とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

錦帯橋周辺散歩

2009-01-05 21:46:25 | 写真日記
東京に帰る娘を新岩国まで送った帰りに錦帯橋方面に立ち寄りました。
正月の錦帯橋の雰囲気を味わおうかと思い、カメラをもってぶらぶら散歩しました。
もう何度も渡っている橋ですが、今回も渡ることにしました。
往復300円は安く感じましたが、どうなんでしょうね。

  

 

橋をのんびりと渡っていると観光客らしき人に声をかけられました。
「写真を撮ってもらっていいですか?」いつも声をかけられます。
肩から一眼レフを提げて歩いているおじさんには声をかけやすいのでしょうか?

 

この日は冬のちょっとしたぽかぽか陽気で日差しも柔らかかったので気持ちのいい日でした。
朝のうちに錦帯橋には来たことがなかったので、いつもとは違った風景が目にとまりました。

    
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映画「K-20 怪人二十面相・伝」を観ました。

2009-01-04 22:54:12 | 映画
2009年最初にお金を払って観た映画が何と「K-20怪人二十面相・伝」だったというのは何ともどうなんだろう?

映画館の予告につられて観てしまいました。
結果としてどうかと言うと、これは、アニメーションの実写と思った方がいいと思います。
 
 まだ封切り間がないので、今から観る人の妨害にならない程度に感想を述べてみたいと思います。

 映画の冒頭で「12月8日帝国陸海軍は南太平洋沖で米英と平和条約を締結しました。結果太平洋戦争は回避されました。」というニュース放送が流れます。結果日本における戦後民主主義は始まっておらず、華族制度が維持され、貧富の差が拡大されたという設定で始まります。

 旧体制がそのまま残り、貧富の差が激しい社会。レトロな帝都の街並みの裏に、スラム街が広がる光景は、CGとはいえなかなかです。「三丁目の夕日」を作ったスタッフの手によるものだとか。

 サーカスの曲芸師の平吉(金城武=写真)が、謎の男(鹿賀丈史)にだまされて二十面相に仕立てられてしまいます。仲間の助けで脱出した彼は、探偵の明智小五郎(仲村トオル)や、その婚約者である貴族の葉子(松たか子)と共に、二十面相と戦う決意をします。
さて、その結末は…

以上が映画の流れなのですが、ストーリー自体は陳腐なお話です。
ただ、アクションがなかなかのものです。
「バットマン」「スパイダーマン」いろんな映画のパクリいや失礼…オマージュといったほどの出来です。

もともと素質のあった曲芸師が秘伝の書に基づいて訓練していくあたりは、カンフー映画か忍者映画のようです。

やっと見つけたからくり箱を枠にはめるとさらに大きなからくりが動き出すという仕掛けは「ハムナプトラ」か「インディージョーンズ」を想像させてもらえます。

松たか子演じるお嬢様の何とも間の外し方が実に軽妙で、周囲の人間たちとのちぐはぐさを楽しむことができます。

ただ、冒頭のシーンからどうしてもなじめない部分がありました。
大日本帝国が無傷のまま1948年を迎えたということはどういうことなのか。
華族制度の維持と結婚・職業の自由がない身分制度の絶対化だけで片付けていいのかちょっと疑問です。
曲芸師の平吉が警察で受ける弾圧は特高警察そのものだし、陸軍はそのまま維持されている状態です。
帝都はそうかもしれないけど、農地改革が行われていない農村はどういう状況なんだろう?
いらないお世話かもしれないけど、そこまで考えてしまいます。
華族制度を維持していくだけの経済的基盤はどうなっているんだろう?
せめて、経済の仕組みぐらい押さえて映画を作ってほしいと思いました。

この映画を観る時には場面場面だけを楽しむことをオススメします。
前後のつながりや、時代背景を考え出すととってもついていける映画ではありません。

初めに戻りますが、2009年最初にお金を払って観た映画がこれか…。
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ちょっとしたうれしいできごと

2009-01-03 21:13:53 | 日記
昨年の話なのですが、図書館で「長い旅の始まり」(東京書籍)という五木寛之と都はるみの対談集を借りました。
演歌はもともと大嫌いで、TVでもラジオでもかかっていたらプツンとスイッチを切るくらいなのです。
でも、この都はるみという歌手だけはなぜかあまりアレルギーがないのです。
歌そのものが好きということはないのですが、何となく全体的な雰囲気が好きなのです。
「男はつらいよ」のシリーズに出たという印象もあるのかもしれません。
五木寛之は、昔から好きでほとんどの作品(小説は全部)読んでいるくらいです。

