感覚がずれ始めています。町の風景がどこか違います。
「こんな町だったけ?」と少し遅い昼食場所を求めて駅前通りを探します。

写真を撮るために買った駅弁を車内で半分ずつ食べていたので、津和野での食事も軽いものを探していました。

『人生の楽園』で紹介されたという看板を掲げた店を見つけました。「小さな農家レストラン 千舎(ちしゃ)の木」手打ちそばの店のようです。
もともと栗の栽培とお菓子の製造販売の店だったのがそば好きが高じて始めた店のようです。
私は新蕎麦の風味を生かした塩とわさびで食べる蕎麦を注文しました。駅弁を半分食べていないと、おにぎりセットがいるかもしれませんね。(味噌をつけたおにぎりも美味しそうでした)
蕎麦は、しっかりコシがあり美味しかったです。オススメの店です。

津和野は造り酒屋も多い町です。ちょっと歩くだけで何軒か見つけました。
津和野の酒屋の前のベンチに昔馴染みの友の顔を見つけました。
幼・小・中・高と同級生で酸いも甘いも嚙み分けた仲でした。
人生後半からはいろいろあってそんなに親しくは話をしていません。
しかも会いに行くこともありません。
そんな友とわざわざ津和野の町でばったり会うとは奇遇です。
仕事で来ていたらしく立ち話程度で別れました。

 

「津和野町日本遺産センター」に行ってみました。
以前来た時はなかった建物です。江戸時代の百景図を紹介しています。津和野の町は昔と町割がほとんど変わっていないのでとても興味深い資料館でした。
2階は伝統行事を紹介するコーナーになっていました。3枚目は伝統的な鷺舞です。
4枚目の黒づくめの衣装の画像は津和野踊りの衣装です。盆踊りには頭に団扇を指してこの衣装で踊るそうです。何とも怪しげな衣装です。のどかな盆踊りの風景とはちょっと違います。一説には、黒づくめの衣装の下に鎧をつけて、敵陣近くまで踊りながら向かったそうです。

 

津和野の町を散策していると、古い町並みに突然カトリック教会が現れます。
ゴシック様式で建てられた畳敷きの教会です。
津和野の町はキリシタン弾圧の悲劇を背負った町でもあります。
長崎から送られてきた信者に対して厳しい弾圧を強いられました。

3枚目は津和野町役場津和野庁舎です。

 

 

帰りももう一度「やまぐち」号に乗りました。
津和野駅を出る時にはやっぱり盛大な見送りが出ていました。

 

帰りは木造の椅子の最後尾の車両に乗り込みます。
展望車が付いているので選んだのですが、グリーン車ではないので出入り自由のためたくさんの人が行き来して落ち着きのない車両でした。

展望車からの撮影はアングル的にも面白い構図が狙えるのでいろいろ撮影しました。

 

トンネルが近づいても出たり入ったりするので煤煙が車内に入ってきて困ったものでした。わざわざトンネルの煤煙を経験するために外に出る人たちもいるのでやれやれです。子どもならまだ諦めがつくけど、大人も同じ行動をしているのでやれやれ。しかも観察していると同じ子どもと同じ大人が何度も何度もやっているところが、いろいろ考えさせられました。

 

 

久しぶりに屋外でカメラを使ったという感じです。
走っているところを外からとるのではなく、鉄道の旅の紹介編になったのかもしれません。
自分で車を運転するのではなく、半分集団生活のような列車旅も、ちょっとだけ良いかな?と思いました。

苦手なのは、耳が良いせいか、周りの会話が全部入ってきてしまい、イラっとしてしまうことがありました。「そこ、得意そうに語っているけど、それ間違ってますから!」と言いたくなる場面に自分で苦笑していました。ノイズキャンセラーの付いているヘッドホンを持参する必要がありますね。
今回は二人旅だったので一人だけヘッドホンはできなかったけどね。
1枚目2枚目は木製の背もたれのレトロな車両です。両サイドがちょっと上がっているところが何ともおしゃれです。
新山口の手前の大歳駅で列車のすれ違いのため停車します。

 

最後の最後に展望車からの撮影です。
すれ違ったのは「スーパーおき」でした。

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D51 SL「やまぐち号」の旅2(2018.12.15撮影)