その二人の対談をずっと読んでいたら、54ページのところで
『あそこのお風呂屋の看板のところを左に入ってゆくと、こっちが「松岡」という日本料理屋さんで、それから中華料理屋さん、突き当たりの「湯」とあるのがお風呂屋。日本料理屋さんんの隣の看板に「YAMATOYA 」ってかいてありますでしょ?ここは京都でも非常に古いジャズのお店で。時どきライブもやります。ここの通りは、夕方になるとテレビドラマのセットみたいな感じでね。なかなか風情のある一角なんです。』という文章にぶち当たりました。

なんとその店は今年の京都であった障害児教育の研究集会をちょっとの時間エスケープして入ったお店だったのです。

 

私は、その時ひどく疲れていて静かにできる店だったらどこでも良かったのです。YAMATOYAの看板の上にビリーホリデイの「奇妙な果実」の看板とセットだったので、入ることにしたのです。
中はとても落ち着いていて30分くらい心と頭を静めて出て行った思い出があります。

 

その店に五木さんが毎日通っていたというのだからとってもうれしくなりました。また本の中でジャズシンガーの「笠井紀美子が高校生の頃通って、レコードを聴きながら譜面をとってたという伝説もあります。」ということまで紹介されていました。
笠井紀美子といえば大学の頃には伝説のジャズシンガーという感じで、スウィングジャーナルの年間日本人女性ボーカリストではずっと第1位だったように覚えています。
我が家にもLPレコードが何枚もあります。

ミーハーなんだけど嬉しくなった出来事でした。  
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「キネマの天地」を観ました。

2009-01-03 15:34:30 | 映画
「キネマの天地」をTVで観ました。
昔、映画館で観た作品です。
その時も松竹のマスターベーション的な映画だと酷評された映画でもあるのですが、監督が山田洋次ということもあり、個人的には評価していたように思います。

この映画は松竹が撮影所を大船に移転する直前の昭和8、9年の蒲田撮影所を舞台に、映画作りに情熱を燃やす人々の人生を描いています。脚本は井上ひさし、山田太一、朝間義隆、山田洋次が共同執筆するといおう豪華版。監督はの山田洋次、撮影も高羽哲夫が担当するという寅さんコンビ。 無声映画からトーキーに時代が変わる頃。まさに映画全盛の頃の話です。

この映画を中井貴一と有森也美のラブストーリーか何かと記憶していたのですが、今見返してみると全く違うということがわかってきました。
中心に描かれているのは、親子愛であり、映画の周辺にいる一般庶民の生活だったのです。
そこらへんを落とさないで描いているのが山田洋次ならではなのかもしれません。
渥美清と倍賞智恵子の関係が、何とも不思議な世界なのです。
この二人の演技は、完成品をみているようです。
倍賞智恵子の夫役はもちろん前田吟です。
息子は吉岡秀隆という懲りようです。
大看板の松坂慶子が愛の逃避行に走るという設定も岡田嘉子がソ連に出国したことをかぶらせているのだと思います。
中井貴一が特高につかまり、弾圧されることももちろん忘れずに描いています。

松竹あげての映画だけにキャストの豪華さはもちろんすごいのです。
こんな場面であんな人が登場している。
探すだけでも面白いのです。
笑点の座布団運びの山田隆夫も撮影所の短気な照明係として出てきます。
あのまま映画の世界にいたらけっこう面白い役者になっただろうに、と思います。
生活の点では、今の座布団運びの方が安定しているだろうけど。
そうそう、出川哲朗もこの映画にはちょい役で出ています。

そういう意味では、興味深い映画ですが、観た後で、やっぱり「あ、あの時代はそうだったんだ」という感想しかもてないこともちょっとね。
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「アイアムレジェンド」を観ました。

2009-01-03 00:05:34 | 映画
WOWWOWで「I am Legend」を観ました。
映画館での予告スポットやTVでの予告も何度も観ていたのでタイトルだけは何となく知っていた作品でした。
TVスポットでは「たった1人生き残った」ウィル・スミスを強調していて、どういう展開なんだろう?とちょっとだけ興味はありました。
で…結論ですが、個人的にはがっかりな作品でした。

おそらくCGだろうと思わせる情景の連続で「そんなあほな…」と思わせるシーンの連続です。
ほとんどの車が乗り捨てられていて、荒れ果てたマンハッタンをウィルスミスの乗る車だけが疾走していく。
目の前を鹿の群れが走り回る。それを銃を持って車でハンティングする。
このシーンなどはCGの映像技術だけが見せたかったの?という気がしました。
その狙った鹿をライオンがしとめる。
親子連れのライオンを見て、撃つのをやめる。
見ると夕暮れが迫っている。
急いで家に帰っていく。
導入部分で何かあるんだろうな?と思いながら見ていました。