2020-05-16 10:49:15 | 鉄道旅

SL「やまぐち」号の旅の続きです。
最初の長い停車駅は仁保です。乗客は一斉にホームに降ります。ホームでもSLを待ち構えていた人もいてごった返しています。
跨線橋の途中からその喧騒も含めて撮影しました。
最初の長い坂道を経てからの点検もなかなかです。
この先に最大の難所が待っているのでより慎重になります。
最後尾の展望車は山を背景にした方が色が落ち着いて撮影できたように思います。

 

 

先日TVのCMで「今日は明日の思い出」みたいなことを言っていました。誰が読むとか誰にアピールするとかではなく、今を記録することも面白いのかもしれないと思い始めました。
そこで、取り敢えず連日のUPをしています。
まずは、先日紹介したSL弁当の中身です。お味はまあまあ。“THE駅弁” というところでしょうか。
篠目駅にはSL用の給水塔があります。現在は使用されていませんが、SLに乗って見るのは格別です。
地福(ジフク)で少し長い停車になります。ホームに降りて外の空気を吸いながら改めてSLの撮影をしました。

 

 

SL「やまぐち」号の旅の続きです。
地福の駅で人の波が少し切れたところで、ググッと迫ってみました。
クロが飛ばないように気を使って撮影してみました。
この駅は、山口駅へ向かう各駅停車とすれ違います。
SLの黒を見慣れている目にはキハの色合いが鮮やかに映ります。
部活に向かうのか帰りなのかわかりませんが、ブルーのジャージと談笑がよく似合います。

 

 

津和野に到着しました。
車椅子利用の方がいて、この駅でどうやって移動するんだろう?と思っていました。跨線橋の脇のストッパーを外して線路を渡っていました。前向きでスロープを降りていたので、後ろ向きにして降りるという考えはないんだと改めて“まだまだ感”を強めました。
津和野ではD51は方向転換します。ここは見ないといけないと回転場まで行きました。
いっぱいいっぱいの寸法にきっちり乗せないと回転しないようです。
何度も何度もやりかえていました。
こういった技術も含めての動体保存の意味があるんだと妙に感心しました。

 

 

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D51 SLやまぐち号の旅(2018.12.15撮影)

2020-05-15 22:18:22 | 鉄道旅

鉄旅に行けないので過去の鉄道記録を自分のFBから転載します。

ニュースを見るといろいろ暗い気持ちになります。
いろいろな気持ちはここでは表明せずに浮世離れした話題に触れていきます。
鉄道好きで写真好きの私ですが、今までSLやまぐち号には関わったことがほとんどありませんでした。
SLやまぐち号が復活した時も悪趣味な懐古主義程度しか思っていませんでした。

子どもの時にはまだSLは日常的に走っていて、窓をいたずらすると親から服が汚れると怒られたり、トンネル近くになると誰彼となく「窓を閉めろ!」と怒鳴り声が響くような記憶しかなく、あまり良いイメージは持っていませんでした。鼻がつんとする匂いも好きではありませんでした。山陽本線が電化された時にはむしろ喜んだくらいでした。

そんな私が何を思いついたか、SLやまぐち号に乗ってみようということになりました。担任しているクラスのレイルマンくんの影響で古い鉄道に興味を持ってきたせいなのかもしれません。
乗りたい列車は雑誌やNゲージの世界になってしまったので、ここいらでブルーリボン賞受賞の35系客車に乗るのも良いかもしれないと思いました。
こういう時には意外なものに気づきます。どこに行く時も乗るローカルな岩田駅(山陽本線)のホームの向こうにある石橋と木製枕木です。こんなものあったんだと新鮮な驚きでした。

 

新山口駅まで各駅停車での旅です。新山口駅(元 小郡駅)はもうSLの熱気で一杯でした。D51 200が走るということもあり、人気は復活しているようです。
せっかく乗るのだったら思い切り弾けてみるかとSL「やまぐち」号のヘッドマークと一緒に収まってみました。撮影は同伴の妻に頼みました。相変わらず表情が硬いのがダメですね。

 

山口線は非電化路線です。ディーゼル車が主役です。キハ47と特急「スーパーおき」のツーショットです。奥にチラッと宇部線の電車も見えています。
浮世離れした鉄分たっぷりの写真と記事です。

新山口駅で時間があるような電車を選びました。
ホームで出来るだけ撮りまくることにしました。
今まで撮ってこなかったこだわりは全て捨てて撮りました。
前回紹介した写真が、弾け方が足りなかった気がするのでもう一つ弾けてみました。

 

 

新山口の駅ではしゃぎ過ぎて既に喉が乾いています。
NHKBSの呑み鉄ではありませんが、駅弁とビールを用意しました。
津和野に着いて昼食と思っていたのですが、ホームで取り敢えず1個購入し、車内で地ビールを調達しました。
弁当はもう少ししてから食べますが、ビールは発車と同時に一気に飲んでしまいました。

本当は乗りたかったグリーン車もちょっとだけ1枚撮らせてもらいました。レトロな豪華シートが並んでいました。なかなか切符が取れないようです。

3枚目は私の乗った車両です。背もたれがまっすぐの懐かしいシートに仕上げています。これが腰痛持ちには疲れなくて良いと思いました。

新山口から乗った向かいのシートのカメラを提げたおじさんはやまぐち駅で下車されました。こういう楽しみ方もあるんだと感心しました。

山口駅ではちょっと変わったペイントのキハを見つけました。40か47かちょっとわかりませんが、おそらく40だと思います。
ここまで自転車を前面に押し出したサイクル県だと言い張るとは思いませんでした。

 

 

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へいせい筑豊鉄道への旅3(2018.6.3撮影 一部2013.5.18撮影)

2020-05-12 09:37:01 | 鉄道旅

平成筑豊鉄道の旅を続けていますが、2013年5月19日のブログにもその記録を残していました。

その時は車で行って鉄道にそれほど興味がなくて、歴史的建造物として記録していました。

平成筑豊鉄道田川線には歴史的な鉄道遺産がたくさん残されていました。今回は知識不足で田川線に乗車しなかったことが後悔です。次回もう一度挑戦します。

最初の2枚が内田三連橋梁です。この上をへいちく号が走ります。

 

続いて石坂トンネルです。九州最古のトンネルです。その頃には価値に気づかずさらっと見ましたが作業員の人に頼んで線路の中に入れてもらって撮影できたのが幸いです。

車掌車も含め、今見たら生唾ごっくんものです。

  

 

直方の町の続きに戻ります。直方駅の線路の数は半端ありません。貨車の引き込み線と思われる線路が張り巡らされています。

石炭採掘最盛期の賑やかさが偲ばれます。

遠くにキハ40系と最新の813系電車が並んでいるのはちょっと印象的でした。

おやおや、817系の電車の横には平成筑豊鉄道の500型501号「ひとつ星」が止まっていて駅マルシェを楽しんでいます。

並べてみると相当ノスタルジックな車両です。

 

直方は元大関魁皇の出身地でもあります。駅前にどうどうとした魁皇関の姿が。

途中乗換駅で面白い電車に遭遇しました。

電車ではなく「DENCHA」です。バッテリーで走る電車です。非電化路線をディーゼル車ではなくでんちゃが走っているのです。

乗り換えた駅周辺は都市化がどんどん進み、人口が増加し、乗り換えのための立体交差が進んでいて、架線を引くスペースがなかったそうです。

でも電化区間との直通運転や高速運転を考慮するとこの道しかなかったようです。

結果、この「BEC819系」が誕生したようです。九州は交流電源、バッテリーは直流ということで技術的には大変難しかったようです。難点はやっぱり走行距離ということでしょうか。

 

下関まで帰り、山陽本線を待っていたら、向こうのホームがざわついていました。

何事かと思っていたら、「トワイライトエクスプレス瑞風」が発車しました。

噂通りの豪華な列車で「庶民の足を犠牲にしてまで豪華列車でもないだろ!」と毒づいていたこともすっかり忘れてその美しいフォルムに魅入ってしまいました。

その後、乗れないこともあるのでNゲージを買うことになるのですが。 

3枚目の写真で展望デッキから手を振る人たちのいかに誇らしいことか!やっぱりムカつきます。     

 

 

 

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平成筑豊鉄道への旅2(2017.6.3撮影)

2020-05-11 23:02:07 | 鉄道旅

平成筑豊鉄道は元は炭鉱専用の3路線でしたが、国鉄に合併された後に、旅客船用にし、経営もいろいろと努力をしているようです。

テレビで紹介されたのを見てどうしても行きたくなりました。
車両もカラフルにして座席も改良をしているようです。貸切列車やレストラン専用の列車も用意しているようです。
つり革にも名前が入っていたりと予算獲得のためのあらゆる努力を惜しまないという作戦のようです。
それでも、地元の人たちの交通手段が守られているのだから大いに評価されるべきです。
車両基地のある金田駅にはいろんな車両があると聞いたので向かいました。