殺人ウィルスに感染して凶暴になり、暗闇でしか生きられないダーク・シーカーズの存在を見せていきます。
ウィルスミスはその特効薬を見つけるために日夜一人だけ戦い続ける存在として描かれていきます。
「たった1人生き残った」の意味は、変異せずに「元の体のままの人間」として生きてきたという意味です。
変異した人間たちは圧倒的多数派なのです。
言い換えるなら、彼ら自身が新人類といっても過言ではないのです。
変異した人間たちは、凶暴な動き以外は一切描かれません。
どうやって暮らしているんだろう。
組織的な動きはどうやって統制されているんだろう?
質問したいことはつきません。
鹿にしてもライオンにしても住みにくいマンハッタンに暮らす必要はなくて、もっと外で暮らせるだろうにとか、この動物たちは夜はどうやって自分たちの身を守っているんだろうとか、考えたらいけないんだろうけど…。

本当は、CGで描けないみえないものを描く方がずっと興味深いのにちょっと残念です。
家族を失った ウィルの孤独や喪失感などは少しだけ伝わってくるけど、あれほど荒れ果てた街を見せておいてガスや水道は使えているという実態はどうなの?
やっぱり陳腐なストーリーになっています。

でも、一番しっくりいかなかったのは、相変わらず「暗闇と光」、「悪魔と天使」、「選ばれし者たち」このあたりのアメリカの映画作りはついていけません。
最後のシーンで明らかになる「Legend(伝説)」のくだりは「何言ってんの?これでは、アラブのテロ集団と発想は一緒だよ!」と毒づいてしまいたくなります。

あくまでも個人的な結論です。
映画館でこの映画を観なくてよかった。
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TVで「蒲田行進曲」を観ました。

2009-01-01 23:32:54 | 映画
明けましておめでとうございます。
昨年はブログを更新しないで皆様にご心配をおかけしました。
今年は少しずつでも更新を続けていく決意でございます。
ブログを書いているとついつい長くなってしまい、それが負担になっていることが多いような気がします。
今年はもう少し、肩の荷を抜いて気楽なブログにしていけたらと思っています。
今年もよろしくお願いします。

実は、昨年もたくさんの映画やDVDを観てきたのですが、感想を書きたいと思うような作品に出会えなくてついつい先送りにしていました。
正月早々、いい訳ばかり書いています。

今年最初に観た映画が、WOWWOWでした。
何と「蒲田行進曲」です。
正月早々こてこての“つかこうへいワールド”です。
この映画は映画館でも観たし、レンタル屋さんでも借りて観た作品です。

風間杜夫演じる銀四郎のやりたい放題につきあう大部屋俳優たちの右往左往が描かれながら、時々人情コメディーのような場面を取り入れる何とも言えないつかこうへいワールドなのですが、昔はけっこうはまっていたのですが、今この年で観ると、時々ついていけない場面があります。
「こんなやつはおらんやろう」「どこの世界の話だ」とやっぱり分別くさくなっているのかな?と思います。

それと、この映画で描かれている、女性については少し問題があるように感じます。
松坂慶子の演じる小夏さんは銀四郎にほれ抜いて、子どもまで宿しながら、大部屋俳優の所に行かされます。
「子どもさえ産めるのだったら、父親は誰でもいい」そんな女性の描き方はどうなんだろう?
また、情にほだされてだんだん大部屋俳優やす(平田満)に気持ちが移って行くそんな描き方も男性の側からだけの好都合のように感じます。

もう一人社長令嬢(高見千佳)が出てきます。
若くてわがままで銀四郎を夢中にさせてしまいます。
その女性と、小夏を比較させる単純な構造にもちょっとついていけなくさせます。
もう気持ちが離れてしまっている銀四郎の部屋に行き、そっと掃除洗濯をするけなげな女性として小夏を描いていきます。
ちょっとおおげさなまでの演出がまた、わざとらしくていかにも浪花節っぽい。
そういう手法をあえて使っているところが、皮肉っぽくていいと思っていた自分がまた、いやらしい。

しかも女に振られて落ち込んでいた銀四郎のために階段落ちを引き受けるやすの行動もどうなんだろうね?と思ってしまいます。

ライバル俳優の原田大二郎との関係や、銀四郎が乗っている将棋の王将模様のキャデラックなど、設定が何とも困ってしまうような描き方です。
こてこての演出に見る側が照れてしまいます。

つかこうへい演出の舞台は何回か観た事はあるけど、舞台の方があの大げさな台詞ははまるような気がします。
若い時にあんなにいいと思った映画を批判的に観るというのは、何か変な感じです。
でも、やっぱりそういうものかもしれませんね。
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