 

 

3枚目がキハ400型408号ちくまる号<ブルー>です。4枚目が400型411号ちくまるLINEスタンプ号です。

金田駅に降り立ち、カラフルなディーゼルカーを望遠で撮影していると。はるか向こうからピンクの車両が近づいて来ます。
先頭に陣取った少年の透き通った眼差しが遠くからでもわかります。
到着しても私の望遠レンズをじっと見つめてくれていました。
担任している子どもと同じで、、鉄道でつながっているようなそんな感じでした。ちなみにこの車両は407号マクセル号

 
ホームの枕木もメッセージが書いてあり、みんなで支えているヘイチク(平成筑豊鉄道)という雰囲気がガンガン伝わります。
マクセル?なんしようと?どういうメッセージなんでしょうか?
maxellと言えばカセットテープというイメージが強いのですが。

 

金田駅の画像です。赤い車両はその名も「ひとつ星」です。ななつ星までは行かなくても、車内で食事が出る平成筑豊鉄道では最大のおもてなし列車です。

この車両は500型501号「へいちく浪漫号」です。この日は食事を提供する車両として発車前にお弁当をテーブルに配っていました。一度乗ってみたいような気もします。

3枚目は412号<旧型車両塗装>です。
カラフル車両が勢揃いするとなかなかの見応えです。右後ろに写っている白っぽい車両が410号「つながる号」だと思います。望遠で撮ってこれが限界でした。

 

 

平成筑豊鉄道あかぢ駅と南直方御殿口駅の間に嘉麻川橋梁があります。2連のトラスト構造を持ち、橋梁・橋台は煉瓦造で上り側は明治のものでイギリス製だそうです。
橋梁は、駅と駅の真ん中にあり、川を越える道はどこにもなく、暑い中を延々歩かないと辿り着きません。
やっとの思いで撮影した1枚です。

 
その後、次の駅まで歩くしかなくでも歩いていくうちに古い町並みに出会い、結局二駅向こうの直方駅まで歩くことになります。

直方の町までたどり着いて散策します。
半分は、昼食の場所を探しながらの歩きなのですが、手頃な店はどこにも見当たりません。
造り酒屋だろう建物だったり、ホーローの看板、煉瓦作りの壁
、旅館風の窓など昔炭坑で栄えた町らしい風景がいろんな所に溢れます。

 
昼食は駅前まで無理だと諦め、写真を撮ることに集中しました。

 

 

直方の町で古い建物を利用している美術館に入りました。
観覧料無料と言われたので「あれ?」と思いましたが、私の感性のせいか目に止まるものがありませんでした。
出口で「来週から特別展がありますからぜひお越しください」と言われ、山口から来ているので難しいことを伝えると、ぜひ石炭記念館に立ち寄ることを勧められました。館長がとても話好きで詳しく説明してくれるとのことでした。
昼もちょっと過ぎ、空腹も気になっていましたが、立ち寄ることにしました。
いきなりコッペル型機関車やC11が屋外にピカピカの状態で展示してあるのに驚きました。

 

 

石炭記念館本館はなかなか古い建物でした。
先に受付を済ませてから入るように指示されていたので受付に向かいました。すぐにどこから来たのか聞かれ、初めてだと伝えると「それでは簡単に説明しましょう」と案内をしてもらいました。
話好きとは聞いていましたが、見事な説明でした。筑豊の地名の由来(筑紫国と豊前の国にまたがっているから)から始まって、直方駅がどうしてこんなに広く、線路がたくさんあるのは炭坑鉄道だったからだとなるほどなるほどの話が満載でした。
 建物自体は、筑豊石炭鉱業組合直方会議所として明治43年に建てられたものだそうです。
 筑豊石炭鉱業組合は石炭産業の炭鉱主の団体で財閥ではない企業家の集まりだったようです。その会議所のような役割を担っていたようです。
 木造2階建、瓦葺き、入口にアーチを配した洋風建築です。室内に入ると天井のシャンデリアや階段の手すり、マントルピースなどにお金がかかっているなと思わされます。
 2階にある炭鉱労働者の姿とはかけ離れているような世界にちょっと違和感があります。

 

 

 

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平成筑豊鉄道への旅(2018.6.3撮影)

2020-05-11 15:54:09 | 鉄道旅

コロナ禍でdこにも行けないので、昔行った鉄道の旅を焼き直しして紹介します。

2018年に担任したRくんは鉄道に関する興味だけでなく、知識も大人顔負けの鉄くんでした。生活面では弱さを見せるRくんと仲良くなるには鉄道の話がいちばんでした。

この年からの鉄道旅はパワーアップしていきました。今までにも旅行に行くたびに鉄道の写真は撮ってきましたが、今担任しているRくんと会ってからは鉄道の見方が全く変わりました。
そういう目で見ると撮るものもこれほど変わるのかと思わされました。
車両の型や車体番号など興味が湧いてきます。
新しい車両には興味がなかったのですが、明日見せてやろうと思うと撮る気が湧いてきます。
そういった鉄道旅のスタートです。


早朝の山陽本線岩田駅です。この駅舎はデザイン的には優れていると思っています。元々は伊藤博文が生家に帰るとうことで鳴り物入りで生家横の洋館(現在は旧記念館)と駅舎を建てたと聞いています。当人はハルピンで暗殺されてしまったので帰れませんでした。現在の駅は、その後何度も手を入れているものですが、デザインはかつてのものをベースにしています。私には好きな駅の一つです。
2枚目は、かつてのメインストリートです。昔はこの通りに郵便局や和洋服屋、下駄屋、文房具屋、自転車屋、本屋、時計屋、映画館、造り酒屋などなど軒を連ねていたものです。今は見事に何もありません。
3枚目は駅のホームから見る反対側の光景です。のどかな田園地帯が広がっています。
4枚目は、冬になると凍って危険な跨線橋です。子どもの頃はこれさえなく、ホームの階段を降りて、線路を渡っていました。

 

 

画像ですが、1枚目は下関止まりの115系です。これが下関止まりで、関門トンネルを超えるには同じ山陽本線に乗り換えなくてはならないのが何とも不思議です。

JR西日本とJR九州では架線を流れている電気が違います。九州側は交流2万ボルト、本州側は直流1500ボルトです。電車は架線を通して電気を供給します。

“交流」と直流は直に接続できないため、間に「デッドセクション(死電区間)」という電気の流れていない部分を挟みます。

そんなことができる特別の電車が415系交直流電車なのです。

乗客は下関で乗り換えて、関門トンネルを越えて次の門司でもう一度乗り換えです。

115系の黄色は何とも田舎臭い色でそろそろやめてくれないかな?と担任している6年生の鉄オタくんとも話しています。
2枚目は415系です。何ともクラシカルな電車です。
この電車に乗って小倉まで行かなくてはいけません。
3枚目は、下関駅のホームです。歴史を感じる駅です。
いろんな意味でのたくさんの大陸からの人たちを輸送してきた駅です。
4枚目はモハ415の座席シートです。これがまたなんともクラシカルなのです。
嫌いではありません。
さすがJR九州という感じです。

 

 

小倉駅からJR日田彦山線に乗り換えます。乗り換えの反対ホームに885系特急「白いカモメ」が止まっていました。
私はこのたまご型の特急が結構好みです。
車両にはJリーグのシールがベッタリ貼ってあります。
最近JRはこの手法をよく取りれていますが、私はあまり好きではありません。
サッカーですから、あまり贔屓のチームはないのでまだ大丈夫ですが、野球にはちょっとうるさいものがあります。
山陽本線で真っ赤にペイントされている車両を見るとムカッとします。
公共の車両は公共の立場で運転してほしいものです。(笑)


日田彦山線は電化されていません。
ディーゼル車の心地良いエンジン音に揺られ田川伊田まで走ります。
3枚目の車両はキハ47です。
座席シートも見事に懐かしいシートです。シートの柄も懐かしい柄です。

 

 

小倉駅から乗ったキハ47の旅は結構長い距離を走ったような気がします。
停車駅は短いのですが、止まる駅は多いように思いました。
もう一つ、行けども行けども、小倉南区でした。
なかなか北九州市から脱出できない。


ドア付近に見慣れない注意ステッカーを発見しました。
「床に座らないでください」どういう状況でこの注意は貼られたんだろう?想像が膨らみます。
2枚目は採銅所駅です。文字通り銅を採掘していたのだろうと思われます。
以前、車で来てこの駅からゆふいん号を撮影したことがあります。
この駅の風景は好きです。
楽しみにして車内から撮ったのですが、降りて撮った方が趣が出るようです。

 
3枚目は先頭車両から見える採銅所駅のホームの先にあるトンネルです。車内でもゴソゴソしている怪しいカメラマンです。
4枚目は今回の目的の平成筑豊鉄道の『ちくまる』くんです。

 
1両で走るワンマンカーです。400形「なのはな号」です。
取りあえず、車両基地のある金田駅を目指します。

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「三江線に乗っておこう」2(2017.11.5撮影)

2020-05-10 20:55:31 | 鉄道旅

石見川本駅を降りると、町をあげての産業祭の真っ盛りでした。
昼ごはんを食べられる店も少ないだろうと思っていたのですが、これは何かありそうな予感です。
1時間半の滞在時間も退屈しないで済みそうです。


歩行者天国の両側には出店がずっと並び、お祭り気分を盛り上げます。
大きな音が聞こえてくるので近寄ってみると昔は鳴らしただろうなと思われるバンドが演奏しています。

お客さんもしっかり入っていて、みんなちゃんと聞いているのでとっても良いムードです。映画で見るようなシーンです。

 

 

特産物や用もないのに農機具の展示等々色々見て回って、結局昼食はカレーとビールという普通のメニューに落ち着きました。

昼食を摂って、石見川本の特産であるエゴマ商品をいくつか買い求めて駅に向かいました。
三次からの混雑ぶりを恐れてか、ホームでは、すでに乗車待ちの行列ができています。どの顔も先ほどまで一緒だった顔です。
せっかく来たのだからと、鉄道大好きモード満載の人に頼んでシャッターを押してもらいました。
駅のホームには線路を再利用した柱が建っています。
古い駅にはつきものです。
発車15分前には乗車することができました。

発車前のひと時を利用して川本町の町長さんが挨拶に来られました。他にも観光協会の方が、最近の豪華観光列車の傾向を嘆きながら、生活に直結している路線の廃線の残念さを熱く語られていました。
本当にそう思います。

 

 

石見川本駅から後半の旅になるのですが、やっと座っての移動になると緊張感がなくなったのか、昼食で飲んだビールのせいか、うとうとしてしまいました。
江の川沿いの風景も見慣れてくるとシャッターを切る回数が減って来ます。
もうすぐだな?と思っていたところで「千金」という駅名を見つけました。「値千金?」と思ったら「ちがね」でした。終点まであと二駅となると川幅もグンと広くなってきます。
そして、長い長い三江線の旅もゴールです。

 

 

三江線の終点である江津駅から一つ戻った江津本町駅の近くに天領江津本町甍街道があります。
明治大正時代の歴史的建造物や商家や土蔵が点在する通りがあります。
小さな川沿いが何とも良い雰囲気を醸し出しています。4枚目はは明治前期に建てられたとされる郵便局です。
洋風な造りで窓にはステンドグラスが入っています。

 

 

古い町並みと細い路地を歩くのはたまりません。どこへ行ってもこういう町並みを探します。
江津本町駅周辺は、あまり長い距離ではありませんが、2本の道沿いに赤瓦の町並みが続きます。
見るからに大きなカメラを提げて歩いている怪しげな私に、町の人たちは気楽に声をかけてくれます。
「良い写真は撮れましたか?」自然と「ありがとうございます」と応えてしまう温かいムードが漂います。
私は仕事から離れるとあまり口を開く方ではないのですが、この町では、笑顔で応えているから不思議です。

 

 

 

三江線に揺られてくねりくねりの江の川をずっと見て来ると、広々とした河口の江津の川面は何とも言えません。
青空も川面を一層映えさせています。

 

 

江津駅前の観光案内所の前になぜかわかりませんが、金の蛙が鎮座していました。
石見神楽の地らしき置物も用意してありました。
帰路はスーパーおき5号で益田まで山陰本で線、益田から山口線で新山口まで向かいました。
新山口からは、山陽本線で最寄りの岩田駅まで。
朝6時半〜夜8時半までの長旅終了です。
わかる人にしかわからない無駄な時間の使い方です。

 

 

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